ウチの本屋に足繁く通う女子高生についての話

ヨルノソラ/朝陽千早

ウチの書店に足繁く通う女子高生についての話

 地球温暖化を身近に感じたのは、六月にクーラーを入れることに躊躇を覚えなくなった時だった。


 焼きつくような高温が広がる中、俺はクーラーの効いた室内で脱力している。

 出来ることなら、このまま快適な室内でゆったりと過ごしていきたいものだ。


「……しかしまぁ、どうせ客も来ないのに店番なんて意味あるのかね」


 誰に向けるわけでもなく、俺は一人呟いた。


 昨今は電子化が進み、また、物流の発展から書店の存在意義が失われつつある。

 ウチのような個人書店を必要としている客は年々減っているのが現状だ。


「さっさと畳んだ方が利口だよなー」


 黒字になる見通しはなく、支出が増えているだけ。

 仕事しているのにお金が減るのだから本末転倒だ。


 ただ、書店経営は親父の夢らしく、建設的な話は通用しない。


 まぁ、カウンターに座っているだけで時給1000円は悪い話ではないしな。

 子供の分際で、経営についてとやかく考えるのはやめておこう。


 ぼんやりと虚空を眺めていると、カランコロンという鐘の音とともにドアが開く。


「いらっしゃいませ」


 仕事モードにスイッチして、俺は居住まいを正した。


 ポロシャツにチェック柄のスカート。

 女子高生と思しき出立ちで、薄桃色の髪をポニーテールにまとめている。


 テレビ越しだったら、しばらく見続けてしまいそうな美貌と存在感を放っていた。


 この町にこんな美人がいたのかと感心しつつ、俺は読みかけのミステリー小説に手を伸ばした。店員がジロジロと客の動向を気にしていたら居心地最悪だからな。


 カウンターに近づいてくるまでは、このまま本の世界に入っていよう。


「…………」


「…………」


「……?」


「……っ⁉︎」


 視線を感じて顔を上げると、女子高生と目が合った。

 彼女は近くにあった本を鼻先まで持ってきて顔を隠し、落ち着かない態度を取り始める。


「どうかされましたか?」


「え、えと……ここにあるオススメって、店員さんが選んだものですか?」


 女子高生の指差す先には、俺の書いたPOPがある。

 書店のメリットは、知らない本に出会えることだと思う。


 その一助になればと、俺のオススメ本を週替わりで紹介しているコーナーがある。


「そうですね。自分が選びました」


「じゃ、じゃあ買います」


「え?」


「あ、買ったらダメですか?」


「いえ、ご購入ありがとうございます」


 購入までのテンポの良さに意表を突かれてしまった。

 女子高生は柑橘系の爽やかな香りを纏いながら、カウンターまでやってくる。


「こちら一点で、1080円になります」


「これでお願いします」


 1100円を受け取り、20円のおつりを取り出す。


「ありがとうございます。レシートとおつりです」


 緊張をにじませた手で、俺からレシートとおつりを受け取る。

 だが、会計が終わってもすぐには帰らず、視線を左右に泳がしソワソワしていた。


「あ、あの」


「なんでしょうか」


「また、来てもいいですか?」


「はい。いつでもお越しください」


 珍しい質問だな。

 書店に入るのに回数制限はない。


 女子高生は嬉しそうに目を輝かせると、抱きしめるように本を持って店を後にした。


 少し変わった人だったな。

 俺はやや口角を上げて、ミステリー小説の世界に戻るのだった。



 ★



「いらっしゃいませ」


「こ、こんにちは」


 女子高生は、あれから幾度となく来店してきた。


 週替わりで行なっているPOPを更新を見計らったようにやってきて、毎回、俺のオススメした本を購入してくれている。


「これ、お願いします」


 今回、女子高生が渡してきた本も、やはり俺がオススメしている本だった。


 俺は、店員として不必要な会話はしないことを心がけている。

 洋服を選んでいる時に店員に話しかけられて、苦痛な思いをした経験があるからだ。


 だが、毎週のようにウチを訪れて、俺がオススメした本を迷わず購入する女子高生。このまま興味を持たないでいるのは限界だった。


 だからつい、会計を進めながら余計な口を開いていた。


「本、お好きなんですか?」


 女子高生はまぶたを瞬かせ、呆気に取られた顔を浮かべる。

 が、すぐに正気を取り戻し、桃色の髪を耳にかけた。


「……好きに、なりたいんです」


 好きになりたい、か。

 なるほど。だから取り敢えず店員のオススメしている本を買っているのか。


 自分で本を探すのって意外と労力かかるからな。


「いいと思います。本はコスパのいい趣味ですし」


「あ、趣味にもしたいんですけど、共通の話題がほしいといいますか」


「共通の話題……身近に本好きの人がいらっしゃるんですね?」


「身近といえば、確かに身近ですね……」


 動機はどうあれ、本を好む人が増えるのはいいことだ。

 俺は会計を済ませ、レシートとともに本を女子高生に渡した。


「ありがとうございました。またお越しください」


 女子高生は本を胸元に構えると、チラリと俺の目を合わせてきた。


「て、店員さんは、本が好きなんですか?」


「はい。好きです」


 本は、他人の人生を追体験することができる。

 新しい発見や、知らない考えや視点、奇想天外な着想。


 数百ページの中に数多の体験が詰まっているのだ。


 これほど面白いものを俺は知らない。


「友達とか、こ、恋人にするなら、読書家の人の方が嬉しいですよね?」


「え? あぁ、まぁ……おそらく」


 友達や恋人か。

 俺には無縁の話すぎて、ピンとこないな。


 きっと、彼女は青春を謳歌しているのだろう。

 詳細は知らないが、誰かと親しくなるために本に触れている。


 ただ娯楽として消化している俺とは大違いだな。


「仲良くなれるといいですね。頑張ってください」


「が、頑張ります……」


 女子高生は弱々しく答えると、拳をグッと握りしめた。


 退店していくのを見送ってから、俺は天井を見上げる。

 後頭部で手を組んで、肩を落としため息を漏らした。


「にしても俺は、いつまでこんな生活続けんのかな……」



 ★



 八月に入った。

 陽射しが猛威を振るい、サウナと錯覚するような暑さを実現している。

 日焼け止めがなければ、あっという間に肌の色が変わりそうだ。


 ちなみに俺は、今日も今日とて書店で店番をしている。


 親父が始めた書店なのに、滞在時間は圧倒的に俺の方が長い。

 まぁ、コンスタントにお金を稼げるからいいんだけど。


「……ちは」


 それにしても、猛暑のせいかクーラーの効きが悪くて参っちまうな……。


 こういう時こそ、本の世界に入って現実を忘れるべきか。

 午前のうちに読む予定だった本がまだ半分しか読めてないし。


「こんにちは」


「え? あ、こ、こんにちは……」


 尻尾を踏まれた猫みたいに身体をビクつかせる俺。

 ボーッとしていたせいか、彼女の存在に気がつかなかった。


「今週はオススメの本はないんですか?」


 夏休みのはずだが、制服姿の女子高生。

 俺は店員モードに意識を遷移した。


「あぁ、今読んでる本をオススメにしようかと思ってたんですが、まだ読破し切れてなくて。明日にはPOPも変えると思います」


「そうなんですね。じゃあ、その本買ってもいいですか?」


「あ、はい。ありがとうございます。……940円になります」


「1000円からで」


 即決で購入を決めてくる。

 あまりの迷いのなさにちょっと怖くなってくるくらいだ。


「あの……本当に自分のオススメしている本で大丈夫ですか? こういう本もあるのかって参考程度に紹介しているだけなので、必ずしもお眼鏡に叶うかは約束できないといいますか」


「今まで買った本、全部面白かったです」


「そう、ですか。それはよかったですけど」


「はい。それに……好きな人の好きなものを知れるのって凄く幸せなので」


「……? それはどういう……」


「き、気になっている人が本を好きなので。本の良さを知れるのは凄く嬉しいという意味です。……別に深い意味はありません」


 女子高生は両手を合わせ口元を隠すと、薄桃色の血液を頬に巡らせる。


 彼女は本をバッグにしまうと、くるりと踵を返した。

 だが、すぐに立ち止まり再びカウンター前まで戻ってくる。


「あ、あの、私からも一ついいですか?」


「は、はい」


 前屈みになって、俺と目を合わせてくる。

 端正な顔を目前にして、俺の頬がみるみる紅潮していく。初めて見た時から思っていたけど、えらい美人だ……。


「気のせいかもしれないですけど、体調よくなかったりしませんか?」


 目をパチパチさせる俺。

 傍から見たら、体調が悪そうに見えるのか……。


 少しの間、唖然と息を呑み、俺は視線を膝に落とす。


「まぁ、ずっと引きこもってるしな……」


「え?」


「あ、すみません。なんでもないです。別に体調悪くないですよ。いつも通りです」


 俺は矢継ぎ早に訂正する。

 不覚にも、心の中の声が漏れてしまった。


「それならいいんですけど……陽の光を浴びるのも大切ですよ。家の中にこもってると精神的に参っちゃうこともありますから」


 前に本で得た知識だが、人間の脳内には精神面に影響を与える『セロトニン』なる神経伝達物質があるそうだ。セロトニンが不足すると、精神安定に支障をきたし、ストレスや陰鬱な気持ちを抱えたりする。


 このセロトニンは、太陽の光を浴びることで活性化するらしいので、引きこもっている俺はセロトニン不足といって差し支えないだろう。


「そうですね、ありがとうございます。たまには外出してみます」


 女子高生はモゾモゾとバッグの中身を漁り出すと、A4サイズの紙を差し出してきた。


「も、もし良かったら、外出ついでにウチの高校を見学しにきてください。進学先の候補はいくらあっても困らないと思いますし」


 渡された紙に目を通す。

 内容は高校説明会について。そういえば、ちょうどその時期か。


 高校見学に行くのは、中3の夏休みの宿題みたいなものだからな。


「あれ? 俺が中3ってこと言いましたっけ?」


「な、なんとなくそうかなぁーって……」


 女子高生は視線をあさってに逸らして、たらりと頬に汗を伝わせる。


 バイトが解禁されるのは、高校生からだ。

 あくまで俺は、家の手伝いの一環としてココで働いている。

 いってしまえば、グレーゾーンに片足突っ込んでいるようなもの。


 だから、俺を中3だと見抜くのは、何かしらの情報がないとおかしい。


「この場所以外で、どこかで会ったことありますか?」


 女子高生は口を噤んで、首筋を撫でた。

 衣擦れの音すらも嫌がる静寂が訪れ、雑音のない時間が流れる。


 女子高生はしばらく逡巡していたが、覚悟を決めたように顔を上げた。


「私、今年の三月まで店員さんと同じ中学に通ってたんです。図書室にこもって受験勉強している時に、一方的にあなたのことを認識してました」


 確かに、俺は図書室にこもって本を読むことが多かった。

 図書室で勉強していたなら、俺とは高頻度で遭遇したはずだ。


「楽しそうに活字を目で追っている姿や、大人びた佇まいが……なんというか、物凄く気になってしまって……いつしか、勉強が目的なのか……あ、あなたに会うのが目的なのか、判別つかなくなったりして……つ、つまりですねっ」


「要するに、勉強の邪魔してたってことですかね……俺……」


「違います。そういう意味じゃないです!」


「ならいいんですけど。でもなるほど、理解できました。だから俺が中3ってわかってたんですね。謎が解消できてよかったです」


「そ、それより、私、今、結構すごいこと言ってたと思うのですが!」


 女子高生は身体を戦慄わななかせながら、涙目になって言う。


「同じ中学通ってたのは意外でしたけど、そんなに広い街でもないですし不思議ではないですよ?」


「いえ……まぁ、いいです。……店員さんは鈍いんですね」


 吐き捨てるようにポツリと呟く女子高生。


 鈍い? 

 なにか見落としていたか? 


 ダメだな。

 本ばっかり読んできたせいか、他人の感情を読むのは得意じゃない。


「私、もう行きますね」


「あ、はい。ありがとうございました」


「時間があれば高校説明会来てください。私でよければ校内を案内しますから」


「……その言葉、真に受けてもいいですか?」


「え、はい。もちろんです」


「じゃあ、案内お願いします。一人で高校見学は少しハードル高いので」


 初めての場所に、単身で突撃するのは勇気がいる。

 親に一緒に来てもらうって方法もあるが、それはそれで別の恥ずかしさがあるしな。


 せっかくなら厚意に甘えさせてもらおう。



 ★



 ここ最近、書店の店番しかしていないせいか時間の流れが早く感じる。


 あれよあれよと日を跨ぎ、高校説明会当日を迎えた。

 久しぶりの外出。モワッと蒸し風呂のような暑さが広がり、立っているだけでも体力が奪われていく。


 手庇てびさしで陽の光に抵抗しながら、覚束ない足取りで高校の前に到着する。


「こんにちは」


 正門の前で清涼感のある笑みを携えている女子高生。

 普段と同じ制服姿だが、いつもより大人びて見える。


「こ、こんにちは……」


「随分とお疲れみたいですね」


「体力の無さには自信しかないので」


「ふふっ。変わった言い回しですね」


 朗らかに笑みをこぼし、口元を抑えている。


「ひとまず中に入りましょうか。校内の方が幾分かマシですから」


「そうしてもらえると助かります」


 女子高生に誘導され、校内へと向かう。


「それで今日はどう呼んだらいいでしょうか? いつもは店員さんですけど、今日は場所が違うので……」


「あぁ、そういえば名前を名乗ってなかったですね。小野寺恵太おのでらけいたです。小野寺とでも呼んでください」


「小野、寺?」


「はい。なにか気になりますか?」


 当惑を滲ませた瞳。眉間にわずかに皺を寄せている。

 特別珍しい苗字でもないと思うけど、引っかかる要素あったか?


「い、いえ……なんでもないですっ。小野寺くん、ですね。私は佐倉陽奈美さくらひなみっていいます」


 今日は店員と客ではなく、高校生と中学生。

 であれば、呼び方以外にも変えるべきところがあるか。


「呼び方もですけど、佐倉さんは俺に対して敬語である必要ないですよ。俺の方が歳下ですし」


「うーん……いきなり敬語を崩すのは抵抗ありますね。小野寺くんもタメ口ならそれでもいいんですけど」


「俺がタメ口なのは違う気がしますけど」


「私は気にしません。むしろ、その方がむしろ嬉しいといいますか……」


 佐倉さんは頬を上気させ、照れ臭そうに呟く。


 歳下にタメ口聞かれて嬉しい……? 

 舐められているみたいで、いい気分はしないと思うけど。


「佐倉さんが構わないなら、タメ口にしてもいいですけど」


「本当ですか? なら今からタメ口にしましょう」


 タメ口の許可が降りる。

 俺が蒔いた種だからな。ここは思い切ってタメ口をきくとするか。


「わかった。高校説明会って来たことないからよく知らないけど、最初はどうしたらいいの?」


「え、えとそうですね、まずは体育館で全体説明があるので、それを聞くのが一般的かと思います」


「タメ口にするんじゃなかったですか?」


「小野寺くんのタメ口の破壊力がすごくて、それどころじゃ……」


「え?」


「や、やっぱりいつも通りにしましょう。慣れないことはしない方がいいです、はい!」


 佐倉さんは首や耳まで赤くしながら、あさってを見やる。


 確かに、慣れないことはしない方がいい。敬語で困ることないしな。


「わかりました。じゃあ、いつも通りにしますか」


「はい。……で、まぁ、体育館で開かれる全体説明を聞くのが正規ルートなんですけど、どうしますか?」


「どうも何も、正規ルートならそれを通るしかないような」


「小野寺くんには私がいますから、好き勝手に校内を見て回る特別なルートもありますよ」


「それ大丈夫なんですか?」


「先生に見つかったら、怒られる可能性は否定できません」


 佐倉さんは口先に人差し指を持ってきて、ふわりと微笑む。

 

 見かけによらず不真面目な一面もあるみたいだ。

 俺はクスリと笑みをこぼした。


「なら、後者でお願いします。体育館で長話を聞くのは苦手なので」


「私もです。ウチの高校は広いので、施設もたくさんありますよ。トレーニングルームとかもありますから。この時間なら人もいないと思うので最初に汗かきますか?」


「この炎天下で十分掻いているので大丈夫です……。まずは図書室を見てみたいです」


「ほんとに、本が好きなんですね」


 佐倉さんは楽しそうに口元を押さえ、弾んだ足取りで階段を登っていく。


「図書室は三階にありますので、上にいきましょうか」


「了解です」


 かくして、高校見学が始まった。



 校内を回り始めてから小一時間が経過した。

 高校説明会に来た人は体育館に集められているからか、校内は伽藍堂がらんどうといって差し支えない。


 図書室や自習室、食堂などの施設を見て周り、部室棟までやってきた。


「ウチの高校は部活動も盛んなんです。漫画でしか見たことないような部活とかも存在するんですよ」


「漫画でしか見たことない部活ですか?」


「例えば人助けをする部活とか!」


「確かに漫画でしか見ない部活ですね……」


 広い校舎に、豊富な施設。部活動までバラエティに富んでいるらしい。


 ここでの高校生活はきっと楽しいのだろう。

 見学しているだけでも、そんな気がしてくる。


 だが、高校か……。


 俺には無縁のものに感じて仕方がない。


「夏休みなので文化系の部活は大体休みですけど、運動部は活動していると思うのでいくつか見学していきますか?」


「遠慮しておきます。仮に入学しても運動部に入ることはないと思うので」


「そう、ですか……小野寺くんはスポーツ似合うと思いますけど。バレーとか」


「やけに具体的ですね」


「あ、私がバレー部所属しているからとか、決してそういう私的な理由ではなくてですね。……そ、そう、バレーは身長が物を言うスポーツですから」


 佐倉さんはわなわなと両手を動かしながら、必死に弁明してくる。


 良くも悪くも平均的な身長だと思うのだけど、高くなる見込みがあるってことだろうか。



「とにかくですね、決して変な意味があるわけじゃ──」


「あれ……佐倉先輩?」



 佐倉さんが矢継ぎ早に口を走らせる中、低い声が割り込んでくる。


 声のした方を振り返る。

 瞬間、俺の顔は青ざめ表情が歪んだ。

 

「……天音あまねくん?」


「あ、やっぱ佐倉先輩だ。オレ、説明会来てたんすよ。佐倉先輩はこれから部活っすか? ……え、つかどうして小野寺が佐倉先輩と一緒にいんの?」


 整髪料で固めた茶髪と軽薄な笑みを携えている。

 だが俺と目が合った途端、敵意を宿した瞳に変わり棘のある声が飛んできた。


 場の空気が変わった。

 少なくとも俺はそう感じていた。いや、俺の中で警戒心が跳ね上がったのだろう。


 心拍が早まり、全身から汗が滲み出る。


「えっと、天音くんは小野寺くんのお友達?」


「クラスメイトっすね」


 飄々と答える天音。

 俺は顔を伏せ下唇を噛み締める。


 気が付けば、そのまま逃げるように廊下を走り出していた。


「ちょ、小野寺くん⁉︎」


「なんだありゃ。あ、もし暇ならこれから校内案内してくれません? 佐倉先輩」


 ……最悪だ。

 最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ。

 なんで、ここで天音と会うんだ……!


 近くの柱に背中を預け、額を手で押さえる。


 呼吸が荒い。

 全身から滝のような汗が流れているのがわかる。


 そのままズルズルと下がっていき、床に尻をついた。


 佐倉さんもいたのに、何も言わず逃げ出して……ほんと、何してんだ俺……。


 何にも変わってない……。



「大丈夫、ですか?」


「佐倉さん……」



 見上げた先には桃色のポニーテールを揺らした佐倉さんがいた。


 息を切らして、肩を上下している。

 走って俺のことを探してくれたみたいだ。


「……あ、あはは……すみません、いきなり居なくなったりして」


「酷い汗……保健室いきましょう」


 佐倉さんはハンカチで俺の顔を拭いてくれる。


「だ、大丈夫です。俺はほんと大丈夫なんで……ほんと。はい。今日は色々ありがとうございました。タイミング見て、あとは適当に帰ります。なので、すみません。今は放っておいてください」


 我ながら酷い態度だ。

 心配してくれているのに、突き放すような物言い。


 自分で自分が嫌になる。

 吐き出しそうな嫌悪感に苛まれ、呼吸するのも辛い。疲れた。

 

 せっかく最近は嫌な自分を見ずに済んだのに、結局は何も変わってないままだ。


 もう一人になりたい。

 俺はあの場所で引きこもっている方がよかったみたいだ。



「……あんまり一人で抱え込んじゃダメだよ」



 穏やかな声色がそっと耳元で放たれる。

 俺の頬を包むように両手で触れ、強制的に目線を合わせてきた。


 俺はまぶたを瞬かせ、呆然と息を呑む。

 敵意など全く感じない。優しい瞳だ。


「……抱え込んでなんか、いません」


「うん。そうならいいんだけど、私にはそう見えなかったから」


 佐倉さんは俺の隣に腰を下ろした。


 静寂な時間が訪れ、ゆったりとした時間が流れる。

 佐倉さんの体温を身近に感じる中、俺は天井を見上げた。


 そういえば、まだ誰にも言ってなかったか。

 ずっと一人で抱え込んで、逃げる道を選んでいた。


 話せば楽になることもある、か。


「……俺、六月から不登校を続けているんです」


 恐る恐る口火を切って、俺は自分の置かれた現状を打ち明け始めた。


 キッカケはわからない。

 ただ、天音に目をつけられて、イジメの標的になった。


 本ばかり読んでいることが癇に障ったのか、単に俺のことが気に食わなかったのか、いずれにせよ俺はターゲットになり、学校内で居場所をなくした。


 閉鎖的な空間において、逃げ道など存在しない。

 日を追うごとに精神をすり減らされ、活力は奪われる。


 試しに一日学校を休んだのが、不登校への第一歩だった。

 一日休めばもう一日と繰り返すようになり、二週間も過ぎる頃には休むことに抵抗は無くなった。反対に、学校に行くことへの抵抗が強まり、雁字搦めになった。


 親父は俺が不登校になった経緯を知らない。

 俺が言わないから、親父は聞いてこなかった。


 ただ何も聞かない代わりに、書店の店番という仕事を渡してきた。


 結果、俺は書店で店番をするのが定常化した。


 学校に行かなくなってから結構な時間が経ったが、それで解決する問題ではなかったらしい。俺は天音に対する恐怖心を忘れていただけ。一度ひとたび顔を合わせれば、再び思い出し、俺の視界は真っ暗になってしまう。


 こんな弱い自分には、もう会いたくなかったのにな……。


「……辛かったね」


「…………」


 俺の頭を労るように撫でてくる佐倉さん。


 俺は何も言わず、小さく首を縦に下ろした。


「一応言っとくと、私と天音くんは同じ部活だっただけの関係だからね。彼に対して思い入れあるとかじゃない。むしろ、やたらと構ってきて迷惑してるくらいだし……って、あれ、私、普通にタメ口使っちゃってるね……」


「いいですよ、タメ口で。俺の方が歳下ですし」


「ん、んんっ……よし、今から敬語に戻します」


「いや戻さなくていいですけど」


「ううん。まだ、今は敬語にしときます」


「まぁ、そこは任せますけど」


 佐倉さんは体育座りの姿勢に移行すると、天井を見上げた。


「小野寺くんの話を聞いたので、私も少し自分の話をしますね」


 そう前置きをして、彼女は昔のことを語り始める。


「私も、小学校のときイジメられてました。でも、ある男の子が助けてくれたんです。彼は学童保育が一緒で、本ばっか読んでて、全然私に構ってくれない子でした。でも、私がイジメられていることを知ったら親身になってくれて。子供らしくないやり方でイジメを止めてくれました。それがキッカケで、私は彼に初恋したんです。まぁ、最近まで名前すら忘れちゃってたんですけどね」


 学童保育か。

 日中は親父がいないから、俺も昔は学童保育に通っていたな。


 当時のことはほとんど覚えてないけど。


「じゃあ、その初恋の人と仲良くなるために本を読み始めたんですね」


「いえ、それがまた微妙に違くてですね……気になっている人に近づくために本を読み始めたら、気になっている人が実は初恋の人だったといいますか……ほんと最近まで名前知らなかったし……」


「すごい偶然もあるもんですね」


「はい……そう思います」


 どうにも運命的な出会いをしているらしい。

 佐倉さんの恋路がうまくいくことを影ながら祈っておこう。


「佐倉さんに話せて少し心が楽になりました。ありがとうございます」


「はい。私でよければ勉強教えますから、いつでも頼ってくださいね。去年受験生だった分、そこそこ教えられると思うので」


「そんなこと言っていいんですか? めちゃくちゃ頼りますよ」


「はい。そ、その代わりといったらアレなんですけど」


 佐倉さんは両手の人差し指をつけたり離したりしながら、チラチラ視線を送ってくる。


「今度、本の感想を話し合いたいです。感想を共有できないのはどうにも歯痒くて」


「それは構いませんけど、俺でいいんですか?」


 佐倉さんには本好きの想い人がいるはずだが。



「はい。小野寺くんがいいです」



 俺はわずかに目を見開き、頬を紅潮させた。

 深い意味はないだろうが、不覚にもドキッとしてしまった。


 変な感情を抱くな俺……。

 佐倉さんには好きな人がいるんだし。


「わかりました。じゃあ、時間ある時に感想会しましょう」


「時間ある時だなんて曖昧なこというと、明日にでも行きますよ?」


「構いませんよ。どうせ暇ですから」


「ふふっ、言質取りましたからね」


 佐倉さんは口先に人差し指を置いて、ふわりと微笑む。


 俺もつられて微笑を湛えると、その場から立ち上がった。


「今日はもう帰ります。色々ありがとうございました」


「あ、はい。見送りたいんですけど、少しやることを思い出したのでここで」


 ひらひらと手を振ってくる佐倉さん。

 俺も手を振り返しつつ、一足先に帰途についた。



 ★


【佐倉陽奈美】


 小野寺くんと別れてから、私はスマホでメッセージを送った。

 返信が返ってきたのを確認して、中庭に向かった。


「あ、佐倉先輩。なんすか、オレに用って」


 背の高い一本杉の前で、ぽちぽちとスマホをいじる天音くん。

 彼は私を見つけるなり、軽薄な笑みを浮かべて近づいてくる。


「もしかして、やっとオレの想いに応えてくれたりなんかして」


「ううん。それはあり得ないから、いい加減諦めてほしいんだ」


 天音くんには幾度となく交際を申し込まれている。

 都度、断っているのだけど、まるで効果がないため放置していた。


 けれど、キッパリと断っておかないと今後、面倒なことになりかねない。


「うわ、マジすか。オレ、本気で先輩のこと好きなんすけど」


「私、誰かをイジメる人は好きになれないから」


「あーなんか小野寺から聞きました? 誤解っすよ、それ。小野寺って被害妄想強いんですよ。本ばっか読んでるから頭の中おかしくなってんじゃないっすかね」


 プツリと怒りが沸点まで到達しそうになる。

 私はこれでも我慢強い方だと思うし、何事も穏便に済ませたい。


 けど、好きな人のことになるとそうはいかないみたい……。


「天音くんの認識はどうでもいいよ。今後、小野寺くんを困らせるようなことはしないでね。もし、そういう情報入手したら、前に天音くんからもらったポエムを色々な子に配り歩くから」


「……っ⁉︎ ちょ、さ、佐倉先輩、冗談きついなぁー。あれはほら、ちょっと思春期特有の気の迷いも混じってたと言うか。プライバシーなんで他人に見せびらかされるのはマジでやばいっつーか……オレの人権問題に関わる的な」


 天音くんはダラダラと滝のような汗をかきながら、誰の目にも明らかなほど狼狽し始める。


「私との約束を守ってくれればいいだけだよ。約束、できるよね?」


「……りょ、りょーかいっす。小野寺とかどうでもいいんで、はい」


 ありがと、と一言こぼし、私は踵を返す。


 小野寺くんが不登校の檻を破って、再び登校できるかはわからない。

 そこは小野寺くんに頑張ってもらうしかない。


 だからこの行動は、小野寺くんが登校を決意した時のためのものだ。


 やることを終え、私は近くの自販機で飲み物を購入し一口飲んだ。


「はぁ……それにしても、偶然ってすごいな……」


 中学三年生の頃、図書室で本を読んでいる彼に目を奪われた。

 無意識的に目で追うようになり、いつからか異性として意識し始めた。


 彼が近くの個人書店で店員をしているのを知ってから、私は通い詰めるようになった。


 その彼が、まさか初恋の男の子とは偶然にしては出来すぎている。


 本が好きなところとか全然変わってなかったけども、まさか同一人物とは考えてもみなかった。


 小野寺恵太くん。


 学童保育で一緒だった男の子。

 本ばかり読んでいる彼に、私は興味を持った。


 一緒に遊ぼうって誘っても全然乗ってくれないし、冷たい子だと思った。


 けど、私が学校でイジメられているのを知ると、親身になってくれた。

 私の持ち物の中にボイスレコーダーを隠し入れイジメの証拠を水面下で入手し、「これ以上いじめるなら、これをいじめっ子の親に渡すって脅せばいいよ」と小学生とは思えない提案をして私を救ってくれた。


 それがキッカケで彼に初恋をし、時を経て、また彼に惹かれた。


 どうやっても私は、彼を好きになる運命にあるみたい。


 なんだかおかしくて、私は自然と笑みをこぼしてしまった。



 ★



 ウチの書店には、足繁く通ってくれる女子高生がいる。


「以前、小野寺くんがオススメしていた本、すごく面白かったです」


「そうですか。お役に立ててよかったです」


 彼女──佐倉さんは本が好きなのかと思えば、読書歴は三ヶ月程度。

 本好きな想い人と親しくなるために、本に触れるようになったそうだ。


 俺のオススメしている本は即決で購入し、すぐに読破してはこうして感想を言いにきてくれる。


「今回の作品のヒロインって、いわゆるツンデレですよね?」


「え? あぁ、そうですね。それがどうかしました?」


「その……小野寺くんはこういう感じの女の子が好きなのかなと」


「この作品をオススメしたのは物語が起承転結でまとまってて、伏線も丁寧で読みやすいからです。ヒロインが好みとかではないですよ」


 普段は、物語のどこがよかったとか感想を言ってきたり、読んでて上手く理解できなかったところを質問してくるのだけど、今回はいつもと違う。


 ラブコメを題材とした本を選んだからか? 


「なるほど……ツンデレが好きと言うわけではないんですね……」


 佐倉さんは髪の毛を耳にかけグッと拳を握りしめる。


「じゃあ、小野寺くんが好きなタイプの女の子が出る作品ってあったりしますか?」


「俺のですか? そうですね……ないことはないですけど」


 子供の頃から活字に触れてきた。


 これまで読んだ本の総数は、同年代よりも頭ひとつふたつ抜けている自信がある。

 読書量に比例するように、恋心をくすぐられるキャラクターには枚挙に暇がない。


 佐倉さんは鼻息を荒くして顔を近づけてくる。


「良かったらその本のタイトルを教えてください!」


 俺はのけぞるような姿勢を取り、戸惑いを瞳の中に滲ませた。


「か、構いませんけど……」


「ありがとうございます!」


 俺の好きなタイプの女の子が出る作品か……。

 こういった視点で作品をオススメするのは初めてだな。


 俺は頬を人差し指で掻きながら、本棚へと移動する。

 佐倉さんはRPGの仲間キャラみたいに、てくてくと背中を追ってきた。


「このあたりですかね。主人公の幼馴染にシーナというキャラクターがいるのですが、献身的な姿勢がすごくいいんです。キャラクター自体にそこまで個性はないのですが、そこが現実にも存在しそうな錯覚を覚えさせられて。作中で、幼少期から主人公を一途に思っているエピソードが作中で描かれるのですが、そこが読んでてとにかく悶えそうになるというか……とまぁ、とにかくそんな感じです」


 ……言ってて恥ずかしくなってきたな。


 途端に冷静になり、俺はうっすらと頬を赤らめる。

 自分の好きなヒロインが出る作品を勧めるとか、とんだ羞恥プレイだ。


「なるほど……わかりました。勉強しますね」


「勉強?」


 意味がわからず首を傾ける俺。


「あ、読書します。あくまで、趣味として楽しく読ませてもらいます」


「店員としてこんなこと聞くのはお門違いだとは思うんですけど、本当にこの本買うんですか?」


「はい。買います」


「そう、ですか。了解です。少し待っててください」


 俺は一言断りを入れてから、カウンター近くの扉を出て自分の部屋に向かった。

 五分と経たないうちに戻り、部屋から持ってきた本を佐倉さんに渡す。


「すみません、お待たせしました。これどうぞ」


「これって……同じものですよね?」


 佐倉さんは本棚に置かれた本と、俺から手渡された本を見比べて不思議そうにしている。


「この本は男性向けですし、自信持ってオススメはできないんです。なので、俺の本をお貸しします」


「そんな、申し訳ないです。買います。お金を落とさせてください」


「あぁ、ウチの経営のことなら平気ですよ。この書店は親父が趣味でやってるので、儲けとかは求めてないんです」


「で、でも、私にも客としてのプライドと言いますか……」


 意外と頑固な一面があるらしい。

 ただ、他人に本を勧める以上、俺にも矜持がある。


 買って損をしたと思わせたくない。買って良かった面白かったと思ってもらいたい。


 それに、定価の本は学生の財布に優しくないしな……。

 楽しんでもらえる自信がない以上、お金を払わせたくない。


「じゃあ、企業戦略と思ってください。そのシリーズ結構続いてる長編ものなんです。だから、二巻以降に食指を動かしてもらえればウチとしては大きな利益になります。だからこれは撒き餌みたいなものですね」


 佐倉さんは顎先に手を置くと、控えめに視線を向けてきた。


「それなら私が一巻を買って、二巻以降も買った方が利益になるような……」


「いやまぁそうなんですけど……じゃあ、サービスってことで。佐倉さんには勉強教えてもらったり、色々とお世話になってますし」


 半ば強引に佐倉さんに本を握らせる。

 佐倉さんは少し戸惑っていたが、これ以上の押し問答は無用と感じたのか一歩引いてくれた。


「わかりました。お言葉に甘えてお借りしますね」


「はい。でも、どうして俺の好きなタイプの女の子が出る本を読みたいんですか?」


「そ、それは……その…………」


 ごにょごにょと口を歪めて、視線を泳がせる佐倉さん。

 俺と目が合うと、ボワッと湯気が出そうな勢いで赤面した。


「す、すみません。急用を思い出したので、今日はもう帰ります!」


「あ、はい。またのお越しを……」


 瞬く間に店内から駆け出し、後ろ姿すら追えなくなる。


 俺は呆気に取られ、目をパチパチさせる。

 やっぱり、変わった人だな。俺はほんのりと頬を緩ませてクスリと笑った。


 彼女と同じ高校に行ったら、書店この場所以外でももっと会えるだろうか。


 柄にもなく、そんな浮ついたことを考えてしまう俺なのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ウチの本屋に足繁く通う女子高生についての話 ヨルノソラ/朝陽千早 @jagyj

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ