水夏の団旗

藤泉都理

水夏の団旗




 誰であったのか。

 どこで、いつ、見たのか。

 詳細は覚えていない、幼い頃の記憶。

 何度も何度も夢に出てくる、力強い記憶。

 畳八畳分はあるとても、それはそれはとても大きく重たい団旗をつけた長棹を支え続ける大役にも、水平にしたまま横に移動させるとか、水平にした状態から垂直に立てるとかの力技による見せ場にも憧れを抱き続けた。

 いつか必ず、応援団の旗手になってみせる、と夢を持ち続けた。






 羽織、袴、白手袋、白足袋を身に着けた高校生である少年は、早朝の浜辺での走り込みを終えると、背負っていたリュックサックから祖母お手製の組み立て式長棹、団旗、ベルトを取り出すとベルトを身に着け、大岩を支えにして地につけないように長棹を組み立てて団旗を通すと、ベルトに長棹を乗せて、団旗を振った。

 右に左に。

 何度も何度も何度も。

 腕も足も腹も軋みを上げる。

 身体が吹っ飛ばされそうだ。

 何度も何度も何度も思う。




 入学した高校に応援団はなかったが、昨今の少子化の影響だろうか。部活動は一人からでも成立したので、即刻応援団を作った。仲間も募ったが、他の部活動、特に帰宅部を理由に断られて今のところ、少年一人だった。


「おう、少年。今日もやってるねえ」

「おう、人魚」


 汗を滝ほど流したのち、羽織、袴、白手袋、白足袋、団旗、長棹、ベルトをリュックサックに戻し、短パンと白シャツを着て浜辺に座り伸ばした足を海に浸けながら休憩していると、男性の人魚が海からひょっこり上半身を出してはスイカを持った腕を振りながら近づいて来た。


「へえ。海の中でもスイカって育つんだな。やっぱり塩辛いのか?」

「いやいや。近所のばーちゃんがくれたんだよ。一緒に食おうと思ってな取っておいた」

「………何年前のスイカ?」

「えー百年前?」

「結構です」

「冗談だよ。昨日だ昨日」

「じゃあ、もらう」


 少年は人魚からスイカを受け取ると、ふんふんふんと声を出して手で割って、不格好ながらも四等分にした。


「おわ。種なしスイカじゃん」

「はあん。いろんなもんを作るなあ。人間は」

「まあ。種なしの方が食べやすいけど、種があった方が美味しい気がする」

「ふ~ん」


 ガガガガガガ。

 ガガガガガガ。

 少年と人魚は一気に食べ終わると、淡い黄緑の実と皮の部分だけ残ったスイカを浜辺に置いた。


「母さんがさ。最初にさ、スイカの赤い実の部分だけを切り取ってさ、皮と赤い実の部分の間のさ、少し黄緑の部分を漬物にするんだよ」

「美味いのか?」

「う~ん。漬物って感じ」

「なんじゃそら」

「はは。今度持ってくる」

「まあ、一度は食ってみるか」

「おう。食ってみてくれ」

「行くのか?」

「うん。学校始まるし。家に帰るわ」

「じゃあ、またな」

「うん、また」


 少年は人魚に軽く手を振って、家へと戻って行った。











「おい、ばーさん。熱中症になってないか?」

「こんな早朝になるもんか。って言いたいところだけど、熱中症対策は万全だよ」


 人魚はゆっくり現れた、全身まっくろくろすけの少年の祖母であり、昔馴染みを見上げた。


「新種の妖怪だな」

「うるさい」

「ばーさんの孫。まだまだばーさんには遠く及ばないな」

「あんたの目は節穴か。私よりすごくなるよ、あの子は」

「孫莫迦め」

「そーだよ」

「憧れの君は私だよって名乗り出ればいいのに」

「謎のままでいいんだよ」

「恥ずかしいだけのくせに」

「うるさい」

「あーんなにかっこよかったんだから恥ずかしがることねえのになあ」

「うるさい」

「あ、おい。今度は種ありのスイカを頼むな」

「ふん。さっさと変化の術を習得して自分で買いな」

「そーだな。おまえが応援してくれたらすぐに習得できるかもな」

「私の可愛い孫に頼むんだね」


 ひらり、軽く手を振って去って行く昔馴染みの変わらぬ背中を見つめながら、人魚はククッと笑った。


「あーあ。ふられちまった」


 七十年前には告げられなかった想い。

 一度でも一途に応援してくれたのなら人間になって。


「いやいやないな。うん」


 人魚は背伸びすると、海の中へと戻って行ったのであった。











「ふふ。やっぱり私の孫はすごいね」


 想いを伝えたいという人魚の気持ちを浮上させた。

 そして、どっちつかずだった気持ちに決着をつけてくれた。


「あ~すっきりした」


 背伸びをすると、自分の家へと戻って行ったのであった。











(2023.7.7)



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水夏の団旗 藤泉都理 @fujitori

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