第9話 追跡者

「黒沼博士が今後どんな行動を取るか、目下内調も公安も目を光らせている」

 空知さんはそう説明した。

「大規模なテロを起こすのか、それとも恵助や錬を連れ戻すないし強奪するために追っ手や刺客を差し向けてくるのか。それを近辺で観測し、保護する。それも私の役目だ」

 空知さんは眼鏡の奥の瞳をわずかに細めた。

「なんせ、岩清水夫妻が二人で設計した完全自立行動型人工知能搭載人型ロボットを一人で設計するほどの執念だ。協力者がいて資金や資源含めた量産体制があればロボット軍団を作る可能性もある。黒沼という男はそういう男だと我々は見ている」


「……そんなことがあったんだ……」

 麻耶は俺の言葉に不安そうに考え込んだ。

「……麻耶を巻き込まないように気をつけるよ」

 そう言いながらも、俺は大分緊張していた。なぜならば……。

「……」

「……」

 またしても互いの言葉が途切れる。部屋の時計の音が大きく聞こえ、麻耶の心拍も聞こえてしまうんじゃないかと思った。

 麻耶の部屋に上がったのなんていつぶりだろう。少なくとも、高校生になってからは初めてだった。彼女の部屋の記憶なんてあまりなくて、そのあまりの女の子らしい(と少なくとも俺が感じた)部屋の印象に居心地の悪さよりもずっと緊張しっぱなしだった。

「……私だって、当事者だから」

 麻耶はそう言って小さく笑う。俺たちの間に、お盆の上に置かれた二つのティーカップから紅茶の湯気が立ちのぼり、俺たちの鼻腔をくすぐる。

「当事者なもんか。これは俺や錬の問題だからさ。麻耶を危ない目に遭わせたくないよ」

 俺はそう言ったが、麻耶は首を振った。

「ううん……私、ずっとケースケやケースケのご両親が何かを隠してるの、分かってたから」

 麻耶の言葉に俺はでも、と反論する。

「たかだか俺たちの家族がなんか変だと思っていただけだろ? それくらいなら……」

 大体、食事を取らない、トイレに行かないだけで隣の家の家族がロボットだろうと考える方が自然じゃない。そう思った俺に、麻耶は言った。

「……うちのお父さんとお母さん。多分、ケースケのお父さんたちからお金をもらってた。口止め料として」

「え……」

 思わず、時間が止まるかのような衝撃を受けた。そんなこと想像もしなかった。

「だって、うちの家族、ケースケの家の隣にずっと住んでるんだもん。……ケースケのお兄ちゃんが生きていた頃からの付き合いだから。その後、お兄ちゃんにうり二つのケースケが突然出てきたから不審に思ったんだと思う……」

 言われてみればそれはそうだ。俺は自分の記憶以前の、あるいは自分の想像もしなかった両親の業を考える。そもそも、錬を高校に入れるところだって彼女がロボットと言うことを分かっていてやっている。俺の戸籍だってそうだ。無戸籍の人間は世の中に普通にいるが、逆に俺はなぜか戸籍上存在しているから普通に高校にも行けている。

 いつか、錬が言った。

「……生きている、と言うことを証明するというのは難しいものだな」

 俺が生きていることを証明しているのは俺の存在じゃない。両親の根回しといくつかの書類に過ぎない。そしてそこに他にも金の流れや、もしかしたら文書偽造などの違法な手続きもあったのかもしれない。

「俺は……」

 言いかけて、俺は息を呑んだ。

 誰かが、窓の外から覗いている。顔は見えないが確かに視線を感じた。そして、ここは麻耶の家の三階なのだ。

「……麻耶、そのまま顔を動かさずに聞いてくれ」

 俺は静かに言った。

「……窓の外に誰かいる」

「!」

 麻耶は反射的に振り返りそうになり、俺に言われたことを思い出してかそのままこくこく、と頷く。

「十中八九、黒沼博士絡みだと思う。俺が相手をこの家から引き離す。麻耶はすぐに錬と瀨奈さんに連絡を」

「……分かった。……気をつけてね、ケースケ」

 俺は頷いた。相手の視線を感じたまま、俺は麻耶部屋を出る。今度は別の窓から視線が俺に向いているのを感じた。幸い、相手は麻耶に興味がないようだ。俺は急ぎ、麻耶の家を出て近所の河原へと走る。俺が走ると、視線と気配は同じ速度で俺を追ってくるのが分かった。

 近くの河原の橋の下まで来て、振り返る。幸い、周囲には誰もいない。その追跡者以外。

「俺は拳!」

 男はそう語った。

「ケン……?」

 俺が聞き返すと、男は頷いた。

 外見的には俺より少し年齢が上の印象を受ける。スカジャンを羽織った肩幅はかなり広く、逆三角形のように引き締まった上半身に太い腕。ボディビルダーとまでは行かないがかなり筋肉を鍛えたような体格だ。カーゴパンツを履いた脚もそれなりの筋肉質だろうというのは想像が付く。……人間だったのならば。

「岩清水恵助、恨みはないがスクラップになってもらうぜ」

 ケンと名乗った男はそう言って拳を構えた。ということは。

「……お前、ロボットか」

 俺は身構えた。

「ったりまえだ。お前の正体を知っていて、わざわざお前に喧嘩を売る奴が他にいるか?」

「……」

 俺はケンから目をそらさずに周囲を見渡す。幸い、他の人間の気配はない。見られている心配や、黒沼博士が不意打ちする可能性は低そうだ。

「……なんでこの場所までわざわざ?」

 俺は少しでもケンから情報を引き出そうと尋ねる。俺の電気信号に過ぎない生体波動が促迫する。人間で言えば、心拍数が上がっている、と言うところだ。言うまでもなく俺は緊張感に身を震わせた。

「……なんでって? 余計な被害を出したくないんだろう? わざわざ俺を街外れまで誘導するくらいだからな。その意図くらいは汲んでやるよ。ま、冥土の土産っちゅーやつだわな」

 ケンはそう言った。幸い、テロの可能性なども瀨奈さんは考えていたがこの男はそういった意図はないらしい。

「じゃあ行くぜッ!」

 そう言って、ケンは俺に向けてストレートを放った。


「……脚技……!」

 予想だにしなかったのだろう。俺の反撃を受けて拳太郎は後方に吹き飛ぶが、すぐさま地に両手を着いて後方転回して着地し、俺から距離を取る。

「なぁるほど、俺が拳を鍛えられているようにお前は脚を強化されたロボット、ちゅーわけだな」

 俺は隠し立てすることもないだろう、と思い、答えた。

「……元々はサッカーをできる二足歩行型ロボットとして精度を高めたんだろうけどね。父さんと母さんはこういう事態も予測していたんだろう。必要時は戦闘ができるように想定はされていたみたいだ」

 人間であれば殴る、蹴るといった攻撃行動をする際、攻撃した相手の方が硬度の高いものだった場合当然ながら逆に攻撃者の拳や脚部、そして関節部にダメージを受けてしまう。しかし、同じ硬度の金属製のロボット同士であれば。

「……どうやらアンタと俺は同じくらいの金属硬度製のようだな」

 運動方程式からいえば質点にかかる力、すなわち俺たちの蹴りや拳の威力は質量と加速度の積に等しい。俺たちがもう少し重量のある金属製のロボットであれば蹴りや拳の当たった面に交通事故の正面衝突で生じるレベルのエネルギーがかかる。だが、相手は知らないが俺は人間社会に適応できるように人間の体重に限りなく近く偽装されている。そうでなければ、健康診断で人間でないことはすぐさまバレてしまう。

 ゆえに、金属硬度が近いもの同士であれば人間同士の格闘技の応酬に限りなく近い戦いになる。どちらが相手に有効打を叩き込めるか。

「アンタ、なんて水臭いな。気軽にでも拳ちゃんとでも呼んでくれればいいのに……なッ!」

 そんな軽口を言ってケンは次のパンチを放ってきた。俺は体幹を後ろに引いて避けるがすぐさま第二撃が飛んでくる。今度は左拳で。

「悪いが俺は両利きなんでね!」

 俺は今度素早く屈んでケンの攻撃を避けつつ、両腕を地面についたまま倒立の要領で勢いをつけた蹴りを奴に放つ。

「おっと、危ねぇ」

 バックステップでケンは俺の蹴りを避けると奴は勢いよく踏み込みを乗せたストレートを打ち込んでくる。

「……ッ!」

 俺は全身地べたに倒れ込んでそのパンチをかわす。そのまま身体をひねって起こし、ケンとの距離を取る。

「一言言おう。俺の攻撃手段が拳でお前の攻撃手段が蹴りだ。圧倒的にお前が不利だ、岩清水恵助」

「……言われなくても分かっている」

 リーチの差はともかく、あちらは攻撃時にきちんと二足の脚で安定した姿勢で戦うことができるのだ。こちらは必然的に攻撃の瞬間は片脚で立っていることになる。一撃ならともかく、連続した攻防では体幹を安定させて戦うことはできない。ケンはそのことを言っているのだろう。

「だからといって、戦うべき場面で戦わないわけにはいかないだろう」

 そう言って俺はまた姿勢を安定させる。ケンもまた、拳を構えた。


 やはりと言うべきか、拳撃と蹴りでは拳撃に分がある。

「お前が悪いんじゃない。お前の設計が悪いんだ」

 ケンの拳を受けて地に沈んだ俺は起き上がろうともがく。だがもろに衝撃を受けたことで回路の一部に不調をきたしたのかもしれない。俺は思うように動かぬ下肢にもどかしさと焦りを覚える。

「……思ったより骨がなかったな。じゃあな」

 そう言ってケンが拳を突き出そうと右肩を引いた瞬間、俺とケンの前に見慣れた影が目に止まらぬ早さで駆け込んでくる。そのままケンへとタックルをかます。

「くッ!」

 バランスを崩しそうになり、ケンは受け身を取りながら後方へと転がる。

「……待たせたな、恵助」

 目の前で揺れる長い黒髪とセーラー服。

「錬……!」

 麻耶が連絡してくれたのだろう、とっさのところで錬は俺とケンの間に割って入った。

「ほう、お前が御堂錬=Gか。会うのは初めてだな」

 ケンも錬のことは知っていたらしい。俺の目の前の錬は首を振った。長い黒髪がさらりと揺れる。

「私は錬だ」

「ほう……? 人間社会で何があったか知らんが……敵に回るのなら錬、お前も……ッ!」

 言い終わらぬうちに体勢を立て直したケンが右フックを放った。錬はケンより小さい体格を生かしてフックをしゃがんでかわしたそのままケンの後ろに回り込む。

「そっちか!」

 そのままケンは体重を乗せて後方へ裏拳を放つ。錬はその手を素早く掴み、ケンの体重を乗せて──

「てやあっ!」

「うぉっ?!」

 予想だにしない錬の背負い投げにケンはそのまま投げられる。が、そのまま両足で着地して側転を取った後に、俺と錬から奴は距離を取った。

「なるほど。俺や恵助と違って質量やパワーで劣る代わりにスピードを高め、相手の力を利用して反撃するタイプか。だがその長い髪とひらひらした衣服は長期戦に不利だ。ましてや、手の内を一度読まれてしまえばな……」

「……」

 錬は黙ってケンに向かって両手を構える。ケンの言うことが本当なら、錬にとってケンはあまり分がよくない相手ということになる。

 そこに、知っている声が響いた。

「動くな! 」

 瀨奈さんだ。俺は瀨奈さんの方を見た。瀨奈さんはライフルのような銃を構えていた。

「対人狙撃銃、M24SWS……!」

 ケンがそう言い、瀨奈さんの銃に気を取られた隙に錬が一発拳を奴に叩き込もうとするが、すぐさまケンは左の手背で錬の拳を受け止めた。

「二対一はちょっと不利だな」

 ケンがそう言って受け止めた左腕の力だけで錬を突き飛ばす。

「ぐっ!」

 後方に突き飛ばされてバランスを崩しそうになった錬の身体を俺が受け止める。

「二対一、じゃない。三対一だ」

 俺はそう言って錬を立たせる。

「恵助、すまない」

 錬は両足をしっかり地面につけて立ち上がる。乱れた長い髪を錬は整えた。

「ちっ、もう回復しやがったか」

 ケンは首を左右に捻り、コキコキと鳴らす。言われなければロボットとは思わない。

「分が悪い。勝負はお預けにさせてもらおうか」

 ケンはそう言って背中を向ける。

「待て! ……父さんのことを訊きたい」

 俺ではなく、錬がそう言った。

「……それは親父さんに直接聞け」

 そう言ってケンは歩み去る。瀨奈さんは迷ったようだったが、M24SWSを下ろし、狙撃の姿勢を解除した。


「……大丈夫か」

 瀨奈さんが俺たちの元へと歩み寄ってくる。

「俺は大丈夫です。錬は……」

「私も大丈夫だ、恵助。瀨奈さん、すまない」

「いいんだ」

 瀨奈さんはそう言って首を振る。

「大人は子供を守るものだ。そして生きざまを示さなければならない」

 そう言って瀨奈さんはケンが去った方向を見た。もうすでに奴は姿も形もない。

「……狙撃許可自体は出ていたが、必要以上に目立つ必要はない。それに、仮に撃破したところで何も情報は得られないだろう。黒沼博士の目的も、真意も、奴らの協力者の情報も」

 瀨奈さんの言葉に俺は頷く。

「ケン……アイツは敵だが少なくとも麻耶に手出しをしなかったと言うことは今は人間に危害を加えるつもりはなくてあくまでも狙いは俺だけらしい」

「そういえば……私を連れ帰ろうとはしなかったな」

 錬の言葉に俺も奴の言葉を思い出した。

「……それは親父さんに直接聞け」

 俺を破壊して錬を連れ戻しに来たわけではなかった……? 奴の意図も正直、よく分からない。

「……帰ろう、二人とも。ひとまず二人が無事だったのが何よりだ。あとは事後処理班がまた動いてくれるはずだ」

 もしかしたら俺たちの様子が第三者に撮影された可能性もある。ソーシャルメディアにアップロードされたそれらを削除する、拡散を防ぐなども事後処理班がしてくれるらしい。

 すっかり夕方になり、河原の向こう側には赤い夕陽が上がっていた。

「……手のひらを太陽に、なんて歌があったっけ」

 俺は小さい頃、母さんに聴いた歌を思い出した。


 ♪手のひらを太陽に すかしてみれば

 まっかに流れる ぼくの血潮

 ミミズだって オケラだって アメンボだって

 みんな みんな 生きているんだ 友だちなんだ


「……ロボットは生きているのかなぁ」

 いつかの錬の疑問のような言葉がつい、俺の口をついて出た。

「……生きているに決まっているだろ」

 そう、瀨奈さんは答えた。

「でも、私たちは生きていることを何にも証明できないんですよ」

 錬の言葉に俺は頷く。手のひらを陽光にかざしても俺や錬の場合赤く見えない。ミミズやアメンボでも生きているという歌詞に反して、ロボットは生きていること自体を証明できない。

 俺は手のひらを太陽にかざす。流石に中の金属部が透けたりはしないが、人間のように血管の赤さもまた見えることはない。

「……昔、あるアニメでな。すべての人類が生命のスープになって混ざり合うことでひとつになれる、という話があった」

 瀨奈さんは語り始める。

「確かにそこには争いや諍いは生まれないかもしれない。だが、他社との境界を失う以上、もうその時点で『自己』はなくなってしまう。『自己』は『他者』がいて初めて成り立つものだ」

 それに関しては麻耶がそういうことを言っていたような気がする。

「恵助氏、錬氏。証明などというものは必要ない。私が今話している恵助氏も錬氏も確かにここに存在する。君たちが悩み、考え、生きようとしていることそのものが君たちが生きることの証明だ。人間でないから、ロボットだから何だというのだ」

 そう言って瀨奈さんは俺と錬の肩をぽん、と叩いた。

「さぁ帰ろう。私たちには帰る家があるんだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

自我(ギガ) <牙と鎖> @kivatokusari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ