溶けてなくなるその前に
立藤夕貴
第1話 最後の宿題
風が凪ぎ、蝉の声が静まる真夏の夜。
湿気た熱気が籠る中、暮れた町中に
普段は静かな町もこの時ばかりは活気付く。徐々に増える人と近付く祭り囃子に自然と心が踊った。それに便乗するように熱の籠った風が結い上げた髪を撫でて通り過ぎていく。
待ち合わせは祭り会場の最寄り駅。多くの人で賑わっているそこで、私は目的の人を見つけた。
癖のない整った黒髪が風に流される。いつもと違う浴衣姿の彼は少し大人びて見えた。
私は自然と足早に歩き出す。彼が私に気がついてくれて、微笑みながら歩み寄ってきてくれた。
「美咲」
「
思わず携帯で時間を確認する。取り出した携帯の時計は約束の時間の五分前を表示していた。
「ううん、僕も来たところだよ」
彼の答えを聞いて私はほっと安堵の息をつき、一呼吸空けると町中に体を向けた。
「それなら良かった。それじゃあ行こっか」
「うん」
そうして二人並んで歩き出す。規模はそれほど大きくないけれど、五穀豊穣と無病息災、疫病退散を願うために昔から続くお祭りだ。
小さくてもこうして賑やかな雰囲気というのはやはり心踊るもの。普段とそれほど変わりない物が並んでいるはずなのに、屋台から上る香ばしい香りや射的などが輝かしく見えるお祭りはやっぱり不思議だ。
そこで一つの屋台で真剣に小さな板に挑む子供たちを見つけ、私は思わず足を止める。
「あー、懐かしいなぁ」
彼らが懸命に挑むもの。つまようじや針などを使い、絵柄をくり抜く遊び――型抜きだ。
「やってみる?」
そう言ったのは暁良君だ。年甲斐もないかなと思ったけれど、せっかくだからと二人並んで席につくことにした。
そうして始めてしまえば周りのことなんてどうでもよくなって、私は真剣に型をなぞっていく。しかし、それほど器用でない私は呆気なく完成図の絵を割ってしまった。
「うぐ……。やっぱだめだぁ」
そう言って天を仰いでちらりと横を見る。ふと見えた真剣な横顔に目を奪われた。
どのくらいそうしていたのだろう、見惚れているうちに暁良君が切り抜かれた型抜きつまみ上げた。それはまだ私が出会ったことのない完成品の型抜きだ。
「はあー、すごい。前から思ってたけど、暁良君って本当に器用」
「あ、えーっと……。そ、そうかな? ありがとう」
私の言葉に暁良君は言葉を詰まらせながら、気恥ずかしそうに笑う。それから景品のお菓子を受け取り、食事の屋台を巡ることにした。焼きそばやたこ焼きといった戦利品を片手に屋台から少し離れた休憩所に向かう。
腰を下ろして、行き交う人を見ながら夕食を始める。一口焼きそばを頬張ると、懐かしくもありいつも通りの味が広がった。
「お祭りの焼きそばって、なんだか美味しいよね」
「ね。雰囲気に飲まれてるんだろうけど」
私の返事に暁良君はそうだねと笑う。箸を進ませつつ他愛のない会話をしながら、私は気になっていたことを彼に尋ねた。
「暁良君、
「……最近はほとんど会えなくなってるけど、元気だと思う」
そう言って暁良君は一冊のノートを取り出す。シンプルなクラフト紙の表紙のノートだ。彼は目を細めてノートを大切そうに捲る。
「最近はこんな感じ」
そう言われて私は開かれたノートを遠慮がちに覗き込む。 そこに間を開けて並ぶのは整った几帳面な字とやや粗めな字。互い違いに並ぶ二つの字がそれぞれの性格を表しているなと改めて思う。そこである文章に目が止まった。
『あんま自分を責めんな。ちゃんと出来てるんだから自分を誉めろ。んでもって、人から誉められた時も謙遜しないで礼を言うこと』
「あ、これって」
ノートから視線を上げると暁良君は苦笑いを浮かべていた。
「そう、さっきもこれを思い出して。夕、最近はいつも僕に宿題を残していってくれるんだ」
そう言って大切そうに彼はノートを捲る。互いに思いや起こった出来事などを共有するために作った事務的なノートは、いつの間にか彼らを繋ぐ道となった。
「夕君って心配性のお兄さんって感じだよね」
「うん、僕もそう思う」
暁良君はそう言って笑う。
それから私たちはゆっくりと二人でノートを捲った。懐かしさと寂しさが少し入り交じって、少しだけ胸が苦しくなる。それを誤魔化すように私は両手を組んで体を真上に伸ばした。
「うーん、それにしてもやっぱり夏。暑いね……」
祭りの会場とあってか、より熱がこもっているように思う。私の言葉を聞いて暁良君は少し待ってて、と言ってその場を離れた。
しばらくして戻ってきた彼の手にあったのは、二本の見慣れた瓶の炭酸飲料。
「はい」
懐かしいレトロな瓶のラムネだ。ありがとうと言って受け取ると、彼は横に座った。
私は渡されたラムネを付属の栓で開ける。いつものことながら吹き出すので、まずは浴衣を濡らさないよう体を離す。
プシュっという軽快な音とともに蓋代わりのビー玉が落ちて、シュワシュワと炭酸水が噴き出した。
一口飲むと口に広がるのは夏の味。私はわずかに減ったラムネの瓶を空に
「ラムネのこの形もいいよね。これぞ夏って感じ」
「うん、分かる」
そう言って私たちは互いに笑う。同じ感覚というのがなんだか不思議だった。
足を休めた後、最後の花火を見るために私たちは場所を移す。けれど、行くのは人波とは逆の方向。少し会場から離れた場所から花火を見るためだ。
「やっぱり人が多いね」
「うん、気を付けて」
自然と手を差し出され、私は手を重ねる。
人波に逆らって歩くというのは予想以上に体力と気を使うと今更になって思った。袖が触れ、視線が絡み、肩が当たる。
「あ」
とんと人と当たった拍子に、人波に流されて手が離れてしまう。焦って波から逃れるが、既に暁良君の姿は見えなくなっていた。しかし、そこで慌てることはない。そこは前もって話し合ってある。
もしはぐれてしまったら、お互い探し合わないで待ち合わせの約束の場所に行くこと。
その約束の通り、私は人波を
普段と変わらないはずの町の景色だ。ただ、あのお祭りの喧騒を経験すると少し寂しさを感じてしまう。少しだけ心細くなって、私は足早に約束の場所に向かった。
そうしてたどり着いたのは小さな公園。そこは静かに花火を見るために教えてもらった特等席だ。
そこにいたのは静かに空を見上げる浴衣姿の男性。駆け出しそうになった私は彼を見て自然と足を止めた。
ふわりと風が吹く。湿気た夏の空気がどことなく秋の空気を孕んでいた。真夏の星空を見上げていた彼はゆっくりと視線を下ろす。
「よ、元気か?」
暁良君の姿で、けれど全く違う笑顔を浮かべて彼はそう言った。
「……うん。夕君、久し振りだね」
私はもう一人の彼に変わらない挨拶をする。彼はなんとも言えない表情で頭をかきながら視線をわずかに逸らした。
「本当は俺ももう出てくるつもりじゃなかったんだけどさ。暁良が最後ぐらいちゃんと顔合わしとけって、うるせーからさ」
ぶっきらぼうにそう言う夕君の姿はまるで照れ隠しのようで、懐かしさから私は思わず顔を綻ばせてしまう。
「うん。私も会えて嬉しいよ」
私は静かに空いていた距離を埋める。そうして伝えたいと思っていた言葉を伝えようとして一度口を噤んだ。
たくさんの伝えたいはずの思いがあった。けれど、それが上手く形として出てこない。思いだけが募っていく。
夕君は何も言わない私を不思議そうに見る。それを見て慌てた私が口にできたのはたった一言だった。
「ありがとう」
情けない声で。
言えたのはたったそれだけ。
けれど、何よりも伝えたかった言葉。
「ずっと暁良君のこと助けてくれて、ありがとう」
彼は私を見て驚いたような表情をした。それからふっと笑う。その表情は見たこともないほど優しかった。
それから言葉なく彼は空を見上げ、静かな時が流れる。何処からともなく子供がはしゃぐ声が聞こえて消えていった。
「あいつ、自分のことでいっぱいのくせに人のことばっか気にかけるからさ。ほんと面倒だし迷惑ばっかかけると思うけど」
ぽつりと紡がれる言葉。それには優しさとどこか寂しさが混じっているような気がして。
「頼んだわ」
「うん……」
私はただそう返すことしかできなかった。
彼は満面の笑みを浮かべた。湿り気のないその笑みはまるで真夏の夕陽のようで。
私は目を離せなかった。
彼は正面に向き直って再び口を開く。
「これは俺からあいつへの最期の宿題。伝えてくれよな」
ひゅーっと高い音が鳴る。それは聞き馴染んだ、光の花が昇ったことを知らせる音。
「幸せになってくれ」
優しい笑顔と共に光の花が咲き開く。
最期の宿題を残して消えていく君。
けれど、私たちはずっと忘れない。
この宿題はこの先、私たちに残り続ける。
「うん」
大切な人との約束だ。
「必ず伝えるよ」
* * *
夕暮れて 光の花が 咲き開き
新たな旅路の 暁巡る
溶けてなくなるその前に 立藤夕貴 @tokinote_216
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