第8話 大団円
それを聞いた桜井刑事は、浅川刑事の考えている犯罪グループの関係者に、この家の関係者がいると思っているのではないかということだった。
その一つの理由として、ここにいるメンバーの中に中西家の関係者が二人も入っているということだった。ハウスキーパーの中西女史と、娘の涼音である。どちらかが、犯行グループに関わっていると考えているのか、あるいは、二人とも絡んでいると思っているのかである。
だが、桜井刑事はさらに一歩進んだ考えを持っていた。
――二人が関係しているとしても、そこに共犯関係が存在しているのか?
ということである。
何と言っても殺されたのは、涼音にとっては自分の父親である。それを考えると、今の状況で黙って聞いている山下女史と涼音の間にアイコンタクトなどの暗黙の連絡がないことが不思議である。
涼音の性格からいけば、もう少し人にすがっていなければいけないはずなのだが、これがまさか彼女のやり方であるとすれば、相当な役者だとも言えるだろうが、桜井刑事が見ている限りでは、そこまでは考えられない。
そしてもう一つの根拠は、浅川刑事が、この場に二人とも参加させているということだ。そこまで頭がキレて役者であるのであれば、この場に参加させることで、こっちの意志を相手に警戒させるだけではないかと思わせた。この場においてそこまでの、
「キツネとタヌキの化かしあい」
が存在しているとは思えない。
それを考えると、桜井には浅川刑事の考えていることがある程度までは分かる気がするのだが、肝心なところになると、キリに包まれていて、妖艶な部屋のベールのように感じられるのだ。
「それにしても、犯罪グループというのは恐ろしいところを考えているような気がする。私はまぜ分からないのは、これが一連の連続殺人事件だとするのであれば、この二つの事件の結び付きというよりも、もっと気になるのは、これらの事件の本当の出発点はどこなのか? というところなんです」
と浅川刑事が言った。
「じゃあ、浅川さんは、この事件の前にもさらに序章があったのではないかとお考えなんですか?」
という桜井刑事の問いに、
「ああ、そうなんだ。そしてこの事件の一番の怖いところであり、肝心なところは、実はそこにあるのではないかと思っているんだよ」
というではないか。
それを聞いて桜井刑事は納得した。
――なるほど、それでここにできるだけ関係者を集めたんだ。ということは、まだ確証に至りどころか、肝心な部分も曖昧な感じなんだ。でも、要点は抑えている。さっきの倉橋巡査の退室にしても、何も言わなかったのがその理由ではないか――
と感じていた。
そして、そのカギを握る人物に、
「山下女史、娘の涼音。そして倉橋巡査」
の三名ではないかと思うのだった。
「倉橋巡査とずっと今まで行動を共にしてきた河合刑事にはそれが分かっているのだろうか?」
と思い、河合刑事の方を見ると、すでに頭が混乱しているのか、見ていて何を考えているのか分からないように見えた。
「では、かつて冤罪を受けた相手の顔に整形されていたという立場にいる福島刑事もさぞや複雑な気分なのではないか?」
と思い、今度は福島刑事の方を見たが、河合刑事と同じように、混乱しているのか、考えがまとまっていないかのように見えた。
では、事件に関係あると思われている女性二人はどうであろうか?
まずは、山下女史だが、この人は桜井刑事がここに訪れてから、ほとんど表情は変わっていない。たまに何かを思い出したように浅川刑事を見つめるが、相手が自分を意識していないと思うと、ふと顔を背けるくらいであった。
――この人ほどポーカーフェイスでなければ、こんな大きな屋敷のハウスキーパーは務まらないのだろうか? それとも、あくまでも「お仕えしているお屋敷で起こった殺人事件」というだけで、自分には関係ないということで、どこまでも他人事でいられるということなのだろうか?
と感じてはいた。
では、娘の涼音の方がどうであろうか?
その視線は絶えず、浅川刑事に向かって照射される高千十のようなものであった。それは相手を探っているというよりも、淡い恋心を抱いた相手が自分のことをどう感じているのかということを考えているかのようだった。
浅川刑事はというと、そんな涼音の様子に対して、まったく気にしていないかのように見えるが、涼音に対して、
「僕は君を気にしているんだよ」
と言わんばかりの視線を浴びせているようだ。
液晶の画面が、少しでもずれていれば、見えることがないいうような現象を思い起こさせるのである。
桜井刑事にとって、この場の状況を観察することも、何やら浅川刑事の策略に思えてきた。
確かに桜井刑事の意志で行っていることに間違いはないのだが、だからと言って、どこまdが自分の意志なのかと考えた時、まるで自分が傀儡人形のようになってしまったかのような錯覚を覚えるのはどうしたことか。
普段からそんな感情には腹立たしい思いと、憔悴感すら感じさせるものであろうに、そんな感覚はなかった。あくまでも、
「自分で考えて動いている」
と思わせるのだ。
自分以外であれば、傀儡などという意識すら感じることなく、何ら疑いを持つこともなく、自然に意識することはないのだろうが、桜井は自分だから感じるということに、違和感どころか、明らかな浅川刑事の策略を感じるのであった。
――さすがというべきか、そこまで私を慕ってくれているのか?
と感じると、感無量な気持ちになるのだが、逆に責任重大でもあった。
これはプレッシャーにもなることだ。どこまで浅川刑事が桜井刑事のことを理解してやっていることなのか、それが分からないと、自分がこの事件での浅川刑事の演出をぶち壊してしまうのではないかと思う怖くなってくるのも事実であった。
だが、この感覚は今に始まったことではない。今まで何度となくコンビを組んで、そのたびに事件を解決に導いてきたではないか。いつも浅川刑事の冷静な推理力には感服するしかなかったのだが、そのたびに、浅川刑事がシャーロックホームズであり、自分がワトソンになったかのようで、日本でいえば、明智小五郎に対しての、小林芳雄少年のようなものだと言えるのではないだろうか。
そんなことを感じてると、
「この事件は結構早く解決するような気がするが、どのような結末を迎えるかというのが、微妙でデリケートな部分を孕んでいるような気がする」
と感じていた。
さらに浅川は続けた。
「話がちょっと飛ぶかも知れないのだが、たとえば 戦争というのは、よく言われることとして、『始めるのは簡単だが、終わらせるのが難しい』というではないか。また、明治の元勲の中には『旧体制を破壊するのはたやすいが、新たな体制を築き上げるのには、何倍もの労力と時間を要する』という話も聞いたことがある。一つの目的を達成すれば、そこで終わりなのかどうか、そこが難しいところでもある。そこを見誤ると、袋小路に入ってしまう、下手をすると、それが犯人の狙いではないかと思われるのではないだろうか」
と、いうのだった。
その思いは桜井にもあり、
「確かにそうかも知れませんね。例えば伝染病が流行った時に、それを抑えるためにロックダウンなどをやって、ある程度蔓延を防止することに成功したとしても、そこがゴールではない。そこがスタートだという人もいます。そういう意味では入学試験などにも言えることであり、この発想は、いろいろな社会の中に潜在しているものではないかと思うんですよ」
という持論を展開した。
それを聞いて、河合刑事と福島刑事は衝撃が走ったようだ。
――この人たちはここまで考えていたんだ。自分たちにこれからここまでになれるであろうか?
という思いである。
二人にもそれぞれにこの事件の中で思い入れがあった。
福島刑事は、かつてトラウマになった冤罪事件の犯人と思しき男の顔を思い出さされて、その男がしかも、整形の顔だったということはこれほど衝撃的なことはないだろう。
河合刑事にしてもそうだ。
自分に直接関係はないかも知れないが、かつての同僚であった倉橋巡査が、何か事件の重要なところで絡んでいると思われるのである。下手をすると、先輩を信じようとする気持ちと、刑事としての使命感とがジレンマとなって襲ってくるかも知れないからだ。
そのことは今の直接の先輩である浅川刑事にも桜井刑事にも分かっている。しかし敢えて何も言おうとはしない。
これは優しさなのかどうなのか、河合刑事も福島刑事も考える。優しさだとしても、
「愛のムチ」
に近いものではないかと思われるのだ。
浅川刑事は少し考えているようだった。ここまで一気に解明したかのように思えているが、本当に妄想であって、状況証拠にもなっていない。辻褄が合っているかどうかすら分からない。ただ、あの場面での浅川刑事の謎解きは、かなり信憑栄を感じさせるものであった。
「じゃあ、社長と加倉井さんが殺されたというのは、秘密がバレそうになったからとか、そういう理由ですかね?」
「それはあるかも知れないけど、社長の場合は少し違うかも知れない。逆にまったく別の理由が存在し、社長の秘密を知ったことで、その秘密に関わることとして事件をミスリードしようとしたのかも知れない。だからしなくてもいい密室を作ってみたりしたのは、そのせいではないのかな?」
「というと?」
と桜井刑事が訊いた。
「密室殺人というのは、別に密室にしたことで、犯人が得をするという塀要するトリックでないといけないと思うんですよ。たとえば、時間稼ぎであったり、アリバイ作りであったりですね。でも、この事件において、アリバイや時間稼ぎなどの理由が見当たらないんですよ。ただ単に密室に仕立てたというだけですね。本当はそのことを看破された時点で、疑いはほぼ内部犯行に向くじゃないですか。衝動的な殺人でないことも確かだしね」
と浅川刑事がいうと、
「じゃあ、あの台所のあの匂いは何だったんですか?」
「あれは、被害者が整形していないということを示すために使われた薬品を処分したんじゃないのかな? 前の時は開発されていなかったけど、今回は一歩進んで開発された。しかし、その使用した薬品の処分までには時間がなかった」
という浅川刑事に対して。
「では、どうして犯行を延期しようとは思わなかったんですか? 別に延期するだけのことだったんじゃないでしょうか?」
と、桜井刑事は言った。
「それができない可能性があったのでは? 例えば、犯人がこの家を追い出されそうになっているとすれば?」
と言って、浅川刑事は手に一枚の封筒を都市出した。
そこには、山下女史の名で、退職願なるものがあった。
「内容は、普通のものだけど、この退職願は大きな意味を持っているんですよ。涼音さんは、山下さんが辞めようとしていることはご存じでしかた?」
と訊かれて。
「いいえ」
と答えて、涼音は山下女史の方を見た。
「ここから先は男女のプライベートな話になるでしょうから、あまり私の口からいうことは控えたいのですが、それを今回の大きな組織の仕業のようにしようとしたのであれば、そこは問題だと思ってですね」
というと、山下女史はたまりかねたのか。
「そんなことではありません。社長は組織に対し、私のことを人身御供にしようとしたのです」
と言って、鳴き臥せった。
「私は、社長のことを尊敬もしていたし、好きでしたから、社長の言うとおりに身体も任せてまいりました。しかし、それが実は私を人身御供にするための最初からの計画だということに気が付いた時。すぐに私は目が覚めました。このままだと何をされるか分からない。殺されるよりも怖いことになるかも知れないと思った時の私の狼狽。想像できますか? 社長を亡き者にするためには、それくらいのことをしても当然ではないでしょうか? それを誰にも何も言われたくないというのが、私の今の心境です」
と吐き捨てるように言った。
「いや、言いにくいことを言わせてしまって申し訳ないです。あなたの気持ちはそこまで追いつめられていたんですね。だから、あなたは、台所に薬品を流したんでしょう? この臭いと事件を結び付けるために……。そしてあなたは、今度の事件でもう一つ重大なことを知った。それが警察関係者の人だと分かったので。私はその人も一緒に告発しようと思いました。ある意味社長を殺したのは、そこにも意味があったんです」
と山下女史は言った
「じゃあ、河川敷の事件は?」
と桜井刑事が訊くと、
「あの被害者はもちろん、加倉井です。福島さん、あなたが冤罪で悔しい思いをした人は、残念ながら加倉井ではありません。あの男は最初の粗悪な整形の痕、また別の顔に作り替えたので、その時点では、すでに尾の男ではないのです。それに、その人物はもうこの世にいません。整形をする場合、変死であったり、身元不明者、あるいは、引き取り人のない遺体から顔を盗んでくるんです。だから、あなたの冤罪事件と今度の事件はまったく別です。あの事件は、私がやりました。最初はただあの男が私を人身御供にすることを言い出し、計画した張本人だったのです。社長を殺すにしても、あの男を指圧しておかないと、すぐに私の犯行だとバレてしまう。それは避けたかったんです。あれは一種の序章に過ぎませんでした。でも、さすがですね、確かにこの事件はどこからが始まりなのか、私にも分からないんですよ。そこをちゃんと言い当てるところはさすがに浅川さんだと歩もいました」
と彼女は言った。
「倉橋巡査についてがよく分からないんですが」
と、河合刑事が訊いた。
「あの人は、本当はいい人なんでしょうが、社長に弱みを握られていたんです。それが加倉井の仕業でね。あの男は裏で諜報活動をしているフィクサーである意味。この事件の首謀者と言ってもいい。倉橋さんも私と同じ立場だったので、協力してもらったというわけです」
というのを訊いて、河合刑事は頭を下げてしまった。
事件の真相はある程度まで明かされたようだったが。先ほどからの話のように、この事件はどこからが始まりなのか分からない。このままいったら、トカゲの尻尾切りになってしまう可能性が大きい。
そんな状態で今回の事件は解決に向かっていたが、どこまで解決できるかが分からない。永遠のスパイラルを感じると、その場にいたことで、今後またどのような形でかかわってくるのかを考えさせられた。
「事件はまだ終わっていない」
と、いう声が聞こえてくるようだった……
( 完 )
永遠のスパイラル 森本 晃次 @kakku
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