騎士と僧侶

前編



騎士「…………朝だ」


騎士「はあ…………」


騎士「仕事いきたくない…………」


 寝台のすぐ上に置いた結紐を取ると、騎士は手早く髪を纏めた。



「騎士団長! 北の国境に飛竜の群れが接近しています!」


騎士「ん、わかった。弓と槍持ってきて」


「はっ!」


騎士「はぁ……めんどくさい」



 台車に乗せられて運ばれてきたのは、常人の倍はあろうかという大きさの弓。

 十人がかりで抱え上げて差し出すそれを、騎士はこともなげに手に取った。

 傍らの長槍を、石突を矢尻に見立てて弦に番える。そして、弓幹に片足をかけ、足と腕を目一杯伸ばして全身で弦を引き絞った。


騎士「飛竜は何匹?」


「は! 三十は越えると……」


騎士「じゃあもっと槍持ってきといて」


 兵士が下がると同時に槍を放つ。

 それは北の方角へ猛烈な勢いで飛んでいった。


騎士「(午前中いっぱい続けた方がいいかな……)」



「団長! 大変です!」


騎士「どうしたの」


「西門の前に多数の小鬼ゴブリンが集結しています! 他、トロールやオーガも多数!」


騎士「はいはい」



 王都西門の前には無数の魔物が大挙していた。といっても、週に数回は発生するごくありふれた光景である。

 王都の外側には灰色の荒れ地が広がっていて、そこは弱肉強食、力なき者は人だろうが竜だろうが虫けらだろうが等しく奪われるのみの世界である。

 死ぬならまだいい。半死半生のまま囚われ、半永久的に生命や魔力を吸われ続ける運命だって珍しくない。

 だから、力なき者どもは徒党を組んで王都に入り込みたがる。

 王都を出た者の大半は彼らのいうであり、そいつらが生きていける王都はきっと素晴らしいところに違いないと、外側に生きる者は誰もがそう思っている。

 けれど、いざその内側に足を踏み入れた者の話は、とんと聞かない。

 楽園を出るはずがないからだろうか。

 否。


騎士「どこに潜んでいたのか、ご苦労なこった」


 門から出てきたのは、鎧を纏った長身の女が一人だけ。

 小鬼ゴブリン達は訝しみ、しかし頭が悪いので都合よく考える。生贄に違いない。散々嬲って楽しんだあとは晩飯にしよう、と。

 騎士は携えていた大剣を腰だめに構えて、一閃。


騎士「そらっ」


 その刃は誰に当たることもなかった。

 けれど、空を裂く風――そう呼ぶには凄まじすぎる衝撃波が、魔物たちを貫いた。

 後に残っていたのは、上半身の消し飛んだ亡骸だけ。最前線にいた者などは塵一つ残さずに消滅していた。


「す、すげぇ……」


「ご苦労様です、団長」


騎士「片付けよろしく」


 大剣を兵士に預け、宿舎に戻ろうとした矢先のこと――。


「団長! 大変です!」


「下水道でスライムが大量繁殖しています!」


「貧民街で賊が反乱を企てているとの情報が!」


「東門にエルフの難民旅団が来ましたが、身元確認にご協力を!」


「大臣が先の槍雨を見て苦情を!」


騎士「めんどくさ……」



「団長、今朝の飛竜の件ですが……」


騎士「うん」


 王室に向けた、武具調達用の費用を催促する文を執筆しながら彼女は頷いた。

 この手の仕事を任せられる部下は一人としていない。

 彼女があまりにも強すぎるせいで騎士団は解散し、権力者にとってより都合のいい駒たる「兵士」に改められたからだ。

 兵士団の中において、彼女はただ一人の騎士である。その立場に置かれた理由は多々あるが、どれもが貴族たちによるご機嫌取りに帰結する。

 兵士団は騎士団ほどの声の大きさを持たず、その質も大きく劣るため、こうした事務作業の大半は彼女が代行している。


騎士「(さっさと帰って寝たい)」


騎士「(騎士団なら事務仕事もスライム退治も任せられたのに……今やみんな腑抜けになってしまった)」


騎士「(めんどくさい、ムカつく)」


「団長? ご気分がすぐれないのですか?」


騎士「ああいや、続けて」


「北の戦線から、突如槍が降ってきて飛竜を打ち落とし、無事収拾がついたと」


騎士「それはよかった。使えそうな槍は回収しとくように」


「はっ」


騎士「さて、遅くなったけど昼ご飯を……」


「団長! 失礼します」


騎士「……どうぞ」


「国王陛下がお話したいことがあると……」


騎士「はー……至急向かうと伝えておいて」


「はっ!」



国王「先の戦いは見事だった」


騎士「はい(帰りたい)」


国王「そなたのおかげで、わが国も安泰であろう」


騎士「はい(帰りたい)」


国王「いつだったか、私も若い頃は飛竜の一頭や二頭を……」


騎士「はよ話せや(さすが陛下)」


国王「えっ」


騎士「あっ」


騎士「いえ、陛下のお時間を頂戴するわけにいきませんので」


国王「うむ。そうだな……」


国王「我が国唯一の騎士よ。そなたの勇猛なる戦いと果敢なる守護、そのいずれも我が国になくてはならぬものだと思っている」


騎士「はい(聞き飽きた)」


国王「しかし、そなたも一人の女。子を産み育てる経験も必要かと思ってな」


騎士「はい(は?)」


国王「昨今は外よりの侵略も少なく、安定した状況にある。これを機にそなたの任を解き、しばしの休暇を与えることにした」


国王「なにしろそなたは子供のころから我が騎士団で研鑽を積み、国防に尽力してくれていたものな。これまでの働きにふさわしい褒美を取らせるべきだ」


国王「そなたさえよければ、王家に迎えたい。ファンデルシュタイン家は知っているな? その跡取りが妻を探しているとのことだが……」


騎士「陛下、私には勿体ないお話でございます」


騎士「私の命は国に捧げると誓いました。人らしい営みも、王家の栄華も、この身には余るものと存じます」


 国王を制して騎士は口を開いた。

 慇懃かつ毅然とした口調だったが、内心で騎士はめちゃくちゃキレていた。


国王「う、うむ……そうか」


国王「まあ、気が変わったらいつでも申し出るがよい。そなたに褒美を取らせたい気持ちは変わらぬからな」


騎士「ありがたきお言葉です」



「団長! 大変です!」


 謁見の間を出てすぐ、兵士が声をかけてきた。

 先のやり取りで荒んでいた騎士は睨むような視線を投げかける。


「ひっ、失礼いたしました!」


騎士「……ごめん、どうしたの?」


「貧民窟で騒ぎが起こっておりまして、魔物が入り込んで人質を……!」


 傍らの憲兵が鼻を鳴らした。


「もっと早く伝えるつもりでしたが……彼らに遮られて」


「貧民がどうなろうと関係なかろう」


 憲兵と兵士では力関係に大きな差がある。騎士であれば、まだ対等だが。

 王室の警護を任される憲兵は、軍の中でも上位の権限を持っていた。

 徴用されれば成り上がり達成。高給を取りながら安全な壁の内で暮らすうちに、彼らのほとんどは性根が歪み、他者を見下すようになる。

 追いやられた貧民たちは殊更にその蔑みに晒されていた。


「団長……」


騎士「すぐに向かう。案内よろしく」



 貧民窟は王都の南方にある、粗末な小屋が立ち並ぶ区画だ。にもかかわらず王都の面積の半分を占めており、王都の外側にすら伸びている始末である。

 外と隔てる壁が一番古くて薄いこともあり、魔物が侵入したり犯罪の温床になったりと治安は常に悪い。ゆえに王都の内側に貧民窟とそれ以外を分かつ壁すら建設されつつある。

 建設途中の内門を出て、騎士は荒涼とした風景に思う。

 

騎士「(貧民窟の警邏も騎士団の仕事だった。けど、代替勢力の兵団にはそれをさせようとしない……何を考えているの)」


騎士「(はあ……騎士のみんなにまた会いたい)」



 トカゲ頭の小柄な人型の魔物――コボルドが、みすぼらしいなりの少女を羽交い絞めにして首元に刃物を突き付けている。それを兵士たちが取り囲んでいた。

 喚き散らす言葉を人が理解できるはずもなく、何を要求されているのかもわからないまま、睨み合いが続いている。


「縺薙?蟄舌?繝ッ繧キ縺ョ雖√d?∫・昴∴縺雁燕繧会シ!」


「くそぉ、何言ってんのか全然わかんねぇ……!」


 兵士をかき分け、そこに騎士がやってきた。


「団長!」


騎士「(人質ごとやれれば楽なんだろうけど……)」


 在りし日の仲間を思い浮かべる。

 騎士団の中で最も高潔だった彼は、決して騎士道に恥じる行いはしなかった。そのために命を落としたとしても。


騎士「ま、それは無理か。託されてるもんね」


 ずい、と一歩前に出る。そして武器を捨て、鎧を取り外し始めた。

 コボルドは、いやその場にいた誰もが動揺した。

 鎧を脱ぎ終えて襦袢だけになると、騎士はさらに歩み寄った。


「縺ェ繧薙d縺雁燕縺ッ?√せ繝医Μ繝??縺具シ?シ!?」


騎士「人質交換。私を連れて行きなさい」


 騎士が伸ばした手目掛けてコボルドが刃を振るう。

 その切っ先が手の平に赤い筋を残した。けれど、騎士は無抵抗を貫く。


「団長!」


 意図を理解したコボルドが、人質を突き飛ばして騎士に突進した。

 見下ろされているのが気に喰わないのか、太腿に刃を突き立て跪かせようと。

 

「?」


 しかし、その切っ先はわずかに肉の中に突き立って、それ以上進まない。

 驚くことはそれだけではなかった。刃を抜こうにも抜けないのである。鍛え上げられた筋肉の圧によって、薄い刀身をがっちりと挟み込んでいたのだ。


騎士「騎士団長を舐めるなよっと」


 振り下ろされた鉄拳が、コボルドを地面のシミに変えてしまった。



続く

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