中編


 魔法研究所を歩くことしばらく。

 風雨に晒されて朽ちかけた屋内を進むと、エントランスホールにたどり着いた。

 封鎖されていたのだろう鉄扉が、残骸となって転がっている。

 ひしゃげた枠の向こうには、灰色の空と荒れ果てた敷地が見えた。


不死者「こうして見ると、滅びかけってのも頷けるね」


不死者「前はもっとこう……空が青かったりしたんだけど」


魔女「200年前のことなのによく覚えてるのね」


不死者「死にまくってる間の記憶は薄いんだ。他人事みたいっていうか。だから、ここで受けてた実験のこともあんまり覚えてない」


魔女「…………ふーん」


不死者「だいたいのことは実験されるより前にわかってたし」


魔女「勝手がわかってるなら余計な気を使わなくていいわね」


不死者「お手柔らかに頼むよ……」



魔女「まっすぐ行ったら門があるわ。そこに場所を待たせてるから」


不死者「馬車? 用意がいいんだね」


魔女「魔法研究所の資料を回収するって名目で来てるの。だからお金は王都持ち」


魔女「けど本当の狙いはあんた。資料なんて持ってきてないし、馬車を奪ったらとんずらして北に逃げるわよ」


不死者「わーお、アウトロー」


魔女「ま、ゾンビ一体倒せないレベルとは思わなかったけどね」


不死者「肉盾の役割は果たせそうにないけど、大丈夫?」


魔女「問題なし。完全な不死者あんたじゃなきゃいけない理由はいろいろあるから」


不死者「それはよかった」


 研究所外縁は、かつては荘厳な庭園だったのだろうが、今では石畳は脆く欠け、その隙間から草葉が覗いている。それも枯れかけで、広大な敷地に生命の気配はない。

 枯れた噴水に腐りかけの魚がいくつも落ちている。長い年月を経ているはずなのに未だ風化していないのは、この魚も不死研究の産物だからなのだろう。


 頭上に広がる空はどこまでも灰色で、渦巻く暗雲が蛇のようにのたくっていた。

 遠くで得体のしれない咆哮が響いた気がする。



 魔女と不死者の前方に、ぼろぼろの門柱が一対見える。

 その狭間に黒い馬車と三人の人影。


魔女「あ、『隷従オプセクィウム』にかかってるふりをしてね」


不死者「えっ」


魔女「ほら、研究所の廃墟で得体のしれない人間を拾ってきたってなったら面倒でしょ。私がうまくやるから任せて」


不死者「……喋らない感じで行くね」


 魔女と不死者が馬車に近づくと、三つの人影もはっきりしてくる。

 一人は貴族然とした衣装の紳士。銀の縁取りがされたシルクハットが特徴的だ。

 もう二人は鎧に身を包んでいて、衛兵と形容すべき風体。


紳士「……遅いぞ、追放魔女」


 魔女はわずかに眉を顰めるが、先ほどと打って変わって無機質な表情を崩さない。


魔女「生体書簡を発見した。アムリタの秘儀はこれが知ってるはず」


魔女「あとは私を学院に戻せば――」


紳士「残念だが、それはできない」


魔女「…………なぜ?」


紳士「君が犯した数々の暴挙、倫理規定の無視。王立魔法学院の権威を失墜させた張本人に、もう一度敷居を跨がせるわけにはいかない」


魔女「……そういう契約だったでしょう、長官」


不死者「(雲行きが怪しくなってきたぞ)」



紳士「こちらにも体面というものがあるのだよ」


紳士「こういう筋書きはどうかな? 魔女は役目を果たさぬまま逃げようとして私に討ち取られた。そして、私たちは勇敢にも呪われた不死研究所を探索し、生体書簡を発見した!」


魔女「……三文芝居ね」


不死者「(これヤバいパターンじゃない?)」


紳士「ふん。安い悪役として死ぬがいい!」


 紳士が懐から杖を抜くのと、魔女が長杖を構えるのはほとんど同時だった。

 そして、全員の頭上を掠める黒い影もまた、同時に訪れた。


不死者「…………!」


 突風が土埃を舞い上げ、その場の全員が顔を覆う。次いで、断末魔。

 土埃が晴れたそこには馬車を押し潰し、衛兵の一人を喰らう魔物の姿があった。


 刺々しい鱗に覆われた全身、逆立つ角、空を覆わんばかりの翼。

 身体の倍ほどもある長い尾に、感情を感じさせぬ爬虫類の瞳。

 火花の混じる吐息。


紳士「ドラゴンだと……!」


衛兵「ひっ、ひいいい!!」


 気圧され衛兵が武器を捨て、一目散に逃げだす。

 しかし竜が身を捩って繰り出された尾に打ちのめされ、吹っ飛んで沈黙する。

 そして、残る三人に牙を剥いた。



 思わず固まる三人の中で、最初に動いたのは魔女だった。


魔女「『燃え尽きよクレマティオ』!」


紳士「貴様……見境なしか!『逸れよディウィアーレ』!」

 

 魔女の放った暗い炎の塊は、紳士に向かって飛んでいく。

 だが紳士もまた杖を一振りすると、それは逸れて後方の土壁を燃やした。


紳士「残念だがお別れのようだ。仲良く竜の餌となるがいい!」


魔女「戻ってこいクソッタレ!」


 罵声も虚しく、紳士が外套をはためかせると、次の瞬間にはその姿を消していた。

 残されたのは、魔女と不死者、そして腹を空かせた竜。


不死者「…………よし」


魔女「……うん」


不死者「逃げよう!」


魔女「逃げるわよ!」



不死者「ねえ、僕らもさっきみたいに転移できない!?」


魔女「無理! ああいうのはあらかじめ準備しておくものなの!」


不死者「なんで準備してないんだよ!」


魔女「学院から追放されてその足でここに送られてきたんだもん!」


不死者「じゃあ最初のは見栄張ってただけなの!? 世界を終わらせる救済とかなんとかってさあ!」


魔女「それは本当! だけど込み入った事情があって追われる身なの!」


不死者「どうせならドラゴンじゃなくて憲兵に追われてる方がマシだったな!」


魔女「あれはドラゴンじゃなくて飛竜ワイバーンよ! 二本足だもの!」


不死者「似たようなもんだってば!」


 やり取りを交わしながら背を向けて逃げる魔女と不死者。

 その背後から大口を開けて飛竜が迫る。

 二人が目指すのは、先ほど後にした研究所。建物の中ならばまだ安全と考えた。


魔女「あっぶな!」


 牙が魔女を捉える寸前、先に踏み込んでいた不死者が腕を取って引き込んだ。



魔女「…………んで」


 ぜえぜえと喘ぎながら、魔女が尋ねる。


魔女「どうすんのよ…………飛竜はさすがの私も倒したことないわよ……」


不死者「まあ、策がないこともないけど……」


不死者「君の魔術はどれくらいまで届く?」


魔女「触媒があれば隣の国までは余裕だけど……」


不死者「じゃあ、この銀の剣があれば大丈夫だね」


魔女「まあ、それなら。……何考えてるの?」


不死者「先に僕の不死についておさらいしておくね」


不死者「牙や歯で死ななかったら飲み込まれる途中の体内……食道っていうんだけど、そこで砕かれて死んで胃の中で復活する」


不死者「そのあとは胃酸でドロドロに溶かされるけど、全身が液状になって死んだら近くの地上で復活するはず」


魔女「地上で復活するならマシね」


不死者「良くはないけどね」


魔女「排泄物クソをかき分けたり胃の中から探し出したりするよりはマシでしょ」


不死者「溶かされるのはな……めちゃくちゃ痛いんだぞ」


魔女「自分もそうなるかもしれないって思うと聞きたくない情報をありがとね」


不死者「で、復活までにかかる時間は三十秒ってとこかな」


魔女「いつのまにかそういう方針で進んでるけど、食べられるつもりよね」


不死者「うん」


魔女「あんたも大概頭おかしいわね」


不死者「不死に慣れすぎちゃったからね。じゃあ完璧な作戦を説明するよ」


 不死者が服を脱ぎ始める。


魔女「ちょちょちょちょちょ!! 何してんの!?」

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