終末世界行脚

@foreground

不死者と魔女

前編

 *


 瓦礫が崩れる音。その中に悲鳴が混じる。


魔女「げほっげほっ……何百年も使われてないからとはいえ、もうちょい頑丈に作りなさいよ……」


 舞う土埃の中から少女が立ち上がる。

 黒い三角帽子に黒い外套。黒づくめの少女は長杖を携えている。


魔女「えーと? こっちでいいのよね」


魔女「あ、ご丁寧に壁に書いてるわ。ここの研究員はよっぽど物覚えが悪かったのね」


 *


 壁に描かれた矢印と古代語の案内に従って暗黒の地下通路を進んでいく。

 螺旋階段を降り、奇跡的に動いていた油圧式昇降機エレベーターを作動させながら。

 そうして一時間も歩いた頃だろうか。


魔女「どんだけ歩かせるのよ……畜生」


 彼女の眼前には鉄格子に閉ざされた分厚い扉がある。

 一見して独房のようだが、窓はなく、中を伺うことはできない。


魔女「えーと? 『第四二八号実験体』……間違いないわね」


魔女「……ま、中にいるのが話通りのヤツならたぶん大丈夫なはず」


魔女「『融けろリクエスケァ』」


 革手袋を脱ぎ、呟いて素手で鉄格子に触れる。

 それだけで赤熱し、緩やかな飴のように容易く捩じ切られた。


魔女「うん。問題なし。あとは扉だけど……『弾けろエクスト』」


 空気が弾ける軽快な破裂音と、硬質の物体が吹き飛ぶ粉砕音。

 埃の乱舞が収まれば、扉の残骸があった。


魔女「げほっ!げっほ!掃除くらいしなさいよ……」


 *


 鎖に繋がれた人影が見える。

 項垂れ、魔女の豪快な入室にもまるで意を介さない。


魔女「不死者って聞いてるけど。ついに死ねたの?」


 不死者それは反応しない。


魔女「ちょっと勘弁してよ…… あんたを探すのにどんだけ大変な思いしたと思ってんの? 起きないと人形にしちゃうわよ」


 魔女の手が触れると、ヌルリとした感触を示す。血。


魔女「…………あっ」


 見れば、吹き飛んだ扉の一部が頭部にめり込んでいる。

 まず生きてはいないだろう。


魔女「えっ死んだの? マジで?」


 魔女がそう思ったのも束の間、目の前の死体から、その内側の骨と肉が嫌な音を立て始める。

 めり込んだ破片がひとりでに排出され、頭部は完全な形を取り戻す。

 そして、それ不死者は目を開いた。


不死者「……餓死以外で死ぬのは久しぶりだなぁ」


 *


魔女「さっそく本題に入るけど、私と一緒に来てちょうだい」


不死者「なんで?」


魔女「あんたの力が必要なの。何をしても死なず、あらゆる怪我も呪いもたちどころに癒え、異次元に放逐されても舞い戻る不死者の力が」


 魔女の言葉に不死者は黙り込んで考える。そして口を開いた。


不死者「やだ」


魔女「は?」


不死者「肉盾にするつもりでしょ」


魔女「うん」


死者「絶対やだ」


 あまりに子供っぽい言い草で断る不死者に、魔女も閉口する。

 そりゃそうだという納得感と、態度への呆れが半分ずつ。


魔女「自由にしてあげるよ」


不死者「欺瞞だね。君の監視下にあることを自由とは言わないよ」


魔女「(ごもっとも)」


不死者「それに、僕が外を歩いたら憲兵に捕縛されるのがオチでしょ。良くも悪くも有名人だし」


 自嘲めいて不死者は笑う。

 魔女はそれに笑みを返す。


魔女「それなら心配いらないわ」


魔女「世界、とっくに滅びかけだから」


 *


魔女「記録によると、あんたが幽閉されたのがおよそ百年前。その間に世界はいろんなことがあったけど……まあ、大概はろくでもないことばかりね」


魔女「魔王を倒した勇者一行は散り散りになって、それぞれの末路は悲惨なものだった。肝心の勇者様は行方不明だし」


魔女「国家は分裂して魔導兵ゴーレムの技術を奪い合った挙句、何十年も続く戦争を引き起こしたり」


魔女「荒れた人心を魔族が誑かしたり、それを見た天使が天罰を下したり」


魔女「ああ、魔法の使いすぎでマナが汚れて、大地が汚染されたりもしたわね。どれも私が生まれる前の出来事だけど」


魔女「そんなこんなで、あんたが幽閉されたころからだいぶ荒れちゃってるのよ」


魔女「王都のど真ん中を歩くならともかく、その辺をうろついてて捕まることはまずないわね」


 魔女の言葉を、不死者は黙って聞いていた。


不死者「……それで、僕に何を望むのさ」


魔女「私の旅に付き合ってほしいの」


不死者「行く宛があるのかい?」


魔女「『果て』を目指すのよ。このクソッタレな世界を終わらせるために」


 *


 世界の果てでは、あらゆる救済が形を成す。辿り着いた者だけがそれを得られる。

 そんな言い伝えがある。もちろん、こんな世界で信じる者はいない。もっと確かで、実りをもたらすものに耽溺する。たとえば悪魔との契約や、神への恭順など。

 だから不死者が目の前の魔女の正気を疑うのも、無理のない話だった。


不死者「はは……」


不死者「世界を終わらせる……ね。それが君にとっての救済なのかい」


魔女「ええ」


不死者「わざわざ君がやらなくても、天上のありがたい神様が代行してくれるんじゃないか」


魔女「それじゃ意味がないの。私は人の手で世界を終わらせたい。それがこの世界をこんなに汚して、滅茶苦茶にした責任ってもんじゃないかしら」


不死者「意外とロックなんだね」


魔女「(……?) とにかく、そのためにあんたの力を貸してほしいの。代価は……」


不死者「僕が望む救済は、」


 魔女を制して不死者が言う。


不死者「”消滅”だ。僕自身の完全なる消滅。不死の無効化と確実な死」


不死者「世界の果てで得られる救済は、それを可能にするのか?」


魔女「……わからないわよ。そんなの。私だって世界を終わらせられる確信があるわけじゃない」


魔女「でも、やってみなきゃわからないでしょ? どうせ世界はクソッタレで、このまま生きててもロクなことないんだし」


魔女「だったら、少しでも希望がある方がよくない?」


 不死者の脳裏に人影がよぎる。

 久しく忘れていた横顔。決意と優しさに満ちた瞳が見つめている。

 その視線に背中を押された気がした。


不死者「世界を終わらせるのが救済ね……」


不死者「……ま。このまま腐ってても仕方ないか」


不死者「君のいうことが本当なら、やるだけやってみよう。どうせ死なないんだし」


 不死者は立ち上がった。

 鎖はとっくに朽ちていた。



 ここは王都のはずれにある魔法研究所。

 打ち捨てられて久しく、老朽化して屋根やら壁やらは崩れている。

 けれども、魔術的防衛のためか、迷宮のようにやたらと広く、入り組んでいた。


 しばらく時間をかけて、魔女と不死者は地下施設から這い出してきた。

 壁の隙間から灰色の空が覗き、黒い風を運んでくる。


不死者「うへぇ……淀んだ魔力マナの臭いがするね」


魔女「しばらくぶりの地上がこんな有様で残念ね」


不死者「僕、確かに不死だけど戦えないよ。どうするの?」


魔女「あー、まあ、なんかいい感じにするわ」


 魔女は懐からこぶし大の銀の塊を取り出すと、呪文を唱え始める。


魔女「『玲銀よ、わが手に剣を成せアージェンタム・グラジウス


 途端に、銀色の剣がその手に現れた。


魔女「はいこれ」


不死者「……君、意外とすごい? 詠唱なしでこの出来は中々……」


魔女「まーね。これでも学院の首席だったし。で、さっそく戦ってもらうことになるんだけど」


不死者「は?」


魔女「前方にアンデッドの気配があるわ。たぶんゾンビね」


不死者「ああ、だから銀の剣か……」


魔女「あんたの戦闘力が見たいわ。私は強化魔法は苦手だし」


不死者「いや、僕もそんなに強いわけじゃないんだけど」


魔女「は?」


不死者「長いこと寝てたから身体がなまってるかも。ヤバくなったら僕ごと焼いてね」


魔女「…………まあ、うん」



 暗闇の中から、腐敗した人の死体がよろめき歩いてきた。

 不完全な不死の魔法を受けた死にきれぬ者アンデッドである。


不死者「(僕由来の不死研究の産物かぁ……可哀想に)」


魔女「普通の剣でもアンデッドを行動不能にできるけど、真に殺せるのは――」


不死者「祈りを込めた銀の剣だけ、でしょ」


 不死者が剣を躍らせる。


不死者「(まずは足を斬って――)」


 右腿を切り裂けば、ゾンビが膝をつく。

 恨めしげなうめき声。知性はなく、本能的なものだ。


不死者「(横に回り込んで、首を落とす!)」


 緩慢なゾンビを葬るのは、戦闘訓練を受けていない者でも不可能ではない。

 戦禍が国々を多い、よろばい歩く屍が増えたころ、教会が彼らを安全に処理する手順を公開していた時期がある。今となっては昔の話だが、その方法は広く伝わることになった。

 不死者は、まさにその方法でゾンビを処理しようとしていた。


不死者「あ」


 勢いをつけすぎたのか、剣の作りが甘かったのか、銀剣が手から滑り落ちた。


魔女「なにやってんのよっ!」


 緩慢なゾンビと言えど、目の前の無防備な肉を逃すことはない。

 倒れかかるように不死者に縋り付き、肩に歯を食い込ませる。


不死者「が、ああああ……!!」


 そのまま引きずり倒される。

 そんなに腐った体のどこにあるのかというべき怪力で抑え込まれ、不死者は起き上がれない。


不死者「かまうな! 僕ごと――」


魔女「『燃え尽きよクレマティオ』!」


 刹那、魔女の手から赤黒い炎の塊が放たれる。

 火炎系の上級魔法の一つ。燃やし尽くすまで消えることのない闇の炎。

 一切の躊躇なく、魔女は不死者ごとゾンビを焼き殺した。



不死者「まさか、あんなに容赦がないとは思わなかったよ」


魔女「あんな燃えカスから復活するあんたも相当よ」


 数刻後、やはり不死者は平然と復活していた。

 炭化したはずの体に潤いが戻り、そこに見慣れぬ服を着た姿で横たわっていたのだ。


魔女「ご丁寧に服まで戻ってるし」


不死者「ねー。これ不思議だよね」


魔女「……というか、あんまり見たことない感じの服なんだけど」


 魔女が不死者の服を指して言う。

 弾力に富み、程よく体に馴染む黒い服。肩から袖にかけて白い無地のラインだけという、飾り気のない装束。上下一揃えのそれらは、魔女にとっては見慣れない恰好だった。


不死者「これはジャージと言ってね。運動にも部屋着にも便利」


魔女「聞いたことないんだけど」


不死者「そりゃそうだよ。この世界のものじゃないし」


魔女「……は?」


 あっけらかんと言い放つ不死者に、魔女は絶句する。


不死者「僕は別の世界で生まれて、死んだらいつの間にかこっちにいた」


魔女「正気も一緒に燃えちゃったの?」



魔女「つまりあんたは異世界からやってきて、なぜか不死の能力に目覚めてたってわけ」


不死者「そう」


魔女「……異世界、いや、異次元の存在は確認されてるけど。魔界みたいな形のない魔力の渦が大半だから、服どころかあんたみたいな生命が存在できるはずがないってされてるのよね」


不死者「なるほど」


魔女「けど、確かにこの生地……絹か綿かわからないけど、伸縮性に優れていて相当高級なもののはず……こんなの見たことない」


不死者「(上下3000円くらいなんだけどなぁ)」


不死者「信じてくれるかい?」


魔女「あり得ない、とは思う。でも、高次の魔法使いたちはみんな別次元に旅立って戻ってこないし、頭ごなしに否定するのも……うむむむむ」


魔女「でもさ、その……あんたは何十年もここに閉じ込められてたわけなんでしょ」


不死者「うん」


魔女「頭おかしくなってる可能性を否定できないよね?」


不死者「まあそう思うよね」

 

 廃棄された研究所を歩きながら、不死者は続ける。


不死者「でも、僕の研究記録を見たんだろ? 『復活したときにあらゆる負傷は回復する』……心の傷も発狂もね。つまり、僕はまだまともってことじゃないか?」


魔女「この世界で正気を気取るほど愚かなことはないわ」

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