十一 深夜の見舞い

 翌日、陽の光が瞼の向こうから感じられて、私は目を開けた。

 昨日はそのまま寝入ってしまったらしい。

 ご飯も食べ損ねたし、お風呂にも入っていない。・・・まあいいか。

 施設にいた頃に比べると、一回入らなかったくらいで、どうということもない。

 制服のまま寝てしまったのは失敗だが、替えのものがある。問題はない。

 替えの制服に袖を通し、身支度を整える。

 今日も1日が始まる。

 扉を開ける。


 ・・・・・・。


 あれ?

 今日も朝からかけられるだろう言葉を身構えて、そして何も聞こえないことに談話室を振り返る。

 そこには誰もいなかった。

 え? なんで?

 ついに飽きたのだろうか? 諦めたのか?

 飛鳥は、ぽかんと呆けて、その場で固まった。

 胸に去来したのは、安堵や喜びではなかった。

 むしろ、寂しさ、虚しさ、悲しみ。

 そうであることに、我ながら動揺する。


 私、絆されてた?

 まさか。いや・・・そうかもしれない。

 あんなにも、この国を恨み続けるって、大事な人は作らないって決意したのに。

 あっさりと絆されかけてた自分に絶句する。


 もっとちゃんとしないと。

 飛鳥は歯噛みして、目を瞑った。



 ***


 皆川恭は昼になっても現れなかった。

 どうやら高熱を出して、寝込んでいるらしい。


 大丈夫だろうか?

 ———いや、私には関係ないことだ。

 例えあの子が何か重大な病気だったとしても・・・そう、私には何も関係なんてない。

 寮の食堂で、昼食を口にしながら、飛鳥は、自分に言い聞かせる。


 そうやって言い聞かせている時点で、自分はもう全く大丈夫ではないが、さりとて飛鳥には、皆川恭がすでに少なからず大切になっていることを受け入れることもできなかった。

 あっさりと情を移していた自分への嫌悪感が溜まる一方で、飛鳥はすっかり落ち込んでいた。


 その様子を見た周囲の大人たちは飛鳥が、皆川恭を心配しているものと受け取って、勝手に彼女の容体を共有してくる。

 飛鳥は無意識に安堵してしまう自分を止められず、勘違いする大人たちを突っぱねることもできないで、曖昧な返事を重ねた。



 否、大人たちの推測は、やはり、人生経験の分正しかったのだろう。

 深夜、飛鳥は、皆川恭のことが、頭から出ていかず、どうにも寝付けずにいた。

 ベッドには早々に入ったのに、一向に睡魔がやってこないのだ。


 飛鳥は葛藤していた。

 あの日、自分が預言によって飼われていると知った日から、胸にある憎しみや恨み。

 そして、出会ってから今日までの間めげずに話しかけてきた快活な少女のこと。知らず知らずの間に積もっていた情。

 相反する感情が飛鳥の中で、とぐろを巻き、争っていた。

 そして————

 飛鳥は大きなため息を吐いて、身を起こした。


 今日だけ。

 今この時一度きりだけ。

 ———飛鳥はそろりと部屋を抜け出すと、寮の医務室に向かった。

 飛鳥の中で、皆川恭への心配が優ったのだった。


 これはあの子が熱なんて出すから。

 だから、今日だけ。

 あの子の様子がおかしくないか見るだけだから。

 きっともう熱も酷くない。

 それを確認するだけだから。

 許しを乞うように、言い訳をするように、心中で繰り返しながら、飛鳥は廊下を足音を殺して進む。



 果たして、医務室には、皆川恭が一人寝ていた。

 息苦しそうに鼻を啜り、軽く咳をしている。

 額に触れたら、流石に起きてしまうだろうか?

 飛鳥は一度伸ばした手を、そんな懸念とともに引っ込めた。


 じっと様子を見下ろしていると、辛そうにはしているものの、呼吸に乱れはなく、重症化はしていないらしい。

 魔力の炎のようなゆらめきも、大して変わりはない。

 きっと魔力は生命エネルギーで、魔素はその残滓にすぎないから、それらに翳りがないのはいいことだ。



「ん・・あすか?」

 まじまじと飛鳥が寝顔を見つめていたせいだろうか?

 皆川恭が目を覚ました。

 喉が枯れて、ガサガサの声が飛鳥を呼ぶ。


 その瞬間の飛鳥の思いをなんと表したものだろうか。


 慈愛?安堵?いや、焦燥?

 ———きっとその全てだったし、それ以外の感情も含めた複雑な感情が、彼女の胸中を満たしていた。


 飛鳥は何も言わなかった。

 ただ、涙をこぼして、皆川恭を見つめた。


 驚いたのは、恭である。

 なぜ見舞いに来てくれたのだろう彼女が泣いているのか?

 自分の容体はもうそれほど悪くない。

 そもそも風邪だ。

 どうして彼女が辛そうな顔で泣くのだろう。

 何か嫌なことでも・・・?


「あすか、どうしたの?だいじょうぶ?」

 ガサガサの声で、恭はひたすらに飛鳥を心配する。

 飛鳥は溢れてくる思いのままに、ただ静かに泣いた。

 自分の方がしんどいはずなのに、ただ泣いているだけの自分を意味もわからず心配してくれる目の前の女の子。

 愛おしくて、そう思う自分が情けなくて、飛鳥は泣いた。


 発熱でしんどい体で、ただ恭は飛鳥の手を握ってくれた。

 何も答えない飛鳥に、ただ泣く飛鳥に、声をかけ続けてくれた。



 やがて、限界がきて眠ってしまった恭の頬を撫で、飛鳥は過去の自分の決意に懺悔した。

 恨むことはやめられないけれど、この子を愛おしいと思うのも止められない。

 私はいつの日かこの子のために国を救うことを決断するだろう。

 そう予感した、月が輝く、晴れた日の夜も深い頃のことだった。

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平和を愛した魔女 阿_イノウエ_ @inoue_2424

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