第4話

 会えませんか、というその字。その言葉をわたくしがどれだけ待ちわびていたことか、彼は知る由もないでしょうね。


 便箋につづられた再会を願う文章に、わたくしの胸は否が応でも高鳴りました。ですがそれは期待だけではなく、逃れようのない不安を伴ってのものです。


 約束の日、わたくしは迷いながらもとびきり美しく着飾りました。だって自分の気持ちに嘘はつきたくなかったのですもの。


 馬車に乗って待ち合わせ場所の広場まで送り届けてもらい、わたくしは一人ベンチに腰掛けました。本当に来るのかしら。そんな不安を抱きながら、広場の大きな時計を眺め、約束の時間をじっと待っていました。


「ビスカリアじゃないか? 久しぶり!」


 耳に届いた声に反射的に振り向き、そして失礼なほど落胆しました。


「あら……ミラーさんじゃない。ご無沙汰しておりますわね」


 声の主は学生時代の同級生、ロン・ミラーさんでした。そこそこの美丈夫で、そこそこに成績もよくて、そこそこおモテになっていたと記憶しております。

 彼は無遠慮にわたくしの隣に腰掛け、気安く世間話を始めました。ふうん、とか、そうですの、とか、当たり障りのない返事をしているうちに、あまり歓迎されていない気づいたのでしょうね。気まずげな顔で苦笑して、そろそろ行かなきゃ、と立ち上がったその時でした。


「ビー」


 ……聞き覚えのない低い声でしたのに、すぐに誰の声なのか分かりましたわ。


 視線を向けた先に、彼がいました。


 記憶よりもずっと背が高くて、顔も体つきもすっかり男性的で、声変わりだってしちゃって。


 胸が焦げそうなほどに熱くなって、今すぐにでも駆け寄りたくなりたした。けれど本当にそうしていいものかーー彼がそれを望んでいるのか。そう考えると、燃え上がった心の火がすうっと勢いを失っていきます。


 唇を噛み締めて、ウェイン少年の瞳を見つめ返しました。こちらへ向かってくる彼の無愛想な表情に重苦しい不安が募り、心臓の鼓動がひどく冷たいもののように感じます。


「どちら様ですか」


 ウェイン少年はミラーさんに向けてそう言い放ちました。……ちょっと、失礼だわ。


「自分はビスカリアの同級生です。そういうあなたは」

「彼女の許婚ですが」


 つっけんどんな言い草に気分を害したようで、ミラーさんは簡単な挨拶をして去っていきました。……今度会ったら謝らなくちゃ。


 わたくし、腹が立っております。


「ちょっと!! 今の態度はなんですの!?」


 立ち上がり、目の前のウェイン少年に食ってかかりました。目をまん丸にして戸惑っていますが関係ありませんわ!


「他人にあんな態度を取るなんて失礼にもほどがありますわ! それでもわたくしの……」


 婚約者なんですの?


 そう言いかけて、口をつぐみます。


 「今日からは違いますよ」なんて返されたら立ち直れなくなりそうで。だからぎゅっと唇を引き結び、申し訳なさそうに小さくなっているウェイン少年を睨みました。


「……すみません。たちの悪い男に絡まれているのかと勘違いしてしまいました」


 叱られた子犬みたいな顔。背が伸びてわたくしとほぼ同じになった目線。見た目は随分と大人びたのに、この顔はあの頃となんにも変わっていないのね。


 急に今までの葛藤かっとうと思い出が込み上げてきて、涙が溢れてしまいました。情けなくて、恥ずかしくて、彼から数歩距離を取ります。ウェイン少年は心配そうにわたくしに触れようとしてきたけれど、手を払って怒鳴りつけました。


「なによ。障りのいい言葉だけを書き連ねた手紙で誤魔化して五年もわたくしのことをほったらかしにしたくせに、今更そんな顔で迫ってこないでくださる? わたくしがどれだけ苦しかったのかも知らないくせに!」


 ああ、なんて恥ずかしい。成人した女性が人前でこんなにみっともなく喚き散らして。

 幻滅したかしら。したでしょうね。


 背を向けたわたくしの背中に温かいものが触れました。やがてその温もりはわたくしを包み込み、波打つ感情がなだめられてゆきます。

 彼の吐息を耳の辺りで感じ、自分が抱きしめられているのだという実感が広がりました。


「すみません、でした。胸を張ってあなたの隣に立てるようになるまでは会えないと思って。それで会いに来れませんでした」

「そんなの……あなたの勝手じゃない。わたくしの気持ちはどうでもよかったの? 会いたがってるとは思わなかったの?」


 ぴくりと、密着したウェイン少年の体が大きく揺れました。言葉は返ってきません。せめてどんな顔をしているのか確認したくて身をよじったその時、突然体が宙に浮いたのです。


「ひゃっ……!?」

「ビー」




 ……あら?


 なにこれ。わたくし、お姫様抱っこされてるの?


 温かいですわあ。子供の頃お父様に抱っこされたときのことを思い出して幸せな気持ちになります。


 えっと、なに? この視界。ウェイン少年の肌の色、髪、それと閉じたまぶたが見えますわよ?


 あ、まぶたが薄く開いて目が合いましたわ。なんですの、そのうっとりした瞳。


 あらら? 息が苦しくなってきたのですけれど、なぜかしら。




 あっ唇を唇で塞がれてましたのね。納得ですわ〜オホホホホ。







 あの、もしかしてこれって俗に言うキ





























「……はっ!?」


 カッ! と目を見開き覚醒しました。わたくし、気絶していたの?


 きょろきょろと辺りを見回すと、ベンチに座って心配そうにわたくしを見下ろしているウェイン少年と目が合いました。やけに硬いものを枕にしていると思っていたら、これ、膝枕……?


「ひギャーッ!!」


 と、殿方の膝を借りて爆睡だなんてなんてふしだらな!? そしてよみがえってくる気絶する前の記憶……思わず飛び起きて怪鳥のような悲鳴をあげてしまいましたわ!


「ビー、大丈夫ですか?」

「だ、だ、大丈夫なわけありませんわ! あなた、キ、キキキキスを」


 キス、と言った瞬間にウェイン少年の顔が悲しげに歪みました。


「すみませんでした。あなたがずっと僕に焦がれていたことを知って、嬉しさのあまり想いが抑えられなくなって。……そんなに嫌だとは、思わなくて」

「だっ誰が嫌と言ったの!?」

「……嫌じゃなかったんですか?」


 きょとんとするウェイン少年に怒りをぶつけます。


「でもいきなりするのは反則ですわー! そ、れ、に、今までわたくしに会いに来なかったこともやっぱり許せませんわ! 未熟でもいいじゃない。好きならできる限り会いに来るべきだと思いませんの!?」

「……おっしゃる通りです。すみませんでした」


 下手な弁明もなく素直にこうべを垂れた姿を見て、ちょっぴり怒りが納まってきました。

 子犬みたいな不安げな顔。だけど15歳ともなれば、愛らしさよりも精悍さがわずかにまさっています。


 ……悔しいくらいイケメンですわね。


「でも、これだけは知っていてください。本当にずっと会いたかったんです。一人前になってあなたを迎えに行くのだと、そればかりを考えて過ごしていました」

「……そう」

「あなたに見合う男になるために必死に勉強をして、先日飛び級で高等教育を修了しました。来秋からはこの街の役場に就職が決まっています」

「飛び級? 就職? 15歳で!?」

「はい。成人まではあと三年ありますが、もう自分で身を立てられます。両親の転勤について行く必要もなくなり、あなたとずっと一緒にいられようになりました」


 ぽかーんですわ。本当に、わたくしのために? 

 

「……僕を認めてくださいますか?」


 不安と期待の混じり合う上目遣い。きゅうんと胸が締め付けられて、怒りも憂いも溶けて流れていってしまいました。


 この子、本当にずっとわたくしを愛していたというの? 手紙に綴られた言葉が全て嘘偽りのない想いのかたちだったというの?



 信じてもいいの?


 ……いいえ、疑うなんて野暮ね。



 こんな目を見たら、誰だって信じるわ。




「認めますわ」


 わたくしの言葉に、ウェイン少年が今までにない笑顔を見せました。今にも泣き出しそうにさえ見えるその顔があまりに愛しくて、心臓が破裂しそうなほど高鳴ります。


 なんだか悔しいです。わたくしは本当に彼のことが好きなんですのね。


 悔しいけど……満たされた気持ちですわ。


 ウェイン少年の頬に手を触れ、赤い瞳を覗き込みます。深紅の中にわたくしの姿が鮮明に映っていました。


「これからはちゃんと会いに来て。またほったらかしにしたら許しませんから」

「はい」


 殊勝に頷く彼に「よろしい」と言い、そっと手を離したところで……気づきました。


 さっきは取り乱していて「背が伸びたわねー」くらいにしか思っていなかったのですけれど、今あらためて隣に座ってみると、わたくしよりも目線が高くありませんこと?

 

 背筋を目いっぱい伸ばしてみます。それでもちょっとだけ届きません。


「なんてことっ……!」


 わたくしは慌てて立ち上がり、ウェイン少年にも立つように命令します。すまし顔で立ち上がった彼の横に並び、背中が反るほどに背筋を伸ばしました。……届きませんわ! ちょっとズルしてつま先立ちをしてみます……あ! ギリ同じくらいですわー!


「ふふっ」

「なんですのその馬鹿にした笑いは! ちょっと大きくなったからって調子に乗らないでくださいます!?」

「すみません。可愛らしくて」


 可愛らしいですってー!? 見下した言い草ですわっ。わたくしは両の拳を振り上げてキッとウェイン少年を睨みつけました。


「わあ怖いです」


 ウェイン少年は芝居がかった言い方でわたくしの手首を握り、にっこりと笑って見下ろしてきました。

 ふ、振りほどけませんわ! 余裕たっぷりな顔をしてわたくしの渾身の抵抗をいなしています。ムキーッ!!


「離してくださいまし!」

「はい」


 ぱっと手を離し、ふらついたわたくしを支えました。

 ウェイン少年の胸に手をついてしまったわたくしは、その硬い胸板の感触にまた顔が赤くなります。慌てて身体を離すと、ウェイン少年は首をもたげて言いました。


「僕、まだ成長期真っ只中なんです。だからもっと背が伸びます」

「だ、だからなんですの? 遙か上空からわたくしを見下ろして馬鹿にしようとでもいうのかしら!」

「そんなことしませんよ。いくら背が伸びて力が強くなったって、ビーが嫌がることはしません」

「ふぅん。ほんとかしら」

「本当です」


 ウェイン少年はわたくしの横髪を指先でかき分け、耳にかけました。


 無防備に晒されたわたくしの耳元に唇が迫ります。


「力の強くなった僕に何をしてほしいですか?」


 囁き声が鼓膜を震わせました。ひぅ、と小さな声がまろび出て、ぞくぞくとお腹がひくつきます。


 ーー身をよじって誤魔化そうにも、もう遅かったみたい。



「おねだりの練習、きちんとしておいてくださいね」



 すっかり男らしい声に貫かれて、わたくしは限界を迎えました。



 胸が高鳴りすぎて耐えきれませんでした。


 心臓爆散。顔は熟れた林檎のように真っ赤になっているのでしょうね。くてんと体中の力が抜けたわたくしをウェイン少年が支え、うっそりと笑っています。


 嬉しそうな顔。疑う余地もないくらいに伝わってくる、わたくしへの執着心。


 

 ええ、もう認めますわ。





 5歳年下の許婚いいなずけに年上マウントを取っていたはずが、いつの間にか背丈も力も逆転された彼に溺愛されて気が狂いそうになっている令嬢とは、このわたくしのことですわー!!!

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【短編】5歳年下の許婚に年上マウントを取っていたはずが、いつの間にか背丈も力も逆転された彼に溺愛されて気が狂いそうになっている令嬢とはわたくしのことですわー!(爆散) 水品知弦 @shimi382

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