第3話

 レイナー少年と並んでお母さまたちが待つ席へと戻ると、仲良しママズはなぜか花壇の隅にしゃがみこんで歓声をあげたり悲鳴をあげたりしていました。何事ですの?


「……母さん、なにしてるの?」


 レイナー少年はわたくしと話していたときとは全く違う、呆れた声音でツバキさんに問いました。なぜかぞくっとしましたわ。わたくしにもその声で話しかけてほしいような……ってわたくしのおばかー!


「あ、お帰り。今リリスさんと一緒にありんこ観察してたんだよ」

「そういうのやめてよもういい歳なんだから……」


 引き気味のレイナー少年からツバキさんを庇うようにお母さまが口を開きました。


「ウェインくぅん、ありんこって凄いのよ。こんな大きな獲物をみんなで協力して倒して、自分の体くらいある大きさの餌をせっせと巣に持ち帰って……私感動しちゃった」

「日常が一大スペクタクルですよね、リリスさん!」

「ほんとよね、ツバキちゃん!」


 アラサーお二人がアリの観察ではしゃいでいます。ちょっと恥ずかしくなってきましたわ。


 四人でテーブルに戻り、冷たいお茶を飲みます。レイナー少年の心配通り少し喉が渇いていたのですっきりしました。


「ウェイン君、どうだった? ビスカリアと楽しくお話しできた?」

「はい。婚約の申し出にも応じていただけました」


 ピタッと動きが止まるママズ。ニコニコ笑顔のレイナー少年。顔が熱くなるわたくし。


 お母さまとツバキさんはゆっくりと顔を見合わせ、手を合わせ、ほぼ同時に黄色い悲鳴をあげました。


「ちょっとついさっきまであんなに渋ってたのにいつの間にそんなに仲良くなっちゃったのよー!」

「こっこれはめでたいです! 赤飯炊かなきゃ!!」

「セキハンってなに!? よく分かんないけど最高に嬉しいわー!」


 我々そっちのけで大はしゃぎのおふたり。ほんとに仲良しですのね。


 レイナー少年ははしゃぐママズ(主に実母)を呆れ顔で眺めていましたが、ふとわたくしに視線を向けて微笑みました。席から立ち上がってそろそろと近づいてきます。


「ビスカリアさん」


 耳元で名前を呼ばれ、ビクッとしちゃいましたわ。「なにかしらっ」と小声で答えると、更に耳に口を近づけて囁いてきます。


「愛称で呼んでもかまいませんか?」

「あ、愛称?」


 唐突な申し出に戸惑うわたくしに対し、レイナー少年は余裕たっぷりの笑顔を返してきました。


「たいせつな許婚のことは、とくべつな呼び方をしたいなって。……だめ、ですか?」


 またその上目遣い……自分の武器を理解しているのでしょうね。恐ろしい子。


「まあ、構いませんけど」

「うれしいです! ビーと呼んでも?」

「……お好きにどうぞ」

「はい、ビー」


 ビー、と発音した時の息が耳に入ってきて、背筋がじょわっとなりました。なんです? 鼓膜にこびり付いたみたいにずーっと声が響いていますわ……!


「れ、レイナー少年、乙女の耳元に口を近づけるのはやめていただきたいわ」

「しつれいしました」


 私の言葉に対して素直に一歩下がりました。素直でよろしいですが、何か言いたげな様子。なにかしら? アイコンタクトで言葉を促します。


「僕のことは、なまえで呼んでくださらないのですか?」


 ……ごもっともな指摘ですわ。

 ウェイン、と呼べばいいのかしら。ウェイン……なんだかむずむずして恥ずかしくなります。


「では、ウェイン少年と呼びましょう」


 レイナー少年あらためウェイン少年は赤い瞳をぱちくりさせて、それからくすりと笑いました。


「何かおかしかったかしら?」

「いいえ、ビー。ですが僕が少年じゃなくなったらなんと呼んでくださるんですか?」

「……先のことなんて分かりませんわ! 私の背を追い越したら考えて差し上げます」


 ウェイン少年はわたくしのつっけんどんな物言いにも傷ついた様子はなく、嬉しそうにニコニコと笑っています。


 ……この子、何考えてるのか分かりづらいわ。可愛い顔の裏に黒ーい思惑があったりして。

 もしそうだったら絶対に許せません。


「わたくしが暴いて差し上げますわー!」

「何をです?」


 不思議そうに小首を傾げるウェイン少年をキッと睨みつけます。


 こうしてわたくしとウェイン少年の交流が始まったのでした。



◇◇◇



 それからというもの、わたくしとウェイン少年は、基本的には一週間に一度、最低でも月に一度は顔を合わせるようになりました。

 交流の場は主にわたくしの家で、稀に街に遊びに行ったりもしましたわ。他愛のない話をしたり、ボードゲームに興じてみたり。ウェイン少年は歳の割に大人びていて知能も高かったので、会話が尽きて困るようなことはありませんでした。いつも本の貸し借りをして感想を言い合ったり、学校の愚痴を聞いてもらったりしていましたわ。


 ウェイン少年ったら、わたくしを本当の姉のように慕ってくるものですから、いつからか情が湧いてしまいました。些細なことで笑いあったり、お母様にも言えないような秘密の話をしたり、逆に聞かせてもらったり。


 特別なことはしませんでしたけれど……まあ、それなりに楽しかった、ですわ。それなりにですけれど。


 なぜ過去形なのかって?


 ……ウェイン少年の両親は軍人ですから、転勤が付き物のお仕事です。いつかはこうなるかもしれないと分かっていました。



 初めて会ったあの日から約三年。わたくしは15歳、ウェイン少年は10歳になったある日、わたくしはお母様から、レイナー家が仕事の都合で北部に引っ越すことを告げられました。



◇◇◇



 寂しくないと言ったら嘘になりますわ。毎週のように遊びに来ていた弟のような子が引っ越してしまうのですもの。

 だけど仕方のないことです。ウェイン少年のご両親は国を守る立派なお仕事をしているのですから、それに腹を立てるなんて筋違いですわ。


 だけど10歳の少年には耐えがたい出来事だったようです。


 引っ越す直前、我が家に遊びに来る最後の日、わたくしはウェイン少年の様子に驚きました。


 いつも穏やかで落ち着いていて、実年齢よりもずっと年上に見える彼が、わたくしの顔を見るなりひどく取り乱して泣いてしまいました。

 不貞腐れ、小さな子供のように拳を握りしめている姿になんと声をかけていいのか分からず、わたくしはずっとそばで佇んでいました。


 グスグスと泣きじゃくる声が静かな庭園に響いています。それほど心が乱れるのは、わたくしとの別れが悲しいから? そう考えると胸がきゅっと締め付けられて、抱きしめて慰めてあげたくなりましたけれど……そんな行動は彼にとっての正解ではないと知っていますの。



 三年間一緒に過ごして気づきました。彼、とってもプライドが高くて嫉妬深いわ。



 わたくしが男性の話をすると微笑んだままむっとするし、年の差についてわたくし以外の人間にからかわれると、笑顔が消えて決闘を申し込みそうなほど剣呑な顔になります。他にも家族や瞳の色を馬鹿にしてきた人間の顔と名前を絶対に忘れないし、ボードゲームをしていても自分が勝つまで延々と再試合を申し出てくるし……上げるとキリがないくらいのエピソードがあります。


 そんな彼を優しく慰めて笑顔で見送るなんてこと、わたくしはしたくありませんでした。だから覚悟を決めたわたくしは泣きじゃくるウェイン少年に大きな声で告げたのです。


「いつまで泣いてるつもり? 今日別れたらしばらくわたくしと会えなくなるというのに、一言も発さずに夕方までグズグズしているつもりかしら。情けない許婚いいなずけね!」


 びくっと肩を震わせ、ウェイン少年は俯いたままわたくしの叱咤を噛み締めているようでした。なおも続けます。


「一生会えなくなるわけでもないのだからしっかりなさい! わたくしのことを愛しているのでしょう? 一生添い遂げるつもりでわたくしと婚約したいと申し出たのでしょう? ならばきちんと言葉で示しなさい。会えない間、わたくしが他の男なんかになびかないように、あなたの覚悟を聞かせて。それくらいできるわよね?」


 ウェイン少年はぐしぐしと両手で顔を拭くと、ようやく顔を上げました。泣き腫らした幼い顔は決意に染まっており、わたくしは胸を撫で下ろしました。


「僕は、あなたの夫として恥ずかしくない男になります」


 彼の真っ直ぐな目を受け止め、こくりと頷きます。


「誰よりも強い男になります。あなたを生涯守りぬけるように」

「……当然ね」


 わたくしの返答に、ウェイン少年はようやく笑顔を取り戻しました。わたくしの手を取りやわらかなキスを落とし、深紅の双眸を優しげに細めます。


「行ってきます、ビー。必ずあなたの元へ戻って来ますから」





 こうしてわたくしたちは、暫しのお別れをしました。


 会えなくとも、頻繁に手紙のやり取りしていました。だから寂しくはない……そう思っていたのですけれど、一年、二年と経つうちに、わたくし流石に腹が立ってきました。



 あのねえウェイン少年。あなたたち家族が年に二度ほどわたくしの住む街に戻ってきているのをわたくしが知らないとでも思って?



 な、ん、で? 会いに来ないのかしら??



 手紙では愛していますとか、あなたはかけがえのない人だとか、歯の浮くような台詞でわたくしを喜ばせ……ゲフン、調子のいいことばっかり書いているくせに、ちょっと足を伸ばして顔を見に来ることもしないなんて!! ふざけてませんことー!?


 ぷんぷんですわ。次に会ったら飛び蹴りでも食らわせてやりますの……そんな決意に燃えていたのも、最後に会ってから三年を数えたくらいまでだったかしら。



 あれから四年が経ちました。もうすぐ五年になります。



 手紙に込められた情熱は変わらないように見えます。いいえ、成長して語彙が豊富になったぶん、10歳の頃よりも達者で愛情を感じる文章になりましたわ。

 だけど、そこに以前ほどの気持ちが篭っているのかーーわたくしの心は五年間ずっと不安に揺れ動き続け、今では少し疲れてしまいました。


 だって、わたくしはもう20歳です。同級生はもう何人も結婚していますし、子供を産んだ友人もいますのよ。

 ウェイン少年が成人するまであと三年。その頃わたくしは23歳。


 それまで待っても会いに来てくれなかったら?


 どうして彼は会いに来てくれないのか。それは少し考えたら誰でも分かることでしょう。


 やっぱり5歳も歳上の女なんて嫌に決まっていますわ。少し成長して気づいたのでしょうね。

 

 わたくしの結婚適齢期を考えると、すぐにでも別れを切り出したほうがいいのは分かっています。実際に何度も手紙で破談を申し入れようとしては便箋を破り捨て、枕を濡らしました。


 わたくしって馬鹿な女ですわね。消えかけた希望に縋り付いて、現実から目を逸らして、何にも気づいていないふりをして、今日もいつも通り明るい言葉を書き綴るの。


 いつになったら諦めがつくのでしょうか。自問しても答えは出なくて、そうしているうちに、ウェイン少年と別れてから五年目の夏を迎えてーー



 彼とその家族がこの街に戻ってくるという報せが、わたくしのもとに届きました。

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