第2話
皆さん、あらためましてごきげんよう。わたくしの名前はビスカリア・ヴルツ。ヴルツ家といえばこのキャスダニア王国を守る魔術師一家の名門であり、元は公爵家でしたのよ。
今は貴族制が廃されたので、わたくしも貴族令嬢などではなくキャスダニアの平等なる一般国民の一人であるのですけれど、名のある家柄の生まれであることには変わりありません。貴族時代に治めていた土地の一部はまだヴルツ家が管理しておりますし、不動産もたっぷり所有していますから、学校でも一目置かれております。だって小作料やら賃料やらでがっぽがぽですもの。ですからわたくしはこの国でも有数のお嬢様なんです。
なのにどうしておじい様はいち軍人夫婦の子供に過ぎないレイナー少年をわたくしの許婚としたのか。それはレイナー少年の母親であるツバキさんが優秀な魔術師であることが関係しています。わたくしを初めとする三姉妹はあまり魔術師としての才に秀でておりませんの。だから優秀な血を欲して、レイナー少年が産まれる前から「子供が産まれたらうちに一人くれ」って約束していたのだそうですよ。おじい様、見切り発車すぎませんこと?
元々の予定では、ツバキさんはわたくしのお父様であるエルネスト・ヴルツと結婚する予定だったらしいのですが、なんやかんやで破談になったそうです。そのなんやかんやがたいへん気になるところではありますが、「子供には刺激が強い」とのことで誰も教えてくれませんの。大人になったら本人に聞いてみようと思っていますわ。
◇◇◇
はい、というわけで庭園にやってきましたわー。今は6月ですから、色とりどりの春の花々が咲き乱れております。花の香りに気分が高揚しますわ。
「わあ……見事な庭ですね。綺麗な花の上を蝶やミツバチが飛び交っているのを見ていると、絵本の中に入り込んだような気分になります」
「褒め言葉がお上手ですのね。幼等部の女の子たちにならさぞ人気が出そうだわ」
「あはは。それならよかったんですけど、ざんねんながらこの目を怖がって避けられてばかりですよ」
「あら……そうなの?」
レイナー少年は前髪をかき分けて、自分の赤い瞳をはっきりと私の前に晒しました。血のような深紅の双眸は白昼の下でもなお輝いているように見えます。
この赤い目はエカルト人の血を引く証。魔力を持ち戦闘能力の高い人種なのですけれど、大昔にキャスダニア人といざこざがあったせいで昔から忌み嫌われており、今なお差別されているのです。
ですが、レイナー少年に自分の瞳の色を恥じているそぶりはありません。堂々としたその佇まいには好感が持てますわ。
「そういえば、つい先日まで南部に住んでいたみたいね。あちらは特に差別がひどいと聞きましたわ」
「はい。一週間前に戻ってきたばかりですが、ここ東部では街を歩いていてもツバをはかれることがないので一安心です。僕はかまわないのですが、幼い弟と妹にきがいを加えられるのはがまんできませんから」
……あら、自分だって子供のくせに立派にお兄ちゃんしちゃって。ちょっとかっこいいじゃないの。
「立派ね」
心からそう思ったから、そのまま彼に伝えましたわ。少し頬が緩んでしまったかも。するとレイナー少年はとびきり嬉しそうな顔でこう言いました。
「ありがとうございます。両親にもよく同じことを言われますが、あなたほど美しい方にほめられるとふしぎと胸が高鳴ります。どうしてでしょうか?」
知りませんわー! この子ったら女たらしの才能がおありだわ。どうしてくれようかしら。
「年上をからかわないでくださいます? 軽々しく容姿を褒められたところで見え透いた浅はかなおべっかに寒気がするだけですわ」
「すみません。少し親しくなれたとかんちがいをして、ちょうしに乗ってしまいました。……おゆるしください」
そう言って悲し気に目を伏せる姿はまるで親に捨てられた子犬のよう。こちらの罪悪感を煽ろうっていうのかしら。そんなうるうるした目でチラチラ見られたって私はほだされませんわ!
……ほだされたり、なん、か。
「……少し言いすぎましたわ。ごめんなさい」
わたくしのおばかー! ああほら、またそんな嬉しそうな顔してこっちを見ないで頂戴!
この子ったらきっと生まれつきの魔性よ。大人になったらどんな恐ろしいたらし男になることか。
ぷいっと顔を背けて庭園の奥に進んでいきます。少し離れて追随してくるレイナー少年。わたくしはあえて満開のビスカリアに埋め尽くされた花壇の前で立ち止まり、くるりと後ろを向きました。
「単刀直入に言いますけれど、あなた、将来的にわたくしと結婚させられるかもしれないということをどう思っているの? おじい様が勝手に決めた許婚、それも相手が5歳も年上だなんて嫌でしょう?」
そう、彼とわたくしは同じ立場。わたくしが5歳年下の少年との結婚を渋っているのと同じで、彼だって5年上の女と結婚するなんて嫌に決まっているはずですわ。
レイナー少年とわたくしの両方が拒否すれば、おじい様やお母さまたちもあきらめるはず。ですからここは互いに手を取り合うのが最善ですわー!
「とても光栄に思っています」
「でしょう? 女性が年上の夫婦なんてよほどの愛がなければ成り立ちませんものね……って、え?」
「美しいあなたの許婚になれたことをとてもこうえいに思っています。ビスカリア様」
ぽかーんですわ。
「で、ですから軽々しく容姿を褒められたところで……」
「浅はかなおべっかに聞こえますか?」
彼が、初めてわたくしとの距離を詰めました。小さな歩幅で歩み寄り、背筋をピンと伸ばしてもなお随分下の位置にある顔を精一杯上に向け、真剣な目でわたくしを見上げています。
「僕は本気です。心からあなたを美しいと思いました。美しいだけではなく、高貴ないえがらの令嬢でありながら人をびょうどうに見る目をおもちであることも」
妙に大人びた声音が耳朶を打ちます。気づけばわたくしは、彼から目を離すことができなくなっていました。
「あなたが僕をいやがる理由もわかります。年下なんていやですよね」
「それは……その」
「だけど、ぜったいにこうかいさせません。あなたはすばらしい女性ですが、きっとあなたに見合う男になってみせます」
な、なにこれ。
わたくし、どうして7歳児に口説かれているんですの?
なんで顔が勝手に赤くなってしまうんですのー!?
「ほ、ほんの数分話しただけでそんな……私の何が分かるっていうのかしら」
「そうですね。だから、僕ももっとあなたのことを知りたいです。僕のことも知ってもらいたい」
レイナー少年はそう言って膝を折り、足元の花に触れました。薄いピンクの花弁を慈しむように指先で撫で、顔を傾けてわたくしに視線を戻します。
「ビスカリア」
――胸が貫かれたような気がして、体が縮こまったまま固まってしまいました。
花の名を呼んだだけだと理解していますわ。なのに、呼び捨てにされたみたいで。なのになのに、どうして腹が立たないのかしら。
「……花が好きだというのは口先だけではないみたいね?」
「ええ。きれいな花ですよね。家のプランターで育てたことがありますが、ここまでみごとに咲かすことはできませんでした」
レイナー少年は名残り惜しそうにビスカリアの花から手を離し、おもむろに立ち上がりました。
やわらかな表情で私をじぃっと見つめています。花の香りが一層濃くなったような気がして、脳が少しくらりとしました。
「あなたがこれからどんな人と出会い、どんな物を見て、どんなひとになっていくのか……どんな花になるのか、そばで見ていたいんです」
「……」
か、体が動きませんわ。幼い顔立ちに目いっぱいの真摯さを込めて、レイナー少年が言葉を紡ぎます。
「僕の婚約者になっていただけませんか? ビスカリア様」
ど、ど、ど。
ドキドキ、しちゃってますわー!? ねえなんで!? なんでわたくしったら5歳も下の少年にときめかされてますの!?
わたくし12歳なのですが。もうお姉さんなのですが!?
というかこの子、ちょっとおかしくありませんこと? 普通親に決められただけの許婚相手にこんなこと言います?
あ、わかりましたわーヴルツ家の財産目当てなんですわきっと! そういうことですのねなかなか腹黒いお坊ちゃんじゃありませんの。わたくしを懐柔してこの家を乗っ取ろうという魂胆ですのねそうはいきませんわよ!
「……よろしく、おねがいしますわ」
あらー!? わたくしのお口どうしちゃったのよ!! 思ってもないのに勝手なことを言わないで頂けません!?
心と体がちぐはぐですわ! お口を物理的に閉じてしまいましょう。両手で自分の口を押さえつけます。
「うれしいです、ビスカリア様!」
満面の笑みがずいっと眼前に寄せられて、私の手はゆるゆると力を失ってしまいました。こ、この子ったら、可愛い顔を武器のように振りかざすんだからっ……!
圧倒的敗北。わずか7歳の少年にときめかされ、わたくしの心は打ちのめされてしまいました。こんなことならクラスメイトに混じって恋バナとやらを聞いてみたりして男性経験(?)を積んでおくべきでしたわ。
わたくしの葛藤など知る由もなく、目の前のレイナー少年が口を開きます。
「ビスカリア様、のどがかわいていませんか? 僕のわがままにつきあったせいでお茶に口をつける前に席を立ってしまったので」
「そう、ね。テーブルに戻りましょうか」
7歳のわりには気遣いできるみたいね。頷いてここまで歩いて来た道を戻ります。
上機嫌で歩くレイナー少年の横顔を見ながら、わたくしはふと気づきました。
わたくしが思い描いていた理想の王子様像。2歳くらい年上で笑顔が素敵でエスコートが上手で気遣いができてイケメンで優しくてだれよりもわたくしのことを愛してくれる方。
……あら? 八割くらい、当てはまってませんこと?
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