第19話 斧の嵐 太刀の雨

「うおおおっ!」


 李三娘の獣の様な方向が廊下に響き渡る。大の男でも両手を使っても扱うのが困難だと思われるような大斧を彼女はそれぞれ一本ずつ両手に持っている彼女は、まずは右手の斧を振りかぶりながらひなたに向かって突進する。

 ひなたは太刀を抜いて身構えていた。李三娘の斧の射程内に入ると、彼女は右手の斧をひなたに向かって振り下ろす。


「くっ!」


 その速度は想像以上に早く、ひなたは何とか腰を落とすようにして身を躱す。しかし次の瞬間には今度は左の斧がひなたに向かって飛んでくる。太刀で受け流す事も考えたが、あんな鈍器をまともに受け止めたらいくら名刀と言えども刀身ごとへし折られる可能性の方が高い。一瞬の間にそう判断したひなたは床を転がるようにして二撃目を避ける。

 空を切った斧はそのまま壁に激突し亀裂を生じさせた。


「ほう、やるじゃねぇか。見かけの割には」

「見かけの割には余計です!」

「だが、いつまで避けていられるかな?」


 李三娘の攻撃は止まらない。両手に持った斧を振るう様はまるで嵐の様である。射程内に入れば何であろうと無惨に破壊されてしまうだろう。

 ひなたは持ち前の身体能力と動体視力で何とか躱しているが、これが常人であれば例え運よく最初の一撃を避け得たとしても、二撃目で脳天を勝ち割られるか首を飛ばされているだろう。

 突如始まった殺し合いに周囲の生徒達は蜘蛛の子を散らすように逃げる者達がいれば、巻き込まれない様に距離を空けつつも遠巻きに見守っている者など様々だ。


「ははは! いいぞ! やってしまえ、李三娘! 周囲を惑わすその変態の首を取るのだ!」

「ひなたさん!」


 飛び出そうとする乙羽を聖が手で制する。


「乙羽殿、下がっていた方が良い。危ないぞ」

「でも!」

「心配無用だ。ひなたは負けぬよ」


 ひなたの身を案じる乙羽を不安を拭うように、聖の顔には確信に満ちた笑みが浮かんでいた。


(いや、お嬢様! 信頼してくださるのは嬉しいのですが、今の僕にそこまでの自信は無いのですが!?)

 

 そんな事を心の中で呟くひなた。今の所躱してはいるものの、如何せん相手は両手に武器を持っている為にとにかく手数が多い。その上、これだけ連続して攻撃を行っていれば常人であれば息も上がっているはずなのだが、李三娘には一向にその様子が見られない。とんでもない怪力と体力の化け物である。

 一方、俊敏さでは李三娘に勝るひなたであったが力と体力では彼女に劣る。まだ余裕はあるがこのままでは間違いなくジリ貧になり、遅かれ早かれ李三娘の斧を躱す事は難しくなる。


「どうした? ただ逃げるだけか? ん?」


 李三娘は笑みを浮かべながら、防戦一方のひなたを挑発する。

 しかし、ひなたが防戦一方なのには理由があった。


(もしここで僕が彼女を斬って重傷を負わせたり最悪死なせた場合、学校側のお嬢様に対する処遇は一体どうなる?)


 ひなたは学園の校則を全て確認したわけではないが、学園内での私闘など普通に考えれば認めている訳がない。流血沙汰など起こせば何らかの処分は確実に下るはずだ。

 処分の対象がひなただけならまだいいが、それが聖にまで及べば後悔するどころの話では無くなる。紅連家の当主である開斗に会わせる顔が無い。それだけは絶対に避けねばならない。

 無論これはひなた達だけでなく仕掛けて来た玉鈴達にも言えるわけだが、本人達はそこまでの考えには至って無いらしい。自分達で変態認定した相手なら殺しても許されるだろうという浅い考えでも抱いているのだろうか。全く迷惑な連中に目を付けられたものである。


(本来ならば怪我をさせず峰打ち等で戦闘不能に追い込むのが一番だけど、そもそも手加減なんて出来る相手じゃない)


 周囲の誰かが教員を呼んでくるのを期待したいが、このまま防戦するのみでは到着する前にこっちの身が持たないだろう。何らかの反撃を行わねばこちらが死ぬ。


「ちょこまかと! うおおっ!」


 李三娘の右腕に握られた斧が全力で振り下ろされる。さらに加速がついた一撃を何とか躱すひなた。

 しかしその瞬間、右腕の斧がすっぽ抜けてあらぬ方向へと飛んで行く。


「きゃっ!」

「天楼院様!?」


 斧は回転しながら乙羽と聖の元へと飛んで行く。その刃が乙羽の胸に突き立とうしたその瞬間――。


「ふん!」


 聖が乙羽の身体を自分の方に引き寄せた。斧は乙羽の背後にあった柱に轟音を響かせながら突き刺さった。


「どこに向かって投げておる、間抜けが!」


 聖は柱に深々と食い込んだ斧を軽々と引き抜くと、李三娘に向かって投げ返した。その速度は信じられない事に李三娘の手から抜けた時よりも遥かに早い。


「うおぁっ!?」


 今度は李三娘が悲鳴を上げる番だった。投げ返された斧は高速で彼女の傍の壁に突き立った。ビキビキと音を立てながら壁に亀裂が走る。

 その光景を周囲の人間は目を見張りながら見ていた。聖のあの木の枝のように細い華奢な体型のどこにあんな力を秘めているのか。


「・・・・・・ちっ!」


 李三娘がばつが悪そうに壁に刺さった斧を引き抜く。


「おい、チビ。テメェの主人はバケモンか? まぁ、いい! 再開と行こうぜ!」


 李三娘は再び斧を構える。だが、そこで先程までには無かった違和感を覚えた。


「・・・・・・」


 それはひなたの表情であった。先程前に彼の顔に浮かんでいた困惑や躊躇いは完全に消え、その代わりに別の物が浮かんでいる。

 怒りと敵意である。

 ひなたが床を蹴り、まるで弓から放たれた矢のような勢いで李三娘との距離を詰める。間合いに入ると太刀を横に薙ぎ払う。

 李三娘はその一撃を左の斧で受け止め、その隙に右の斧でひなたの首を狙う。しかし、その斧が振り下ろされる前にひなたの二撃目の斬撃が襲って来る。


「くっ!」


 先程とは打って変わって攻守が逆転する事態になっていた。両手に武器を持ち手数では優勢だったはずの李三娘が、一本の太刀しか持たないひなたに圧倒されている。まるで豹変したかのようなひなたの切り替わりに李三娘は困惑を覚えていた。

 

(こいつ・・・・・・!?)


 元々出来るだけ穏便に済ませようとしていたひなたであったが、すでにその様な考えは吹き飛んでいた。李三娘の手から抜けた斧が主人である聖や、友人である乙羽の命を危うく奪いそうになったあの瞬間、ひなたは完全に李三娘を「息の根を止めるべき敵」と認識したのである。

 李三娘に襲い来るひなたの太刀筋は徐々に加速していく。


「う、ぐぅ!」


 李三娘にはもはや攻撃する余裕などない。両手の斧でひなたの斬撃を防ぐ事で手一杯だ。その速度はもはや二本か三本の太刀で同時に攻撃を受けているかのように錯覚するほどで、もはや斬撃の雨のようだ。

 必死に防ぎながらひなたの顔を見ると、彼の真紅の瞳がまるで燃え盛る炎の様な輝きを放っている事に李三娘は気づく。


(一体何なんだこいつは! ただの女装してる変態じゃねぇのかよ!?)


 斬撃は速度だけでなく一撃の重みも徐々に増して行き、それを受け止める斧から伝わる衝撃で李三娘の両手は限界を迎えつつあった。

 そして、遂にひなたの一撃が彼女が左手に握っていた斧をその手から弾き飛ばす。もはや右手の斧だけではひなたの斬撃を防ぐ術はない。


(やられる――)

 


「とりゃああああ!」


 李三娘の主人である蘆玉鈴が背後からひなたに躍りかかった。その両手には金属製の細い棍棒の様な武器が握られており、思い切りひなたの頭めがけて振り下ろす。

 ひなたは無言のまま振り返りその一撃を太刀で受け止めた。


「ちっ! 勘の良い奴じゃ!」


 蘆玉鈴は飛び跳ねるように後方に下がり、ひなたの斬撃の射程内から逃れる。


「お嬢様! 何やってんだ!? 死ぬぞ!」

「部下の命の危機なのだ。ならば主人である我も命を賭けるのは当然の事! まぁ、お前が苦戦するとは正直思わなかったがな。李三娘よ、挟み撃ちにするぞ」


 李三娘は地面に落ちていたもう片方の斧を拾い構える。ひなたも無言で太刀を構え直す。

 まさかの二対一になったこの状況を周囲は息を飲んで見守っていた。


「ほう、それは素晴らしい心がけだな。ならばそれを私も見習うとするか」


 その時、緊張を破るかのようにひなたと蘆玉鈴の間に聖が割って入る。

 

「貴様・・・・・・!」

「ほう、鉄鞭てつべんか。面白い物を持っているな」


 蘆玉鈴の握っている棒状の武器を見て聖が感心したように呟く。

 鉄鞭は鎧などを着込んだ重装備の相手に打撃を与える為に開発された打撃用武器である。鞭という単語が使われているが、革の鞭のようなしなりは殆どない。

 達人が使えば鎧の上からでも相手の骨を砕き、兜の上からでも頭蓋骨を削ぎ落す事が出来るという。そこまでの技量が無かったとしても打たれた人間には激痛が走り

 行動に支障が出るのは必至だ。それだけで命のやり取りの場では十分命取りに成り得る。


「どれ程の技量か試してやろうではないか」


 懐から取り出した二つの鉄扇を両手に構えた聖の表情は、まるで新しい玩具を手に入れた子供のような無邪気さと、得物を前にして舌なめずりしている肉食獣の様な獰猛さを同時に兼ね備えている様に見える。

 その異様な雰囲気から蘆玉鈴も聖が並大抵の技量の持ち主ではない事を一瞬にして察した。恐らく自分の実力では叶うまいと。

 しかし、それでも蘆玉鈴は引き下がらない。冷や汗を垂らしながら鉄鞭を構えて聖と向き合う。

 李三娘は主人の危機を察知してはいるものの、目の前にいるひなたがいつ斬りかかって来るか分からない状態だ。

 ひなたは先程まで抜いた太刀を一旦鞘に納め、大きく息を吐くと、右手で柄を握った状態のまま制止した。


(この構え・・・・・・ひょっとして居合っヤツか!)


 居合は大陸には存在しない剣術ではあったが、その存在自体は李三娘も知っていた。太刀を鞘から滑らせるように抜き、加速した勢いで敵を一撃、その勢いのまま追撃をかけて相手を斬る高等技術だという。


(冗談じゃねぇぞ! ただでさえ早いあの太刀筋がもっと早くなるっていうのか!?)


 李三娘は現在完全にひなたの太刀の射程距離内である。躱すか斧で受け止めるかの二択だが、今のひなた相手ではどちらも通用しそうにない。

 万事休す、そう思ったその時である。


 一本の矢が風を切る音を立てながら向かい合う四人の間を飛んで行き壁に突き刺さった。四人の視線が一斉に矢へと向けられる。


「はいはい、そこまでにしとこうぜ」


 李三娘と良く似た服装をした一人の青年がいしゆみを構えながら立っていた。


解恩かいおん! 何のつもりじゃ!」


 蘆玉鈴が青年に向かって叫ぶ。どうやら、この青年も李三娘同様彼女の従者らしい。


「そりゃこっちの台詞だろ、お嬢。俺が仕事してる間になーにやってんだか」


 解恩と呼ばれた成年はカツカツと近づくと蘆玉鈴の手から二本の鉄鞭を取り上げた。


「あー! 返せ! 返さんか!」

「ダメに決まってるだろ? しばらくこいつは没収だ。これ以上続けたら本気で学園側に怒られるぜ?」


 そう言いながら今度は李三娘の元に近づいて行く。


「お前も何やってんだよ? 流血沙汰起こしてお嬢様と一緒に追放処分でも受ける気か?」

「う、うるせぇ! お前こそ勝負の途中で水差すような真似しやがって!」


 呆れた様な顔をしている解恩に李三娘は反発する。


「何が水を差すだ。あのまま続けてたらお前死んでただろ。せめて勝てる状況で言うんだな、そういう事は」

「て、テメェ!」


 李三娘が憤怒の表情を浮かべながら斧を振りかざす。

 しかし、その一瞬の隙を突いて解恩は彼女の身体を掴んで床にひっくり返す。いつの間にか両手に持っていた二丁の大斧まで奪い取っていた。

 恐ろしく素早い手並みである。


「やれやれ。困ったお二人だ」


 解恩はあっけに取られているひなたと聖の前に出ると、ペコリと頭を下げた。


「アンタらには迷惑をかけたらしいな。この二人は色々と残念でなぁ。『可哀そうな人達なんだなぁ』と思って許してやってくれ」

「おい、言われてるぞ李三娘!」

「ちょっと待て! お嬢様もだろ!」


 そんな光景を見てひなたは一気に緊張感が抜けたのか、溜息を一回着くと太刀の柄から手を離して構えを解いた。聖も鉄扇を握っていた両手を下ろす。


「今回はこれで許してやろう。だがな、一つ問題がある」

「問題?」

「このあちこち傷ついた壁等の修繕費は誰が出すのだ?」


 見回せばあちこちの壁にヒビや亀裂が入っている。その殆どが李三娘の斧によってつけられた物だ。


「おい、李三娘。お前修繕費全部払えるか?」

「ば、馬鹿言え! オレにそんな金あるかよ!?」

「だろうなぁ。って事は全部お嬢持ちだな」


 解恩の言葉に蘆玉鈴の顔がサーっと青くなる。

 

「なっ!? 何で我が!?」

「そりゃ、俺らの主人はお嬢だし。部下の不始末の責任を取るのも主人の仕事の一つだろ?」

「そ、それはそうじゃが、限度って物があろう! 我の小遣いだけで賄えるか!?」

「足りないなら最悪故郷の旦那様に泣きつくしかないな」

「ち、父上に!? それだけはやめろ! 叱られるだけじゃ済まん!」


 もはや半泣きになりつつある蘆玉鈴である。そんな彼女に笑みを浮かべた聖が近づく。


「ほう、金が足りぬというなら貸してやってもいいぞ? 無論、利子は付くが」

「ま、まことか!? お主案外いい奴ではないか! で、利子は幾らだ?」

「十日に一割だ」

「悪魔か貴様!?」


 完全に足元を見た取引であるが、そもそも発端は蘆玉鈴と李三娘が聖とひなたに理不尽な理由で勝負を挑んだのが原因である。蘆玉鈴が助けを求めるように解恩の方を向くとあからさまに背を向けた。


「ええい! 李三娘、お主の給料からも天引きするぞ!」

「はぁ!? 何でだよ!? そもそもオレが戦ったのはお嬢様の命令だぞ!」

「やかましい! お主が周囲にもうちょい気を遣えばここまで我が散財する事は無かったのじゃ! 半分はお主の責任じゃ!」

「無茶苦茶だろそれ!?」

「えーい! うるさい!」


 喚き合う主従を呆れた顔で眺めているひなたの元に乙羽が駆け寄って来る。


「ひなたさん、お怪我はありませんか?」

「ええ、何とか」

「・・・・・・良かった」


 乙羽は安心したようホッと息を吐いた。


「まさかこんな理不尽に喧嘩を売られるとは思っていませんでしたが、これから大変なのはむしろあちらでしょうね」


 ひなたが蘆玉鈴達を見ながら呟くと、乙羽も苦笑を浮かべた。

 お互いつかみ合いながら床の上を転がりまわっている二人を見ている聖の表情は実に愉快そうであった。

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呪われた女装使用人な僕と、何でもありなカオスお嬢様~どんな化け物よりもお嬢様の方が恐ろしい件について~ まさふみ @zenikiti

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