後編 生まれた【バギー帝国】
黒い足。
視線を上げれば薄く黒い外套に身を包む女性がいた。
顔は見えない。
視点のせいもあるが、彼女の顔を覆う薄い布があったからだ。
「お金を渡しても、すぐに奪われていたら意味がない、わよねえ……。なら、お金よりも、あなたに必要なのは…………人脈、かしら……」
「…………あ?」
「人を頼りなさい。あなたの顔で、みな、力を貸してくれるはずだから」
「……あんた、は、」
「気にしないで頂戴。これは例外だから。当然、この記憶には蓋をさせてもらうわ――」
ついでに怪我も治してあげる、と、優しい声を聞いたのが最後、パトリクスは意識を失った。
パトリクスが目を覚ます。
そこは屋根があり、柔らかいベッドの上で――。
「は?」
「お、起きたか坊主。店の裏で倒れていたから連れ込んだが……体調は大丈夫か?」
なぜか頭を触ったパトリクスだが、痛みがないことが分かり、頷く。
「……うん、もう、大丈夫だ……」
「そうか。どうする、飯でも食うか? 安心しろ、金は取らねえよ」
気前の良い男に、パトリクスは不安を抱き、
「……どうして、そこまで優しくしてくれる……?」
「助け合いだからだ。ここで生きるってことは、そういうことなんだよ、坊主。だからお前も、俺らが困っていれば手を貸してくれ。断るなよ、とは言わないが、こっちは助けてやったんだ、手が空いている時くらい、こっちの『助けて』くらい、耳を傾けてくれや」
「……それは、もちろん」
助けてくれと頼んだわけじゃない、と言う気はなかった。
あの時、助けてくれなければ間違いなく、パトリクスは死んでいたのだから。
「…………」
――赤ん坊の自分を拾い上げてくれた海賊。
もちろん、その後の自分の扱いは、決して褒められたわけではないが、死ぬか生きるかの瀬戸際の赤ん坊を助けてくれたのは間違いなく、お世話になった海賊たちだった。
意図はどうあれ、命を救われたことに変わりはなかった。
「……ありがとう、助けてくれて」
「おう。飯、食っていくだろ? 家内の飯はうめえんだ、期待してろよ」
部屋を出ていく男の大きな背中は、船長を思い出す。
元気にしてるかな、と、逃げ出した身でありながらふと思った。
書き置きくらい、残しておけば良かったかもしれない。
あいつらのことは嫌いだったけど、それでも感謝するべきことには言葉を残すべきだった。……二度と会えないわけじゃない、とも言い切れないのだから。
もう二度と会えないかもしれない。
だったら――。
「あ、おじさん――ビンと、あと紙とペン、あるか?」
「ん? 探せばあると思うが……なにに使う?」
「手紙だ」
そう、海にいる彼らに渡すための手紙は、こうして送るしかない。
「いつ届くか分からないけど、やっておきたいことなんだよ」
自己満足でもいい。
やらないよりは、マシだ。
【……あったかもしれない未来】
「船長、こんなもんを拾ったんすけど……」
「ん? ビンと……、こりゃ手紙だな」
ビンを砕いて出てきた手紙を読む――読み終えた船長が、くは、と笑った。
「なんだったんすか、それ」
「パトリクスからの汚ねえ文字だ。あいつも元気にやってるみたいだぜ?」
「あいつ、文字なんて書けたんすね……倉庫でこそこそとなにかやってると思えば……」
「あいつはあいつで、将来のことを考えて準備を整えていたってわけだ。いつまでもオレらと一緒に海賊ができるとは思っていなかったわけだろうぜ」
「単純に嫌になったんでしょ、雑用ばかりで――」
「だが、身に付いたことはあっただろ」
苦労と痛みを知ることは、重要だ。
アフターケアができる環境下での大怪我と、そうでない環境下での大怪我は違う。
専門家がいる場であらゆる痛みを与えておくべきだと思ったのだ……、それが正解であるとは思っていないが、これが船長の子育てだった。
「反面教師が最も効果的で、楽なやり方だ」
「じゃあその手紙、船長への罵詈雑言でも書いてあったんすか……? そもそも汚いから読めなかった、とか?」
「いや?」
船長が紙を破り捨てる。
細かい紙片が風に乗り、空高く舞い上がった。
「オレらには似合わねえ言葉だ――だが、最初で最後と思えば、良いもんだな」
【――実際の未来】
滴る墨汁が人の形を作ったような不気味な生物……生物?
生命体であるかどうか怪しいものだった。
嵐の中を過ぎた海賊船は、帆は破れており、マストは折れ、今にも沈んでしまいそうなほどにボロボロだった……。甲板に倒れる海賊たちは、黒い影に飲み込まれていて――。
穴、だったのだ。
海賊たちは――特に船長は、大きな穴を持っていた。
息子同然に思っていた少年の脱走――、その空いた穴を突かれ、飲み込まれた。
船長は、自らこの海賊団を、壊滅させてしまったのだ。
「倒しても倒しても、どこから湧き出てくるのかしらね、あなたたちは……ッ!」
声に反応した黒い体を持つ人型のそれが、上を向いた。顔はある、が、目や鼻と言った部位はなく、凹凸もないため、つるつるの顔面だ。
出会う黒い存在の全てがそういう容姿をしているわけではないが、上半身や下半身に変化はあれど、顔は同じである。
表情だけは、どうしても読めない。
「口もないから喋られないわよね……、意思疎通ができればいくらマシなんだけどさ」
外套を羽織ったツインテールの魔女が、海賊船を持ち上げた。
と言っても両手で、ではない。
指先一つで、触れもせずに操っている――魔女だけが使える『特権』だ。
そして、海賊船を切り刻み、バラバラになった破片――。
その鋭利な切っ先を黒い存在に突き刺した。
手応えはない。
まるで水に刃を突き刺しているような――。
それでも、黒い存在は形を崩し、滴る墨汁のように、その体を海へ浸透させていく。
海が黒く染まる、ということはないが、退治した、とは思えない結果だ。
またいずれ、どこかで出てくるはず……、そしてまた、被害を拡大させるはずだ。
厄介ごとが起きて退屈ではないものの……、喜べない事態だ。
野放しにしておけば、この箱庭が壊されてしまうだろう……。
苦労してここまで発展させてきた、『人類再生計画』が、台無しになる。
「……なんなのよ、あいつら……っっ」
魔女スコールが、広がる海を見下ろした。
すると、水面をたゆたうビンが、一つ。
水面から飛び出した黒い手がビンを掴み、砕いた。
『その存在』は、あったはずの未来を歪めたのだ――ゆえに、不具合。
正常な動作をさせない。
未来を歪めて台無しにする――。
それは魔女たちが想定していなかった、知る人が言えば、『バグ』である。
箱庭世界の隙間に存在する『バギー帝国』。
バグの温床。
魔女たちが望む人類再生計画の、最大にして最強の――敵対勢力だ。
―― おわり? ――
魔女とバグと箱庭計画 渡貫とゐち @josho
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