エピローグ 居酒屋

店内は暑いくらいに暖房が効いていて、すぐにコートは不要になった。お通しの和え物を口に運びながら、メニューを見る。店員を呼び止め、ウーロンハイを頼んだ。


出先で酒を飲むには寒い季節だが、席はほぼ埋まっていた。薄暗い店内には一人客用のカウンター席も多く設けられ、羽を休める勤め人を迎え入れる。繁華街のビル街に佇む隠れ家。この店は君のお気に入りだった。


既に酔っているのだろう、テーブル席からは大きな声も聞こえてくる。店員は席の合間をせわしなく歩く。騒めく中、君は一人で料理をつつく。この混雑具合では、揚げ物なんかは時間がかかるかもしれない。元々、重たいものを口にする気分ではなかった。


あれから2週間。あの人とは一切連絡を取っていない。あの日の夜、お礼の言葉をマッチングアプリを通して送ったが、未だに返信はない。もうやり取りするつもりはない、そんな意思の表れだと思った。それでも、何とか一言だけでもと方法を探った。だがストーカーじみている気がして、結局止めた。


小田嶋のヤツは、相変わらず付き合いが悪いままだ。連絡をとってものらりくらりと断れることが続いて、だんだん誘うのが億劫になってきた。だから今日は声をかけず、君は一人で飲みに来た。


周りを見ると、君と同じように一人で酒を楽しむ客は少なくない。みな、帰りを待つ人がいるのだろうか。そんな人がいたら、アパートの部屋に帰り、冷え切った部屋で寒さに耐えながら着替えるあの時間を、毎晩繰り返さなくてもいいのだと思うと、素直に羨ましい。


あの人も、そうなんだろうか。

あの人も今頃、この寒空の下をひとり歩き、そして一人待つ者のいない家へ。家々に火が灯る中、ぽつりと夜の藍色に塗りつぶされた部屋へ、一人帰るのだろうか。


いつか、そうでなくなるといい。あの人を待つ人に、出会えると良い。それだけ思う。


ジョッキのウーロンハイを流し込む。もし隣にあの人がいたら。そんな想像をまだしてしまう。我ながら気味が悪い。


冬の安酒は、しかし君の体をあたためた。


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残陽に灯る眼 @dis-no1

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