ノエミお姉ちゃんの望むものすべて

カメノゾ

ノエミお姉ちゃんの望むものすべて

「嬉しい。あなたが私の、妹なのね!」


 あたしに突然三つ年上の姉が出来たのは、小学校卒業間際の頃だった。

 亡くなった母親がフランス人だったという彼女は、白い陶器のようにつるりとした肌で、淡い色の髪は綿菓子のようにふわふわしていた。大きな瞳は宝石のようにキラキラと輝いてあたしを見つめ、ツヤのあるふっくらした唇はあたしに話しかける為に開かれている。

 豪華な洋館に季節の花が咲く庭園、彼女の為に仕える何人もの使用人たち。

 彼女を取り囲む世界はまるで、絵本かおとぎ話のよう。

 お姫様のような環境で生きていた彼女と、日本人の母と二人、慎ましくひっそりと生活してきたあたし。

 同じ父親を持つ存在だとはとても思えず、あたしは彼女に優しく微笑まれても、借りてきた猫のように硬直するばかりだった。


「不謹慎なことを言ってごめんなさい。だけど私、ずっと妹か弟が欲しかったの。だからあなたが来てくれて、本当に嬉しいわ」


 あたしと母が暮らしていた小さな木造の家は、放火に遭って燃えて失くなった。

 幸いにもその日は二人で出かけていたのと、隣家に燃え移らなかったので被害は最小限で済んだけれど、燃え盛る我が家を目にしたショックで母は倒れてしまい、入院した病院でずっと内緒にしていたことを打ち明けてくれた。


「あなたの部屋は私の隣よ。好きに使っていいし、いつでも私の部屋に入っていいわ」


 母が昔、ある有名企業の御曹司と恋人だったこと。

 結婚を反対されて別れてからもお互いのことが忘れられず、秘密裏に逢瀬を重ねる内に、あたしを妊娠したこと。


「だって私たち、姉妹なんですもの!」


 そして、あたしには三つ年上の、異母姉がいること。


「聞きたいことがあれば何でも聞いてね。欲しいものは何でもあげる」


 本来ならば憎まれる存在である筈のあたしに、姉は望むものすべてを与えようとしてくれた。

 天使のように眩しい笑顔が、出会ったばかりのあたしに、愛人の娘相手に、惜しみなく降り注ぐ。


「私たちこれから、きっと楽しい日々を過ごせるわ!」




「悠里ちゃん、学校はどう? 何か困っていることはある?」

 小学校は公立に通っていたあたしも、中学校からはお金持ちだけが通う私立の学校に入学することになった。

 去年までは異母姉も通っていたその中学校では、未だに彼女の話が語り継がれている。

 お人形さんみたいだった、お姫様みたいだった、本当に優しくて頭が良くて素敵な人だった……彼女と中学校生活を共にした先輩たちが、わざわざあたしの教室まで来て、いかに自分が彼女を慕っていたか、仲が良かったかを熱弁していくのだ。

「ううん、何も。クラスの子も先輩たちまで、みんな親切にしてくれるよ。あたしがノエミさんの妹だから……」

「あ、またノエミさんって言った!」

「え、あっ。ええと、ノエミお姉ちゃん……」

「うふふ、そうそう。お姉ちゃんですよ〜っ」

「顔が近いよ、お姉ちゃん」

 あたしたちは寝る時間になると、同じベッドの上で今日の出来事をおしゃべりした。

 この家に引き取られて三ヶ月になるけれど、ノエミさんのことをお姉ちゃんと呼ぶのはまだ少し恥ずかしい。

 原条家は遊園地やテーマパークを企画運営する大きな会社を経営しており、グループ会社を含めればものすごく巨大な組織だった。

 社長である父は毎日忙しくあちこち飛び回っているようで、あたしはまだ一度も会ったことがない。

 そのせいもあるのか、見るからに外国の血が入っている美少女と自分が姉妹だなんて、どこか信じがたい気持ちと、こんな普通な女が妹だなんてスミマセンという気持ちが、胸の中でずっと蠢いている。

 あたしとノエミさんの部屋は隣同士だけれど、どちらかの部屋で過ごす時間は徐々に増えていった。

 最初はノエミさんがオススメの漫画を持って来てくれたり、宿題を教えに来てくれていたのだが、次第にあたしからも部屋を訪ねるようになった。

 仲良くしたいと思ってくれているノエミさんの気持ちが嬉しかったから、あたしからも歩み寄ることにしてみたのだ。

 ノエミさんのベッドは大きくてふわふわで、まるで二人で雲の上にいるみたいな気持ちになる。

「明日のお友だちの日は大丈夫? 起きるの、一緒の時間でいい?」

「うん、大丈夫」

 あたしたちは日付が変わる前にはなるべくおしゃべりを切り上げて、眠りにつくことにしていた。

 お友だちの日とは、原条家が支援している児童養護施設のお手伝いに行く日のことだ。

 各家庭の理由で家族と生活出来ない子どもの支援を行うのは、会社の方針でもあるらしい。子どもたちがエンターテイメントを楽しむには、まず日々の生活が満ち足りてこそ、という企業理念だとか。

 あたしも放課後、母の仕事が終わるまでは学童保育に預けられていたし、ひょっとしたらあそこも原条家が関与していたのだろうかと、この頃考えるようになった。

「お父様は、会わせる顔がないのよ。私にも、悠里ちゃんにも」

 父親に会えない代わりに、ノエミさんが時折、その人の話をしてくれた。

「愛に一途な男にも、家業に忠実な男にもなれず、中途半端なことをしてしまったから。私はそのお陰で妹と出会えて、とても嬉しいけれど」

「お母さんは、お父さんのこと……優しい人だって言ってたよ」

「そうね。優しい人。私のお母様は、お父様のそこが嫌いだったみたいだけど」

「そうなの?」

「そうよ。男女って複雑なの」

「そうなんだ」

 灯りを消し、布団の中で、親の事情をこそこそと話す。

 ノエミさんのお母さんは、あたしが引き取られる前に亡くなっている。

 使用人の若い男の人を連れて旅行に出かけて交通事故に遭い、二人とも亡くなってしまったそうだ。

 一人娘であるノエミさんを連れて行かず、男性の使用人と二人だけの旅行に行ったのだから、その二人はつまり、そういうことだったのだろう。

 それからも父親はあまり家には戻らず、ノエミさんは沢山の使用人たちに囲まれながら、この洋館で生活していたらしい。

「お姉ちゃん、ペット飼おうとかは思わなかったの? なんかお金持ちって、大きい犬を飼ってるイメージ」

「お母様は飼おうか迷っていたみたいだけれど……私は動物があまり好きじゃないの。犬は賢いけれど、おしゃべりは出来ないじゃない。私は動物と心を通わせるよりも、誰かとお話ししている方が、楽しいの」

「そうなんだ?」

「そろそろおやすみ、かわいい悠里ちゃん。明日も沢山、おしゃべりしましょうね」

 おでこにチュッとキスされたので、あたしも頑張ってお返しをした。

 初めてされたときはびっくりしたけれど、もう習慣化してしまった。

 ノエミさんはあたしがお返しのキスをすると、すごく嬉しそうに微笑むから。

 布団の中の暗闇でも、ノエミさんの髪が、頬が、瞳が、唇が、淡く輝いている。


 美しくて不思議な、あたしの、お姉ちゃん。




 お友だちの日にあたしがやることは、小さな子たちの遊び相手だ。

 外で遊ぶのが好きな子を集めて、養護施設に隣接した公園で鬼ごっこや隠れんぼをする。

 屋内にいる方が好きな子たちは、姉に折り紙を教わったり、カードゲームをして遊んでいる。

 最初は皆あたしよりも姉と遊びたいんじゃないかと心配していたけど、体力が有り余っている男の子たちはわりとあたしの周りに集まってくれて、ホッとした。自分に出来ることがある、というのは落ち着く。

「ノエミさん、ここに来るの、本当は嫌そうにしてたりしない?」

「え、してないよ。どうして?」

「してないなら、いいんだけど」

 隠れんぼの最中に小声で尋ねてきたのは、同い年のよしあきくんだった。

 施設の中ではお兄さん組で、普段から小さな子たちの面倒をよく見ているらしい。

「ノエミさんのお母さんが一緒に旅行に行ったの、この施設の出身者だから。原条家に運転手として雇われたばかりで、あんな事件を起こしたから……。ノエミさん、本当はそのこと気にしてるんじゃないかなって」

「そうだったの? あたし、まだ詳しい話は聞いてなくて」

「え、ごめん。聞いてると思ったから……」

「断片的には聞いてるから、大丈夫。……その人って、よしあきくんの知ってる人だったの?」

 よしあきくんは目を伏せて、辛そうに答えた。

「うん、皆の兄貴分だったし……。原条家にお仕えして、ノエミさんへ恩返しするんだって張り切ってたのに、あんなことになって。あの人は恩を仇で返したんだ。本当に許せないよ」

「お姉ちゃんのお母さんも、この施設によく来てたの……?」

「ううん、奥様は一度も。旦那様はたまに来るけど」

「じゃあ、その、原条家で働いている内にそういう関係になったのかな」

「そうなんじゃないかな。男女のことって、よくわからないけど」

「ああ、それはあたしも」

「僕は絶対、あいつみたいな真似はしない。大人になったら絶対に、ノエミさんに恩返しするんだ」

 ノエミさんのお母さんの事故もだけれど、お父さんのことも、あたしはまだ分からないままだった。

 お父さんはあたしのお母さんのことを、本当はどう思っているのだろう。

 あたしはこのまま、原条家のお世話になっていて、いいのかな。


 

「今日はあたしの部屋?」

「ええ。嫌かしら?」

「ううん、久しぶりだね」

 最近はあたしがお風呂上がりに身支度を整えてから姉の部屋に向かっていたので、姉が早い時間にあたしの部屋にやって来るのは久しぶりだった。

「まだ髪、乾かしてなくて」

「私がやるわ」

 姉はあたしをドレッサーの椅子に座らせるとドライヤーを手に取り、丁寧にあたしの髪を乾かしてくれた。

「あの人と、何を話していたの?」

「あの人?」

「義昭さん」

 ドライヤーの音が止まって、姉の声が聞き取りやすくなる。あたしは乾かしてもらった礼を言う。

「ああ、あの人なんて言うから、誰のことかと思っちゃった。お姉ちゃんのことを二人で話してたよ。よしあきくんが、お姉ちゃんに恩返ししたいって」

「そうなの。あの人も真面目ねえ」

「あのね、お姉ちゃんのお母さんのこと聞いちゃった」

 黙っておくのもおかしい気がして、あたしは率先して喋った。

「その旅行の相手が、よしあきくんたちの兄貴分の人だったって。お姉ちゃんにお世話になったのに、恩を仇で返したから、絶対に許せないって言ってた。自分は絶対、ノエミさんに恩返しするって」

「あら、そんなことを言っていたの? 誤解だわ、恩ならちゃんと」

 鏡に映る姉が、うっすらと微笑む。

「返してもらったのよ」

「そうなんだ?」

「そろそろおやすみ、かわいい悠里ちゃん。明日も沢山、おしゃべりしましょうね」


 そして姉は、あたしのおでこに、キスを。



 

 原条家でお世話になり始めて、一年が経とうとしている。

 母はとっくに退院していたが、お医者さんが言うには少し精神的に不安定になっているようで、職場復帰が難しいとのことだった。

 元々あたしたち母娘は経済的にギリギリの状態で生活していたので、あたしはそのまま原条家に住むことになった。

 それが母の望みだったし、その方があたしの存在が母にとって負担にならないのなら、あたしもその方がいいと思っている。

 とはいえ母娘の縁が切れたわけでもなく、私は母が住むことになったマンションと原条家を行ったり来たりしている。

 基本的に母を訪ねる曜日は決めてあったのだが、その日はどうしても母に会いたくて、あたしは何の連絡もせずにマンションに向かった。

 調理実習で作ったパウンドケーキが思っていたより美味しく出来たから、早く母に食べてもらいたくなってしまったのだ。

 自分の分は学校でもう食べたから、残りは母と姉で半分ずつ。

 きっと喜んでもらえると浮かれていたあたしは、母の住む部屋のドアから出て来た男の人を見て立ち尽くした。

 焼けた家に父の姿を残したものは何もなかったけれど、原条家には家族写真が沢山あった。だから会ったことがないあたしでも、一瞬で気がついたのだ。


 この人があたしの、お父さんだと。



「おかえりなさい、悠里ちゃん。お父様との初めてのお食事は楽しかった?」

 原条家に戻ると、姉は食後の紅茶を楽しんでいるところだった。

 本当だったら、あたしはこの時間に、姉にパウンドケーキを食べてもらうつもりでいた。

 父に渡してしまった、あのパウンドケーキを。

「ごめんね、お姉ちゃん。連絡出来なくて」

「連絡ならお父様からもらっているから大丈夫よ。でもこんなことなら、私も同席したかったわ。お父様と初対面を果たした悠里ちゃんの喜びと緊張を、一番近くで感じたかった」

「大げさだなあ……」

 軽く笑う感じを装って、だけど姉は本気なのだろうなと察しがついた。

 妹か弟が欲しかった姉は、今はあたしのすべてを望んでいる。

「あのね、お姉ちゃん……」

 あたしが席に着くと、すぐに紅茶が運ばれてきた。

 ほんのりと甘い香りと、温かい湯気が頬にあたる。

「お父さんに教えて貰ったの。放火犯が捕まったって」

「まあ、そうなの。もう安心ね」

「その人ね、お父さんの部下だった人なんだって」

 ノエミお姉ちゃんはニコニコと笑っている。

「ある日突然退職届を出して、辞めていった人だったんだって。お姉ちゃんも知ってる人だって、お父さん言ってたよ。何度かこの家での食事に招待したって言ってた。お姉ちゃんもその人が来ると、嬉しそうにしてたって」

「ああ、あの人」

 口元に手をあてて、姉が驚いたような顔をする。

「退職して、奥さんとも突然離婚して、それからあたしの家に放火したんだって。……理由は黙秘しているそうだけど、お父さんはどこかから、あたしたちのことが漏れたんだろうって言ってた。知らない間に、部下に恨まれていたのかもしれないって。こんなことになって、あたしたちに申し訳ないって……」

「お父様は優しい人だから、部下に恨まれたりはしないわ」

「あたしも、なんか……初めて会ったけど、お父さん、大企業の社長とは思えないほど、物腰が柔らかいし、誰かに恨まれるような人だとは思えなくて……。でも、お父さんは犯人が分かってショックだったみたい。お母さんとあたしのこと、知らずにやったとは思えないって」

「そうね。偶然にしては出来すぎているわ」

「だけどあたし、もっと不思議なことがあるの。元上司のその、愛人と隠し子の家を狙ったんなら、どうしてあたしたちがいない時間に、火を点けたんだろうって」

 あたしは膝の上で両手を握りしめていた。

 紅茶がゆっくり、冷めていく。

「良かったじゃない。もし悠里ちゃんとお母様がお家にいたら、無事では済まなかったもの」

「そう、だから……あたしたちが家にはいないこと、知ってたんじゃないかって、思って……」

「まあ、どうしてそう思うの?」

「あの日はあたしたち、遊園地に行ってたの」

 一年前のことを一つ一つ思い出しながら、あたしは手探りで喋った。

「お母さんが何かの懸賞で、遊園地のペアチケットを当ててくれたの。今まで遊園地なんて行ったことがなかったから、嬉しかった。お母さんも楽しみにしてて……チケットを使う日は、あらかじめ予約しておく必要があって……でもよく考えたらあの遊園地って、原条家の会社の……だよね?」

「そうね。……でも、だから? 悠里ちゃんたら、何が言いたいのかしら」

「今までは運が良かったって思うことにしてた。遊園地に行かなかったら、燃える家の中に二人でいたかもしれないから。でも、何だか全部、お姉ちゃんに都合が良くて」

「あら、私に……?」

 あたしが目線を上げると、姉は不思議そうに首を傾げていた。まるで天使みたいな、その姿。

「ずっと引っかかってたの。『恩なら返してもらった』っていう言葉……」

 自分の母親と不倫旅行に出かけ、そして死なせてしまった人のことを、姉はちっとも恨んでいないようだったから。

「ノエミお姉ちゃんのお母さんが亡くなって、あたしたちの家が燃えて、妹か弟が欲しかったお姉ちゃんは、あたしを、妹を……」

「ふふっ」

「手に入れた……?」

「ふふっ。ちょっと、弱いわね、悠里ちゃん」

「えっ?」

「それだけの根拠では、弱すぎる……。ただの推測、妄想に過ぎないわ、残念だけれど……」

 その言葉は、あたしに確信を抱かせるにはじゅうぶんだった。

 姉は一連のことに関わっている。放火と、ひょっとしたら、事故を装った殺人にも。

「紅茶がすっかり冷めてしまったわね。新しいものを……」

「い、いらない」

 あたしが遮っても、姉は美しく笑っていた。

 どこか禍々しい、狂気を孕んだ目で。

「ま、まだ、何の証拠もないけど……! あたしはいつか……お姉ちゃんがやったことを、全部、暴くと思う……」

 あたしは紅茶には手を付けず、立ち上がった。

 一旦部屋に戻って、これからどうするかを考えた方がいい。

「まあ。かわいい、かわいい、悠里ちゃん。一体何を暴くというの。どこに訴えるの。何を裁くの。みんな、望むものをすべて手に入れたというのに」

「望むもの?」

 思わず振り返ると、姉は紅茶を飲み干していた。

「お父様は初恋の人と同じ家で生活するという夢を。あの人たちは私に感謝されるという喜びを。そしてあなたは、満足な教育と生活環境を……」

「の、望んでなんか!」

「本当に? 少しも? 疲れ果てた母親と、二人きりの切り詰めた生活を、誰かに救ってほしいとは少しも望んでいなかった? 誰かに掬い上げて欲しいと、少しも? あのままの生活を続けて、人生が良い方に向かうビジョンがあった?」

 姉がするりと立ち上がる。まるで映画のワンシーンのような、洗練された動き。

 いつの間にか壁際に追い詰められて、あたしは姉に手を握られていた。

「今日も明日も、私と沢山、おしゃべりをしましょう? その方があなたも、きっと幸せになれるわ……」

 耳元で囁かれ、あたしは思わず、姉を突き飛ばしていた。

「そりゃ、確かに! 確かにここでの生活はものすごく、恵まれてるけど……!」

 何かを振り払うように、あたしは必死に抵抗した。

「なんか……違うと思う! 妹が欲しかったからって、ここまでする!? 普通に、会うくらいは出来たんじゃないの……!?」

「お母様は許して下さらなかったの」

 それは今まで聞いたことのない、姉の冷たい声だった。

「お母様は私が悠里ちゃんと会うのを許して下さらなかった。何度懇願しても、私の望みを叶えてはくれなかったの。悠里ちゃんを家に招待することも、ほんの少し、言葉を交わすことさえ、許してはくれなかった……」

「だから、事故に遭わせた、の……?」

 姉はじっと自分の手を見つめている。私に振り払われた、自分の手を。

「悠里ちゃんも、私がもうおしゃべりしない方がいいって、思ってる?」

「え?」

「お母様がね、私に言ったの。もうおしゃべりは止めなさい、その口を閉じなさいって。もう私とは、お話したくないって……」

 姉が哀しげな表情を浮かべると、まるで自分が極悪人のように思えてくる。

 あたしは挫けそうな心を、もう一度奮い立たせた。

「おしゃべりしたくないとは思ってない。ただ、今はちょっと、混乱してて……」

 自分が立てた仮説に、姉の異質さに。

 もしも姉の機嫌を損ねたら、あたしも何らかの方法で事故に遭ったりするのだろうか。このことを安易に口にすべきではなかったのだろうかと後悔するが、もう遅い。

 あたしはありったけの勇気と強がりで、美しい姉の目を見つめた。この人の狂気に、取り込まれないように。

「今は無理、だけど。もっとちゃんと、話がしたいって思ってる。これまでのこととか、ちゃんと。これからも、あたしたちが姉妹でいるのなら……!」

 震える足で姉に向き合う。何かとても大きくて不穏なものが姉の中に在るのを、今ではピリピリと肌で感じている。

 それでもこの人を想う気持ちも、あたしの中に、確かに在る。

 同じベッドの上でおしゃべりする夜を、幸福だと感じる、そんな気持ちが……。

「すごいわ、悠里ちゃん……」

 再び目が合った姉は、どこか恍惚とした眼差しだった。

 両手を胸の前で組み合わせ、まるで夢見る少女のように、声を弾ませる。

「本当にすごいわ! ここまで私を理解しようとしてくれた人は、お父様以外では初めてかもしれない。震えているのに立ち向かうの? 怯えているのに、歩み寄ろうとするの? なんていじらしくて、愛らしいの。私の妹は……っ!」

「え、えっと……?」

 呆然とするあたしを他所に、姉はうっとりした目をしている。

「悠里ちゃんの言葉って、不思議ね。私の心がドキドキしてる。まるで心臓を、直接触られたみたい……」

 姉が目蓋を閉じて、長い睫毛が頬に影を落とす。

 早く逃げてしまえばいいのに、あたしはその場から動けない。


「今までは妹か弟が欲しかった。だけど、もう違うわ」

 姉が近づいてくる。背を屈め、目線を合わせて、欲望を告げる。


「いま私、あなたの心が、とっても欲しい!」

 キラキラ輝く狂気の瞳に、あたしだけが映っている。


「私たち、これからもきっと」

 血のように赤い唇をあたしの頬に寄せて、姉は笑う。


「楽しい日々を、過ごせるわ……」


 そして姉は、あたしに、キスを。

 

 

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