道具(ゴーレム)を愛する方法

怪鳥三号

第1話 忘れ人達の忘れ物

「ここも崩落しているか……」


 かつては天井だった石材が地面に散乱している様子を見て、ラーティスは独りごちた。


 見る限り、崩落はつい最近起きたようだった。ぽっかりと穴の開いた天井からは今も砂粒や石材の欠片がパラパラと落ちてきており、いつまた崩落が起きてもおかしくない。


「だが、あの天井の奥は未探索のはずだ」


 ラーティスは自らの服の懐に手を入れる。飾り気がないが丈夫な服の懐から取り出したのはこの忘れ人達の遺跡の地図だ。そして天井と見比べる。やはり天井の奥一帯は侵入経路が見つけられず未探索のままだった。つまり、この崩落によって運良く道が開いたことになる。


 とはいえ、崩落は崩落だ。この遺跡がいつ完全に崩れ去ってもおかしくはない、危険な状態であることに違いはない。通常の冒険者であれば、一も二もなく撤退の判断を下していただろう。事実、ラーティス自身も命の危険をひしひしと感じてはいた。


「……天井の崩れ方が良いな。工夫すればここから登れそうだ」


 だが、彼は進む。己に過度の自信を持っている訳ではなく、自分は死なないと高を括っている訳でもない。持たざる者である彼には、危険と引き換えでしか己の人生を切り開くことはできないのだ。


 縄が括りつけられた尖った棒状の金属を、崩落によって開いた天井の更に上……ラーティスのいる位置から見て二階層上の天井目がけて勢いよく投げる。と同時に、崩落の危険を踏まえて一度退避する。杭が上の天井にしっかりと刺さってくれれば良し、仮に上層が更に崩落したとしたら、それはそれで足場が増えるから良し。衝撃で遺跡全体が大規模な崩落を起こす危険性さえ無視すれば、よく考えられた作戦だった。


「よし」


 そして上からは、杭も石材も落ちてこなかった。試しに縄をつかんで強く引くが、問題なさそうだ。ラーティスは安全確認もそこそこに、杭から垂れてきている縄を両手でつかみ登っていく。安全確認を軽視している訳ではない。ただ、時間をかければかけた分だけ危険も増すという判断だった。


「ふっ……!」


 縄の途中から飛び移り、先ほどまで見上げていた天井の上……一階層分上の床を勢いのままに転がる。乗った瞬間に崩れやしないかと危ぶんでいたが、幸いにも足場は崩れなかった。立ち止まることなく、足元に気をつけながらも前方へと進んでいく。


 先史文明――忘れ人と呼ばれる者達によって作られたこの遺跡自体は、決して目新しいものではない。数十年も前からさまざまな冒険者が立ち入り、目ぼしい宝は取り尽くされている。その上最近は崩落も進んでおり、いつ崩れてもおかしくない危険な状態として立ち入り禁止が布告されていた。


 だからこそ、ラーティスはこの遺跡に来た。今のように、崩落によって未知のルートが見つかる可能性があるからだ。そしてその先には、誰にも見つからなかったお宝が眠っているかもしれない。後ろ盾も特別な技能もない彼の安い命を賭ける代価としては破格と言えた。しかも冒険者があちこち探検した後の遺跡なので、未知のエリア以外には魔物もいない。直接戦闘を不得手とする彼にとっては、まさに最適な条件が整っていた。


 胸元に着けた灯りの放つ光を頼りに、前へと進む。すると前方に開けた部屋のような空間があるのが見えてきた。生き物などの気配はないが、ラーティスは腰に提げたポーチに手を入れ、親指程度の大きさの黒い球体を取り出す。その球体を自身の太腿に勢いよく擦りつけてから、前方の部屋の中へと放る。数秒の間を置かず、一瞬の閃光と衝撃音が響き渡る。野生動物を驚かして遠ざけるための弾け玉だ。万が一潜んでいる生き物がいたなら、この光と音に何かしらの反応を示すはずだ。


「……」


 しかしどれだけ待っても、部屋の中からは物音一つ聞こえてこない。やはり何も潜んでいないようだ。ラーティスは安心しつつも警戒は解かず、腰から愛用の獲物であるバーゼラルドを引き抜き構えながら進んでいく。


 ラーティスは、かつて剣の道を志したことがあった。だが生まれ育った環境では剣という武器が一般的ではなく、大きくなってから街に出た頃には世の剣士達との間に取り返しのつかない差がついていた。だから剣の道を諦めたのだが、剣への憧れを完全に捨てることもできなかった。なので短剣でありながらその他の用途も広く、なおかつ一般的な短剣よりもやや長く、剣に近いと言えないこともないこのバーゼラルドを愛用していた。実用性と未練の両立と言っても良い。


「これは……」


 やがて部屋の中へと入ると、ラーティスは感嘆に舌を巻いた。あまり広い部屋とは言えないが、その中には過去の文明――忘れ人の遺物と思しき用途不明の物体が数多く残っている。その多くは金属質で、表面にはいくつもの出っ張りであったり硝子の板がついていたりと、明らかに何らかの目的のために高度な技術で加工した代物だった。


「やった……!」


 思わず手を握り締める。まさに彼が追い求めるお宝だった。世界中で稀に見つかっている、今よりも高度な技術力を持っていた忘れ人と呼ばれる者達の遺産。それに間違いなかった。好事家のみならず、国家機関からも買い手がつくほどの紛れもないお宝だ。一介の盗掘屋風情であるラーティス自身にはその用途まではわからずとも、価値に関しては確信が持てた。


「しかも、これは……」


 そう言いながらラーティスが視線を向けた先、部屋の中央には奇妙な形状をした箱のような物があった。その周囲には他の場所よりも金属の置物が多く、明らかに重要な物が置いてあることが窺えた。にも拘らず、その箱は閉じられたままだ。つまり、中にはこの遺跡の中でも最重要のお宝が眠っている可能性が高い。


「っと……」


 まるでラーティスの興奮が伝わったかのように、遺跡がぐらぐらと揺れた。慌てて部屋の壁際へと寄り、天井の崩落に備える。するとラーティスから見た部屋の対角線上の天井が一部崩落し、直下にある金属の物体を一部押し潰してしまった。古代文明の遺産と言えど、天井に押し潰される想定まではしていなかったらしい。直上から落ちてきた石材が直撃すると呆気なくひしゃげ、中身の金属をさらけ出してしまう。


「モタモタしていられないな……!」


 せっかく見つけたお宝も、このままでは全て潰れて無価値になってしまう。しかしここにある物全てをラーティス一人で運び出すには時間も労力も足りない。より重要度の高いお宝一つのみに狙いを絞り、それだけを持ち出すべきだろう。となれば、部屋の中央に置かれている意味深な箱以外につける目星はなかった。


 振動が落ち着くよりも早く、ラーティスは箱に向けて駆け出す。もしかしたらこの振動はもう収まらず、遺跡全体の崩落まで進んでしまうかもしれない。それほど、この遺跡は限界を迎えつつあった。ラーティスが足を踏み入れるまで無事だったこの部屋でも崩落が起きたのが、何よりの証拠だ。


 恐らくここはこの遺跡の中でも特別重要な部屋であり、より堅牢に作られているはずだ。だから数十年もの間誰にも見つからず、今の今まで崩落にも巻き込まれず、今でも忘れ人の文明の痕跡が色濃く残されている。しかしそれも、いよいよ限界を迎えつつある。となれば足場が不安定な中でも突き進むしかなかった。そして箱に駆け寄り、驚く。


「! お、女の子……!?」


 ラーティスは愕然とした。表面が硝子のような板に覆われている箱の中には、幼い女の子が横たわっていた。見た目からすると十歳前後と思しき、幼い姿だった。見とれてしまいそうな銀の髪が印象的だった。


 だがよく見ると、所々に異常としか言えない特徴を見ることができた。まずは耳。円盤状の白い塊がぴたりとくっついており、人間のような耳が見えない。そして体。全身は重鎧のような物に覆われているのだが、明らかに幼い少女の肢体には不釣り合いなほど重そうだ。普通の人間では一歩も動けないどころか、立つことさえできないだろう。そして何よりも顔。両の目の下にまっすぐ、線のようなものが引かれていた。それらの特徴が、ラーティスの記憶の中から一つの答えを導き出す。


「ゴーレムか……!」


 忘れ人の遺跡に関する文献で読んだことがあった。忘れ人達は、かつて人間とまったく同じ姿形をした機械人形を作りだし、侍らせていたと言う。それがゴーレム。人間に仕え、人間の命令によって動く道具。


「くそ、この箱どうやったら開くんだ!?」


 ラーティスの中に興奮と焦りが渦巻く。文献の中では、ゴーレムが五体満足な状態で見つかった事例はないと書かれていた。どこかの国の秘密機関が見つけ出した可能性があるという胡散臭い記述もあったが、ともあれ仮に動く状態のゴーレムが手に入ったなら、容易に人生を一変させ得ることは間違いないだろう。何しろゴーレムは過去の財宝などという言葉では生温い、まさに忘れ人達の生き証人そのものなのだから。


 しかしそのゴーレムが入っている箱の蓋が、全く開かない。隙間に指を入れようとするが、隙間自体が見当たらない。バーゼラルドの柄頭や鍔の部分で硝子の蓋を叩くが、ただラーティスの手が痺れるだけだ。その透き通り方といい、今の人間達が作る硝子とは物が違うらしい。


 そうこうしているうちに、再び遺跡が揺れ始める。大きい。しかも収まる気配がないどころか、どんどん振動が大きくなっていく。どこか遠くで大きな崩落が起きたらしい音も聞こえてくる。


「う……!」


 ラーティスの額に冷や汗が流れる。挫折続きの人生にやっと訪れた変革の機会。人生を変え得る転機。それに手の届く所まで近づきながら、無為に死んでいく――そんな自分を想像し、心胆が震えた。


「冗談じゃない……!」


 箱を直接開けることを諦め、周囲に置かれている金属製の直方体に手を触れる。表面の突起を訳もわからずがむしゃらに押し込むと、上部に嵌め込まれた硝子のような板が光り、何か文字らしき物が表示された。忘れ人達の文字だ。ラーティスのポーチの中には彼らの言語を簡単にまとめた手帳も入っているが、今は解読している時間はない。


 彼は無我夢中で更に表面の突起の数々を弄り、硝子のような板を拳で殴ったり掌で触れてみたりした。するとそれらの操作のいずれかが功を奏したのか、少女の眠る箱のほうから奇妙な音が聞こえてきた。甲高い鳥の鳴き声の最初の一秒と少しだけを切り取ったような、不思議な音だった。


「開いた……!」


 少女の眠る箱の蓋が、空気が漏れるような音と共に開いていく。その時だった。


「!」


 一際激しい揺れが起こり、ラーティスはその場に立っていられず尻もちをつく。その周囲にぱらぱらと砂粒が落ちてきたと思った次の瞬間には、天井から大きな石材が丸々落ちてきていた。


 あ、と思った時にはすでに遅い。人一人程度なら余裕で押し潰せそうな大きな石材が、ラーティスの真上に落ちてくる。しかも彼は尻もちをついている。跳び退ることもできない。咄嗟に前屈みになって頭をかばうが、それで助かるはずもない。先ほどの崩落によって押し潰された金属の物体がみっともなく中身をさらけ出していた姿を思い出す。その姿が、自分と重なる。


「た……助けて……!」


 恥も外聞もなく叫ぶ。己の生が終わるという、根源的で絶対的な恐怖が全身を支配していた。田舎の開拓村で生まれ、何の才能にも恵まれることなく、努力が実ることもなく、遂に見つけた逆転の機会すらもつかめず、ただただ無為に死んでいく。こんな終わりがあるか、という思いだけがぐるぐる頭の中を巡っていた。


「……?」


 そして気づいた。これだけさまざまな思考を巡らせているのに、まだ自分は死んでいない。それどころか、衝撃一つ受けていない。恐る恐る目を開け上を見ると、そこにはあの大きな石材があった。しかしラーティスの頭上僅かという所で、その石材は止まっている。


「あるじ、だいじょうぶ?」


 舌足らずな声。ラーティスの眼前には、箱の中で眠っていたゴーレムの少女が立っていた。開かれた真っ赤な瞳が、ラーティスを無表情に見つめている。その左手は直上へと突き上げられ、彼女の数倍はあろうかという石材を腕一本で支えていた。


「……き、君は……」


 呆然と呟くが、遺跡の揺れは収まることなく尚も大きくなっていく。どうやら、本当にこの遺跡が限界を迎えているらしい。


「めいれい。あるじ、たすける」


 するとゴーレムの少女がそう言い、こともなげに石材を片手で投げ捨てた。すると石材の代わりというように、ラーティスの首根っこを猫のようにつかむ。


「え、あ、ちょ」


 あまりの展開に言葉を失っていると、途端に首の後ろから激痛が走る。ゴーレムの少女が、ラーティスの首根っこをつかんだままで走り出したのだ。その勢いは尋常ではない。ラーティスが十秒をかけて走破するような距離を、彼女は半分の時間も要さず駆け抜けていく。見るからに重量のある鎧を着込んでおきながらのその速度はまさに驚嘆に値するが、ラーティスの首の痛みはそれを上回るほどの衝撃だった。


「ぎぃぃぃぃぃ千切れる千切れる首千切れる首取れちゃううぅぅ!」


「あるじ、がまん」


 頭がどうにかなってしまいそうな痛みに絶叫するが、ゴーレムの少女は取り合わない。ラーティスが来た道を戻り、登ってきた天井の穴から下へと降りると、迷う様子もなく遺跡の入り口へと駆け出す。この遺跡の内部構造を完全に知悉しているようだった。だが人間の痛覚はまったく知らないようだった。


「待って待って待ってせめて違う所持って本当お願い死んじゃううぅぅ!」


「まてない。くずれる」


 しかも彼女は幼女と言って差し支えないほどの体格しかない。だから今年で十七歳になる男であるラーティスの首をつかんで走ると、当然下半身も石の床に繰り返し叩きつけられ、引きずられる。


「ああああぁぁ待って俺の大事な所が! 俺の俺が! 色んな意味で俺の息子が終わるううぅぅ!」


「まったら、あるじそのもの、おわる」


 ラーティスの再三の抗議は全て却下され、地獄のような時間が続く。いや、実際にはさほどの時間ではなかっただろう。秒数にすれば三十秒にも満たないほどか。ただその僅かな時間に、ラーティスは走馬灯を見ていた。


「うふ、あはは、おれ、あのぎんかのひとみたいなりっぱなまほうけんしになるんだぁ……まかせてよかあちゃん……」


「あるじわらってる。よかった」


 彼の原点とも言える、銀靴と呼ばれた冒険者達への憧れの記憶。それと対峙している間に、二人は遺跡の入り口から飛び出した。入口の前には立ち入り禁止と書かれた看板が立っていたが、勢いそのままに直撃した少女の体当たりによって粉微塵に粉砕された。


 忘れ人達の遺跡が完全に崩れ落ちるのはそれと同時だった。あとほんの数秒でも遅れていたら、ラーティスは問答無用に死んでいただろう。そういう意味では、確かにゴーレムの少女が言っていた言葉に違いはない。だが――


「あ、お、あおぉあおぉ……」


 少女が立ち止まり首や下半身の痛みから解放されても、ラーティスはしばらく意味のある言語を紡げなかった。むしろ彼はこの時、自分が生きているのか死んでいるのかさえ判然としていなかった。首と股間を交互に抑えながら、ごろごろとのたうち回る。


「あるじ。しっかりして」


 だが彼をここまで追い込んだ張本人である少女にゆさゆさと揺さぶられ、勢いよく起き上がる。血走った眼で少女を睨めつけ、憤る。


「っ……お、お前なぁ……!」


 すると無表情だった少女の顔に変化が生まれる。真っ赤な瞳をぱちくりとさせつつ、小動物のように小首を傾げ、まさに不思議そうな顔をした。


「あるじ、おこってる?」


「当たり前だ! 死ぬ所だったんだぞ!」


 怒鳴り返すと、少女は更に表情を変えた。軽く顔を俯かせ、少し目を伏せると、ぽつりと呟くように尋ねてくる。


「あるじおこらせた。じばくする?」


「は……自爆?」


 突然耳に入ってきた聞き慣れない単語に、怒りも忘れて聞き返す。すると少女はこくりと無言で頷きを返してきた。 


「自爆って……あ、いやいや……ちょい待ちちょい待ち……お、落ち着こうよ可愛い子ちゃん……冷静に話し合おう?」


 ラーティスは思い出す。今目の前で動いて喋っているソレこそが、彼の人生を一変させ得る存在であることを。そしてそれが自爆をするということは、即ちラーティスの人生の扉もまた閉ざされるということ。それだけは回避しなければならなかった。


「はは、こ、この俺が、命の恩人に対して怒る訳ない、じゃないかー。はは、は。さっきのはちょっと、場を和ませようと言っただけの冗談だよ」


 引きつった顔で笑みを浮かべながら言うと、再び幼女がくりっと首を傾げてきた。


「じばく、だめ?」


「ダメです」


「……あい」


 即答すると、少女はなぜか不満そうな顔で頷いた。どうしてそこで落ち込むのか、ラーティスにはまったく理解できなかった。


「……あのさ、ちょっと聞いて良いか?」


 だがそれよりも、今は気になることが山ほどあった。居住まいを正しながら、仕切り直す。


「あい。なんでもこたえる」


 少女も重鎧を鳴らしながら姿勢を正してくる。基本的には素直であるようだ。基本的には。


「君は……忘れ人の作ったゴーレム……で、良いんだよな?」


 まず、ラーティスは根本的な質問をする。すると少女は一瞬だけ考え込む素振りを見せた後、頷く。


「あい。あるじいうわすれびと、たぶんそう」


 どうやら忘れ人という呼称が引っかかったようだった。ラーティスは納得する。彼女の時代では、こんな呼ばれ方はしていなかったはずだ。とはいえ、先史時代の者達に作られたゴーレムであることに違いはないらしい。


「主というのは?」


「あるじは、あるじ。ますたー。ごしゅじんさま。もちぬし。つかいて。しょゆうしゃ」


 びし、とラーティスを指差しながら答えてくる。つまり、ラーティスは彼女の主人ということらしい。


「……あの遺跡で色々触ってた時、俺が主人になるよう設定されたのかな」


 思い当たる理由としてはそれしかなかった。とはいえそれは好都合だった。せっかくゴーレムを手に入れても、言うことを聞かないというのであれば意味がない。しかしどうやら彼女はラーティスを主人と認識しており、言うことを聞くようだった。となれば、やはりお宝を手に入れたと言い切って問題ないだろう。


 胸中で握り拳を固めながら、次の質問をする。


「君の名前は?」


「なまえ、ない。あるじ、つけて」


 ふるふると首を振り、要望してくる。生まれたてのような状態なのだろうか、とラーティスは思った。確かに、言葉遣いなどは見た目の年齢相応というか、情緒面も含めて幼いように感じられていた。


「名前……いきなり言われてもな……名前、名前……」


 その時ラーティスは、昔に読んだゴーレムに関する文献の中にあった記述を思い出していた。ゴーレムという言葉の大元である泥人形には、専用の呪文が刻まれていて……。


「エメ……エメコ。よし、お前の名前は今日からエメコだ」


 するとゴーレムの少女――エメコの頭の中から、まるで鈴を鳴らしたかのような軽快な音が響いてきた。それから両の手を顔の高さまで掲げ、


「えめこ。えめこ。えめこ、おぼえた。ありがとう、あるじ」


 にこりと笑ってみせた。


「――」


 現代の造形技術では考えつかないほどに精巧な顔立ち。短めの銀の髪は驚くほどさらさらとしており、真っ赤な瞳は彼女が人ではない異形の者であることをハッキリと窺わせる。だがその容姿は十歳前後の小さな女の子でしかなく、そんな少女が不意に見せた外見年齢相応の笑顔は、ラーティスの心の中に動揺を生んでいた。


 この瞬間まで、ラーティスはこのゴーレムの少女を高く売ることしか考えていなかった。それで人生を変えられる、と心の底から信じていた。裏街道をただこそこそと進み続ける盗掘屋、盗賊としての日陰者の生から。だが、


 ――大金を得て……それで……そんな人生の変化が、俺の長年の夢だったのか……?


 そんな自問が生まれる。かつてはそんなことを考えていなかった気がした。ラーティスに剣や冒険者への志を抱かせたのは、かつて生まれ故郷を訪れた冒険者達を見たからだ。その中でも自分とほとんど年齢も変わらないのに、多彩な魔法を操り、しかも剣の腕も一流だった人物を見た時、ラーティスはまるで自分が生まれ変わったような衝撃を受けたのだ。以来、自分もそんな域に到達してみたいと考えるようになったのだが。


 ――俺には魔法の才能がなく……剣も、どうしようもなく未熟だった。


 ラーティスの生まれた辺境の開拓村では、日々森を切り開いて田畑を作ることが村人達の日課であった。それに怒るのは森に住まうトレントで、村では日々襲撃してくるトレントとの戦いが繰り返されていた。


 トレントは木の体を持っており、肉弾攻撃は通用し難い。大斧を使って豪快に叩き切ったり、大槌を使って力任せに粉砕するのであれば多少は有効だが、剣や槍といった程度の武器ではよほどの熟練者でもなければ有効打を与えられない。だから村では剣を使う者も、剣という武器自体も自然となくなっていき、剣士が育つ土壌は失われていった。


 幼少から剣に親しむ者も少なくないこのご時世、成長してから初めて剣に触れた者が立ち位置を確立することは困難どころの話ではなかった。さりとてラーティスは大斧や大槌を振るうような力自慢でもなければ、魔法の才能もなかった。まともな冒険者への道は、最初から閉ざされていたのだ。


 そんな人生を変えたいと願い。剣も魔法も使えずとも、それでも自分には存在価値があるのだと証明したくて、がむしゃらに生きてきたはずだった。


 ――その行き着く先が、大金を得て終わり?


 どこかで人生の目的、目指すべき未来、胸に抱く願望がすり替わっていってしま

っていた気がした。下賤な盗賊として日々を過ごしているうちに、あの日の冒険者のような憧れられる存在になることではなく、ただ金を稼ぐことが人生の目的になっていた気がした。


 ――本当に……このゴーレムを売り払って……それで良いのか? それで、俺は変われるのか?


 そんな疑問が生まれる。むしろ今、人生を大きく変える好機はその選択ではない気がした。いや、むしろ逆の選択肢こそが……。


「あるじ? むずかしいかお、してる」


 エメコの声にはっとする。彼女を売るかどうかという考えを巡らせていたことにばつの悪さを覚え、慌てて手を振り必要以上に優しい声で否定する。


「だ、大丈夫だよ。ごめんごめん。ちょっと色々考えごとをしていただけだから」


 ラーティスは誤魔化しながら、今考えていたことについては一度棚上げすることを決める。今はそれよりも、エメコへの質問のほうが重要だ。よりゴーレムのことを知ることができれば、判断材料も増えるかもしれない。


「ゴーレムって、何で動いているんだ? 人間みたいにご飯は食べるのか?」


「ごはん、たべれない。えめこ、たいようこうじゅうでん」


「……たいよう、こうじゅう、でん? 何だそれ?」


 聞き慣れない単語をオウム返しにすると、エメコが頑丈な籠手に覆われた腕を組むような仕草を見せた。軽く目を伏せ思案気な顔をしながら、


「えめこ、かみ、たいようでんち。えめこ、なか、ちくでんち。たいようでんちではつでん、ちくでんちでためる」


「……すまん何言ってるかさっぱりわからん」


 お手上げの姿勢を見せると、エメコは困ったように眉を寄せる。それから数秒考え込んでから、やおら口を開く。


「おひさま、ぽかぽか、えめこ、げんき」


「何となくわかった気がする」


 一気に説明の難易度が下がり、ラーティスにもようやく理解できた。ちらりと、エメコに馬鹿だと思われたような感覚を覚えないでもなかったが、そもそも忘れ人達の技術力を理解できる現代人のほうが僅少だ。自分の頭が悪いのではなく、忘れ人達が賢過ぎるのだ、と結論づけることで気を紛らわせた。


「エメコは強いのか? さっき、とても大きな天井の欠片を片手で持って投げてたけど」


 すると再び、エメコが考え込む素振りを見せる。更には首を傾げ、


「……たぶん?」


 と曖昧に答える。


「何で疑問形なんだ……」


 ラーティスが胡乱な目を向けると、エメコが曖昧な答えの理由を説明し始める。


「じだい、すすんでる。ひかくたいしょう、ない。つよさ、きじゅん、わからない」


「ああ」


 合点がいった。エメコが作られた頃と今では時代が違う。強さを示す指標がわからない以上、自身が強いかどうか曖昧だというのだ。どうやら見た目以上に、エメコは賢いようだった。


 そこでラーティスは自分の胸に手を当てた。


「俺の強さはなんとなくわかるか? だいたいこの世界の平均みたいなものだ」


 一般人を含めると、とは言わなかった。ラーティスは冒険者の中ではかなり弱小の部類だからだ。特に肉体面の頑健さや力の強さといったフィジカルな部分は、下から数えたほうが圧倒的に早い。


 するとエメコがぽんと手を打ち快活に答えてくる。


「えめこ、きわめてすごくちょうつよい」


「……俺が雑魚だっていうお墨付きを貰えて嬉しい限りだよ」


「あるじ、うれしい? よかった」


「くそっ皮肉が通じない……」


 それからもラーティスは質問を重ねていく。だが時代が違うからか、要領を得ない返答も多かった。特に忘れ人や科学力などに質問が及ぶと、エメコ自身もきちんと理解できていないのか、或いは必要以上に口外できないようにされているのか、ラーティスの知る以上の知識は引き出せなかった。


「……とりあえず今の段階で聞いておきたいのは、あと一つかな」


「あい」


 長々と問答を続けているうちに、日が沈み始めていた。そろそろ出発しなければならない。ここは道から外れた森の中にある遺跡なので、決して安全ではない。せめて街道沿いまで出なければ、野営するのにも危険が付き纏う。だからラーティスは立ち上がりながら、最後の質問をする。


「エメコは……一人ぼっちで、寂しくないか?」


 彼女には情緒がある。それも人間と同程度の。短いやり取りの中で、ラーティスはそれをハッキリと感じ取っていた。


 そんな彼女が、自身の時代とは隔絶された時代に、たった一人で目を覚ました。同族はいない。己を生み出した者達もいない。……それは少し、残酷なことのように思えたのだ。或いは、あの遺跡の中で何も知らないまま朽ちていったほうが、エメコ自身は幸せだったのかもしれない。ラーティスはふとそんなことを考えていた。


 しかしエメコは、そのようなこと考えてもいなかったとばかりに、きょとんとした顔をする。


「? ひとりぼっち、ちがう。あるじ、いる。さびしくない」


 こともなげに返されたその言葉を聞いて、ラーティスは――


「……ああ、そうだな。俺も、エメコがいるから寂しくないよ」


 そう言ってから踵を返し、街道の方向へと歩き始める。


「あい、あるじ、さびしくない。えめこ、うれしい」


 するとエメコもそう言いながらとことこと走ってきて、ラーティスの隣に並んだ。

 沈む夕日の中、歩く影は二人になった。

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