第4話 甦生への旅立ち

 いつの間にか気を失っていたラーティスが再び目を覚ました時、そこは廃屋のような場所だった。


「……?」


 低い天井に狭い壁。家具らしい家具と言えば、収納用と思しき棚が一つしかない小さな部屋。その部屋のほとんどの面積を占めるベッドの上に、ラーティスは寝ていた。


「あるじ! おきた!」


 ベッド脇に置かれた小さな椅子の上に座っていたエメコが、がばと立ち上がる。今しも飛びかかってきそうな彼女を、ラーティスは先んじて手で制する。エメコはゴーレムなのでそもそもがやたら重い上に、纏っている重鎧も人間のフルプレートメイルを超える重量がある。飛びかかられたら死活問題だった。


「ああ、おはようエメコ。俺は無事だ。……状況を説明してもらえるか?」


「あい」


 素直な返事と共に、エメコが左手を挙げた。その瞬間に確認したが、やはりエメコの右手はなくなったままだった。しかし彼女はそんなこと気にもかけていないといった風で、あっけらかんと顛末を話してくる。


「あるじ、しんだ。えめこ、じばく、こころみた。みみながいの、あるじたすけられる、いった。えめこ、しんじた。あるじ、ここ、はこびこまれた。いきかえった。えめこ、しあわせ」


「……えーっと」


 エメコのたどたどしい言葉を、脳内で要約する。ラーティスが死に、エメコは自爆を決意したが、あのエルフはラーティスを助けられると言い、エメコはそれを信じた。そしてラーティスは見事生き返った。……ということらしい。


「……」


 ひとまず、自爆云々に関しては聞かなかったことにした。


 それを差し引いたとしても、エメコの話は容易に信じられる内容ではなかった。自身が死んだという話もさることながら、生き返ったという話がまた胡散臭い。死者をアンデッドとして使役するならまだしも、生者として欠損なく蘇らせられるという話など、お伽噺の中くらいでしか聞いたことがなかった。


「信じられなくて当然よね~。まぁ実際、死んでたってのはちょっと言い過ぎだもんね。あのまま放っといたら死ぬって状態ではあったけど、こうして普通に治療成功して持ち直してる訳だし」


 軽い調子の声に向き直ると、いつの間にか、ラーティスのベッドの正面に一人の少女が現れていた。年齢は十五、六といった所だろうか? ほんのりと日に焼けた褐色の肌に、見るも鮮やかな金髪が印象的な少女だった。白地のシンプルな服にゴテゴテとアクセサリーが飾られており、良く言えば快活、悪く言えば軽薄な印象を受けた。


「この子、エメコちゃんって言うんだね? いやー喋れるゴーレムなんて初めて見たよ。この子、あなたが死にかけている間、一言も喋らず周囲に警戒バチバチだったもんだから、いやぁ~困った困ったって感じだったよ。治療しようと近づいただけで威嚇してくるんだもん」


 少女の言葉にはっとする。エメコの存在が露見してしまった。そう思い慌てるよりも早く、また別の声が会話に割り込んできた。


「心配しないで。その子のことは外部には漏らしていないし、今後も話さないから。……そのためにも、ギルド管理下の病院ではなく、曾御婆様のこの診療所に連れて来たのだから」


 見ると、部屋の入り口にフードを目深に被った人物がいた。こちらは見覚えがある。ラーティスが助け、そしてラーティスを助けてくれた交易商のエルフだ。


「あ、ああ……あんたか。助けてくれてありがとう。……それから、エメコのことにも気を遣ってくれたみたいで、そちらに関してもありがとう」


 朦朧とする意識の中、この商人がラーティスを救うべく奔走してくれていたことは印象に残っていた。そして実際、ラーティスはこうして無事だ。腕の傷はよく見なければわからない程度の痕跡を残して完全に塞がっており、失血からくる不調もほとんど快復していた。加えてエメコのことも配慮してくれていたのなら、礼を言わない道理はないだろう。


 するとそのローブの交易商は、慌てた様子で両の手を振った。


「よしてよ、先に助けられたのは私のほうなんだから。……ただ、これで貸し借りチャラってことにしてくれると、助かるかな」


「……ああ、もちろんだ。こちらも負い目を負わずに済むなら、それが一番良い」


 基本的には善人のようだが、やはり商人らしく損得勘定には厳しいらしい。目端も利くようだ。だからこそ、ただの善人にしか見えない人物よりも信頼できた。


 と、交易商の言葉にふと気づく。ここはギルド管理下の病院ではない、そう言っていた。なるほど小さな小屋だと思ったが、個人で経営している小さな診療所というなら納得だった。だが――


「あ……ギルドへの報告は? 俺が任せられたのはあくまでデスブリンガーの警戒と足止めで、後から熟練冒険者チームが対処する予定になっていたんだが……」


「それはアタシが遣いを走らせておいたよ~。そんで、ギルド職員から伝言を預かっているよ。『正式に礼をしたいから、余裕ができたらギルドまで顔を出して欲しい』ってさ」


 褐色の少女が言う。どうも立場的には上位に位置する人物のようだった。ラーティスは胸を撫で下ろし、頭を下げた。


「あるじ、だいじょうぶ? もういたくない? つらくない?」


 エメコがずいずいとラーティスに迫る。しかしラーティスは、自分のことよりもエメコの右手が気になっていた。未だに断たれたままの右腕からは、金属の棒や紐のような物が垂れている。さすがにもう火花のような物は散っていないようだったが、それでも痛々しい風貌であることに変わりはない。しかもラーティスとは異なり、まったく治療を受けていない様子だった。


「俺はいい、無事だ。もう痛くもない。……それより、エメコの右手のほうが辛そうだ」


「へいき。えめこ、つうかく、ない」


 本当に痛みをまったく感じていないように、エメコは肘から先のない右腕をブラブラと振って見せる。その間に、ラーティスは褐色の少女から包帯を手渡されていた。


「……一応、その子の治療も申し出たんだけどね~。無言で拒絶されちゃったよ。まぁ、ゴーレム治療のノウハウなんてないから、この包帯巻くくらいしかできなかっただろうけど」


 ラーティスがエメコの腕に包帯を巻いていく。ゴーレムには包帯など意味はないかもしれないが、それでも、傷口が見えたままよりは良かった。当人であるエメコは、しばらく包帯を不思議そうに見た後、あっけらかんとした顔で言い連ねてくる。


「えめこ、どうぐ。つかいつぶす、ただしい」


「……エメコ! お前なぁ……!」


 その言葉は、さすがにラーティスも癇に障った。自分は他人の心配をする癖に、自分は他人からの心配を受け取らないとは何事か。そもそも人の姿をしておいて、自分から道具と言い張るのはおかしい。そう思ったラーティスだったが、異論は思わぬ方向から来た。


「まぁまぁ少年、落ち着けってば。……アタシも詳しい訳じゃないけど、ゴーレムってのは元々道具として生み出された存在らしいじゃん? なら自分を道具として定義していても、何もおかしくはないんじゃない?」


「だけど……!」


 ひらひらと掌を振りながら、褐色肌の少女が軽い口調で割り込んでくる。が、ラーティスの抗弁を手で遮ると、急に真顔になり語調も重くなる。


「……我々の価値観に当て嵌め、同じような心の動きを強要するのは、押しつけってもんだよ」


「……!」


 その言葉に、冷やりとした。まるで、鋭利なナイフを目の前に突き出された気分だった。


 エメコを改めて見た。彼女は不思議そうにラーティスを見ている。彼がなぜ激昂しかかったのか、まったく理解できていないという顔だ。実際、理解できていないのだろう。常識も価値観も、何もかもが根本的に違うのだから。そしてその違いをこちらの都合の良いように埋めさせるのは、傲慢な発想でしかなかった。


 すう、と深く息を吸った。数秒経ってから、息を吐く。それを二度も繰り返す頃には、ラーティスの心はすっかり落ち着きを取り戻していた。彼とて、下級ながらも冒険者として生きてきたのだ。自分の心はある程度宥められる。


「……エメコを直す方法は、あるか?」


 今やるべきことは明確だった。エメコを直す。それが今は何よりも優先されるのだ。すると交易商が、褐色の少女へと向き直った。


「……曽御婆様、直せる?」


 曽御婆様。祖母の、更に母。しかしどう贔屓目に見ても、褐色の少女の年齢は20に届いていないように見えた。しかしラーティスは納得する。褐色の少女の耳は、フードの人物と同じく長名種エルフのそれだった。人間の常識や価値観が当て嵌まらない彼の種族であれば、そういった事象も起こり得るのだろう。


「無理ね~」


 交易商とラーティスの期待が込められた視線を、しかし曽御婆様とやらは当たり前のように突っぱねる。


「アタシはそもそも生き物専門の医者なんだからさ~、ゴーレムなんて専門外も良い所だよ。一応、少し遠巻きながら切断面と切り捨てられた腕を見比べさせてはもらったけど、正直さっぱりさ。……ただ」


 お手上げと言わんばかりに言い募るが、そこで一度含みを持たせるように間を置いた。


「今もなお無事な忘れ人の遺跡があれば……直す方法も見つけられるかもね」


「!」


 その言葉に、ラーティスは思わず唾を飲み込んだ。居ても立っても居られず、ベッドから足を下ろす。脇に揃えて置かれていた靴を、迷わず履いていく。しかしそんな慌てた様子のラーティスを、褐色の少女が袖に着けられたアクセサリーをじゃじゃら鳴らしながら手を伸ばし静止してくる。


「少年、まぁ落ち着きなってば~。アテもないのに飛び出すもんじゃないっしょ? ……ファ・トゥラシャ?」


 語尾の呪文のような言葉に、フードの交易商が反応する。どうやら名前らしい。ファ・トゥラシャは一歩を進み出ると、懐から小さなメモを取り出し目を落とした。


「はい。曽御婆様。……これは商人の情報網でつかんだばかりの、ギルドにもまだ知られていない情報なのですが……ここから街道沿いに東へと進んだ街、トラペルテの南東にある山岳地帯の中に、遺跡が新しく発見されたそうです。どうやら、少し前に起きた落盤によって入り口が見つかったとのこと。険しい山中にある未発見の遺跡だけあって、どこの国や町がどの程度の規模の探索部隊を出すのか、揉めているらしいです」


「未発見の遺跡……そこなら……!」


 エメコを直せるかもしれない。その期待を抱き、エメコを見つめる。彼女は話の流れをあまり理解できていないらしく、ラーティスの視線に小首を傾げていた。構わない、とラーティスは思った。彼女を直せる可能性があるのなら、挑戦しない手はなかった。


「落ち着けって言ってんじゃんよ、少年」


 しかしそこに待ったをかけたのは、やはり褐色のエルフだった。どうやらラーティスを治療した当人であるらしい彼女は、上げた人差し指をくるくる中空で回しながら、彼をじっと見つめる。


「今聞いた通り、遺跡は未発見。最悪、侵入者撃退用の機構が生きてる可能性もあるでしょ? そうでなくとも、たぶんモンスターの巣窟じゃん? 熟練冒険者集めても死人が出かねないっしょ。少年だけで突入するのは、ほとんど自殺に近いよ」


 訥々と語ってから、人差し指を彼女自身へと向ける。


「アタシは医者だからさ~。治療した相手が死にに行くのは、職務上止めなきゃじゃん? だからせめて、勝算くらい聞かせて欲しいなって思う訳よ」


「……勝算なら、ある」


 ラーティスはぐっと握り拳を作る。


「俺はずっと、遺跡探検を生業にしてきた。潜った遺跡の数は10や20じゃない。それこそ、遺跡を守る番人がいるような遺跡や、モンスターがうようよしている遺跡にも潜って無事に生きて帰ってきた。遺跡の中を探検し、生きて帰ってくるという点に関しては、誰にも引けを取らない」


「でもそれは、必ずしも最奥まで攻略しなくとも良いって前提で、途中で諦めた数も多いんじゃない?」


 エルフの曽御婆様が、痛い所を突いてきた。彼女の言うことは確かにその通りだった。


「今回は違うでしょ。少年は、たぶん諦めない。つまり危険を感じても突っ込むっしょ? ……それは命取りになり得ると、アタシは思うな」


「だいじょうぶ。あるじ、えめこが、まもる」


 と、それまで黙って話を聞いていたエメコが話に割り入ってくる。話の全貌を理解しているようには見えなかったが、それでもラーティスを守る必要があることは理解しているようだった。


「……少年が命を懸けるってことは、このエメコちゃんの身も危険に晒すってことなワケ。この子は、少年を守るためなら何でもすると思うよ」


 だが、医者はそのエメコさえも説得の要素に加えていく。


「エメコちゃんを直したい……その気持ちはアタシにも理解できるよ。でもこうも考えて? 片腕はなくなったけど、エメコちゃんは生きてるじゃん? だったら、さ。もうこれ以上失わないような道を選ぶのも、勇気の一つじゃない?」


 つまり、この褐色エルフはこう言っているのだ。……諦めろ、と。夢を信じて一か八かに出るのではなく、現実を見据えて妥協しながら生きていけ、と。


 その言葉は、決して間違いではないだろう。長生きする際には必須の処世術とも言える。しかしラーティスは、かつて冒険者を志したあの時から、今の今まで妥協と共に生きてきたのだ。ここでまた妥協の選択をしたら、恐らくもう二度と夢を見ることはできないように思えた。……これ以上、何かを諦めたまま生き続けていたくはなかった。


「……愚問だったっぽいね~。その目は、未来を見る目だわ。……今より良い未来を、希望に満ちた明日を信じようとする目だね~。そんな若者を止める権利は、アタシみたいな老人にはないわ」


 ラーティスが決意を表明するよりも前に、エルフの医者がそう言って肩を竦めた。そして自身の服の中へと手を突っ込むと、小さな紙切れを取り出しラーティスへと差し出してくる。


「餞別にあげちゃおう。このアタシ、ファ・アルムティオの祝福だよ」


 渡された紙切れには、判読不能なエルフの言葉が短く書かれているだけだった。恐らくは、彼女の名前が書かれているのだろうか?


「もしも少年がアタシ達エルフの仲間に会うことがあったら、それを見せてみ? きっと力になってくれるはずだから」


 そう言って、エルフの医者――ファ・アルムティオはにかっと人好きのする笑みを浮かべた。散々止めようとしたのは医者という立場からで、彼女個人としては応援してくれているようだった。それがわかったラーティスは、深々と頭を下げた。


「治療に加えて、こんな気遣いまで……ありがとう。感謝するよ」


「治療に関しては気にすんなってば。曾孫の命の恩人なんだから、当たり前のことじゃん」


 するとその曾孫……ファ・トゥラシャも何かを手にラーティスへと歩み寄った。


「あの……こちらをどうぞ」


 ファ・トゥラシャが渡してきたのは、小さな紫色の玉が三つ入った小箱だった。


「この玉を割ると、周囲一帯がしばらく魔力攪乱状態になります。魔法は全て不発になり、魔力による身体強化の類いも解除できます。お二人は魔法を使わないようなので、有効な場面があるかと……」


「……良いのか?」


 先ほど、ファ・トゥラシャは貸し借りはチャラと言った。ラーティスもそれに同意した。となればこれは、相手側の過分な支払いということになる。しかしこの全身フードのエルフは、何も問題ないと言うように無言で首を振るだけだった。となれば、この厚意を受け取らない訳にはいかない。実際、役に立つ場面はいつか必ず訪れるだろう。


「……ありがとう。遠慮なくもらうよ、ええと……ファ・トゥラシャ……さん? 何から何まで、本当にすまないな」


 礼を述べると、ファ・トゥラシャはフードに包まれた顔を再びふるふると振った。


「とんでもない。あなたは私の命の恩人で、お二人の怪我は私を助けるために負ったものですから。本当なら、私も一緒に遺跡に行けたら良いのですが……」


「ファ・トゥラシャには運んでもらわなきゃならない薬が山ほどあるからね~。薬が届かなければ、それもまた人の命に関わっちゃうから。仕方ないっしょ」


 発言の内容に反して明るくケラケラと、ファ・アルムティオが言う。


「心配は要らない。むしろ少人数には少人数の強みがある。……それより、最後にもう一つだけ頼みがある」


 ちらり、とエメコを見ながら、


「ギルドには顔を出さずに行くつもりだ。俺がどうやってデスブリンガーを倒せたのかを聞かれると答えにくいし……余計な時間を取られると、遺跡探索で後手に回る恐れがある。……エメコのことがバレる恐れもあるからな。だから……」


「りょ~かい。明後日くらいにもう一回遣いを出して、適当に言っとくよ。もう退院した、どこに行ったのかは知らん、とかって」


 伊達に長年生きていないらしく、曽御婆様エルフはラーティスの意を汲んであっさりと承諾してくれた。彼は棚から自身の旅支度の道具を取り出しながら、改めて彼女に頭を下げた。


「……本当にお世話になった。落ち着いたら、改めて礼をさせて欲しい」


「気にするこたぁ~ない……と言いたい所だけど、その約束を受けようじゃないか。……それで君が無事に帰ってこられる可能性がほんの僅かでも上がるなら、儲けもんだ。なぁ、ファ・トゥラシャ?」


 ファ・アルムティオの声に、ファ・トゥラシャがくすりと笑う。


「ええ、そうですね。……私も、いずれあなたとはゆっくりお話をさせてもらいたいです」


 旅支度を終えたラーティスは、二人のエルフに見送られながら部屋を出る。後ろから、エメコがとてとてと付いてきていた。部屋を出る間際、一度だけ振り返って手を振る。


「ああ、未知の遺跡の冒険譚を、楽しみに待っていてくれ」


「おたのしみに」


 そうしてラーティスは、旅立つ。……今度こそ、諦めないために。

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道具(ゴーレム)を愛する方法 怪鳥三号 @kulasu

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