第2話 銀靴の冒険者達

 人気のない渓谷地帯に、天をも揺るがしかねないような轟音が響いた。渓谷の上にある木々のざわめきは谷底まで微かに聞こえてくるほどで、鳥達もが慌てたように空に飛び立っていく。


「もくひょう、たおした」


 轟音に耳を抑えていたラーティスの耳に、鈴の音のような高い良く響く声が聞こえてくる。その声の主は、くるりと踵を返してラーティスの元へととてとて走り寄ってくる。その背後には、ゆうに彼女の数倍の実の丈はある巨人が、両手を振り上げ威嚇するような姿勢を取っていた。しかしその巨人の腹部には巨大な風穴が開いており、身動きも取ろうとしない。それから間もなく、巨人は地を揺るがしながら倒れ伏した。


 この巨人はトロルだ。それも一般的なトロルより大きく凶暴で、この周辺のボスと呼べるような強大なモンスターである。トロルは強力な再生能力を有しており、生半可な傷などは見る間に治ってしまう。だから素早く致死に至らせなければならないのだが、強大な個体となるとそれも難しい。少し腕に覚えのある程度の冒険者チームにすら敬遠されるような、討伐困難なモンスターと成り果てる。


 もっとも、そのどれもが過去形だった。すでにトロルは絶命した。さすがのトロルでも、内臓ごと大穴を開けられてしまっては再生どころの話ではない。当然、即死する。


「あるじ、ほめて。ほめて」


 そのトロルを一撃で屠った幼い少女が、きらきらと期待に満ちた瞳でラーティスを見上げてくる。彼は苦笑いをしながらも、彼女の要望に応えて片手を少女の頭に乗せ、撫でてやる。


「あ、ああ……良くやったぞ、エメコ」


 言いながらも、ラーティスは自身の腰に着けているポーチをちらりと見やる。対トロル戦を見据え、粘着剤や目くらまし、弾け玉や治療薬などさまざまな道具を奮発して買い揃えておいたのだが、そのどれもが不要に終わった。喜ばしいことだが、肩透かしの感は否めない。


「エメコ……本当にすごく強いんだなぁ」


 眼前にいる少女――エメコの頭を撫で続けながら、しみじみと呟く。


「えへへ。あるじ、ほめてくれた。うれしい。やくにたてて、しあわせ」


 一方のエメコはのんきなもので、頬を赤らめながらも言葉通りに嬉しそうに笑っていた。


 彼女は古代種族――忘れ人達の残したゴーレムだ。人間に置き換えると十歳程度の外見で、短い銀髪と真っ赤な瞳、それから恐ろしく重そうな重鎧に身を包んだ姿が特徴的だった。ラーティスは数日前、ある遺跡の中でこのゴーレムの少女と出会い、主人になった。


 当初、ラーティスは彼女を売ろうと考えていた。ゴーレムは貴重だ。ましてや、まだ稼働しているゴーレムともなれば国家間での争奪さえ始まりかねない代物と言える。どれだけ吹っかけたとしても、言い値で買おうとする者はいるだろう。


 とはいえ、実際にこのゴーレムにどの程度の価値があるのかを知っておかなければ、いざ売却のための商談において不利になりかねない。売ろうとしている物の価値は正しく知っておくべきだ。


 そのためこの数日間は、冒険者ギルドに通いさまざまな依頼を受け続けていた。最初はある程度簡単な依頼から引き受けていたのだが、どんな相手でもエメコが瞬殺してしまうので価値を知るという目的は達成できていなかった。そこで今日は思い切って、トロルの中でもより強力な個体の討伐依頼を受け、万全の準備を尽くした上で臨んだのだが。


「まさかこのレベルのトロルさえ一撃とは……」


 結局、エメコの価値を正しく知るという目的は達成されなかった。わかったのは、この少女が途方もない強さを秘めているということのみ。ハッキリ言って、ラーティスではこのトロルは倒せなかっただろう。それこそ依頼料が全て消し飛びかねないような魔法のアイテムを使わなければ、万に一つも勝ち目はない。そういう手合いを、エメコは一切の補助も支援もなしに一発で倒してのけたのだ。


 ぞわり、とした感触をラーティスは覚えた。自分の全身を貫く、予感のような感覚。胸の鼓動が高まっていた。現実と折り合いをつける間に失われていた彼の野心が、小さく疼き始めたのだ。


「こいつがいれば……俺は冒険者としてのし上がれるかもしれない……!」


 全身に力が入る。今、まさに自分は人生の分岐点に立っている――そんな確信が彼の心を衝き動かしていた。


「あ、あ、あるじ。かみ、かみ、めちゃくちゃ、なっちゃう」


 当のエメコは、我知らず乱暴な撫で方になっていたラーティスの手つきにわたわたと慌てていた。






「……はい、今確認が取れました。凶悪トロルの討伐依頼達成です。お疲れ様でした」


 傍らの水晶に手を置いていたギルド職員がそう言い、俺に頭を下げてくる。


 楚々とした印象を受ける、黒髪黒目の女性職員だった。額には布を巻いており、ちょうど中心の所に目のような模様がある。魔法によって遠方の様子を確認することに長けた能力者である証だ。この魔法はそれほど希少という訳でも、習得困難な魔法という訳でもないが、精神集中と慣れが必要である上に魔力消費も激しいと使い勝手が悪いため、冒険者には不人気だ。だがギルド側に取ってみると冒険者への依頼書作成や依頼達成の確認、場合によっては遭難した冒険者の探索などと重宝するため、大抵の街の冒険者ギルドにはこの能力者が魔力供給の水晶とセットで数名いる。


「それにしても凄いですね。トロルの死体を見ましたが、胴体が完全に貫かれていました。ラーティスさんは、一般的なレンジャーであると伺っておりましたが……」


「修行の成果ですかね。俺も日々頑張っているもんで」


 ラーティスが空とぼけると、ギルド職員がラーティスの傍らにいる小さな影に視線を向ける。大きな布を頭からすっぽり被って全身を覆い隠したその姿は、嫌でも目立つ。


「……それに、いつの間に子持ちに?」


「ははは……秘密にしておいて欲しいんですが、これは遠い親戚に当たる貴族の娘さんでしてね。どうもその親戚が貴族間の揉め事に巻き込まれたらしくて、ほとぼりが冷めるまで密かに預かっていて欲しい、と直接依頼されているんですよ。顔を隠しているのも、そのためです。できれば、あまり詮索しないで頂けると助かりますね」


 もちろん今ラーティスが語った内容は、ほとんど嘘だ。この小さな影はエメコであり、断じて貴族の娘などではない。ただ、ラーティスの遠い親戚に貴族がいるというのは事実だ。……母の兄の結婚相手の父の後妻の本家という、限りなく無関係に近い親戚な上に、村一つ管理している程度の弱小貴族だが。


 とはいえ、小さな子供を連れ回している理由も、顔を隠している理由もあるとなれば、この怪しさの塊である少女にもこれ以上疑いの目は向けられなくなる。よほどの犯罪でもなければ、ギルドが冒険者個人の事情に深入りしてくることはない。


「そうですか……ええ、もちろん詮索はしませんよ。ただ、くれぐれも犯罪行為に手を染められることはありませんように」


 ラーティスはエメコの存在を伏せようとしている。ハッキリ言って、エメコは貴重過ぎる存在だ。手に入れるためにはどんな犯罪さえも厭わない相手がいたとしてもおかしくない。そこまでいかずとも、悪目立ちすれば身動きが取り難くなってしまう。そのため最初は目立たない場所に隠れ潜んでもらおうかと思っていたのだが、エメコは頑としてラーティスの傍を離れなかったため、仕方なくこのような対処をしている。


「もちろんです。私だって、この歳で人生を棒に振りたくありません。……それよりも、他にこの近辺での討伐依頼などはありませんか? 今は調子が良いんです。先のトロル討伐よりも、もう少し難しい依頼でも構いません」


 トロル討伐によって得られた報酬は、これまでのラーティスが冒険者生活の中で稼いできた金額の中でも極めて破格だった。件のトロルがしばしば近場の農場を荒らしていたために懸賞金が嵩み、更には突然変異か何かで通常のトロルよりも更に強靭な個体となっていため、学者や錬金術師達が遺体の買い取りを要望していたのだ。


 ――これだけ簡単に、しかもたくさん稼げるのなら、エメコは売らないほうが良いかもな……。


 そんな下心が生まれてくる。実際、エメコが今後もこうして稼いでくれるのであれば、ラーティスは一生お金に困らない生活を送れるようになる。更には冒険者としての格が上がり、名声や地位を手に入れることもできるかもしれない。冒険者としての底辺をどこまでも欲深に突き進んできた彼の心は、今まさにぐらついていた。


 するとギルド職員の女性は、少し困ったような顔をした。手元の書類の束から二枚の依頼書を取り出し、その二つを見比べながら、


「……二つほど、あるのですが。ただ、トロル討伐と比べても更に危険な内容なので、現在幸運にもこの街を訪れている凄腕冒険者チームの方に手紙を出し、依頼を検討して頂いている途中でして……」


「私達のことか」


 ラーティスの背後から聞こえてきた凛と響く声に、どきり、と彼の心臓が跳ねた。全身の血流が一気に加速する。体温が上昇する。体が緊張していく。この声に、ラーティスはハッキリと覚えがあった。忘れる訳もない。彼が冒険者を志すことになった最大の理由――


「ああ、銀靴ぎんかの皆様……お待ちしておりました」


 燃えるような赤の長髪に、意志の強さを宿らせた凛々しい薄緑の瞳と、きりりと整った顔立ち。魔術的刻印が各所に編み込まれた白銀の鎧に、彼女の髪同様に真っ赤な宝石が柄の部分に嵌め込まれた宝剣。そして忘れもしない、銀色に輝く靴。凄腕冒険者チーム、銀靴の筆頭であるアリーセだった。


「申し訳ないっスねレンジャーさん。ちょっと自分ら呼び出されて来たもんで、お話の途中失礼するっスよ」


 その隣には二人の人物。片方は筋骨隆々とした巨漢の男だった。ラーティス自身も決して痩せている訳ではないというのに、腕や足の太さがラーティスの倍くらいもある。だというのに刈り上げた茶色がかった短髪と人懐っこい笑みなどが、妙に若々しい印象を与えてくる。朗々とした明るい声も、その印象を助長していた。そしてやはり、アリーセ同様に銀の靴を履いている。


「ごめんなさいね。あなたが話していたのに……」


 そしてもう一人の人物は、ラーティスより二つか三つは年下と見える若い少女だ。褐色の肌と肩まで伸びた紫色の髪が特徴的で、体つきは小さいのに目を奪われるほどの豊満な胸が印象的だった。その抜群のスタイルをこれまた扇情的な踊り子風の赤い衣装に包んでおり、不思議な魅惑を感じさせてくる。こちらも銀の靴を履いているが、他二人のグリーヴと違って表面積が少なく肌の露出の多い、やはり踊り子風の物だった。眦を下げて申し訳なさそうな顔をしつつも、同時に見せてくるその柔和な笑顔は、どことなく母性のような温もりさえ感じさせた。


「あ、ああ……いや、大丈夫です。むしろ、かの有名な銀靴の皆様にお会いできるなんて、光栄です」


 ラーティスが六年前に見たことのある銀靴のメンバーとは、アリーセ以外異なっている。そのため巨漢の男と、踊り子風の少女の名前までは知らなかった。


 当時は、もっと多くの剣士風の者達や、魔法使い風の者達が所属する、十人程度のチームだったと記憶しているのだが、代替わりが進んだのだろうか。そして代替わりが進んだのだとしたら、その中心となったのはやはりアリーセだろう。ラーティスとは大した歳の差もなかったであろう幼い時分でありながら、その輝きは他と一線を画していた。あれほど流麗に剣を操り、あれほど卓越した魔法を的確に使う人物は、後にも先にもアリーセ以外記憶にない。それほど、彼女は傑出した存在なのだ。


 だから彼女さえ在籍し続けているのであれば、例え人数が十人から三人に減っていたとしても、銀靴の実力は僅かも損なわれてはいないであろう。そんな確信があった。


 自ら進んでギルド職員の前を譲り、数歩を下がる。何しろ冒険者としての格も実績も違い過ぎる相手だ。しかもラーティスにとっては憧れの存在そのもの。言われずとも道を開ける。


「依頼内容は?」


 いかにも怜悧な様子で、アリーセが職員に質す。だがその後ろから、例の踊り子風の少女が声を上げた。


「もう……アリーセちゃん、お手紙に書いてあったでしょう? レッドドラゴンとデスブリンガーが、同時に別々の場所で確認されたんだって。さっき、ママが読んであげたじゃない」


 ――アリーセ……ちゃん?


 どう見ても、アリーセより踊り子風の少女のほうが年下に見えた。加えて、銀靴の三人はいずれも人間にしか見えない。踊り子風の少女が実はとんでもない若作りという訳でもない限り、その話しかけた方には違和感があった。だがそれよりも、


 ――レッドドラゴン? デスブリンガー?


 どちらも名前くらいならラーティスでも聞いたことがある。炎を操る力を持つ上に強靭な肉体を持つ飛竜と、卓越した剣技を操り命ある者を一刀の元に斬殺していくアンデッドの一種だ。どちらも強敵過ぎて、以前までのラーティスであれば名前を聞いただけで遁走するようなレベルのモンスターだ。このような小規模な街の近くに現れて良いようなモンスターではない。それこそ銀靴レベルの冒険者チームでも遠方から呼びつけなければ対処できず、その間に恐ろしいほどの被害が出ていただろう。


 圧倒的な状況。にも拘らず、ラーティスの頭には意味不明な単語が引っかかっていた。


 ――ママ?


 文脈や言い方から読み取ると、踊り子風の少女は自分のことをママと呼び、アリーセに接しているようだった。意味がわからない。わからな過ぎる。ラーティスは混乱していた。


「……おぉ」


 するとアリーセが、今初めて聞いたとでも言いたげな様子で関心の声を上げた。それから再びきりりとした表情になり、ギルド職員に尋ねる。


「大変だな?」


「え、あ、ええ……はい、大変です……ですから、銀靴の皆様をお呼び立てさせて頂いた訳で……」


 さすがのギルド職員も平静ではいられなかったのか、少し困惑気味に返答をしていた。


「……」


 ラーティスは思い出す。六年前にアリーセを見た時、そういえば戦う姿しか見ていなかったな、と。しかしあれだけ凛々しい表情と卓越した戦闘技術で圧倒していたのだ。当然、人間性の部分も完璧だと思っていた。思い込んでいた。


「姐さん姐さん、そうじゃなくって、自分らはどっちに先に対処すれば良いのかって話っスよ。あと詳細な場所聞かないと」


「ベイク、黙っていなさい。今私が大事な話をしているの」


「うっス」


 巨漢――ベイクが進言するが、アリーセは横目で睨むだけで一顧だにしない。そんなやり取りに慣れているのか、ベイクはすぐに黙る。


「……それで、私達はどちらに先に対処すれば良いの? それと、詳細な場所も教えてちょうだい」


 が、アリーセは結局ベイクの言っていた通りのことをギルド職員に尋ねていた。


 ――俺の憧れ……。


 どう見てもポンコツだった。


「あ、はい。……銀靴の皆様には、まずレッドドラゴンへの対処に当たって頂きたいと考えています。レッドドラゴンは現在、この街から出て西方にしばらく進んだ先……街道から少し外れた山岳地帯に留まっています。レッドドラゴンは飛行能力を持つ上、空の上から炎を吹きかけてくることもあるため、街に襲来する可能性と襲来した際の危険がどちらも非常に高いのです。なので、こちらを優先的に対処して頂きたいのです」


 プロ根性のなせる業か、ギルド職員が呆気に取られることもなく丁寧に説明をしてくる。その言葉に逐一ふむふむと言いながら頷いていたアリーセだったが、ふと後ろの踊り子風の少女へと振り返ると、


「……ミナル。つまり?」


 要約を求めていた。が、褐色肌の少女――ミナルも慣れているのか、すぐにアリーセ向けに噛み砕いた説明をする。


「レッドドラゴンのほうが危ないから、先に倒してーって」


「そういうことか」


 ――五歳児かな?


 傍観者気分のラーティスがそんなことを考えていると、ベイクがその筋肉まみれの太い腕を挙げた。


「ちょっといいっスか? 街の危険を考え、レッドドラゴンの対処が優先されるのはわかるっス。レッドドラゴンが万が一にも街へ逃げてこないよう、自分ら三人で当たる必要があるのも確かっス。ただデスブリンガーも、生き物を殺せば殺すほど強くなっていく、放置しておけないモンスターっス。だから……」


 その丸太のような腕が、ラーティスを指差す。


「そっちのレンジャーさんに、足止めや周囲への警戒を呼びかけてもらってはどうっスか? 実は自分、姐さん達よりも先にこのギルドに着いて話を聞いてたっスけど、レンジャーさん、凶悪なトロルを易々と倒した実力者なんスよね?」


「な……」


 突然話を振られたラーティスがにわかに慌てる。デスブリンガーなど、ラーティスとはあまりにも実力がかけ離れ過ぎていて、仮に戦闘になったとしても一目散に逃げる以外の想定さえできない。そんな相手と、足止めとはいえ交戦しろと言う。正気の沙汰とは受け取れなかった。


 するとベイクの言葉を聞いていたアリーセが、ラーティスを見た。その何もかもを見通そうとするような瞳に、ラーティスは身が竦むような思いを感じた。


「この人がトロルを……本当なの?」


「え、ええ。それはギルドが保証します。トロルはこの方によって、恐らく一撃で倒されていました」


 このままではまずい方向に話が進む。そう思ったラーティスは、慌てて口を挟む。


「ま……待ってくれ」


 ラーティスは自身に皆の注意が向いたのを確認してから、努めて冷静に言う。


「トロルを倒したのは……その……極めて高価な道具を使ったからなんだ。俺自身の実力という訳ではない」


 即興の言い訳。しかし、あながち嘘とも言い切れなかった。ゴーレムは人ではなく、どちらかと言えば道具という括りだ。そのゴーレムを使って倒したということは、即ち高価な道具を使って倒したと言えなくもない。


 しかしラーティスの言い分は、あっさりと一蹴されてしまう。


「ええっ、凄いねえあなた。つまり実力以上の相手を、道具を上手に使って倒したんだ。偉い子だねぇ」


 銀靴の一人であるミナルが、本当に心の底から凄いと思っているような表情と声音で、ラーティスに賛辞を送ってくる。自身から見ても明らかに年下であろう少女からの躊躇のない賛辞に、ラーティスはむず痒くなるような気持ちを覚えた。


「よ、よしてくれ……俺はただ……」


「謙遜しなくて良いんだよ。あなたは偉い、凄い。やればできる子なんだから。……どうかな、ギルド職員さん? 彼に色んなアイテムを渡して、それを自由に使ってもらって足止めをしてもらうっていうのは?」


 水を向けられたギルド職員は一瞬だけ呆気にとられたような表情をしていたが、すぐに合点がいったかのようにミナルの話に乗り始めた。


「そ……そうですね。この事態に対して、ギルド側も貴重なアイテムの提供は惜しみません。人的被害が出るよりもずっと良いですから」


 そう言って、ラーティスの側へと体を向けて深々と頭を下げてくる。


「お願いします、ラーティスさん……犠牲者を一人でも減らすために、どうかこの依頼を受けては頂けませんか……?」


「う……」


 ラーティスは先ほど自らが言った、トロル退治よりもっと難しい依頼でも構わないから依頼が欲しい、という言葉を後悔していた。この依頼は、確かにトロル退治より困難な依頼だ。


 しかしそれでも、デスブリンガーは危険すぎた。デスブリンガーはアンデッドの一種なので、生物相手に有効な類の妨害がほとんど効かない。しかも音も気配もなく後ろに回り込み、一閃の下に獲物の首を飛ばすと聞く。仮にエメコをぶつけたとしてもアンデッド由来の物理耐性の高さゆえに勝てるかどうかわからず、それどころかエメコを無視してラーティスの首を跳ねに来る可能性も少なくない。間違っても、戦うべき相手ではなかった。


「……私達だけでは、犠牲をゼロにできない」


 逡巡するラーティスの背中を最後に押したのは、彼の原初の憧れ、冒険者へと足を踏み入れるきっかけとなったアリーセの言葉だった。


「あなたの力が必要だ」


 その言葉は、卑怯だった。


 ――俺は、あなたに憧れて冒険者になったのに……。


 しかし魔法の才能はなく、剣の技術も足りず、ラーティスは銀靴のアリーセのようにはなれなかった。彼女のように、多くの人に必要とされる地位を得ることはできなかったのだ。だから諦め、現実と妥協し、卑屈に生きてきた。


 だが本当は、人に必要とされたかった。誰かに価値を認めて欲しかった。誰かを救える自分でありたかった。それが、ラーティスの原点に他ならない。


「……提供してくれるアイテムの一覧を下さい」


 ラーティスがそう言うと、皆がわっと色めき立った。


「少々お待ち下さい! すぐにリストを作成します! 手の空いている職員達は、デスブリンガーの足止めに役立ちそうなアイテムの選出をお願いします!」


「さっすがレンジャーさん、男っスね! 自分らがレッドドラゴン退治から戻ってくるまで、持ち堪えて欲しいっス!」


「でも、無理はしちゃダメよ……? 危ないと思ったらすぐに逃げてね。あなたが逃げたって、誰も責めたりなんかしないんだから」


 ギルド職員、ベイク、ミナルが口々に言う。気がつけば、一歩後ろで控えていたはずのエメコまでもがラーティスのすぐ隣にぴたりとくっついて立っていた。人前では喋らないよう厳命してあるのでエメコは何も言葉を発してはこなかったが、それでもラーティスに密着し何かの意思を伝えてきていた。


 そして、アリーセは――


「よく言ってくれた。これで私達も、何も考えずレッドドラゴン討伐に注力できる」


 信頼に満ちた瞳で、ラーティスを見ていた。憧れの人からの信頼に、ラーティスは気づけば握り拳を固めていた。


「良かったね、アリーセちゃん。アリーセちゃんは、考えるの苦手だものねぇ」


 だが、ミナルの言葉に拳から力が抜けた。タチが悪いのは、アリーセ自身がミナルの言葉を否定するどころか頷いていた点だ。つまり彼女は深い考えを持ってラーティスに信頼を向けてくれた訳ではない。ただ、それは逆に言うと、打算抜きの信頼ということでもあったのだ。


「はいはい! では銀靴の皆様にはすぐ出立して頂きます! レッドドラゴンの現在地はこちらの地図に刻印してあります。レッドドラゴンが移動したら、地図上の刻印も移動します」


「わかった」


「姐さん、地図読めないっスよね。自分が持っておくっス」


「頼んだ。では行こう!」


「ああ! アリーセちゃん、逆、逆よ! 西門はそっちと反対側なの!」


 どたばたと、高名な冒険者チームらしからぬ落ち着きのなさでアリーセが冒険者ギルドを出ていき、その背をミナルが追いかける。


 ――そういえば、あの三人の誰も、レッドドラゴンの強さを話題にしていなかったな……。


 つまり銀靴の三人組にとって、レッドドラゴンという強大なモンスターは倒せて当たり前の存在だということ。ラーティスは、上級冒険者との差を改めて思い知らされた。


「……ところでレンジャーさん、ちょっといいっスか? その連れている子は、何っスか?」


 ギルド職員から地図を受け取っていたベイクが、ふと話しかけてくる。ラーティスも慣れたもので、いつもの説明を繰り返す。


「訳ありで預かっている子です。依頼主の都合もあるので、詮索しないで貰えると助かります」


 基本的に、冒険者は他の冒険者の領分に踏み入らないのが暗黙のルールだ。冒険者はしばしば個人的な事情を抱えているものだ。それを詮索するのは、その他多くの冒険者からも警戒されかねない。


「そっスか。いや、これは失礼したっスね。ちょっと、その子の体運びとかが気になったもんっスから」


 しかしこの巨漢は、朗らかに頭を下げてきながらも、エメコから何かを感じ取ったことを明け透けに伝えてくる。その不躾な態度と、図星を突かれた同様から、ラーティスの声と態度も少し強張る。


「……少し、変わった環境で育った子ですからね」


 そう言うと、ベイクは納得がいったと言うように両の掌を打ち合わせた。それから片手を挙げ、ラーティス達の前を横切り先に出ていった二人組の後を追い始める。


「なるほど、いや詮索しちゃってすまなかったっス! ……それじゃあ自分も、ここで失礼するっスね! ご武運を祈ってるっス!」


 その後ろ姿が完全に見えなくなるまで見送ってから、ラーティスはようやく緊張を解いて嘆息する。


 ――実は一番警戒しなければならないのは、あの男なのかもしれないな。見た目一番の脳筋なのに。


 そんなことを思った。

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