鏡、写真、アルバム

沙雨ななゆ

わたしではない

 学生のときに一方的に片思いをしていた友達と、年賀状を交換しなくなってしばらく経った。友達とは言ってもその子ととくべつ親しかったわけではなく、その子はわたしよりももっと親しい友達がたくさんいた(ように見えた。そのなかにはわたしがやや苦手な子も含まれていた)。それでも、あるきっかけでその子の文章をわたしが添削することになり、なぜわたしなのか、と問いかけたとき、あなたがいちばん信頼できる文章を書くから、というようなことを言われたことを、今でもときおり思い出す。その子はきっと、わたしがその子に憧れていたことを知らないだろうし、知らなかっただろう。わたしは何度かその子に褒められることがあったけれど(どういう文脈だったかは忘れてしまった)、それをいつも疑問に思っていた。その子と比べたとき、わたしにできることは何もないように思ったし、その子のほうがずっとおとなで、わたしはおとなぶったこどものままだった。その子はつよくおのれを持っていて、つまり自己にたいする理解をするのが、わたしの見るかぎりでは、同学年のだれよりも早かったと思う。とにかく、その子に憧れていたけれど、同時につよく劣等感を抱いてもいたわたしは、卒業と同時にその子とはほぼ連絡をとらなくなった。

 そして今日、ひょんなことからその子のSNSアカウントを見つけてしまった。

 見つけなければ良かったのに、と後悔した。けれど見つけてしまったので、それを見ることをやめられなかった。そこにはその子の日常と、旅程、観た映画、行った展覧会、好きな場所、など、さまざまなことが書き込まれていた。とくべつ目を引くものではないし、いわゆるバズったものも見当たらない。しかしそこに描かれる彼女の感性は、在学中にわたしがずっと憧れていたそれだった。最初は顔が可愛い、としか思っていなかった彼女の、物の見方や考え方や趣味のセンスを知って、だからわたしは彼女のことがだいすきだったんだ、ということを思い出した。彼女のそれがどういうものか、うまく言葉にあらわすことができない。言い訳にすぎないだろうけれど、わたしがここで無理やり言葉を捻り出すことで、わたしがだいすきな彼女の良さに手垢がつくことを恐れてしまう。彼女は、圧倒的ではなかった。ただ、たおやかなひとだった、と今にしては思う。そしてわたしはそれがすきだった。わたしはつねに観客席から物語を見ることを好むけれど、彼女という物語に、もしかしたら関わりたかったのかもしれないな、なんてことも、また思う。

 でもそれもすべて終わった話だ。彼女はきっとわたしのことなんて覚えていないのだろうな、と思う。特別なこと、運命だって思うこと、誰かのことをだいすきなきもち、憧れるきもち、そういったものはすべて一方通行で、交わることのほうがむつかしい。だれかの景色にわたしがいるように、わたしだって彼女にとっては景色の一部になっているのだとわかっている。

 いいねボタンを押さずにアプリを閉じた。在学中、彼女の好きな作品はわたしの好きなそれになることが多々あったけれど、わたしの趣味に世界旅行はない。そうしてすこしずつ、もう交わらなくなった世界のなかで、それでも明日を迎えるのだろうから、なにもかもが不可逆で仕方がないことだった。

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鏡、写真、アルバム 沙雨ななゆ @pluie227

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