第5話──今日死ぬ私のためにキスをして
神社の境内にも屋台は侵食していて、身動きが取れないほど人がいた。私はトワとはぐれないように強く手を握った。人混みの間隙を抜けて、土俵を通り過ぎて、人通りのない夜の方へ足を向けた。今にも消えそうな灯りの下に粗末な二人がけベンチがあって、そこに腰掛けた。
歩き疲れた私たちは腕を伸ばした。動きがシンクロして、可笑しくなって笑い合った。
取り止めのない話をして、花火が始まるのを待った。
この花火が終わったら、いよいよトワとはお別れだ。今日、私は死ぬ。あと五時間の内に私はこの世から消えていなくなる。寿命測定は生まれた時に一回だけしかしていないから、具体的に何時何分に死ぬのかは私でも知らない。
しかし確実に今日死ぬことは確定している。
トワを拒絶して、別れを告げなければいけない。トワが私の死を悲しまなくてすむように。
スピーカーからアナウンスが始まった。
『本日はお集まりいただき誠にありがとうございます……』
長々と注意事項を読み上げた後、明朗快活な女性にバトンタッチしていた。
『カウントダウン! 皆さん準備は良いですかー! 十、九、八、七……』
六、五、四、三……、と私も数えていた。
二、一。
「私、今日死ぬことにしたんだ」
『ゼロ!』花火打ちあがって散った。
スプーンからかき氷が落ちてジワっと土が黒く染まった。トワの言葉は、私の鼓膜で何十回も反響した。無意識でかき氷をかき混ぜていた。甘いシロップとふわふわの氷が掻き乱されてドロドロになっていった。
花火なんてそっちのけで、トワの方を見つめた。
「ねえ、今のって」
「あとで!」
トアは花火に見入っていた。仕方なく私も花火に集中……出来ないよ。
花火は世界で一番寿命が短い花だ。一瞬咲いて、すぐに散って光は地上に落ちる。花火は人の人生みたいだと言った人を覚えている。生まれて上がって、華やかに咲いて、散って落ちると。
なら、私の人生はなんだろう。果たして本当に打ちあがっているだろうか。十七歳で死ぬ私は、低い位置で咲いている。上の方で咲く花火の影に隠れて誰も見てはいないのだ。
あの花火は六十歳。あの花火は百歳。打ちあがる花火の高さを寿命に見立てていると、とても惨めになった。とても純粋な気持ちでは人生最後の花火を見られなかった。
最後に一番高く上がった最大の花火。あれはきっとトワのはずだ。
『……本日の花火大会は終了いたしました。ご来場ありがとうございました……』
屋台の光が徐々に消えて、祭りの昼が終わり、本当の夜が降りてくる。
アナウンスが終わった後も、私とトワは沈黙を貫いてベンチに座っていた。
午後八時。あと四時間のうちに私は死ぬ。
そしてトワは、「今日死ぬ」と言った。残り117年残っている彼女が。
「ねえセツナ」
沈黙を破ったのはトワだった。
「私、今日死ぬからキスするね」
「………………!?」
思考が追いつくより先にトワの顔が近づいて、唇が重なった。腰と頭に腕を回されて身動きも取れない。息も思うようにできない。このまま窒息死するのかと思った。
「……んっ」
口の中に侵入してきたトワの舌を拒めまなかった。内部から侵食されている。舌の動きが嫌でも想像できてしまう。脳が直接ぶん殴られている。
気持ちいい。苦しい。怖い。嬉しい。分からない。なんで、なんで。思考が動作不良を起こして完全に麻痺していて、代わりに感覚だけがイタズラに鋭くなっていく。
「…………ぁ」
りんご飴の微かな甘さ。鼓膜に唾液が混ざり合う音と息継ぎの荒い呼吸音が刺してくる。知らない感情を植え付けられて、くらくらした。
抗えない一瞬でありながら永遠の時間は、トワが口を離して終わった。
私のファーストキスだった。
「ハァ……ハァ……なんで……」
大きく息を吸ったけど、上手く吐き出せない。頭の中がぐちゃぐちゃになって涙が溢れ出ていた。
「なんで、トワは136歳まで生きられるのに、今日死ぬなんて言うの」
「セツナが私の王子様だから」
王子様。梨山峠の作品の、王女のために共に死んだ、トワの理想の人物。
「セツナと今日死ぬ。セツナの寿命が尽きる時に、一緒に命を散らす」
「……もしかして」
悲しげにトワは笑った。
「ごめんね。セツナの寿命知っているんだ」
いつから。
「今年の三月くらい。その時の彼女がセツナと同じ中学校で、寿命が17歳の8月23日だってことも知った。黙っていてごめん」
もう訳分からない。掻き乱されすぎて意味分からなくて、涙が止まらない。
「好きって……」
「好きだよ。愛している。初めて会った時から。でも、好きだから言えない。見送る側なんて嫌だもん。セツナだってそうなんでしょ。見送られるのが嫌だから、私に何も言ってこなかった。違う?」
私の気持ちもとっくにバレていたと分かって、恥ずかしくて死にたい。もうすぐ死ぬけど今すぐ死にたかった。
「でもセツナは今日死んでくれる。私はセツナを愛している。置いていくのも、置いていかれるのも嫌。私は愛する人と一緒に死にたい。だって寂しいし」
トワが腰に手を回してきて、思わず肩が震えた。またキスされるんじゃないかって身構えた。
「セツナは、私のこと好き?」
トワの黒くて綺麗な瞳が私を見据える。逃げられないと悟った。腰に回された手が引かれて、トワの鼻先が触れた。
「……私は」
「言って。セツナがどう思っているのか」
酷い、こんなの。全部知っているくせに、私から言わせようとしている。
横暴でわがままで、狂っている。
全部利用されている気がしてならない。こんな無茶苦茶な真似、トワじゃなかったらとっくに拒絶して刺し殺している。人の命を弄んで叫びたい。
嫌いって言わなきゃ。嫌いって言ってトワを拒絶しなきゃ。
……あれ、拒絶する理由が無い。トワは今日死ぬ私を見下さない。「可哀想」と言わない。
136年の寿命を投げ打って、私と共に死のうとしている。私がトワの理想のための道具だとしても。トワは私を「好き」と言った。「愛している」と言った。
とても簡単な事だった。
「………………好き、です」
やっと出た言葉は消え入りそうなほど小さかった。喉のつかえが取れて、思いが濁流となって溢れた。
「好きなんだよ。ずっと。初めて会った時からずっとずうっと。顔も中身も、笑い方も仕草も全部全部っ! トワの全部が好き。好きだから、好きだって言えなかった!!」
ずっと臆病で、十七年で死ぬって分かっているから何もこの世に残す気になれなくて、何に対しても踏み出せないでいた。でも、そんなのはもう終わりだ。
どうせ今日死ぬのだから、好きなだけやってしまおう。トワがしていたように。
「トワ、ワガママ言っていい?」
「いいよ」
「今日死ぬ私のために、人生最後にキスをして」
今日死ぬ私のためにキスをして @morgenrot1202
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