day10 ぽたぽた

 ウグイがメロの名前をさんざん褒めた後。

 次の日はメロは顔を赤くしたり照れたりと挙動不審にしていたが、何日か経った今では普通に雑談をするくらいに落ち着いていた。

 そんな中ウグイは上司に伴われて客先へと挨拶へ行った。


 その顧客は会社とは長い付き合いの茶道の家元である。


 ウグイとメロが勤める会社は茶器や茶道具の販売を行う卸であり、その顧客には長いこと贔屓にされていた。

 だから、というわけではないがある程度はなにを言われても笑顔で頷いておく必要があり、まさにウグイは忍耐を試されることになった。

「あらあら、黒谷さんは未婚でいらっしゃるの。誰か良い人を紹介しましょうかねえ」

「いえいえ、そんなお気遣いなく」

「けどねえ、やっぱり社会的信用がねえ」

 相手は齢90にもなろうかというご老人である。そもそも生きてきた時代が違うし、時代が違えば価値観も違う。だから仕方ない。

 ウグイは見本のような愛想笑いを浮かべて頷いたり軽く首を傾げたりと全力で聞き流していた。

(森永さんは絶対に連れてこないでおこう)

 そんなことを思いつつ赤べこのように頷いている内に隣に座っていた上司が話をまとめ、無事に帰社することになった。




「おつかれ、黒谷くん」

「いえ……毎回あんな感じですか?」

「……うん」

 上司は頭痛を堪えるように額を抑える。

「このご時世だからああいう事を言う人のところに女性社員は連れていけないし、前行ってもらってた人は別の支店に移動しちゃったし」

 ちなみに前任者は既婚男性だそうだ。上司もわかってるよな……とウグイは息を吐く。

「今、うちの部署で既婚者って私だけですけど、ちょっと手がね……回らないよね……。だからごめんなんだけど、行ってくれるかな」

「まあしょうがないですよ」

「ほんと、ごめんね……」

 ウグイとて上司が忙しいことはわかっている。上司には少し前に下の子が産まれたはずで、そのときは部員からお祝いを贈った。

 だというのに彼は誰よりも早く出社していて誰も彼が退社するところを見たことがない。

 そんな上司からの引き継ぎを断れるほどウグイは薄情ではなかった。




 男二人で肩を落としながら帰社すると、メロが笑顔で出迎えてくれた。

「あ、二人ともおかえりなさい。これ、さっき来た営業さんがくれたんで、お二人ともどーぞ」

 そう言って差し出されたのはぽたぽたせんべいだった。

 昔懐かし甘辛おせんべいである。

「おー、さんきゅ。これうまいよなー」

 上司は一袋受け取って自席へ向った。

「黒谷さんは食べます? こういうの好きでしたっけ」

「うん、ありがとう」

 別に大したことではないのはウグイもわかっているのだ。

 ただの同僚として部内にお菓子を回しただけ。なのだけど、その気遣いが荒んだ心に染み込んだ。

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高い空と白い雲とやる気のないあたしたち 水谷なっぱ @nappa_fake

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