この中に1人、俺に惚れている奴がいた


 一通の手紙にまつわる様々な謎が次々に紐解かれていく。


 語られる言葉に何とかついて行きつつ、俺は一人考えていた。

 有栖川が俺に惚れていたというのは守屋の推理通り正しかった。

 今現在、俺に対してはもう興味を失ってしまっているのは予想外だっただろうが、それも仕方ないことではある。

 ただ思うのは、どうしてそこまでして有栖川の恋を成就させようとしたのかということ。

 俺の為を想ってなのだろうか。


“僕が君に惚れている”


 ほんの少し前に守屋が言ったことが頭の中を漂っている。

 手紙に刻まれていた想いはたしかに本物だった。

 あれほどの想いを隠し込んでまでも、あえて有栖川と俺を繋げる理由が俺にはわからない。


「どうしてやったのか、ワイダニットに関しては有栖川が君に“今”惚れているという前提で話させてもらうよ、シャーロッくん。僕の計画はそれが大前提のもとに成り立っていたからね」


「……ああ、構わない」


 苦しそうな表情は変わらないまま、守屋は無理に笑って話を続ける。

 そんな彼女を見るのはつらかったが、今は話を遮ることが優しさではないともわかっていた。


「有栖川が君に好意を抱いていると気づいた僕は、どうにかしてその想いを早く君に伝えなくてはと考えた。しかし有栖川も君もあまり恋愛には積極的な性格ではない。だから僕が一計を案じたわけだ」


 たしかに実際に有栖川は去年の辺りまで俺に惚れていたらしい。

 中学の頃から続く想いだったとしたら、伝えるまでに時間がかかり過ぎているとも言えなくはない。

 だがもしそうであるならば、守屋が先に俺へと想い伝えてくれればよかったのに。普通はそうする気がする。

 そうしてくれさえいれば、きっと俺はもっと早くに——、


「君宛てに有栖川からの偽の手紙を届け、それをきっかけに君が有栖川の想いに気づく。それこそが僕の考えた計画だった。手紙は偽物だとしてもよかったのさ。手紙は偽物でも、有栖川の想いは本物だ。少しばかり僕が手助けすれば、何とでもなると思っていた」


 事実、俺が有栖川とまともに会話できたのはあの手紙のおかげだ。

 もし数学の補講中に手紙をもらっていなければ、いまだに俺が有栖川と直接言葉を交わすことはなく、かつての想いを知ることもなかっただろう。


「差出人の名前を書かなかったのは、今も言った通り、僕が君と有栖川の間を自然に取り持つ流れをつくり出したかったからさ。差出人不明の手紙。そんなものを貰った君が頼るとすれば、僕以外にいないとわかっていた」


 一週間ほど前の記憶を回想してみる。

 思えば、一番初めにラブレターに関して相談を持ちかけた時の守屋には不自然な点があった。

 あの時は、俺が有栖川こそが怪しいと言えばすぐさま守屋も同意していたではないか。

 しかも普段は安楽椅子助手などと自称しめったに動こうとしないくせに、あの日ばかりは自ら有栖川に一緒に会いに行くと提案するほどの積極性も見せていた。

 批判的な性質を持つ守屋にしては、少しばかり違和感がある。

 さらに言えば、あの後もずっと守屋は有栖川に拘り続け、西尾や法月に俺が会おうとする時は一切動こうとしなかった。

 それも今考えれば当たり前のことだ。

 なぜなら守屋は初めから有栖川にしか矛先を向けておらず、手紙の差出人が彼女自身だったのだから。


「もし差出人の名前を“有栖川”と書いてしまえば、君は確信を持ち、多少無茶をしてでも有栖川に一人で会いに行ってしまう可能性があった。君が一人で有栖川に会いに行くパターンは僕としてはできれば避けたかったのさ。なぜなら手紙自体は偽物だ。話しかけ方次第では、全てが無意味になってしまうことも考えられたからね。

 だからどうしても僕と君と有栖川の三人で想いを確認する作業はしたかった。そして差出人の名前がない手紙を受け取り、なおかつ君が有栖川がその差出人だと勘違いするために、もっとも適切なシチュエーションが数学の補講時間だったというわけさ」


 回顧を続ければ、様々なことが鮮明に見えてくる。

 有栖川を訪ねるため軽音楽部の部室に乗り込んだ時も、やたら守屋が強引で張り切っていたのを覚えていた。

 改めて言われれば、あの時もまず初めに有栖川へ声をかけたのは俺ではなく守屋だ。

 その後、俺への好意を否定されたときショックを受けていたが、あれは演技ではなく、本当に驚いていたのだろう。


「限られた人数しかいない密室空間で手紙を貰えば、シャーロッくんと数少ない接点を持つ女子生徒である有栖川を君が疑うことは容易に予想できた。だから後は簡単だよ。補講対象者は事前に告知される。有栖川が補講に呼ばれるタイミングを見計らい、そこで計画を実行すればよかっただけ。シャーロッくんに関しては、補講に呼ばれないことはまずないからやりやすかった」


 守屋はいつでもよかったのだと語る。

 偶然、今回の数学の補講中に計画を実行したが、別に次の補講でも、その次の補講でも、いつでもよかったのだと。

 想像より早く好機がやってきたが、卒業するまでに計画が実行できればよかったという。

 西尾に関しては計画が実行されるまで、ひたすらわざと小テストで悪い点数をとらなければならないというデメリットもあるはずだが、どうやらその事は気にしなかったらしい。


「さあて、これでワイダニットに関する説明も終わりだ。これで僕が話すべきことは、もう何もなくなった。何か質問はあるかい? シャーロッくん?」


 一つ息を吐くと、守屋はそこで言葉を切る。

 教室の後方に座っている西尾は黙って俯いていて、こちらの方は見ていない。


 何か質問はあるかいだって?

 そんなのあるに決まっている。


 根本的にわからないことがあった。

 一番知りたいことを彼女はまだ俺に話してくれていなかった。


「……わからない。俺には全部わからない。チャチャ、なぜ手紙の差出人に“お前”の名前を書かなかったんだ?」


 ピキリ、と守屋の幼げな顔にヒビが入る。

 苦悶に歪む表情は今にも泣き出しそうだ。

 それでも訊かなくてはならない。

 彼女が十分の間に伝えた想いが、本当はどんな色をしていたのか俺は知りたかった。

 モノクロではない、カラーの想いを、俺は彼女の口から聞きたかった。


「チャチャ、お前はさっき俺に言ったよな? “僕が君に惚れている”、と。ここまで俺一人のために大掛かりなことをしてくれたんだ。その惚れている、という言葉の意味は、そんな薄っぺらいものじゃないだろう? なのに、なぜ有栖川と俺とを結ぼうとした? どうしてお前と俺を結ぼうとしない?」


 なんて自意識過剰な台詞を吐いているのだと、さすがに自分でも思う。

 しかし、それでも言葉を、俺の想いを止めることはできなかった。

 全て俺の勘違いなのだとしたら、これまでの他の人たちがそうしていたように、守屋が、彼女が自らの口で否定してくれるまで黙るつもりはなかったのだ。


「そうだね。その理由だけは出来れば話したくなかったけど、シャーロッくんなら訊いてくると思ったよ。君は変なところでズケズケとものを言う人だから」


 守屋は口角をむりに持ち上げるが、笑顔をつくることはできない。

 長い前髪から覗く瞳はたしかに俺の方を向いていたが、視線が合致することもない。


「……逆なんだよ。シャーロッくん。僕は君と有栖川が“結ばれて欲しい”から、結ぼうとしたんじゃない。“離れて欲しい”から、結ぼうとしたんだ。僕は君が思っているよりずる賢く、弱い人間なのさ」


 頭の良い守屋はまた難しいことを言う。

 だから俺は彼女の話を黙って聞く。

 理解はできなくとも、その代わりに差し出せるものがあるはずで、俺はその事を考えることにした。


「順番が大事だった。たとえば有栖川が君に想いを伝える前に、僕と君が結ばれたとしよう。そうすると、有栖川の想いを知っている僕は、君と一緒にいながらも、常に有栖川に怯えることになるんだ。彼女は僕と違って顔もスタイルもいいし、何より人気者だ。いつ彼女の気まぐれで君が奪われるかわからない。そんなの無理だ。僕には耐えられないと思った」


 膿を捻り出すように、守屋は顔を歪ませて言葉を振り絞る。

 彼女は頭が良い。

 きっと俺とは違って、頭が良すぎた。

 だから色々なことを思いついてしまう。

 普通の人なら見つけられない可能性を見つけ出し、本来ならば誰も気づかない不安の影におびえてしまうのだ。


「だから最初に君と有栖川が結ばれるといいと思ったんだ。そしてその後、君たちが別れた後に、その想いが冷めた後に、僕が君の横に寄り添えればいいと、そう思ってたんだ。……わかっているよ。都合の良い考え方だってことくらい。君と有栖川が別れる保証だってない。でも、そっちの方がましだった。有栖川より先に、僕が君と結ばれるよりはマシだと、本気でそう思ってたんだよ」


 そういえば昨日、妹の小楠が言っていたな。

 高校生の恋愛なんて、皆簡単に付き合ったり、別れたり、そんなもんだと。

 だから守屋は、有栖川と俺とがそうなればいいと考えたのだ。

 そのくせ自分は、そうはなりたくないと都合良く思いながらに。


「……これで僕からできる話は全て終わりだよ。どうだい、シャーロッくん? 僕の事を軽蔑したかい? 結局はただ君に迷惑をかけただけで、全部無駄なことだった。僕は本当に大馬鹿者さ。……ああ、そういえばこれ、この前借りたハンカチ。返すよ」


 唇を強く噛みながら、いつかのハンカチを守屋はポケットから取り出す。

 おそらく先週の金曜日に、雨にずぶ濡れになりながら登校してきた彼女に渡したものだろう。

 それを静かに受け取り、俺は大きく息を吸い込み、項垂れる彼女を真っ直ぐと見据える。



「ああ、馬鹿だ。お前は本当に大馬鹿者だ、チャチャ。信じれないくらいの大馬鹿野郎だよ」



 俺の自分でも思ったより大きく出た声に驚いたのか、守屋は肩をびくっと震わせこちらを窺う。

 やっと視線が合ったことが嬉しく、今度は俺の想いを伝える番だと気合を入れた。


「それ付け加え、俺も馬鹿だ。かなりの大馬鹿者だ。こんなすぐ傍に、これほど俺のことを想ってくれている人がいたのに気づいてやれなかった」


 誰が、ではなく、お前が、誰に惚れているのかを考えろ。 

 そんなどっかの金髪反抗期チワワの言葉が思い返される。

 想像してみる。

 もし守屋が俺以外の、他の男とイチャイチャする様を。

 

 大変遺憾な気持ちになった。


 そうなのだ。

 俺に少しでも想像力があれば、もっと早くに気づけていた。


 なんという大馬鹿者だ。

 なんという大馬鹿者なのだ!


 名探偵の名が廃る。

 少なくとも、彼女の前では名探偵でいなければならないのに、俺はなぜこんな醜態を晒していたのだろう。

 悔しさに顔が熱くなる。

 やっと気づけた、彼女と、そして俺の想いに胸が熱くて仕方がない。


「チャチャ、俺はお前が好きだ。超好きだ。ヤバいくらいに大好きだ。大好き過ぎて色々となんかこうヤバい! 俺は馬鹿だからやっと今気づけた! 凄い気づいた! メチャクチャ気づいた! チャチャのことがどうしようもなく大好きだとヤバいほど気づいた!」


 俺にしては陳腐な言葉を並べて、早口で一気にまくしたてる。

 どうやら緊張したり、照れると極度に語彙が貧弱になるのは妹の小楠と同様で、我が島田一族の遺伝らしかった。


「……え? 僕のことが好き? 本気で言っているのかい?」


「そ、そうだ! そう俺は言っている!」


「本当に? う、うわぁ、信じられない。嘘みたいだ。だって僕は君を、自分の都合で振り回したんだよ?」


「そんな奴いくらでもいる。お前の友人の一人にもいるだろう。そいつに比べれば、お前のしたことなど可愛すぎてヤバいものだ」


 ぽかんといった調子の守屋は、口をわなわなと震えさせている。

 ついに潤みに潤み切った瞳が結界し、涙が凄まじい勢いで溢れ出た。

 しかし、これまでずっと苦しそうな表情だったのが、いまは号泣しながらも可憐な笑みに変わっていた。


「嬉しい……嬉しいよ」


「お、おう。俺も嬉しいぞ?」


 透き通った涙を流し続ける守屋は、何度も嬉しいと呟いていて、俺はもうそれは悶え死にそうな気分だった。

 鼻頭が熱を帯びている。

 俺の方は涙ではなく、赤黒く濁った粘液を鼻から出してしまいそうだった。


「ひゅー、ひゅー。かっくぅいい〜? やっぱりお前は言うとき言う男だな。さすがあたしの見込んだ男だぜ。お前なら茶々を任せられるな」


 なんだか後ろの方から、ガラの悪いガラガラ声が聞こえた気がしたが、俺はそれを無視した。

 きっと犬か何かが鳴いているのだろう。

 たぶん気弱でブロンドの毛並のチワワだ。



「……ほら、これを使うといい。これをお前が俺に返す頃には、おそらく俺に恋人ができているはずだ」


「……ふふっ、ありがとう。そういえば僕、泣いていたんだっけ。嬉し過ぎて気づかなかったよ」



 涙で頬を濡らす守屋に、俺は返されたばかりのハンカチをもう一度手渡す。

 目の前で煌めく彼女の微笑みは威力満点で、窓から差し込む朝日なんかよりよっぽど眩しかった。


 彼女モリヤが俺に惚れている。



 そして俺もまた、ずっとずっと前から彼女に惚れていたのだった。











 密室と言っても過言ではない閉鎖的な空間で、俺が愛の告白をしてからだいたいひと月ほどが経った。

 平凡、というよりはやや程度の低い学生生活の中で唐突に行ったあまりに挑戦的過ぎる行為。

 いまだにあの日の衝撃は冷めやらず、俺があんなことをしたのは本当に現実だったのか疑わしくなるほどだ。


「よし、まあ、これでいいだろう。二度とここに呼ばれないようにしろ」


 そんな俺は今日も数学の補講に勤しんでいるところだったが、それもなんとか無事切り抜けることができた。

 教壇には重い溜め息を吐く綾辻女史が立ち、俺の回答用紙を微妙な顔をして眺めている。

 いつにもまして疲れている様子だ。

 そういえば結局、彼女の年齢はいくつなのだろう。

 三十路だったはずだが、詳しい話はいつ聞いても教えてくれない。

 少しだけ気になる。


「先生はおいくつなんですか?」


「お前は最近いよいよズケズケものを言うようになったな。そんなことを知ってどうする?」


「たしか三十路ですよね?」


「〇すぞ。誰が三十路だ。私はアラサーだと言ったことはあるが、三十路だと言ったことはない」


「え? そうなんですか?」


 しかし意外な事実がここで明かされる。

 なんと綾辻女史はアラサーではあるが、三十路ではないという。

 たしかに今思えば、三十路とは三十歳そのものを指す言葉だ。

 俺が先生の年齢を正確に把握できていないということは、三十歳前後という情報のみが与えられているということ。

 どうやら三十路とアラサーを何か混同して覚えてしまっていたらしい。

 この言い方だと、綾辻女史はまだぎりぎり二十台なのだろうか。 


「……二十九歳!」


「お前は本当にクソだな島田。私はもう戻るぞ」


 結局綾辻女史は自らの年齢を明かすことなく、空き教室を出ていく。

 がらんどうの教室に残されたのは俺一人で、今回の補講に呼び出された者は他にいなかった。


 有栖川アスミは今頃、軽音楽部の部室でいつものように、彼女らしくギロを奏でていることだろう。

 それはここでは彼女にしかできないことだ。

 彼女は皆の知らない音を今日も美しく知らしめている。


 西尾響は今頃、付き合って二ヵ月は経とうとしているのに、手すらまだ繋げていない初心な彼氏とデートにでも行っていることだろう。

 牡蠣が食べれる季節になるまでは、きっと彼女はメロンパンとハンバーガーで空腹を満たしているはずだ。


 法月知恵は今頃、体育館で人懐っこい仮面を顔に張り付けて汗を流していることだろう。

 最近はいよいよ調子が上がって来て、ここらの地区では敵なしといった仕上がりらしい。

 裏ではどうか知らないが、一応表面上は楽しんでバスケットボールをしていると思う。


 そんな三人と綾辻女史のいない空き教室はいつもより広く見え、俺は少しだけ寂しい気分にならなくもなかった。

 廊下側後方の自席に戻り、鞄を手に取ると、ふいに清掃用具入れのロッカーが目に入り、俺はそれにしばし見入る。


紗勒シャロク。早く一緒に帰ろう」


 するといきなり俺の名を呼ぶ声がして、一瞬ロッカーの中から聞こえたのかと驚いたが、そんなことはない。

 ただ教室の外から一人の少女が俺の名を呼んでいただけだった。



「ああ、今行くよ、チャチャ」



 探偵役とは違う役柄に変わったと言って、俺をシャーロッくんと呼ばなくなった彼女に言葉を返しながら、俺も空き教室を後にする。

 俺の方は呼び方を変えていない。

 つまり、ずっと前から俺にとって彼女はそういう存在だったということだ。


 この中に1人、俺に惚れている奴がいた。


 そう思うと清掃用具入れのロッカーにも何か愛しさを覚えなくもない。


 しかし今の俺は、他の何よりも愛しい存在に呼ばれていたので、そんな感慨も程ほどに、他の皆と同じように空き教室を後にしたのだった。







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島田紗勒の事件惚 谷川人鳥 @penguindaisuki

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