彼女が俺に惚れている⑤
数学の補講中に届けられた一通の手紙。
そこに綴られていたのは俺への真摯な想い。
差出人の名はなく、どのようにして俺に届けられたのか、なぜ俺に惚れているのか、その全てがわからなかった。
しかし疑問の内の一つ、誰が届けたのかには答えがついに出された。
ただのその答えは俺にとってあまりにも想定外で、ありのまま受け入れることはどうしようもなく難しい。
「君に渡したその手紙の差出人は僕なんだよ。信じられないかい? ……まあいいさ、順を追って説明していこう。まさか、手紙を執筆したのが西尾だと気づかれるとは思わなかったからね。ここらで答え合わせをしないと彼女に迷惑がかかってしまう」
清掃用具入れのロッカーの中から出てきた守屋は、どことなく寂しそうな表情で俺の横を通り過ぎ、黒板の前まで歩いて行った。
西尾は知らぬまにあの日と同じ席に座り、薄笑いを浮かべたまま状況を静観している。
「西尾、お前は全て知っていたのか?」
「おう、知ってたぜ。前も言ったろ? お前のことは“ダチ”から聞いたって。そのダチが茶々なんだよ。あいつ、あたしの下見に一緒に行くことは断ったくせによ、代わりにお前と一緒に行ったって言ったらすげぇ怒ってよ。昨日はその事で呼び出されたくらいだぜ。愛されてんねぇな、島田おい?」
暇そうな西尾に話しかけてみれば、何が楽しいのかペラペラと訊いていないことまで喋ってくれる。
どうやら守屋が昨日不機嫌だったのは、西尾と俺が二人で遊びに行ったことを嫉妬していたからのようだ。
さらに会う約束をしている相手というのもまた彼女だったらしい。
それにしてもこの二人が友人関係にあったとは驚きだ。
どこで知り合ったのだろう。
「つかお前、どうやってあたしの手紙を見破ったんだ? あと連絡先もお前に教えてねぇよな」
「それはお前に詳しい友達に教えて貰った」
「は? あたしに詳しいダチだと? 誰だよそれ」
「きっとお前は知らない奴だよ。そいつもお前のことは知らないと言っていたしな」
「さっきと言ってること矛盾しているじゃねぇか。なんだそれ」
手紙の筆跡を見抜いたのも、西尾の連絡先を俺に教えてくれたのも、どちらとも法月だったが、それは言わないことにしておいた。
なんとなくそうした方がいい気がしたのだ。
「ごほんっ、ではシャーロッくん。まずは僕と西尾の関係からお話しよう。いいね?」
「あ、ああ、頼む」
すると利き手に白いチョークを持った守屋が大きな咳払いをして注目を促す。
守屋と西尾が
その関係性はたしかに気になるものでもあった。
「実は僕と西尾は、去年の夏を過ぎる頃にはもう知り合いだったんだ」
「そうなのか? しかし、お前と西尾はクラスも違うし、どこで知り合う機会があったんだ?」
「昇降口だよ。僕らはそこで一年の始めの方から、よく顔を合わせることが多かった」
「昇降口? ……ああ、そういうことか」
そこまで言われて、やっと俺は先週西尾と初めて言葉を交わした雨の日のことを思い出す。
あの日、西尾が遅刻か早退することが多いという昼休みに昇降口で待ち伏せをしていた。
今思えば、あの時は雨にずぶ濡れになった守屋が遅刻してきた日でもあった。
守屋の遅刻癖は一年生の頃からで、西尾が遅刻と早退を繰り返していたのも一年生の頃から。
両者が顔を合わせる機会はこれまでずっとあったのだ。
「最初はよく遅刻と早退をする人だな、とその程度の認識しかなかったんだけど、ある日たまたま傘を忘れて登校する時があって、その時に西尾が僕に傘を貸してくれたんだ。彼女と仲良くなったのはそれがきっかけかな」
「まじやべぇよな、こいつ。あたしも遅刻した日にさ、土砂降りの雨ん中、こいつ傘もささずに歩いてっからよ、どうしたんだ? って訊いてみれば、雨に気づかなった、とかぬかしやがる。最高に面白い奴だなって思ったぜ」
守屋と西尾のなれそめの話は案の定愉快なものだった。
これほど仲が良いのならば、たしかにラブレターの代筆くらいならば任せられるのかもしれない。
「さて、これで誰がやったのか、つまりフーダニットの説明は終わりだ。犯人は僕と西尾。シャーロッくん、ここまでで何か質問はあるかい?」
「そうだな。西尾は本来数学が得意だったよな? もしかしてチャチャの計画のために、わざと小テストで悪い点数を取ったのか?」
「うん。君の推理は正しい。彼女は僕のためにわざわざ数学の補講に出てくれたのさ」
「よく、西尾がそこまでしてくれたな」
「彼女は僕に大きな恩があるからね。これくらいどうってことないさ」
そう守屋が言うと、西尾がぷいっと顔を窓の外にそむけた。
なぜか顔が薄らと色づいている。
どうやらその大きな恩というはそれなりに照れ恥ずかしいものらしい。
「その大きな恩というのは何なんだ?」
「君も聞いているだろう? 西尾には恋人がいるのだけど、彼女に似てずいぶんとシャイな相手なんだよ。だから中々距離が詰まらなくてね、そこで僕が恋のキューピッド役を一役買って出たのさ。それ以来、彼女は僕に頭が上がらないのさ」
「おい茶々! それはお前も似たようなもんだろ! だいたいその恩も今回でチャラだかんな!」
「茶々だけにチャラ? 上手いこと言ったつもりかい? そうでもないよ」
「うるせーよ!」
守屋は西尾の抗議を無視して、涼しそうな顔をしている。
どうやら守屋は、助手役、探偵役、真犯人役以外に、恋のキューピッド役もやった経験があるらしい。
なんとも芸達者なことだ。
「シャーロッくん、質問は以上かな?」
「とりあえずは」
「なら次は、どのようにしてやったのか、ハウダニットの答え合わせに移ろう」
目の前で流暢に喋っていく守屋は、何ら普段と変わりない。
本当に彼女が俺に手紙を出したのだと実感がない。
それに、守屋は俺と一緒に手紙の差出人について悩んでくれていた。
あの有栖川を疑う彼女はどうしても演技に見えなかった。
どこまでが嘘で、どこからが真実だったのか、まだ完全な答えは出ない。
「もっとも、あの日起きた出来事を説明すること自体はとても簡単なことなんだ。あらかじめ清掃用具入れのロッカーの中に隠れていた僕が、西尾の合図で外に出て、君の机の上に手紙を置くだけ。たったそれだけさ」
そして守屋は俺が頭を散々悩ませて、昨日やっとのことで分かった難題の答えをあっさりと口にする。
教室内の皆の意識が外れているタイミングを“目”の役目である西尾が把握し、その指示に従い静かにロッカーから出てきた守屋が手紙を置く。
たしかにこの方法ならだれにも気づかれないよう俺に手紙を渡せることは可能だ。
小学生並みに華奢な体躯を持つ守屋だけに出来た、驚愕の離れ業といえる。
だがこれには疑問点がいくつかあった。
「……その方法だと、俺がロッカーの前付近、要するに廊下側の後方に座らないと成功率が低くないか? その辺りはどうするつもりだったんだ?」
「君の座る場所はある程度コントロールできるんだよ。考えてみなよ、シャーロッくん。君はそもそもどこにでも座っていいと言われて、教室の前方に座るかい?」
「座らないな」
「そうさ。勉強意欲が乏しい君のことだ、まず教室の後方に座るだろうことは予想できた。あとは窓側の方に西尾に座って貰えばいい。わざわざ広い教室の中、すぐ近くにガラの悪い不良モドキがいる場所を臆病な君は選ばない」
「なるほど」
「誰がガラの悪い不良モドキだこら」
俺は自分で席を選んだつもりだったが、実際は守屋の手の上で踊らされていたみたいだ。
さすがは人文の守屋。
俺とは頭のつくりが違う。
それとも俺が単純すぎるだけなのだろうか。
「なら俺がトイレに行くことはどうやって予想したんだ? 俺が十分の間も席を外すことは事前にはわからないんじゃないか?」
「べつに僕たちは君がトイレに行くタイミングを本来狙っていたわけじゃない。メインは君が補講の問題を綾辻先生に提出する時を狙うつもりだった」
「問題を提出するタイミングだって?」
「うん。そうだよ。もし計画が実行できそうな時がくれば、事前に綾辻先生にはあの人が夢中になりそうな“文庫本”を貸そうと思っていた」
「まさか、最近先生がよく読んでいる本はチャチャが貸したものだったのか?」
「その通り。綾辻先生の好みはよく知っている。綾辻先生が物語に夢中になった頃合いに提出される、出来の悪い君の回答。十分とはいかなくとも、数分は稼げるとわかっていたのさ」
そういえば昨日も、綾辻女史に話しかけた時、彼女は本を読むことに夢中で最初は俺の事を無視していた。
担当している部活の生徒から借りた本だと言っていたが、どうやら綾辻女史はミステリ同好会の顧問で、まさに守屋から借りたものを読んでいたらしい。
なんとも入念で綿密な計画だろうか。
ここまでするのにいったいどんな理由があったのか興味は深まるばかりだ。
もし俺に想いを伝えたいだけなら、守屋にはいくらでも他のもっと容易な方法があったはずだ。
しかも差出人の名を書かなかった理由もわからない。
なぜこうまで苦労して、守屋はこの方法を取ったのだろう。
そこだけはいまだに全くわからないままだった。
「どうかな、シャーロッくん? ハウダニットに関して何か質問はまだあるかい?」
「いや、方法に関しては今の説明である程度納得はできた。だかなぜこの数学の補講の時間を狙った? それに、昨日までの一週間、俺のために推理してくれていたのは、本当に全て演技だったのか?」
「まあまあ、そんなに急かさなくとも、どうしてやったのか、ワイダニットに関しても説明はするさ。……これに関しては、僕の策が根本的に“失敗”してしまっているから、あまり気が進まないけれどね」
なぜこのようなことをしたのか。
俺が最も気になっていることを訊くと、守屋の表情が自嘲気味に歪み、彼女は失敗という言葉を使う。
どのような理由でこうなったのかはわからないが、無事ラブレターは俺に届けられている。
それにも関わらず、失敗、というのはどういうことだろう。
「そもそも、その手紙は僕が君に想いを伝えるためにつくったものじゃないんだ」
「なんだって?」
「ただのきっかけ作り、きっかけになればいいと思っただけ」
「きっかけとは何だ? どういう意味なんだチャチャ?」
静けさ満ちる空き教室に、俺の声だけが間抜けのように響き渡る。
早朝の気配はまだ残っていて、廊下から喧騒が伝わることもまだない。
「……あの手紙は、“有栖川”からのものだと君に勘違いさせるためにつくった。僕ではなく、有栖川と君が恋人関係になるきっかけになればいいと思って、僕がつくったんだ——」
——だって
そう守屋は言葉を続けると、痛みを堪えるような表情をする。
西尾が執筆し、守屋が届けた、有栖川と俺のためのラブレター。
どうやらそれが掌の上にある一通の手紙の正体で、全ての真相へと俺を導くラストピースらしかった。
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