独り酒
うす暗い路地裏から出た邦木場は、珍しく現場に待機していた伊藤と合流した。伊藤は邦木場に気づくとどこか気遣うような、悲しそうな眼を向けた。
「…終わったか?」
「ああ。ばっちりだ。それなりに情報も引き出せたし、成果は上々ってところだな。それと…」
邦木場はあたりを見渡した後、先ほど逃がした女学生が見当たらないことに気づいた。
「少し前に高校生くらいの女の子が路地裏から出てこなかったか?標的に追われていたから逃がしてやったんだが、どうした?」
「ああ、女の子なら無事に保護した。とりあえず最寄りの警察署へ連れて行ってもらった。いくら被害者とはいえ、事情聴取することがいくつもあるし、口止めもお願いせにゃならんからな。」
「もう夜も更けているんだ。早く解放してやんな。親御さんも心配してるだろうしな。」
「最低限のことがすんだらすぐに帰してやるように指示は出してある。もちろん、何回か協力してもらう必要があるが。」
すると邦木場と伊藤が話している横を通って、日の丸の意匠が施された目立たない服を着た人物が数人路地裏へ入っていった。
彼らはマンハントの活動を裏でサポートする専用のチーム「アンダーリム」だ。邦木場は面倒くさいので処理班と呼んでいる。
異能を持っていない人物で構成されているため、荒事こそ異能発現者に一歩、二歩劣るが、死体の処理、人払いなど、雑務を担当することでマンハントのメンバーが最大限実力を発揮するために必要なチームである。
「あいつら、人払いできてなかったじゃねえか。俺が間に合わなかったらどうするつもりだったんだ?」
邦木場は路地裏へ入っていったアンダーリムを横目に見ながら言った。
「あいつらも人間だからミスもする…が通用する組織じゃねえからな…。マンハントとは違って国直属の人間だから何か思惑があるのか、それとも本当に単純なミスなのか…。一警官である俺が知ることが出来るわけないが。」
「何言ってんだよ。ただの警官にマンハントの監査員が務まるかっての。それじゃ、俺は帰るわ。」
そういった邦木場が、その場を後にしようとする。ちょうど伊藤の横を通り過ぎたその時、伊藤が口を開いた。
「二日後だ。」
「ん?」
「二日後にいつもの場所で情報共有だ。分かったな。」
伊藤は振り返らず、ぶっきらぼうにそう言った。少し間をおいて邦木場はチェシャ猫のように笑みを浮かべた。
「やっぱりおっちゃんはやさしいわ。」
そう言って邦木場は夜の闇へ消えていった。その足取りは少し軽くなったように見えた。
邦木場の自宅は、何の変哲のないアパートの一室である。最も、防音、防弾等出来る限りの備えをしているが。
邦木場は、部屋に入るなりコートを脱ぎ捨ててベッドの縁に座った。一つため息を吐いた後、目線は中空を漂い始めた。
どれほどそのままボーッとしていただろうか、不意に邦木場の腹が間抜けな音を立てた。
「…こんな時でも腹は減る。こんな時だからこそ、酔いたくなる…。俺らしくねえや。さ、飯を作ろう。」
ベッドから立ち上がった邦木場はそのまま冷蔵庫へ向かい、扉を開けた。仕事で各地を飛び回ることの多いので、冷蔵庫の中にはあまり物が入っていなかった。
邦木場はガサゴソと冷蔵庫を漁っていくつか食材を取り出して、キッチンで料理を始めた。
「少し前に乾物屋で買った堅干しの煮干しがあった。まずはこいつでなんか作っちまおう」
フライパンを火にかける。袋に入った煮干しをそのままフライパンに入れ中火で炒める。暫く炒めて、煮干しに残っていたわずかな水分を完全に飛ばす。水分が飛んだ煮干しに醤油を少量回しかけ、七味唐辛子を振りかける。
邦木場は大きくフライパンを煽って煮干しを空へ躍らせた。七味唐辛子と醤油がまんべんなく煮干しに混ざっていき、部屋の中に煮干しと焦げた醤油の香ばしい香りがいっぱいに広がる。いい香りに邦木場の表情も思わず綻ぶ。
残っていた煮干しを全て使ったのでかなりの量になってしまった。邦木場は、すぐに食べない分はタッパーに詰めて冷蔵庫に入れた。
「まずは一品目。カリカリ煮干し。完成っと。」
次に邦木場は、油揚げに納豆を詰め始めた。タレを入れずに刻んだネギと混ぜ合わせた納豆を油揚げに詰め終えた後、油揚げの口から納豆がこぼれないように爪楊枝でしっかりと止める。
先ほど煮干しを炒めていたフライパンを洗いもせずに油を引く。一人暮らしならではのズボラさだ。
納豆を詰めた油揚げをフライパンに入れて弱火でじっくりと火を通す。
表面が軽く焦げたらひっくり返して同様に焦げるまで火を通す。油揚げを焼いている間、邦木場はタレを作り始めた。
先ほど使わなかった納豆のタレに醤油を小さじ1、チューブの生姜も小さじ1杯入れてよく混ぜる。
焼きあがった油揚げをお皿に移した後、上からタレをかけ刻んだネギを散らす。
「二品目、あぶらげ納豆完成。今日は飲むし、こんなもんで良いだろ。」
邦木場は出来上がった料理を、ベッドの横にぽつんと置かれている丸テーブルへ置いた。かと思えば、再びキッチンへ戻って、冷蔵庫横の棚を開き奥から布で包まれた何かを引っ張り出した。
それと氷を入れたグラスを手に持って、テーブルに戻った邦木場が床に座る。
光当たらないように包まれている布を外すと現れたのは、ツボのように丸い形をしたガラスの瓶だった。瓶の中ほどまで、透き通った赤茶色の液体が入っている。
氷を入れたコップに液体を入れるとふわりと梅の良い香りが漂った。
それなりに高い梅酒だった。普段、付き合い以外であまり酒を飲まない邦木場が珍しく気に入っている酒である。
邦木場は酒は嫌いではないが、酔いが回るのが早いタイプだ。この梅酒は高いだけあって、少しとろみがありとても濃い。
邦木場はグラスに入った梅酒を水で薄めると、スプーンでかき混ぜる。
「…献杯。ゴクッゴクッ…ッカァ、美味い。」
梅酒が入ったコップを掲げ、その半分ほどを一気に煽った。酒精交じりの息が吐き出される。
邦木場は煮干しを箸でつまみ、口の中に放り込んだ。噛めば噛むほどに、煮干しの旨味が染み出してくる。加えて醤油の香ばしさや七味唐辛子の辛味が良いアクセントとなり飽きが来ない味だ。
「痛ッ。この煮干しめちゃくちゃ美味いけど、口の中に刺さりまくるのだけが難点なんだよな。」
もごもごと、煮干しが刺さった場所を下で弄る。ほんの少し血の味がした。
邦木場は、続けてあぶらげ納豆を口に運んだ。納豆に油揚げの油分が加わったことで、味がまろやかになっている。生姜の良い風味が口内に広がる。火を通したことで、大豆の味も引き立っているようだと邦木場は感じた。
それなりに濃い味付けの料理を作ったからか、それとも…。ともかく邦木場のグラスが傾くスピードは、いつもより早かった。
「ホントに、世の中ままならないことばかりだよな。」
真田は、邦木場が学生の頃唯一目にかけていた後輩だった。詳細は省くが、邦木場は真田に救われたことがある。真田にとって些細なことだったそれは、邦木場の価値観を変えたものだった。真田がいなければ今の邦木場はなかっただろう。
「俺は必要な時に大切な人を救えねえ。今回で二度目だ。」
作った料理は早々に食べ終えてしまったが、酒を飲む手は止まることはなかった。
邦木場はこの後、人生で初めて酔いつぶれて意識を失うという体験をすることになった。
マンハント~異能狩りの殺し屋たち~ 帯刀靱負 @tatewaki-yukie
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