難産

高黄森哉

難産


「妊娠した」


 おめでとう、と俺は正村に反射的に言おうとしたが、彼の悲しそうな表情を見て、祝福を見合わせた。もしかしたら望まない妊娠なのかもしれない。


「厄介なことらしいな」

「ああそうなんだ」


 彼は赤ら顔に大粒の脂汗を載せていた。七月に入ろうかという六月の下旬。スーツで外に出るととめどない汗が顔を伝う。全身がぐちゃぐちゃだ。


「なあ、相談に乗ってくれるか」

「勿論だ。お前とは入社以来の友達だからな」


 俺が困った時だって、相談に乗ってくれたじゃないか。だから断る理由なんてない。どんな無理難題でも一つくらいは最後まで付き合おう。


「ありがとう」


 俺達は喫茶店のひっそりとしたお手洗い前に移動した。彼がそこで話したいと言い出したからである。


「どんな女なんだ。もし望まない妊娠ならば、早いうちに堕胎をしたほうがいい。人間は若いうちは人権がないからな。俺が思ってるわけじゃないぞ。科学的な話さ。胎児には意識がないんだ」

「好意は嬉しいが、女は関係ないんだ」


 疑問符が浮かんだ。謎かけかなにかだろうか。グライスの協調の格率のうち質の格率に違反することで、なにかしらの含意を、俺に伝えようとしているのかもしれない。妊娠だが女は関係ない。疑問符が浮かんだ。


「妊娠したのは俺なのだ」

「ぷっ」


 余りの衝撃に、おならが出るかと思った。いや実際に少し出た。俺は笑うつもりはなかったから、ぐっとこらえたのだが、下の口は黙っていなかった。口臭が辺りに漂う。かまうものか。


「し、信じられん」

「不思議なものだな」

「不思議で片付けていい問題なのか」


 大体、どうやって妊娠するというのだ。男には、ここで改めていうまでもなく、子宮がない。だから子を授かることは解剖学上不可能であるはず。じゃあ、仮に彼の前立腺が本来の機能を思い出し、異常に複雑化して、大腸内部に子宮的存在を形作ったとしよう。それが着床したとして、子供は正常に育つのか。

 そもそも一体、誰との子なのだ。


「ここを触ってみろ」


 彼がベルトを緩めて、腹部に俺の腕を引き入れようとしたので、必死に抵抗した。揉み合っている中、女子中学生二人組がそばを通り、俺達をクスクスと笑った。それでも彼は意に介さず、正村、正気になれ、と叫んでもそれは変わらなかった。遂に彼のお腹に触れる。そしてしばらくビール腹を押し込んだ後、ごつごつとした何か固いものに当たった。そして信じられないことに、それは動いた気がした。


「き、気味が悪い。化け物だ」

「君が悪いとはな、なにごとだ。うっ、吐き気がする」

「ほら、お前もやっぱりそう思ってるんだろう。もうこんなことは止めよう。悪夢を見ているようだ」

「いや違う。これはつわりだ」


 彼は出かけた涎をぬぐった。


「まさか、産むつもりなのか」

「無論、産むつもりだ」

「おろしてくれ。会社でお前と仲良くしていた俺のキャリアに支障がでるかもしれない。それに男が子供を産むなんて間違っている。気味が悪い。警察に捕まるかもしれない」

「コラお前。俺に気持ちも分からないで。くそ。出産とは本当に偉大なことなんだぞ。それこそ男の一生分の仕事量に勝るくらいの。う、いたた」

「ついに良心が痛んだか」

「違う。陣痛だ」


 どひゃー、と俺はあきれた。


「陣痛。大変じゃないか。もう分った。産むんだな。なら救急車を呼ぼう」

「いや、もう無理だ。あいたた。こらえきれない。しかし、ここでは人の目が憚られる。そうだ、多目的トイレに移動しよう。あそこは多目的だからなにをしても許されるはずだ」


 そんなことはないのだが、だがしかし、公衆の面前で男が子供を産んだら、いよいよ法に触れるかもしれない。彼の意見に異存はなかった。よろよろと歩く彼に肩を貸して、俺達は公衆トイレまで来た。そして彼を床に寝かせ、ズボンを下ろし、股間の方で受け取る準備をした。


「う、もう駄目だ。うぉおおお。うおおお」

「しっかりしろ」


 この様子が監視カメラに撮影されていて、そして今も従業員に観察されているのかもしれないと思うと、死にたくなる。万が一、人が来ても大丈夫なように鍵を閉めているが、いつまでもつやら。もしこんなことがばれたら首だ。世の中から迫害されるかもしれない。


「女の子が欲しい。いや、女の子に決まってる」


 彼の表情はすさまじく、顔色は青紫に変わっていた。顔全体が怒張している。戦慄を禁じ得ない。出産がこんなに壮絶なものとは知らなかった。


「うぉおおおおお!! 痛え、痛えよおおおおおお!!!!」


 俺は賢明に彼を介抱しながら疑問に思った。しかしながら、どうして女の子と断定したのだろう。もし、彼が病院に行ったのなら、彼は今頃、研究室か刑務所のいずれかにいるはずだし。その疑問を尋ねた。


「しかしなんで女の子って判ったんだ?」


 正田は以前蛙のように腹を天井に向けていて踏ん張っていたのが、突如、陣痛を忘れたかのように真顔になり、そして口を開いた。


「うん子」


 ぷりっと俺の両掌の上に新鮮なくそがひりだされた。

 

 

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難産 高黄森哉 @kamikawa2001

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