第45話 ヒロイン2人の夜


 心臓がまだバクバクしている。

 布団に入ってしまえばすぐに眠れると思っていた。今日は色々あって疲れたから。

 でも、さっきの衝撃的な光景が目に焼き付いて離れなくて、無言でいるとそればかり考えてしまう。


「………」


 いやいやいや。

 どういうことだよ。

 これじゃ私が変態みたいじゃん!

 ふざけんじゃないわよっ、どっちかっていうと透真くんが悪くない!? なんであんな不用心な恰好でいたわけ? セクハラで訴えてやりたいんだけど!


 しかも、あんな、あんな……。


「~~~っ!」


 毛布をかぶってのたうち回る。

 忘れろ、忘れろ、神様どうか忘れさせてください!


 死ぬほど透真くんと顔を合わせづらいので!


「うらか」


「はっ!?」


 そうだ。今日は1人じゃないんだった。

 気まずさと恥ずかしさを胸の内に押し込める。


「ごめん。さきな。うるさかったよね」


「布団がちがうせいで眠れないのか」


 声が少し高いところから降ってくる。

 さきなには私のベッドを使ってもらっている。客人用の布団なんてないから、私はお父さんが置いていった布団を床に敷いている。


 最初、さきなは逆でいいと言ってくれたけど、そんなのダメ。

 あんなハゲ親父が使ってたものなんか絶対渡せないでしょ。へんな病気にさせちゃったら取り返しつかないもの。


「ううん。平気だよ」


「こっちくる?」


 毛布をめくって、さきなが言う。

 その誘い文句に心臓が撃ちぬかれる。え、可愛い……。

 でも断った。今度はドキドキで眠れなくなりそうだから。


「そっか」


 どうしてか、さきなは笑っていた。

 そんなにベッドの一人占めが嬉しいのかな。なんて、私は見当違いなことを考えていたら、さきなはそのワケを話してくれた。


「トウマもきっと同じことを言うから」


「—————」


 止まれなかった。

 ぶつけずにはいられなかった。

 無意識で避けていたその問いかけを。




「さきなは、透真くんが好きなんだね」




 親友とか、そういう枠を超えて。

 さきなの態度を見ていれば自然とわかる。

 だからこの問いは、ただの確認作業だ。


 でも、しくじったと思った。

 それまで穏やかだった表情が急に固まったから。

 感情の読めない瞳が向けられる。


「………」


「あ、えっと。そんなこともない、のかなぁ?」


 やばい。地雷だったかな。

 こういうノリうざかった?

 また嫌われたらちょっと辛い。


「そんなに」


「え」


「そんなにわかりやすいか」


 暗闇でもはっきりとわかるくらいに。

 さきなの頬は赤くなっていた。


「オヤカタやヨウキャにも、すぐ同じことを言われた」


「そ、そっか」


「トウマもわかってるのか」


 言葉に詰まる。

 透真くんの真意について。

 もちろん、究極的には本人にきいてみないとわからない。


 でも、普段の様子から察するに—————


「たぶん。そうなんじゃないかな」


「……そうか」


 枕に顔をうずめてしまう。

 恥ずかしさを耐え忍んでいるようで、さきなはベッドの上で悶絶していた。ほこりが立っちゃうとか、そんな野暮なことは一切浮かばなかった。


 乙女すぎる。あまりにも。


 こっちまで顔が熱くなってきた。



「告白とか、そういうの……する?」


 胸の鼓動を感じながら、慎重に問いかける。

 さきなはふるふると首を振った。


「できない」


 それは少し意外だった。

 面と向かってはっきりと伝えそうなものを。


 御杖村さきなという女の子なら、きっとそうすると信じていた。


「別に、上手くいくかどうかの心配はしてない。あたしがそういうことを口にしたら100%付き合うことになる」


 他の女子だったら、調子乗んなボケと突っ込むところだ。

 でも、さきなが言うなら嫌味じゃない。私が仮に男で、さきなに告白なんてされたら一瞬でデレデレになる自信がある。罠でもいい。


「じゃあ、どうして?」


 なにが、さきなを踏みとどまらせるのか。


 仰向けになったさきなが、ふーっと息を吐く。


「トウマは1人で生きていける人間なんだよ。周りがよく見えていて、簡単に人の輪に溶け込む。要領がいい。小学生の頃から。あたしや、オヤカタやヨウキャとちがって」


「そ、そんなことないよ。さきなも、他の2人だって」


「気休めはいらない。トウマのいないところでこういう話はよくしてきた」


「………」


「今回のサッカー部やクズのことだってそう。あいつはあたしらには一切声をかけないで、必要な人間も舞台もひとりで用意しようとして、実際にそれができちまう。全部勝手に決着をつけるつもりだったんだよ。クズとの因縁があるのはあたしらだって同じなのに」


「……去年のこと、少しだけ知ってるよ。あのクズ教師に苦しめられたって。透真くんは多分、さきなたちを巻き込みたくなかったんじゃないかな」


「わかってる。トウマが優しさのつもりであたしらを遠ざけたのは」


 でも、と言葉が続いた。

 さきなが鋭い眼光を向けてくる。


「うらかだけは同じ目線だった」


「………」


「トウマが最初から頼ったのはうらかだった」


 萎縮してしまいそうになるほどの険しい顔つき。

 でも私には、泣くのを必死に我慢する幼子のようにしか見えなかった。


「さ、さきな」


「ま、あたしが言いたかったのは」


 ふっ、と視線が逸らされた。


「こんなあたしの気持ちを知ったら、トウマは自分の感情を二の次にして————それどころか何の迷いもなくあたしと一緒になろうとする。あたしの願いや望みを叶えるためだけに。そうなりそうで怖い。あたしはこれ以上トウマの人生を縛ったり、自由を奪ったりしたくない」



 私はときどき、この夜を思い出すことになる。

 疲れて眠る直前とか、透真くんとさきなが2人並んでいるときに。


 でも、いつまでたっても共感してあげることは出来なかった。


 だって私は人との関係をそんな風に悩んだことがない。

 これは透真くんを想い続けてきた、さきな特有の感覚なんだ。


 大事なのは、そういう秘密をさきなが明かしてくれたことで。

 あのときの私の言葉はさきなの心に届いてただろうか。



「さきなが言っていることがわからない」


「だろうな」


「だって男子って、束縛されるの好きでしょ」


「は?」


 ぽかんとした反応だった。


「こんな可愛い子が好きになってくれてるのに、さきなが下から機嫌をうかがうみたいになるの納得いかない。だいたい、女の子からの好意を向けられてるくせに縛られてるとか不自由とか考えるやつがいたら私がぶん殴るってやるわ」


「いや。トウマが実際に言ってたとかじゃなくて————」


「もしかしたら透真くんは前世で途轍もない善行を積んだのかもね。人生何回繰り返したって、さきなに好かれる幸運は巡ってこないわよ。他のことでどれだけ大変で辛かろうが、それだけで元がとれるの。ううん、なんならお釣りが出るくらい。透真くんは自分がどれだけ幸せか思い知るべきよ。だから、さきなは何も気に病むことがないの!」


 むふーっ、と思いの丈を全て吐き出した。


「………」


「………」


 やばい。勢い任せで喋りすぎた。

 置時計の秒針の音がやけに大きい。一秒一秒が長い。


「うらか」


「は、はい!」


 私は正座して答えた。


「うらかは、本当にバカだな」


 笑いを含んだ声に、私はほっとした。

 よかった。怒ったわけじゃなくて。


「うらかってそっち系のノリわかるタイプか」


「そっち系って?」


「『我々の業界ではご褒美です』『ジト目助かる』『貧乳はステータス』『てぇてぇ』『AMSR配信まだですか』みたいなの。あたしは何一つわからんけど」


「ごめん。私もあんまり」


「たまにトウマがヨウキャとそういう話で盛り上がってんだけど。何が楽しいんだ」


「男子のノリってわからないよね」


 さきなと顔を合わせる。お互い、自然と笑みがこぼれた。


「うらかと話していると馬鹿らしくなってくる」


「ねえ。どうして透真くんを好きになったの」


「なんだよ、急に」


「だって、知りたくなっちゃったから」


「……小学生のとき」


 さきなが少しだけ顔を隠した。


「母親が水商売をやってたんだけど」


「……うん」


「そのことでよく絡まれた。男も女も、子供も大人も関係ない。口を開けばそのことばっかりだった。その頃は言葉の意味がわからなくて、でもバカにされているのだけはわかったから全員殴り飛ばしてやった」


「か、過激」


「ある日、上級生が何人か報復にきた。よくも俺の弟を泣かせやがってとかなんとか言って。正直だれのことかわからなかったけど、向かってくるなら全員黙らせようと思った。昔から喧嘩は負けナシだったから」


「………」


「そこに急に割り込んできたのがあいつだった」


 なんだか、その光景は目に浮かぶようだった。

 私にそうしてくれたみたいに……。


「透真くんが助けてくれたの?」


「いや。威勢は良かったけどすぐボコボコにされた。だから結局あたし一人で全員蹴り潰すことになった」


 かっこわるいぞ、透真くん……。


「弱いくせになんで来たんだって聞いたらこう答えた。『みずしょーばいの意味は分からなかったけど、これで合ってるだろ』って。それが嬉しかった」


「おおっ」


 かっこいいぞ、透真くん……!


「………」


「………」


「えっ、終わり!?」


 さきなはちょっとむっとしていた。


「なにを驚いてんだ」


「続きはないんですか!」


「その一件で透真が気になってしょうがなくなった。一緒にいるうち段々好きになった。離れられなくなって今に至る。以上。終了。単純だって笑えば」


「笑わないよ!?」


 そう、笑えるはずもない。

 私は誰かを好きになったことがないから。

 もちろん、東京にいた頃にカッコいい男子は何人も見てきたし、なんとなく目で追いかけたくなるイケメンだっていた。


 でも私はそこ止まりだ。


 物語みたいな、自分の全身全霊を懸けるような恋。

 できることなら、私だってそういう恋がしたい。

 いつか私にも味わえるだろうか。


「透真くん、良い人ね。さきなが認めるだけある」


「複雑だ」


「どうして」


「トウマがイイ男だって、いろんなやつに知ってほしい。でも、うらかにはあんまり知ってほしくない」


「ちょっとさあ」


 落ち着かない気分になってきた。


「さっきから可愛すぎじゃない? そっち行ってもいい? いいよね! 一緒に寝ようよ」


「……いいけど」


 まさかのオーケーだよ!

 言うだけ言ってみるもんだ。さきなの気が変わらないうちにベッドに潜り込む。


「えへへ」


「変なところ触ったら蹴り落とす」


「そ、そんなエロオヤジじゃあるまいし……」


 とはいえ気がおかしくなる可能性もゼロではない。

 一応、さきなに背を向ける形で眠ろうとした。

 眠気はすぐさまやってきて、次第に目を開けていられなくなってきた。


「ありがとう」


 優しさに満ちた声。

 私は咄嗟に反応できなかった。


「あたしの友達になってくれて、ありがとう」


 寝たふりをしておいた。だって照れくさかったから。

 だけど直後、さきなが私の手を握ってきたのはびっくりした。無反応を貫いた私を褒めてほしい。アカデミー賞女優でしょ。


「あげる。必要なとき使ってくれ」


 なにか紙片のようなものを握らされた。

 すぐに確認したかったけど、寝たふりがバレるからやめておいた。


「おやすみ」


 やがて穏やかな寝息がきこえてくる。

 さきなを起こさないように慎重に右手を動かした。

 暗闇のなかで目を凝らす。


 そこにあったのは、誰かが手書きしたイラスト付きの券だった。

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転校生の下野さん、ド田舎でちんちんをつくる。 雨夜かおる @amayakaoru-4432

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