第44話 親友2号と風呂

「は? こういうのはファーストレディだろ」


「レディファーストか? お前のどこがレディじゃボケ」


「ころす」


「いいから。じゃんけんな。正々堂々、1回勝負で!」


 最初はグー! ジャンケン、ポン!


 決着は一発でついた。


「じゃあ俺が先に使う」


「あたしが風邪引いていいのか」


「秒で済ませるっての」


 脱衣所からムラサキを追い出し、ずぶ濡れの衣服を脱ぎ去った。

 浴室に入ってすぐ、熱いシャワーで身体のベタつきを洗い流していく。誇張ではなく本当にすぐ済ませるつもりだ。ムラサキが風邪を引くとかなり大変なことになるから。あいつの看病は精神を削られる。


 シャワーもそこそこに、俺は湯舟に浸かった。

 身体の芯からあたたまっていく。ようやく人心地つけた。


「………」


 クリアな頭になった途端に感じたのは体裁の悪さだった。

 異性の友人の家で裸になっているのって、かなり落ち着かない。


 それに、バツが悪い理由はもう一つ。


「やっちまったな……」


 今日の俺はかなりやばい。


 うらかがいなくなるなんて勝手な早とちりをして。

 そうだと知らずに親父さんに告白まがいのことをやってのけ。

 んで、お袋さんに車で迎えにきてもらって風呂まで借りている。


 俺は何をやっているんだ?


 うらかの顔を見ているうちは取り繕えたが、ここにきて気まずさが募っていく。早々に退散しよう。マッマに迎えは頼んである。ムラサキは泊っていくらしい。女子同士仲良くなってほしい。


「ふー……」


 そろそろ上がろうとしたときだった。


 なんか人の気配がする。

 勘違いかと思ったが、明らかにドアの向こう側にシルエットが浮かび上がる。


 え。いやいや。嘘だよな。俺、入ってるよ?


「うー、きもちわりぃ。ベタベタする」


 聞き馴染みのある声だ。

 小柄なシルエットが乱暴な手つきで衣服を脱ぎ捨てた。洗濯機がガタっと揺れる。


「おーい、トウマ。入るぞ」


「は?」


 勢いよくドアが開け放たれ、ムラサキが入ってきた。

 堂々とした足取りで。もちろん裸で。一切隠すことなく。


「ぎゃああああああ!?」


 俺はひっくり返った。

 派手な水飛沫があがる。


「なに入ってきてんだよ! 本気でバカじゃねえの!?」


「汗と雨でベトベトなんだよ。待ってられるか」


「揉めないためにジャンケンしたんやろがい!」


 俺の陳情は一切受け入れられず、ムラサキがドアを閉める。

 シャワー前を陣取ると、のんきに身体を洗い始めた。上機嫌に鼻歌まで歌いながら。え、この状況でそこまでリラックスできる!?


「いますぐ出ていけ!」


「なんで」


「この状況がまず過ぎるからだよ!」


「どこが」


「その理由がわかんねえところとかかなあ!?」


 ちょっとまて。うらかの家なんだぞここ!?

 ムラサキと一緒に風呂に入ってたなんて絶対知られたくない。

 どういう反応されるか怖くてたまらない。軽蔑されたら死ぬ。


 っていうか、俺が出ていけばいいんだ!


 真正面にムラサキが立ち塞がる。


「何の真似だ!」


「普段ユニットバスだからな」


「やめろ!」


「なんだお前。女は湯船に浸かるなってか? だんそんじょひ! ていしゅかんぱく!」


「いいよ覚えたての難しい言葉使わなくて! 俺が出ていったあとで好きなだけ堪能してくれ!」


「おい叫ぶな。反響して耳が痛くなる」


「誰のせいだよ!」


「てかマジで何をそんなに騒いでるんだ」


「ああ?」


「裸くらいお互いの見たことあるだろ」


「へっ!?」


 そうだっけ!?

 記憶のページを大急ぎでめくっていく。

 でも思い当たるフシがない。さすがに一緒に風呂なんて入ったことない!


「捏造はよくないぞ」


「トウマ、海に入るとき素っ裸だった」


「いつの話だ! 小学生のときだろ!」


「あたしも水着なかったから裸で入った」


「いや、確かそのとき俺は止めたよな!? 女の子が人目のつくところで服脱ぐなって! っていうかそんな何年も前のこと覚えてなかったよ!」


「あたしは覚えてる。可愛いちん〇んだった」


「ぶっ飛ばすぞテメエ!」


 逆にぶっ飛ばされた。


「………ハッ!?」


 クラクラする。

 時間が飛んだような感覚が……。


「風呂入っているときに寝るな。死ぬぞ」


「お前のせいだよ! って、げっ!?」


 ムラサキの小さな背中が目の前にある。

 決して広々とはしてない浴槽で、ほぼ密着している体勢だ。


「いやいやいやいや」


 やばいやばいやばいやばいって!

 社会的死亡待ったなしでは!?


「ムラサキ、いい加減離れて————」


「トウマってロリコンだっけ」


「いや。それはない」


 俺は真顔できっぱり否定した。


「急に落ち着きやがったな」


「ズレた性癖を押し付けられるのは心外だ。自分が何を好きかくらい把握してる」


「ちなみにそれは」


「おっぱい。巨乳だと良き」


 水かけられた。なんでだよ。


「面白くない」


「人の趣味嗜好を面白がるな」


 というかロリコンって……。


 ムラサキって自分のことをそういう風に認識してるのかよ。

 なんか、あれだな。それこそ面白いな。


「のぼせそう。出ていいか」


「だめ」


「なんで」


「逆に。なんですぐ出ようとすんの」


「いや……」


「もしかして」


 ムラサキと目が合う。からかいの色が浮かんでいた。

 憎たらしいくらいに口角も上がっている。


「興奮しちゃう? この超絶美少女ムラサキちゃんに」


「ハァ? まさかだ。俺は親友にそんな目を向けない」


「そ。じゃあ問題ないな」


 ムラサキが全体重を預けてきた。

 気持ちよさそうに目を細め、そっと息を吐く。


「………」


 俺はそれを、深い信頼に裏打ちされた振舞いだと捉えている。


 そうさ。こいつとは本当に長い時間、一緒だった。

 もちろんオヤカタやヨウキャと過ごした時間だって負けず劣らず長い。でも、交わした言葉と時間が一番濃密なのは、やっぱりムラサキだ。


 俺は友人に優劣をつけない主義だけど『背中を預けられる相棒』は誰かって問われたら真っ先にムラサキを思い浮かべる。俺のピンチに誰より早く駆けつけるのがムラサキだし、逆のときだって俺がそうする。友情とか親愛とかじゃ説明できない。俺たちの関係性は他の誰かに測れるような代物じゃない。


 だから、こういう裸の付き合いだって極々自然で……。


「………」


 いや、そんなワケないわ。

 余裕でエロい目で見るけど。

 クソ痛いほど〇起するんだけど。


 巧みなポジショニングで当てないようにしているが、気付かれたら殺されるのでは?

 男友達(特にヨウキャ)とはたまに下ネタで盛り上がったりするが、ムラサキをその輪に入れたことはない。だって露骨に嫌がるし。そのくせ本人のガード甘いのなんなん。


「あ」


「ど、どうした」


「忘れてた。髪洗わんと」


 そう言って湯船から出ていくムラサキ。

 直視するのはまずい。慌てて横を向く。勢い余って首がぐきっと鳴った。


「おい。シャンプーハットは?」


「ねえよ。そんなもん」


 その年齢で手放せないのはお前くらいだ。


「な、なんだって……」


 ムラサキはうろたえている。

 信じられない、という顔をしていた。


「どうやって洗えばいいんだ」


「普通に洗えよ」


「泡が目に入ったら痛い」


 子どもか!

 だったらぎゅっと目を閉じていればいいだけ。

 そんなこの世の終わりみたいな表情でシャンプーボトルを握らせて……うん?


「や、やらせてやってもいい」


 なにを。

 え、まさか俺が髪を洗うのか!? ムラサキの!?


 無理よりの無理。

 タッチ。ダメ。ゼッタイ!


「トウマ」


 ムラサキが呼ぶ。


「とうまぁ……」


 甘えるような声音。

 気付けばボトルを受け取っていた。


 い、いや、ちがうんだって。

 変な押し問答するくらいならさっさと済ませた方がいいっていう、合理的判断のもとだよ? 状況に流されてないよ?


「おねがい」


「わかったから。座ってじっとしてて」


 さて、とは言ってもどうしたものか。

 人の髪を洗うとかやったことねえ。

 それにしても髪なげえ。シャンプーどれくらいの量だ? 自分でやるよりは大目に……あ、これが倍プッシュってか!


「トウマ。はやく」


「すんません」


 ムラサキはぎゅっと目を瞑っている。

 本当に小さい子にしてやる気分になってきた。

 俺にこどもが生まれたらこういうことをするんだろうか。


 おそるおそる、ムラサキの髪に触れる。

 手の中で作っておいた泡は、すべるように馴染んでいった。触り心地が自分のと全然ちがう。異次元の感触だった。これ、毎日よく手入れしているんだろうな。昔からムラサキを知っているせいでズボラな印象があるけど、やっぱ、俺たち男子とは同じじゃないよな。


 これは、乱暴にしちゃいけない。


 ていねいに。やさしく。それだけを考える。

 中間から毛先の部分まで、空気を含ませて泡立てていく。頭皮に触れるときも爪を立てるんじゃなくて指の腹で。マッサージをする要領でいいはずだ。


 何分くらい経っただろうか。


 ムラサキが身体をよじったのをきっかけに、俺は手を止めた。

 正面の鏡越しに目が合った。


「ふふっ」


 面映ゆそうな顔にドキリとする。


「な、なに」


「くすぐったい」


「悪い……」


「いい。上手かった。けど、ふふっ」


 口元を押さえて、ムラサキはまだ笑っていた。


「顔がマジすぎて」


「そんな顔してない」


「してた。サッカーのときも。うらかを追いかけるときも」


「忘れろ」


「焼き付いて離れない」


「それ以上しゃべるとこうだぞ」


 泡まみれの前髪を垂らしてやった。


「ぎゃーっ!?」


「ほら。流してやるから。ちょっ、あばれるなって」


 猛獣みたいに唸るムラサキを押さえつけて、ノズルをひねる。

 熱いシャワーが泡を洗い流していく。艶のある麦色が光に照らされて輝きを放つ。


「終わった。目、開けていいぞ」


 ムラサキはぶるぶると頭を振った。水滴が大量にかかってくる。犬かお前は!


「ったく」


「文句を言いたいのはこっちの方————」


 言葉が続かなかった。

 長い髪を梳いているムラサキの無防備な背中。

 シミひとつない綺麗な白い肌が目に飛び込んだからだ。


「—————」


 いやいややっぱ無理無理エロいエロいエロい!

 喧嘩ばっかしてたくせになんで背中こんな綺麗なんだよ!

 あーっ、せっかく耐性ついてきてたのに!


「トウマ」


「な、なんだっ!?」


「さっきからなんか当たってる」


「え」


「なにこれ」


 ムギュウ……!


「ぎゃあああああ痛えええええええ!!!」


「え!? なに!?」


「ムラサキてめえ、握りつぶす気か!?」


 俺は悲鳴をあげた。いや、ジュニアが。

 激痛で頭が真っ白になったが、潰れてはなさそう。まだ使える。

 良かった。本当に良かった。清浦家を俺で末代にせずに済む。


「え。なに。なに……?」


「ばっか、こっち向くな!」


 ガチで焦った声が出た。

 ムラサキが不用意に身体の向きを変えるから。

 俺はうっかり見てしまった。


「ぶっ」


 鼻血を噴いた。

 もうムリ。相手がムラサキだとか幼児体型だとか関係ない。

 鼻を押さえてうずくまる俺を見て、ムラサキは困惑していた。


「もしかして、トウマの鼻折っちゃった……?」


 ぜんぜんちげーよ!

 なんだその発想。真っ先にそれ考えるか普通!?


「見せてみろ」


「ち、近づくなって」


「いいから」


 立たせようとするムラサキと、抵抗する俺。

 足場でぬるりと滑る感触が走ったのはそのときだった。

 洗い残った泡か、それとも俺の鼻血のせいかはわからない。


 踏ん張りがきかず、ムラサキを巻き込んで倒れ込んでしまう。身体のあらゆる部分がムラサキに密着する。血が沸騰する感覚があった。慌てて飛び退こうとして、自分の方が下敷きになっているのだと気付いた。


「ムラサキ。悪いけど、どいてくれないか」


「………」


「ムラサキ? おーい」


 聞こえてないわけがない。

 でも、まるで耳に入っていないみたいだ。


 ムラサキの潤んだ瞳がものすごく近かった。桜色の唇が震える。


「トウマ」


 ただ名前を呼ばれる。

 それだけなのに心臓を鷲掴みにされる破壊力があった。


「さ、さきな」


「~~~っ!?」


 意趣返しでこちらも名前を呼んだ途端、ムラサキが跳ねた。

 これ以上ないくらい、みるみる顔が赤くなっていく。

 恨みがましい視線が飛んできた。


「いきなり名前呼ぶな」


「お、おう」


「本当に、よくない」


 長い髪をたぐりよせて、器用に頬を隠す。

 確かに。今のは俺もいたずら心が過ぎた。でもそろそろ離れてくれないかな……。


「でも、トウマさえ良かったら、別に……」


 ムラサキが何か言いかけたときだった。

 外の方から慌ただしい足音が響いてきた。


「ねえーっ!? さっきから物音すごいけど大丈夫ー!?」


 あっ。


 やっべ。

 そうだよ。ここ人様のお家だったわ。


 はじかれたようにムラサキが浴室を出ていった。

 すぐさま、うらかの素っ頓狂な声が届く。


「うえーっ!? さきな、ちょっ、どこいくの!? 着替え、いやせめてバスタオルだけでも巻かないと!」


 入れ違いで脱衣所にうらかが入ってきた。

 バスタオルを取りにきたのだから、それは自然なことだった。



 ところでこの状況、皆さまお気付きだろうか。



 ムラサキが浴室を出ていった際、扉を閉める余裕なんてなかった。

 つまり脱衣所から浴室は全開で見えるのである。


「………」


「………」


 うらかは、当然ながら俺と鉢合わせになる。全裸の。

 時が止まったみたいに俺たちは固まった。うらかの視線がすーっと下がる。それがこの場では最もやってはいけない動作だと、うらかの思考がはたらく隙はきっとない。


「—————」


 視線は一定の高さで固定された。


「ぎゃああああああああああ!!」


 その悲鳴がどっちのものだったか、俺にはわからない。

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