第43話 半分くらいは下野のせい

「ええっ? え。はあ? どゆこと???」


 もう一度、車内を見る。誰も乗っていない。

 勝手に後ろのトランクも開けてみた。何も入ってない。いや、こんなところに下野が入ってたらびっくりだけど。


 とりあえず謝罪モードへ移行。


「すみません。人違いでした。転校するクラスメイトを追いかけていたはずが、全然知らない人を付け回していたみたいです」


「そうか。ちなみにそのクラスメイトの名前は」


「下野うらか」


「下野うらかは私の娘だが」


「………」


「………」


「ああーっ! 下野のお父さん!? あー、ハイハイ、そうじゃないかと思ってましたよ~! だってお嬢さんの面影がありますもーん!」


「嘘をつきなさい。人生で一度も言われたことないぞ」


 だろうよ。全然、似てねえ。似てなさすぎて親子かもって一番妥当な発想が出てこなかったくらいだ。


 いや、そんなことはどうでもよくて。


「あの。うらかさんは今どちらに?」


「さてね。まだ学校じゃないだろうか」


「学校……?」


 どういうことだ。

 え、本当にどういうこと?

 あのとき下野はタクシーに乗り込んでなかったっていうのか。


「せめて駅まで見送ってもらいたかったのだが。『めんどい。ここでいいでしょ。バイバーイ』と言われてしまってね。妻もついてきてくれないし。ふっふっふ、寂しい旅立ちになりそうだな。ははは」


 勝手に落ち込む、うらかパッパ。


 俺の頭の中は大忙しだった。

 チグハグな会話から導き出されるたった一つの結論。

 もしかしたら俺は、盛大な勘違いをしていたのかもしれない。


「あの。ご尊父様」


「なにかね」


「うらかさんは、転校しないってことですか」


「娘にそう聞いてないのかね」


「聞いてないですね……」


 身体中から気力が抜ける。濡れた地面に座り込んだ。


 え。なに。俺はアホみたいな早とちりで暴走していたのか。

 うわっ、急に恥ずかしい。さっきまでのテンションはなんだったんだよ。


「トウマ。もういい?」


「ムラサキ……」


 俺はムラサキの態度が気になった。

 まったく驚いた様子のない平然とした顔だ。こいつまさか……。


「ムラサキ。下野が転校しないって知ってた?」


「うん」


「タクシーに下野が乗ってないことも?」


「もちろん」


「もっと早く言えよ!?」


 あとで聞くことになる話だが。


 ムラサキは下野を連れてくるときに部屋の中を覗いたらしい。まったく荷造りが進んでいない綺麗な部屋を。そして俺が学校を飛び出していったときも、正門前にたたずむ下野の姿を見ていたのだそうだ。


「ふざけんなよ!? お前、俺をバカにしてんのか!?」


「そこまでは。でも言ったじゃん。『トウマがなにをしたいのかわからない』って」


「まさかこんな意味だとは思ってなかったよ!!」


 顔がすごく熱い。端的にいえば恥ずかしかった。

 ちょっと待てよ。そういえば、相手がうらかパパだとは知らないまま、色々すごいこと言っちゃったような気が……。


「君に聞きたいことができたのだが」


 うらかパパは差していた傘を閉じる。

 いつの間にか雨があがっている。雲の切れ間からわずかに日が差す。だが、どうしてだろう。震えが止まらない。


「君は、娘と付き合っている仲なのかね」


「えっ!?」


「特別だとか、3か月で別れたくないとか、そういうセリフが聞こえた気がするのだが」


 背中がじんわりと冷たい。

 冷や汗なのか。それともただの雨粒なのか。よくわからないけど。


「どうなんだね」


「つ、付き合ってないです」


「………」


 うらかパパは疑いマックスで睨んでくる。

 ふいにその矛先がムラサキに向けられた。


「そちらのお嬢さんも結衣山生かい」


「っす」


「君から見てどうだろう。彼は娘に手を出してないか」


 手を出すって。全然信用されてないな。

 ムラサキが考え込む素振りを見せている。


 おい、まて。沈黙やめろって。変な誤解を与えちゃうだろ。うらかパパの眉間に皺が寄ってすごい顔になっている。




「友達以上恋人未満な関係」




「生々しくて虫唾が走る」

「ち、違うんですお父さん!」

「誰がお義父さんかね」

「ああーっ、ラノベみたいなやり取り!」


 あたふたする俺を見てムラサキが笑っている。


「冗談」


「そうだろうな」


「ホントは、ちんちん」


 空気が凍った。

 なにえ……? 


「………は? なんて」


「ちんちん」


 うらかパパが茫然とした顔をこちらに向けた。

 フリーズは数秒くらい。だが今の言葉をどう受け取ったかは想像にかたくない。頭の中でそういうイメージを膨らませたのだろう。うらかパパが痙攣し始めた。


 烈火のごとく怒りに震えた言葉が紡がれる。


「殺す」


「いやいやいや。タイムタイム!」


 なんか勝手に極悪人に仕立て上げられてんだけど!?

 本物の殺意を向けられてさすがに腰が引けた。


 ムラサキは愉快そうに腹を抱えている。いいかげん止めろや!


「親友って意味」


「はっ、な、親友?」


「結衣山では常識」


 うらかパパの動きが止まった。

 瞳だけで真意を問われた気がして、俺は何度も頷いてみせた。


「うらかは親友4号。ちなみにあたしが2号」


 ムラサキが横ピースでウィンク。パチリ。

 おどけたその挙動に、ようやくうらかパパは怒りを鎮めてくれた。濡れた地面を気にせずへたり込んでしまう。はあ~と重々しい溜息をこぼしていた。


「娘を持つ父親をからかわないでくれ。心臓に悪い」


「すみません。こいつも悪気はないんです」


 座り込んだうらかパパに俺は手を差し出した。

 警戒した面持ちを向けられる。だが心境の変化からか、素直に俺の手を取ってくれた。俺も安心した気分になった。


 立ち上がったうらかパパは、俺とムラサキを代わる代わる見つめた。


「君たちの影響なのか」


「えっ。なにがですか」


 神妙な顔になって、うらかパパが話を始めた。


「うらかはね、毎日のように東京に帰りたいとぼやいていた。こんなところにいたくないと。仕事の都合とはいえ、私が無理に連れてきたのだから仕方ないが」


「………」


「だがあるときからそういうことを一切口にしなくなった。1ヶ月経たないくらいだったか。やっと慣れてくれたんだと、のんきに考えていたよ。私にはさっぱりだが、妻には学校での話をするようになったらしくてね」


「………」


「東京への転勤が決まったとき、当然、うらかは喜んでくれると思っていたんだ。でも全然嬉しそうじゃないのが気になって————つい先日になって急に言い出したんだ。やっぱり転校したくない。結衣山に残るって」


「えっ!?」


 アイコンタクトをムラサキに送る。また何か聞いているんじゃないのか。俺の知らないことをちゃっかり知っておいて黙ってやがるやつだからな。


 ムラサキは肩をすくめる。知らん、と。


「もう大騒ぎさ。喧嘩になってしまうし、散々だった」


「………」


「でも今ならわかるよ。東京への未練を断ち切るくらい、娘がこの場所で楽しい時間を過ごせたのは誰のおかげなのか」


 唐突だった。

 うらかパパが頭を下げる。深々と。


「ありがとう。どうかこれからも娘のそばにいてやってほしい」


「—————」


 返す言葉が出てこなかった。

 だって俺はそんな大層なことはしていない。

 いやがる下野を付け回して、気が付いたら今の形に落ち着いただけ。


 下野がここに居場所を見つけたんだとしたら、それは下野自身の功績だと思う。人の気持ちに寄り添う強さを秘めたあいつだから、だから俺は……。


「こちらこそ————」


「ただし!」


 勢いよく、うらかパパが俺の言葉を遮った。


「あくまで友人としてだ! そこだけは履き違えるんじゃないぞ!」


 その目はまったく笑っていなかった。

 しっかりと釘を刺されてしまった。




 駅まで移動して、うらかパパを見送った。

 娘にいてほしかったのだがね、とあの人は最後までぼやいていた。


 濡れた格好のまま駅前に立ちつくして約10分。

 そろそろお迎えの時間だ。が、正直なところ気が重い。どういう顔をして会えばいいだろう。


 そのときだった。


 遠くから白いミニバンが猛スピードでやってきた。

 まるで弧を描くような軌道で停車したと思ったら、助手席からその女は姿を現わした。



「なにやってんのキミは!?」


 開口一番、下野うらかはそんなことを言ってきた。

 やっぱ、こういうリアクションになるよなあ。


「ずぶ濡れじゃん! さきなまで巻き込んでさぁ!!」


 手に大きめのバスタオルをかかえている。ひとつは俺に投げつけるように寄越して、もうひとつでムラサキの身体を丁寧に拭いていく。ムラサキはされるがままになっていた。


 別に求めてないけど、なんとも雑な扱いだった。


 運転席から女性が降りてきた。目が合ったので軽く会釈しておく。

 聞くまでもなく下野のお母さんだ。めちゃくちゃ似ている。下野がそのまま10年くらい歳を重ねた容姿。ニコニコして優しそう……いや、待てよ。さっきの荒々しいドライビングはこの人の仕業なんだよな? 今からこの車に乗るの?


「ねえ、聞いてる!?」


「あ、うん」


 至近距離に下野が詰め寄ってきている。

 俺はのけぞった姿勢になった。


「お父さんから電話かかってきてびっくりしたんだけど!」


「迎えに来てくれてどうもだよ」


「さきなのためだよ! キミは1人で帰れば!?」


 ひどい。


 下野はどうしてだか、俺に対して当たりが強い。頬に赤みがさしていた。


「なんでそんな怒ってんの」


「お母さんにすごいからかわれたの! 恥ずかしかったんだから!」


「からかう? ……ああ、そういうこと」


 うらかママがやけにニヤニヤしてると思ったら、そういう理由か。

 たぶんここに来るまでに根掘り葉掘り追及されたんだろうなあ。


「変な勘違いされて困ってんの! 透真くんが誤解解いてきてよ!」


「えー、俺はこのままでもいいよ。別に」


「私がイヤだって話をしてんだけど!?」


 だいたいさぁ! と、下野のボルテージはさらに上がっていく。


「転校すると思い込んでたって何!? 透真くんってバカなの? 私に勉強教えるときは偉そうだったくせに。ほんとバカ。バカバカバカバカバカ! すっごいバカ!」


 どうしてだろう。

 罵倒されてるのに、全然いやな感じがしない。


 下野かわいー! としか思えない。


「なんでにやけてんだよ!」


「下野が可愛くて」


「なっ……!?」


 一瞬、下野がたじろいだ。

 怒りか羞恥か、みるみる顔が赤くなっていく。


「どんだけ私のこと好きなんだよ!」


「でも、下野が思わせぶりで匂わせだからだよ」


「はあっ!? 人をぶりっ子みたいに言わないでくれる!? 私そういうタイプの猫かぶり女子とか嫌いなんだから!」


「いや。そっちじゃなくて。転校云々のほう」


 俺が勝手に早とちりして的外れな着地をしたのは認めるけど。

 そこに至るまでミスリードはあったと思う。主に下野の言動とか行動とかが原因で。


「俺が勘違いしたの、半分くらいは絶対下野のせいだよ」


「わ、私、転校するなんて一言も言ってないし」


「でも途中まではマジな話だったみたいじゃん」


「もうなかったことになったけどね」


「下野が残りたいって言ったからでしょ」


「へっ!?」


 下野がギクシャクと、壊れかけのロボットみたいな挙動になっていた。


「そ、それ、誰から」


「下野のお父さんだけど」


「あのクソハゲ親父!」


 ああ、俺が見て見ぬふりしていた部分を。

 確かにハゲてんだよなあ。まだまだ働き盛りだろうに。可哀想。


「いや、いや、ちがう。ちがうから」


 動揺した下野は同じことばかり言ってる。


「何回も引っ越すとか大変でしょ。学校変わるのも面倒だったの」


「東京に戻りたがってたのに?」


「それは……」


 言い訳でも探しているのか、下野の目が忙しない。

 でも何も思い浮かばなかったらしく、恥ずかしそうに俯いてしまった。


 俺の嗜虐的なトコロが刺激された。


「下野だって好きになってきてるんでしょ。この場所を」


「………」


「あ、それとも結衣山とかじゃなくて、俺のことが好きとか?」


「ハァ~~~!? もう、うっさい! 黙って!」


「ふふっ。ねえ、そのへんにしたら?」


 呆れ顔でうらかママが仲裁に入る。

 ムラサキもつまらなそうな顔をしていた。


「若い子のイチャイチャって胃にもたれるのねえ」


「お母さん! もういい加減、変なこと言わないで!」


「風邪引いちゃうわよ。ウチのお風呂使っていく? そっちのバチクソ可愛い子も」


「ありがたく。いいよな、ムラサキ?」


「うん」


「ええっ!?」


 うらかママに誘導されミニバンに乗り込む。

 全員が席に収まったところで急発進。俺とムラサキの身体が後方に曲がった。


「結衣山って走りやすくっていいわね!」


 うらかママは上機嫌だ。

 車の通りが少ない時間で本当に良かった。じゃなきゃ絶対事故ってる。

 ムラサキが俺の手を握ってくる。俺も不安だったので強く握り返しておいた。


「ねえ、あなた、名前は!」


 ミラー越しに目が合う。俺のことらしい。


「清浦透真です!」


「透真くんさ、うちの子のこと下野って呼んでるの?」


「えっ!? あ、そういえばそうですね!」


「うらかって呼んでいいわよ。お母さん権限で許可します」


「マジっすか! あざっす!」


「まず私に許可取れや!」


 助手席の下野————じゃなくて、うらかが騒いでいる。


「これからもよろしくな、うらか!」


「もっと躊躇え! キョドれ! っていうか、あたしには愛称とかニックネームとかつけてくれないの? オヤカタくんやヨウキャくんみたいなさ!」


「あー、それか」


 しばし黙考。しかしこんな落ち着かない車内では何も良いのが思いつかない。


「保留だ。そのうちな」


「……あっそ。じゃあ、いいの期待してるから」


 うらかはそれきり、そっぽ向いてしまった。

 後部座席からその横顔をつい見つめてしまう。






 これからも、うらかと一緒にいられる。

 それがどうしようもなく嬉しかった。

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