第9話 組曲

 絵画であり、文学であり、彫刻、さらには建築、それなりに文化がその背後には存在し、その文化を持った時代に芸術は存在した。中には翻弄されていた時代があったと言ってもいいかも知れない。

 迫害されて、公開禁止になったものもあるだろう。著作本であったり、演劇なども当時の社会の体制に大きく左右されることもあったに違いない。それでも、文化は消えることなく存続してきた。これは実際には芸術が政治体制程度のものに影響されるものではないということを示しているのではないだろうか。

 音楽は、文学や絵画などと違って、明らかに違うのは、人間の五感の別の場所に訴えかけるというところではないだろうか?

 文学や絵画などは、目で見るものなので視覚に訴えるものであり、音楽は耳で聴くものなので訴えるのは聴覚である。演劇などのように、目で見ながら音やセリフを楽しむという多面的な感覚に訴えるものもあるが、音楽ほど聴覚に訴える芸術はないだろう。

 それだけに

「分かりやすい」

 というのではないだろうか。

 文学や絵画などは、自分から見ようと思わなければ見ることはない。しかし音楽は放っておいても耳から入ってくるものだ。それだけにジャンルの幅が広がりやすいのではないかと思うのだが、どうであろうか。

 だが、音楽というものは確かに放っておいても耳から入ってくるものであるが、それに興味を持つかどうかというのは、その人によるものだ。中には

「こんなうるさいもの、溜まったものではない」

 と言って、耳栓をして、ただの雑音にしか聞こえない人もいるだろう。

 それだけに、音楽は受け入れられない人にとっては嫌いになる要素も大きい。絵画や文学は見ようと思わなければ目に入ってこないのだから、ここまで苦痛に感じることはないだろう。

 絵画などは、あまりにも目立つもので、美的感覚を根底から覆すようなものが目の前に広がっていれば、これほどの苦痛はないかも知れないが、よほどのことがない限り、そんなこともないだろう。

 川島は芸術的な趣味は他にも持っている。自分から芸術を始めるということはなかったが、本を読んだり、美術館に行ったりということは結構する方だと思っている。

「本を読むのは、一人になれるから、それが一番の目的かも知れない」

 最初に本を読み始めた時は確かに、離婚してから一人で寂しい時、どうすればいいのかを考えた時、ふと思いついたのが読書だった。

 何を読んでいいのか分からなかったので、歴史の本を読んでみることにした。

 実は彼は学生時代にはミステリーが好きで、何冊か読んだ時期があったが、

「基本的に歴史もの以外ではフィクションを読むようにしていて、歴史ものではノンフィクションしか読まない」

 という意識を持っていた。

「歴史からは学ぶことが多いので、惑わされないように、ノンフィクションを読んで、それ以外の小説では、一人になってストーリーを楽しみたいと思うから、フィクションになるんだ」

 と思っていた。

 もちろん、嫌いな本で読みたくもないと思っているものもあった。芸能人が書いた本や、政治家や実業家の書いたハウツーものなどは、自分の中で、

「読む価値はない」

 と思っていた。

 別に思想があるわけではないが、下手に感化されたくないという思いが強かったからだろう。

 絵画も一人で見に行くことが多かった。だが、絵画にしても、本にしても趣味としては長続きすることはなかった。結構いろいろな趣味を漁ってはみたが、身に付いたものは一つもなかった。

 だが、その中で、本を読んでいる時、音楽を聴くという、

「ながら」

 をしていたことがあった。

 以前はすぐに気が散ってしまうという理由で、静かなところでの読書しか考えていなかったが、本を読む時というのは家で読むことはなく、どこかのカフェに立ち寄って読むことがほとんどだった。

 その時にBGMで音楽は流れているのだが、その本のイメージでなかったり、本の内容と噛み合っていなかったりすると、読んでいて気が散ってしまうことが往々にしてあったのだ。

 そのため、小説に音楽を合わせるではなく、音楽に小説を合わせるという感覚になっていた。といって、小説を合わせると言っても、音楽用に小説をチョイスするわけではない。だから、結局小説を選んでいるという意識になるのだ。その分、一つの音楽を聴くようになると、別の音楽を聴くことはよほど何かがなければ変えることはないだろう。

 川島が一番好きなのはクラシックであるが、クラシックの魅力は。幻想的なイメージを想像できるところにある。そのために楽器を駆使することになるのだが、その分、曲のアクセントが重要になってくる。それぞれのパーツや旋律にテーマがあり、細かいテーマを組み合わせて一つの楽章を作り出す。クラシックというと、宗教的なイメージもあるが、やはり、歌劇などオペラによるBGMとしての、音楽構成になっているので、それぞれのパーツで、アクセントが必要になってくる。

 このお話にも同じことが言えるのだが、音楽という大きなジャンルをテーマに、各章にて音楽の中にあるそれぞれの特徴があるジャンルをテーマにし、物語を育む。この文章創作方法自体が、このお話のテーマになっていると言ってもいいだろう。

 小説の中にも、連作短編というジャンルもあれば、一つの長編の中の各章において、それぞれのジャンルを繋げる書き方もあるだろう。

 小説の書き方の中で、ジャンルを繋いで書く書き方もあれば、ジャンルを無視して感性で書く小説もあるだろう。川島が好きな小説は基本的に後者だったが、後者ばかりを読んでいると、疲れが襲ってくることに最近気付くようになってきた。

 小説を書きたいと思った時期もあったが、さすがにそれは難しかった。執筆をするには、気が散ってはいけないわけで、執筆をするとどうしても気が散るのは分かっていたからだ。小説を読むのでもお気に入りの音楽を聴かないと読めないほどの集中力のなさを自分で感じていたので、小説を書くなど、夢のまた夢だと思っていた。

 中学の炉、一度書いてみたいと思って、原稿用紙を買ってきて、まわりから固めてみたことがあったが、それがそもそも無理だったのだ。

 小学生の頃の作文も、いつも時間内に考えがまとまらず、完成させたことがなかった。それをどうしてなのかと思い返すと、やはりそこは集中力のなさが一番の理由だったりする。

 最初は、

「作文を書くにはどこから書き始めればいいのか?」

 というところで行き詰まってしまう。

 これは絵を描くのと感覚は見ている。どこから描き始めるかということが定まらないと、絵画などのバランスを重要とする作品には自分は向かないと思えてくる。

 絵画のように、筆を落とす部分が、

「描き始め」

 ということになるのだろうが、小説などの場合は、表現しようとしているものの場面をどこからにするかという、

「表現元の世界の問題」

 ということになるだろう。

 絵画の場合は、筆を落とす部分が、バランスや遠近感という、

「絵画の三原則」

 とでもいえばいいのあ、重要な部分に繋がっていく。

 しかし小説の場合は、最初に書きだす場所を考えてからは、そこから繋がる三原則のようなものはないような気がする。そういう意味では書き出しさえうまくいけば、それ以降は、ステップアップ後の発想になると言えるだろう。そうなると、逆に書き出しがより重要ということで、これがうまくいけば、書き続けることはさほど難しくないように思えてきた。

 そこまで感じているのに、

「小説を書くなどできるはずはない」

 と思っている。

  ただ、最近は、

「今なら小説も書けるかも知れない」

 と思っている。

 そのヒントを与えてくれたのは、音楽へのジャンルごとの発想であり、それを感じさせるに至った宇月さんの存在ではないだろうか。

「もし、小説を書けるようになったら、宇月さんとの結婚も真剣に考えてみようかな?」

 と思うようになっていた。

 小説を書く時も、本を読む時と同じように何かの音楽を聴くようになるという感じがある。何を聴くかは、書いているジャンルに左右されることはない、左右されるとすれば、その時の自分の感情であろう。

 しかも、その感情と音楽性が一致しているというわけではない、楽しい時に、静かな曲を聴いたり、悲しい時に賑やかな曲を聴いたりと、あくまでも精神状態と一致していないことになるのだろうと、根拠もなく感じるのだった。

 川島は音楽を聴く時、

「どんどん細分化していきそうな気がする」

 と考えていた。

 細分化という発想は、その時の感情と、聴きたい曲とが必ずしも一緒ではないという発想から来ている。

 それを川島は、

「まるで組曲のようだ」

 と感じる。

 今の音楽で知っている中での細分化としては、組曲が一番合っているような気がする。一つの楽曲の中でたくさんの物語を幻想的に表現するのが組曲だということになると、組曲はその長さに関係なく、一番細分化された部分だと言えるのではないだろうか。

 組曲というのは、物語のアクセントでもあり、感情の細分化でもある。そう思うと、組曲を持っている、クラシックやプログレなどはそれを継承しているといえよう、

 音楽というものはすべてのジャンルに共通している考え方があるような気がする。それは。

「どんな音楽を奏でようとも、その奏でる形にするために、高度な演奏技術を追求しているところにある」

 ということであろう。

 川島が今までに知り合った女性の中で覚えている人は確かに少ないが、実際にはもっとたくさんいたような気がする。それぞれに細分化された印象で覚えている形なので、表に出すことは難しいのだろう。


 今回の小説でいくつかの音楽のジャンルを出したが、実際にはもっとたくさんのジャンルが存在する。しかし、その中でこれだけのものを選択したのは、作者の感じたジャンルという意味もあるが、作者が小説として描きたいジャンルだということも言えるだろう。

 ジャンルに寄る結び付け、そして、ジャンルが噤む音楽の関連性、そう思うと、作者としては今までにあまり書いてこなかった。

「連作短編の、一作品化」

 というイメージは成功だったのかどうか、気になるところである。

 この後、果たして宇月さんはめでたく川島と結婚することができたのか、組曲という発想をいかに考えるかで変わってきたするような気がする・

 ちなみに作者が好きな音楽のジャンルというのは、クラシック、プログレッシブロックの二つであることを、この機会に書き出しておくことにしよう。次回、

「連作短編の一本化」

 に挑戦することがあれば、その時は乞うご期待ということになる。

 それでは、読者諸君、お楽しみに……。


                  (  完  )

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音楽による連作試行 森本 晃次 @kakku

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