第8話 香りのもたらすもの

 静香は、じっとしている詩織さんを見ていると、妄想に耽っていると思いながら、実は夢を見ているということに気付いた。詩織さんの様子を見ているからか、自分もいつの間にか睡魔に陥っているようだった。

 本当は、このまま睡眠の世界に入るのは怖かった。なぜなら、夢に出てきたであろう女性を無理に思い出して、その話を聞こうとしたからだった。

 話の内容はあまり静香としては知りたくない内容であり、その人とは関わりたくないと思うのだった。

 そもそも、死んでしまった人と関わるなど、まっぴらごめんというものである。

 静香は、祖母を思い出していた。このまま眠ってしまったら、きっとこの夢に出てくると思ったので、その前に思い出そうというものだが、どうして祖母を思い出そうとしてしまっているのか、ハッキリと分からなかった。

 祖母はまだ存命である。自分では、

「憎まれっ子世に憚るというだろう?」

 などと言って、あくまでも強気なおばあさんを演じていたが、その真意がどこにあるのか、本人にしか分からないだろう。

 そんな祖母がよく口にしていた言葉を思い出していた。

「早く祖父に遭いたいものだ」

 という言葉であったが、すでに祖父は早くに死んでいた。

 祖父への意識などないほどの早い時期に亡くなっていて、静香のまだ幼稚園の頃だったというから、記憶など残っていなくても当然であった。

 普通、おじいさん、おばあさんというのは孫には優しいもので、思い出とすれば、楽しい思い出がほとんどとなるのだろうが、静香の中ではあまりいい印象で残ってはいない。祖母を見ていると、強気なのか、弱気なのかがハッキリとしておらず、いつも曖昧な態度を取っているのを見ると、腹に据えかねるところがあるくらいだった。

 早く祖父に遭いたいなどと言っているのは、おおかた自分の思い通りにならないことを、あの世の祖父に愚痴として聞いてもらいたいなどという意識の表れではないだろうか。いわゆる、

「年寄りの冷や水」

 とでもいうのだろうか。

「年寄りは、年寄りらしく、大人しくしていればいいのに」

 と、あの母が言っていたが、やはりおせっかいというのは、年寄りには似合わないものなのであろう。

 ただ、それは若年層の勝手な思い込みであるのは間違いない。なぜなら若い人間の誰もが歳を取ったことなどないのだからである。

 ただ、死んだおじいさんに会いたいという気持ちに対して、

「それはウソだ」

 と言い切ってしまうことは静香にはできなかった。

 確かに、いつも口から発せられることのほとんどは皮肉めいたことばかりなので、怪しまれても仕方のないことだが、死が近づいてきている人が、そんなに軽々しく、死んだ人に会いたいということを口にするというのも、どこか違和感があるように感じられるのであった。

 死んでしまった人に対しては、少なくともずっと寄り添ってきたおばあさんが、おじいさんをダシにして、皮肉めいたことをいうというのは、おばあさん自身がよくまわりの人を戒める、

「バチが当たる」

 という言葉を自ら戒めていないということになるのではないだろうか。

 今こうやっておばあさんを思い出していると、またしてもお香の香りが漂っているのを感じた。

 しかし、この匂いは微妙に違っていた。これこそ、

「いかにもお香の香り」

 であり、まさしくお線香の香りに間違いなかった。

 おばあさんを思い出してお線香の香りがしてくるというのは、別におかしなことではない。小さい頃からよくおばあさんが仏壇の前でお経を読んでいたのを思い出した。あの時、お線香に火がついていて、そこから煙が真上に向かって伸びているのを感じた。

 あの時に感じたのは、少々の風があっても、線香の煙はほぼまっすぐに真上でに向かって伸びているというものだった。

「仏様のお力なのかしら?」

 と子供心に思ったが、仏様というのが、死んだ人だという感覚はなく、神様との違いをおぼろげにも感じていなかった頃のことだった。

 おばあさんがお経をあげていた部屋は、かなり大きな部屋で、まわりにはほとんど何も置かれておらず、殺風景であった。どうやらおじいさんのお部屋だったところで、死んでから片づけたわけではなく、生きていた頃から、ほとんどモノを置く習慣のある人ではなかったということである。

 モノを置いていなかったのは、いわゆる断捨離をしていたわけではないらしく、その理由をある日おばあちゃんが言っていたのを思い出した。

「おじいさんはね。モノを置くのを怖がっていたのよ。無駄にお部屋が広い方が、無駄に散らかっているよりもいいってね」

 最初は、それをモノを片づけることにできない静香に対しての皮肉だと思っていた。だがよく聞いてみるとどうも違うようで、

「モノを置いていると、狭く感じられて、それが嫌なんだって」

 と、おばあさんは、半ば呆れたような言い方で話をしていたが、静香にはその思いが痛いほど分かる気がした。

――おじいさんも、閉所恐怖症だったのかしら?

 というもので、もしそうだったのだとすれば、静香の閉所恐怖症は経験からだけのものではなく、遺伝が関わっていたということになるのではないだろうか。

 それを思うと、閉所恐怖症だけではなく、暗所も高所も、遺伝だったのではないかと思えてならなかった。

「おじいさんは、暗い場所や高いところは怖くはなかったのかしら?」

 とおばあさんに聞いてみたが、

「さあ、そんな話はしていなかったね」

 と別に閉所との関連を気にしているところはなかった。

 どうやらおばあさんは、三大恐怖症というものに対して。言葉も知らないくらい、興味も意識もなかったのではないかと思えた。

 しかし、

「そういえば、おじいさんは、この無駄に広い部屋に一人いると、急に怖くなることがあるって言ってたのよ。無駄に何かがあると狭くて怖いと言っていたのに、それじゃあ、どうすればよかったっていうのかしらね」

 と言っていたことがあった。

 部屋の広さは子供の頃に見た感覚だったので、実際よりも大きかっただろう。それにしても、六畳よりも広かったのは確かで、今から思えば六畳よりも広い部屋に何もなかったというのは、気持ち悪いきらいではないだろうか。通り過ぎる風も気持ち悪いくらいだったが、じっと見ていると、もっと不思議な気分になってきた。

 すの不思議な感覚というのは、

「だだっ広いと思っていた部屋が、何もせずにじっとしていると、次第に狭く感じられるようになる」

 ということであった。

 まるで壁が意識することのできないほどのゆっくりとしたスピードで、狭まってきているような感覚である。じっと寝ていると、そのうちに目が覚めないような状態に陥り、最後にはその部屋と一緒に消滅してしまうのではないかという妄想であった。

 だが、年寄りとしては、その方がいいと思うのかも知れない。

「病気などで苦しむよりも、何も知らずに気が付けば死んでいたというような感覚の方が、幸せと言えるのではないだろうか」

 そんなことを考えたのは、まだ小学生の頃だった。一人で死んだおじいさんの部屋になどいたからであろうか。何をそんなおかしな気分になっているのか、分かるはずもない静香だった。

――でも、どうしてその時、一人で死んだおじいさんの部屋などにいたのだろう?

 おばあさんや母親がそばにいたという記憶はない。

 間違いなくそこにいたのは自分だけであり、一人でいることにどうして不思議に思わなかったのか、この時のことを思い出すこともなく、このままずっと思い出すこともないという意識があったからなのか、覚えていないことに対して感じるのは、そんな意識に繋がることのように思えてならなかった。

 その部屋ではお線香の匂いが残っていた記憶があった。ただし、お線香がついていたわけではない。火は消えていたのだが、垂直に上っていく白い煙だけは消えることはなかった。

 ずっと上っていく線香の煙はまっすぐに上に伸びているのに、どうして横にいて、しかも少し離れたところにいる静香の鼻をくすぐるのか、その理屈も分からなかった。

 一人でじっとしていると、どうやら理屈っぽくなるようで、一人でいると、どうしても考え事をすることが多くなるというのは、そういう理屈からなのかも知れないと、静香は感じていた。

――おじいさんが死んだ時、おばあさんは本当に悲しかったのだろうか?

 考えてはいけないほどの不謹慎なことだったが、静香はなせかそのことが今でも頭から離れなかった。

 人が死ぬということを意識したのは、中学に入ってからのことだった。あの時、ちょうど友達が自殺した。あまり話もしたこともない女の子だったが、彼女自身、他の誰とも話をする方ではなかった。

「あなたたち、いつも一人でいるタイプだったから仲が良かったんじゃない?」

 と言われるが、そんなことは決してない。

 暗い性格の人は逆に、暗い性格の人の近くに寄ろうとは思わないものだ。一つは自分が暗いと思っているから、相手の暗さでさらに自分が底なしの沼にでも落ちていくことを恐れるからであり、もう一つは他人から、

「暗い人同士、仲がいい」

 と思われるのを嫌うからだった。

 暗い人ほど、自分の性格を間違った方向で見られることを嫌う。

「私のことなんか、放っておいて」

 と思っているくせに、まわりからどう見られるかというのが気になるものだ。

 特に、自覚している性格と違うイメージで見られることを極端に嫌い、自殺したその女の子もきっとそうだったに違いない。

「ひょっとすると、自殺した原因もそのあたりにあるのかも知れない」

 と思ったほどで、確かに彼女を見ていると、

「いつ自殺してもおかしくない」

 と思えるほどだった。

 だからと言って、人に別の感覚で思われたくないからという理由で自殺まではしないだろう。だが、逆に考えると、自分たちが、

「他愛もないこと」

 と感じていることの方が、本人にとってS辛いことかも知れないし、それよりも、本当に死にたいと思う時よりも、気分が乗らず、何事にも上の空の時の方が、衝動的に自殺をしてしまうものなのかも知れない。

 静香は、今までに何度も自殺を考えたことがあったが、辛くてどうしようもない時の方が、意外と踏み切れないものである。

――ひょっとしたら、何かいいことが待っているかも知れない――

 と思ったからだと自分に言い聞かせているが、ただ単に死ぬという行為が怖いだけだったのかも知れない。

 自分が死んだことで、まわりがどうなるかなど、死ぬ人間には関係ない。死んでからのことを考える余裕もないはずなのに、実際に死を目の前にすると、躊躇い傷を作るかのように、死にきれなかったりする。

 そういう意味でいけば、遺書を書いて自殺をする人の気が知れないというか、そんな度胸は自分にはないと静香は思っている。

 例えば飛び降り自殺をする人などは、靴を揃えて脱ぎ、その上に遺書を置いたりして、そこから飛び降りを実行する。実際に飛び降りたことがないので、どれほどの恐怖なのか分からないが、高所恐怖症の自分が考えること自体間違いだと後で気付く。

 下を見ると、眩暈がするのではないか。自分が飛ぼうとしている前に立ち眩みで落ちてしまうかも知れない。

「もし、あの世に行って、記憶が残っているとすれば、どこまでの記憶があるのだろう?」

 などと、静香は考えてみた。

 飛び降りるために、靴を揃えるところまでは意識はある。飛び降りようと、その場所まで行くのも記憶があるだろう。

 しかし、下を見たという記憶までは残っているだろうか? 見たつもりになって、気が付けば落ちていたということもあるかも知れない。人が死ぬ瞬間というのは、自殺であれ、事故であれ、病気であれ、老衰であれ、あの世というのがあって、意識が残っているのなら、覚えていたりするものなのだろうか?

 もし、静香は自分が飛び降りるとするならば、まず考えることとすれば、

「どうすれば楽に死ねるか?」

 ということではないかと思う。

 飛び降りることが怖いと思っていると、確かに下を見るのも怖い。だが、覚悟ができていて冷静に考えられるとすれば、痛くない場所を無意識に選ぶのではないだろうか?

 だが、これも考え方で、もし、死に損なってしまった場合を考えると、どうなのだろう?

「中途半端な状態で生きるしかなくなり。植物人間にでもなってしまうと、せっかく死んでしまおうと思っているのに、この世に生きているのか死んでいるのか分からない状態で存在していることを自分でどう思えばいいんだ」

 と感じることだろう。

 死ぬことの怖さで躊躇ったために、取り返しのつかない後悔が自分に襲い掛かってくるである。

「職鬱人間」

 これほど恐ろしいものはない。

 静香の中で、残された人がどれほど悲惨な目に遭うかという発想が、消そうとしても消えずに残っている、自殺を考えたのだから、むしろまわりの人間からの迫害や、自分のことを分かってくれないという理不尽さから追い詰められての自殺のはずなのに、何を残された人のことを考える必要などあるというのか?

 静香はそんなことも分かっている。分かってはいるがなぜそんな風に考えるのかというと、きっと自分が同じ目に遭った場合を考えると、いたたまれなくなるからだろう。

「私だったらどうするだろう?」

 自分たちのことを考えず、勝手に死のうとした人が自分で植物人間になったのだから、放っておいてもいいんじゃないか?

 と考えるかも知れない。

 しかし、なぜかそうはしないような気がする。その後の残された者としての人生がどうなるかなど、まったく想像もできないし、想像しようとも思わない。想像するのが怖いと言ってもいいだろう。

 そういえば、祖父も最後は寝たきりだったって聞いたような気がした。

 母の話では、数か月間祖父は意識不明で、人工呼吸器などをつけられたまま、集中治療室で死ぬのを待つだけだったという。もうすでに医者からは、

「もって、半年くらいではないでしょうか」

 と、家族には末期の病状を宣告されていたようだ。

 寿命にはまだまだ若かったが、

「これも運命」

 と母親は言っていたが、おばあさんの方がどうだったのだろう?

「人間なんて、死ぬ時はあっという間なものよ」

 と祖父が死んでから母が言っていたが、死に顔は安らかだったという。

 それだけが救いだったと、おばあちゃんも納得していたというが、本当に納得などできたのだろうか?

 人の死について真剣に考えたことのなかった静香だったが、中学時代に残ってしまったトラウマのおかげで、ちょっとしたことで、死というものを意識するようになった。

 死というものが、すぐ近くにあり、手を伸ばせば届くところにあるような気がしたくらいだった。

 だが、実際に死のうと思うと、すぐにやめてしまう。それまで死ぬことをそれほど大したことだとは思っていなかったのに、意識してしまうと、考えるのは余計なことばかりである。

 それまでほとんど何も考えてこなかったことが露呈するくらいに考えてしまう。どんなにつまらないことでも考えるのだ。

 それはきっと後悔したくないからであろう。だが、何を後悔したくないというのだろう? これから死のうとしている人間に、何の未練があろうというのか。未練がないから死を選ぶ。未練があっては、死んでも死にきれないのではないかと思う。

 そう思うと、死を躊躇してしまうことが頭に浮かんでくる。そうなると無意識に少しでも助かろうとするだろう。それが本能というもので、本能のままに行動してしまうと、死のうとする自分の本音と、死にたくないという本能とが葛藤を起こすに違いない。それをごく短い間で何度も繰り返し、結局死のうとすると、中途半端になり、死ぬにも死にきれないという状態になり、

「取り返しのつかない後悔」

 が襲ってくるに違いない。

 そんな時、ほのかに風が吹いてきた。

 その時に感じた匂いが線香の匂いだったのだが、どうも線香の匂いだけではなかったような気がする。

 その時、同じお香のような匂いだったはずで、そんな線香の匂いがなかったのは、前におばあちゃんと一緒に命日の時にここで手を合わせた時に感じた匂いとは別の匂いがしたからである。

「お線香にはいろいろな匂いがあるんだよ。仏さまを送る線香だったり、お迎えする線香だったりね。それによって種類も違うし、匂いも違う。だから、迷わずにこのお家に帰ってこられるんだよ」

 とどこまでが本当のことなのか分からないような話をおばあさんがしていた。

 別の日に、母親もしていたことから、

「この話は、この家に代々伝えられてきたお話なのね」

 と、思う静香だった。

 線香にもいろいろな香りがあるという。丁子香を線香の一つと数えることはできないかも知れないが、静香にとっては線香であった。しかも、何か特別な時に自分の身体から発する匂い、そこに何があるというのか、

――こうやって詩織さんに抱かれていると、過去の忘れてしまったことを思い出してくるような気がする――

 詩織さんの身体からは相変わらずのヘリオトロープの香りが漂っていた。

 自分が過去の記憶に誘われているたった今、詩織さんも過去へと誘われているように思えた。


 私を襲ったあの男、死んだというが、あの男が死に至った時の心境を今の私は感じていた。あの男は飛び降り自殺だった。どこかのビルから飛び降りたのだが、先ほど感じた思いと同じ感覚をあの男も感じていたようだ。そして同じ時に、屋上から下を覗いたその時に見えた光景が、ちょうど私が同じ時に感じた、断崖絶壁の谷間の上に掛かった吊り橋から見た光景だった。

「どこに落ちれば、痛くないかな?」

 などと思っている。

 しかし、やはり中途半端な死に方はしたくないとも思っている。

――そうか、死の怖さというのはそこにあるんだ――

 死ぬこと時代の怖さより、死を躊躇したことにより死が中途半端になってしまい、うまく死にきれなかったことの方が怖いという思いである。

 その感覚が自殺を思いとどまらせたりするのだろう。そう思うと、自殺は本当に確実なものでなければいけない。本当は苦しまずに確実に楽に死ねるとこれほど望み通りということはない。元々どうして死ななければいけないのかということも大きな問題なのであるはずなのだが……。

 そんなことを思っていると、またしても、丁子香の香りがしてくる。

――ああ、私はここで死ぬんだ。でも、どうして死ぬことになるんだろう?

 と思った、

 どうやら私を襲った男の死に関わっているようだ、

 あの男は、私を襲っただけではなく、他にも犯罪を犯していた。私があの男に制裁を加えようとしたが、あの男は自殺を考えていた。後ろから見ていたが、死にきれず、私が背中を押してやったのだ。私はあいつを楽に死なせてやった。だから、私もバツを受けることになるのだろうか?

 それは理不尽な気がする。だが、一番楽な死に方を神様が用意していてくれたのだ。一緒に死へと誘う相手、それは詩織さんなのだ。

 ああ、じゃあ、詩織さんは誰かを殺したことになる。考えられるのは、彼女の言っていたお姉さんではないか。お姉さんも不治の病だったという。ひょっとすると、安楽死のような形を取ったのかも知れない。

 死んでしまうことが確定していた命、それを一番楽に死なせてあげた。私と同じように、本当はそこで死ぬはずではない人だったのかも知れない。だが楽に死なせてあげたことで、私と同じトラウマが残った。この場合のトラウマとは私の肉体的なトラウマとは違う意味のトラウマだ。一人の人間にいくつかのトラウマがあることはしょうがないことだと私は思う。

 静香さんには、死に対しての覚悟はあるのだろうか。まったくそんな素振りを示していなかったので、死というものを意識していないような気がしたが、いまだに香ってくるヘリオトロープの香り、これは詩織さんと私にしか味わうことのできない香りであると思っている。

 ひょっとすると詩織さんも私の身体から香ってくる丁子香の香りを分かっているのかも知れない。丁子香は、私にとって永遠の香りに思える。

 詩織さんも、ヘリオトロープを自分にとっての永遠の香りだと自覚しているように思えた。その思いがあるからこそ、私を誘い、一緒に死へと渡っていくことを決意できたのではないだろうか。

 このまま私たちは、今の姿のまま手に手を取って三途の川を渡っていくことになるのだろう。何があっても離れることのない二人、この世に何か未練を残していないだろうか?

 そんな気持ちは余計だった。何しろお互いに安住の死を与えられた永遠の香りを充満させているのだから……。


                  (  完  )

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永遠の香り 森本 晃次 @kakku

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