若返りの薬

半ノ木ゆか

*若返りの薬*

 お昼前、人気ひとけのない裏町を一人の青年が歩いていた。鞄を肩にかけ、ビル群を珍しそうに眺めている。実は彼は、この時代の人間ではない。遠い未来の世界から、昔の生き物を研究しにやってきたのだ。

 通りに面した花壇の上を、一匹の蝶が飛んでいる。花から花へ、蜜を吸って廻っていた。彼は興味深そうにそれに見入った。未来ではとっくに滅んでいる種類だ。

 鞄から液体の入った瓶を取り出す。スポイトに似た道具で、それを花のしべに垂らす。

 蝶がその蜜を吸う。すると、蝶はまたたく間にさなぎになり、毛虫になり、小さな卵に若返ってしまった。

 蝶は、二分ほど経つと元の成虫に戻った。その様子を、物陰から窺っている者があった。

 記録を取り終え、立ち去ろうとした時だった。一人の男が青年にナイフを突きつけた。びっくりして動けなくなった青年を、男が低い声で脅す。

「騒ぐな。大人しく俺にいてこい」

 青年は、古びたビルの一室に押し込まれた。瓶を奪われ、液体を一口飲まされる。体がみるみるうちに縮んで、幼い男の子の姿になった。

 抵抗したが、力が弱まっているので敵わない。縄で体を縛られながら、青年は訊ねた。

「私の薬を、何に使うつもりですか」

「世の中には、若返りたい、若いままでいたいと願っている奴が大勢いるんだ。この薬をたくさん作って売れば、大儲けできるだろう」

「それは、動物の成長や進化の過程を調べるための物なんです。お金儲けの道具ではありませんよ」

 青年の訴えに、男は耳を貸さなかった。白髪混じりの髪を搔きあげながら、窓の光に瓶を透かす。

 彼は、どこかの研究施設に薬の成分を調べさせるつもりだった。だが、その前に自分で効果を試したい。彼もそろそろ、若返りたいと思う歳頃だ。

 青年の鞄には同じ薬が何瓶かある。男は一つを開けると、おそるおそる、唇が湿る程度に舐めてみた。その途端、みるみるうちに髪は黒く染まり、顔のしみは消え、十歳ほど若返ってしまった。男は鏡を見てにやついた。

 ところが、四時間ほど経つと、仮面が剥がれ落ちたかのように老け顔に戻った。男はどすどすと部屋に帰ってきて言った。

「どういうことだ。もう元に戻ってしまったじゃないか」

 縛られたたままの青年は、けらけらと子供らしく笑った。

「その薬は、若返った年数の二万分の一の時間で効目が切れるのです。昆虫が一ヶ月若返れば二分で、人間が十歳若返れば四時間で元の歳に戻ります。残念でした。ご愁傷様です。お金儲け失敗ですね」

 青年の言い方が、男のしやくに障った。彼は瓶に入っていた薬を一気に飲み干してしまった。

「そんなにいっぺんに飲んだら、元に戻れなくなりますよ」

 目を丸くする青年に、男は鼻で笑ってやった。

「どうせ、二万分の一の時間で効目が切れるんだ。たっぷり飲んでも、すぐに戻れるだろう」

 夜になり、青年は元の歳に戻った。大きくなった体に耐えかねて、縄は自然にほどけてしまった。変り果てた男の姿を見下ろし、青年は呆れたように溜息をついた。

 空っぽの瓶のそばに、ビー玉大の白い卵が一つ転がっている。

 人間は、卵ではなく赤ん坊の姿で生れてくる。だが、二億年前のご先祖様にあたる獣は、カモノハシやハリモグラのように卵を産んでいたのだ。彼が人間に戻るまで、一万年ほどかかるはずだ。

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若返りの薬 半ノ木ゆか @cat_hannoki

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