悪魔のご主人様

Scandium

悪魔のご主人様

 俺達はペットだ。ご主人様に飼われて……いや、買われてその生涯を終える。生まれた時から施設暮らし。買われなければ殺処分。買われたら買われたで地獄のような生活を送る。


 施設にいる皆は口を揃えてこう言う。ご主人様は悪魔だ、と。


 買われたらストレス発散の道具として殴られ蹴られ、そんな生活が何年か続いた後に喰い殺される。それが施設内の認識だ。


 けれど俺は少し変わった奴だったらしい。この施設に生まれた以上、結末は残酷な死以外存在しない。そう知っていながら、ご主人様に抱く感情は恐怖ではなく憎悪だった。


 いつか必ずご主人様を殺す。いくら力が弱くても、殺す手段はいくらでもあるはずだ。


「……殺す……そうだ、はは……っ、殺せる……ははは……ははははっ」


 俺の心が壊れかけていた時だった。ご主人様が俺の前に現れたのは。


 その日、施設に1人のご主人様が現れた。女だった。髪の毛を肩ぐらいまで伸ばした、背の小さい子だった。


 そいつは興味津々というように施設を見渡し……俺と目が合った。


「……可愛い〜〜! 店員さん! この子! この子にします!」


 その瞬間、そのお風呂はパァッと笑顔になった。目を細め、頬を染め、まるで幸せの頂点に達したような表情になった。


 ……何故だろうか。意味が分からないが……俺はその時、その女を可愛いと思ってしまった。


 己の不覚に気づき歯を食いしばっている間に、俺のケージの扉が空いた。そこから施設の悪魔の手が俺を抱き抱え、女に手渡した。


「は、離しやがれこの悪魔が‼︎ どうせ俺を喰うつもりなんだろ‼︎ 殺してやる‼︎ 絶対に殺してやる‼︎」

「わ、わあ〜」

「ほ、本当にこの子にするんですか? この通り凄く凶暴なんですよ」

「大丈夫です! この子に一目惚れしたので!」

「……お客さまがそう言うなら無理には止めませんが……警告はしましたよ?」


 俺は必死に抵抗した。拳で殴り、爪で引っ掻き、足で蹴った。しかしそんな抵抗虚しく、俺は別のケージに移された。


「出しやがれクソ野郎‼︎ おい聞こえてんだろ⁉︎」

「ああごめんね〜すぐに着からね〜。にゃーにゃーにゃ〜」

「テメェ舐めてんのか⁉︎」


 施設から出て30分ほど。女の家にたどり着いた。


 なんというか……見窄らしい家だった。木でできた落ち着いた雰囲気で、きっと元々は綺麗な家だったのだろうが、今はオンボロだ。俺でも歩くたびにギシギシと音が鳴るし、変な匂いがする。水回りなんかは酷い有様だ。


 ケージから出された俺は少し茫然とした後、すぐにご主人様を怒鳴りつける。


「……おい……こんな所で暮らせって言うのか⁉︎ 病気で殺す気か‼︎」

「ごめんね〜汚い家で。ほら、君の家はこっち」


 そう言って、俺を部屋の隅にあるケージに連れて行こうとする。当然抵抗など無駄だった。


 そして俺はケージ……いや、檻に入れられた。だが、不思議と落ち着いた。狭いところにいると落ち着く人がいると言うが、それだろうか。狭いといってもこの檻は柵の形をとっているので多少解放感がある。広さも施設の時より断然広い。


「今日からここが君の家。あんまり壊さないでね? 私貧乏だから……そうだ、名前! 名前つけてあげないと! ……う〜ん……よし、君の名前は……」









 それから俺とご主人様の共同とは言えない共同生活が始まった。


「……ふぁ〜……おはよう田中〜」


 田中。それが俺につけられた名前だ。ご主人様とかペットとか以前に、ちょっと頭大丈夫かと思う。


 毎朝、ご主人様は俺に挨拶をする。元々早起きの俺は当然ご主人様より早く起きているが挨拶を返すことはない。


「朝ごはんだよ〜」


 そう言ってご主人様は俺に朝飯を与える。そして何故か机も椅子もあるというのに、俺のケージの前でご主人様は飯を食う。


 そして俺は飯を手で掴み、ご主人様に投げつける。


「わっ! ちょっと駄目でしょ、ご飯を投げちゃ!」

「そうやって油断させて毒で殺すんだろ⁉︎ 悪魔の考えることなんて分んだよ‼︎」

「も〜……でも、美味しいよ?」


 癪なことに、ご主人様の作る飯は美味い。クソまずい上に量も少ねえ施設の飯とは大違いだった。食わねえと死ぬ。だから食う。けれど少しでもご主人様を苦しませたい。俺は必要最低限の飯だけ食うと、残りを部屋中に投げつけた。


 飯が終わると、ご主人様は仕事に出かける。その間俺は何とかケージを脱出しようとした。けれど柵は床から天井まで続いていて飛び超えるもクソもないし、床も柵も壊せない。


 ご主人様が帰ってくるのは夜かなり遅くなってからだ。


「ごめんね遅くなって〜」


 そんなことを言って、毎晩ご主人様は帰ってくる。大分疲れているのが見え見えだが、常に笑顔でパパッと俺の飯を用意し、本人は風呂へ。これまたパパッと出てきたら、俺の檻の前にやってきて、俺の撒き散らした飯を片付ける。


「も〜。何度言ったら分かるかな〜」

「……」


 それからは椅子に座って休むこともせずに、ご主人様は寝る。寝室、ましてやベッドなんてものは存在せず、ソファに横になるのだ。


 それが俺とご主人様の毎日だ。たまに散歩に連れて行こうとしたりされるがそれは俺が必死に抵抗してなんとか阻止している。他のご主人様に何をされるか分からないからだ。


 しかし、今日のご主人様は違った。いつも通りソファに横になったのだが、ご主人様は寝ずに檻の前までやってきた。


 俺は檻の入り口からなるべく遠ざかり、警戒体制をとった。しかし入り口からご主人様の腕が伸び、抵抗虚しく俺をひょいと持ち上げる。


「は、離しやがれ‼︎ 何を……何をするつもりだ‼︎ 離しやがらねえとテメェの目玉引き摺り出して……‼︎」


 言葉でも必死に抵抗するが効果は無い。ジタバタする俺をご主人様は全く怖がらずに……自分の胸へと抱いた。


「……は……?」


 意味の分からない事態に、俺の思考と抵抗が停止する。


 その隙にかどうかは分からないが、ご主人様はポツリポツリと話を始めた。


「……私ね、施設の出身なんだ……あなたみたいに。生まれた時にはパパもママもいなくて、周りの子とも友達にもなれなくて……ずっと寂しかったんだ。仕事でもお客さんに怒鳴られるし、上司には理不尽にお給料減らされるし……」


 その時、ポツリポツリと俺の頭に水滴が垂れてきた。ご主人様の、涙だった。


「……どうしてかなぁ……どうしてこんな……」


 そんなこと知るか……そう叫ぼうとした。


 しかし。


「私、あなたに嫌われることしたかなぁ……? ちゃんとご飯もあげてるし、お散歩も連れていってあげようとしてるのに……そんなにこのお家が嫌……? ……それとも、やっぱり私が嫌い……?」

「……」


 その時、ご主人様は俺を抱く力を一層強くした。


「……私はあなたのこと、大好きだよ」


 その言葉を聞いた瞬間……俺の目頭はこれ以上無いほど熱くなった。


 両親は知らない。生まれた時からただご主人様を憎み、そんなだから周りにも避けられて……誰からも、そんな言葉を言われたことはなかった。


「……あ……なんでっ……こんな……っ! あぁ……ああああぁ、クソ……っ」


 ただただ涙を流す俺を見て、多分、ご主人様は意外がっている。しかしすぐにぎゅっと抱きしめ、


「よしよし……大丈夫。大丈夫だから」


そう言って、俺の頭を撫でていた。









 次の日の朝。いつもの如くご主人様は俺の檻の前に飯を置いた。今日はどうやら数分寝坊したとのことでご主人様はバタバタだ。


 これまたいつもの如く俺は飯を必要最低限だけ食い、残りを部屋に撒き散らす……


 だが、今日ばかりは俺はそれをやる気が起きなかった。


 ご主人様は支度が終わると、いつも通り俺にいってきますの挨拶を言いに来る。


「じゃあ田中、いってきま……あ! お部屋汚してない! えらいじゃん田中〜!」


 そう言って檻越しに俺の頭を撫でるご主人様。


「……早く行かないと、遅刻するぞ」

「あ! そうだ田中と遊んでる時間無いんだった! ごめんね田中! 今日は早く帰……れるようにするよ〜!」

「……いってらっしゃい」

「いってきます!」


 それから、俺とご主人様の生活は、少しずつ変わっていった。


 俺の檻の前で、ちゃんとご主人様と一緒にご飯を食べるようになった。


「あ〜ご飯食べてる田中も可愛い〜な〜。はい、あーん」

「そ、それぐらい自分でするわ!」


 お風呂も一緒に入るようになった。


「ぬああ! やめろ! 水は苦手なんだ!」

「ほらも〜嫌がらないの! 田中臭くなっちゃうよ?」

「ぐっ……!」


 寝る時は、俺がご主人様の寝るソファに入れられるようになった。


「う〜ん田中……にゃーにゃーにゃー……」

「どんな寝言だ……てかそのにゃーにゃーってのいい加減やめて欲しいんだが……」


 ……俺は、勘違いしていただけだったのだ。


 俺もご主人様も、施設出身だった。俺もご主人様も、友達がいなかった。俺もご主人様も、誰からも愛されなかった。


 そんな知識が俺に入ると、今までのご主人様の行動が、全て違って見えてくる。


 知識というのは大事だ。俺はご主人様は皆悪魔だという定説を持っていたからあんな性格になった。多分、施設にいた他の奴も俺も、ご主人様は皆優しくて可愛がってくれるという知識があれば、施設にいてもある程度幸せに生きられたのかもしれない。


 けれど施設から連れて行かれた奴がどうなるのかは分からない。無知は恐怖を呼ぶ。恐怖は虚像を結ぶ。


 だから皆勘違いしてしまう。ご主人様は悪魔だ、と。


 ……これは、施設から出た奴らしか知り得ないものだ。悪魔のご主人様なんて存在しないのだと。


 あれから数年……俺は、ご主人様と過ごせる時間が大好きになっていた。


 今日とて、俺はご主人様の腕の中。成長期というものだろうか、始めに比べ相当身体は大きくなってしまったが、ご主人様は変わらず俺を抱きしめてくれる。


「……田中……」


 眠っていたご主人様は目を覚まし、眠そうに目を擦っている。


 反対に、俺はご主人様の腕の中で、うとうとと眠りにつこうとしていた。


(……あぁ……やっぱり、ご主人様は悪魔なんかじゃなかった……だってこんなにも……あったかい……)









 立ち込める雲。降り注ぐ雨。それはまるで、彼女の心を投影しているようだった。いや、本当に彼女の心がその天候を作り出しているのかもしれない。


「うぅ……どうして……」


 彼女は1つの墓の前で泣いていた。今日、大切にしていた家族のようなペットが旅立ったのだ。


 隣にいる彼女の友人が、肩に触れる。


「……チヒロ……」

「どうして、どうして……! 私は“我慢できなかった”の……‼︎」

「……仕方ないわよ、チヒロ……悪魔わたしたち人間ペットは、分かり合えない存在なのよ……」



※※※※※



 私の近況ノートにあとがきがあります。よければ。


https://kakuyomu.jp/users/ScandiumNiobium/news/16817330660216590802

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