第3話 君には1/4だけ、莉愛の婚約者になって貰う

「後でうちに来てくれ。君ひとりで」


 富良野のおじさんが、俺にだけ聞こえるような小声で囁いた。怖い怖い怖い怖い。

 今すぐ全力で逃げ出したかったが、ここは警察署だしおじさんの運転する車に皆で乗って皆で同じマンションに帰るんだから逃げようが無い。

 帰宅し荷物を置いて、念のために母さんに声をかける。


「ちょっと富良野さんのとこに話しに行ってくる」

「あら、晩ご飯は?」

「帰ってきてから食べる。……もし俺が30分経っても帰ってこなかったら迎えに来て」

「え? あら?」


 母さんはニンマリした。


「そう。30分でも一時間でも好きにしなさい。莉愛ちゃんきっと怖かっただろうから、寄り添ってあげたらアンタの株も上がるわよ」

「そういうんじゃねーから!! 30分経ったら迎えにこいよ!?」


 クソババア! 完全に勘違いしてやがる。逃げ道確保として言っておいたのに迎えに来なさそう。このままだと俺、怒り狂ったおじさんに拉致カンキンとか……されないよな?


 震える指でエレベーターのボタンを押す。俺の血がスーッと引いていく感覚を覚えたがきっとエレベーターが下がるのを体感しただけだろう。

 ふたつ下の階で降り、富良野と表札がかかっている家のインターフォンを押す。


「はーい」


 おばさんの声だ。


「……アッ、さ、左栗さくりです」

「あっ、ちょっと待ってね。莉愛~」


 それだけ言うとインターフォンが切れ、十数秒後にドアがガチャリと開く。

 ドアを開けたのは莉愛だった。けれど彼女を見て俺は絶句する。背中の中ほど迄あった綺麗な黒髪がなくなり、男子ばりに短いショートヘアーになっていた。


「……入って」

「あ、ああ、お邪魔します。莉愛、髪……」

「ああ、それも後で説明するから」


 気怠い答え。いつもの溌剌とした莉愛じゃない。やっぱり怖かったからなんだろうか。でも……莉愛は斬られたのに無事だったんだ。何を怖がる必要がある?

 それとも俺が見たと思ったものは幻覚だったのだろうか。……いやいやいや、ない。通り魔の刃物をシャツとブラジャーだけの紙一重で斬らせてかわす女子高校生が居るわけ無いだろ!

 あの時のことを思いだして俺の背中に嫌な汗がじとりと涌く。


「どうぞ」


 廊下から突き当たりのドアを開けて莉愛が中に入るよう促す。うちと同じ間取りだからその先はリビングダイニングだとわかっている。

 入ると、ダイニングの椅子におじさんが腰かけていた。おばさんはキッチンに居る。チラッと見たら、キッチンはうちと違ってモデルルームのように綺麗だった。おばさんキレイ好きなんだな。


「やあ、貴史くん。こちらに座って」

「……あっ、はい……ども」


 目に見えないけれども確実におじさんから圧をかけられている気がする。俺はモゴモゴ言いながらダイニングテーブルを挟んでおじさんの向かいに座った。隣に莉愛が座り、おばさんがお茶を出してくれておじさんの横に座った。


「さて、貴史くん」

「は、はい」

「俺としては大変不本意だ」

「は、はい……?」

「大っ変~っに不本意だが! 見られてしまったものは仕方ない」


 いや、俺だって莉愛の身体を見たくて見たわけじゃない。ん? そう言うと語弊があるか。エロい気持ちで見たわけじゃない。あの場なら誰だって心配して見るだろ?


「だから君には1/4よんぶんのいちだけ、莉愛の婚約者になって貰う」

「……はい?」


 よ、よんぶんのいち? 俺がその意味を噛み砕けない間に、おじさんはテーブルの下からゆっくりとソレを出した。


「1/4だ。言っとくが婚約だからな! 約束ってだけでまだお前の物じゃないからな! 大事に扱えよ!」

「あなた、そもそも莉愛はあなたの物でもないからね」


 なんか涙声で言うおじさんに、笑顔でツッコミを入れるおばさんの図を見てるとイケオジの筈のおじさんから一気に小者臭が漂ってきた気がするんだが。

 それはそうと。これはなんだ。


 テーブルの上に乗ったソレは、丸くて重量感があってプヨプヨしていそうだ。色は白っぽくて時々虹色の光がくるりと回って煌めいている。なんだっけ、こんな宝石があったような。

 でも宝石と違って柔らかいし、すごくデカイ。触ってみるとひんやりと冷たくて気持ちいい。これ、アレだ。小さい頃に遊んでたスライムゼリーみたいなやつ。


「えっち」


 俺がスライムをタプタプしていたら隣の莉愛が突然変なことを言い出した。


「は、ハァ!? なんで!?」

「だって触り方がやらしい」

「そうだ! やらしい気持ちで触ったろ! ダメだぞ婚約者だからって!」

「……えっ」


 目を血走らせたおじさんの支離滅裂な言葉に絶句したが、直後に俺の頭に閃きが降りてくる。全てが繋がった気がして、目の前のスライムに爪で十字の傷を付けた。

 それはすぐにふるふると揺れてくっつき、傷が埋まって見えなくなっていく。さっきの莉愛の身体のように。


「こ、これ……莉愛と同じ……?」


 震える指でスライムを指しながら莉愛に訊くと、彼女はジト目でおじさんを見て呆れたように言った。


「そう、私の1/4。パパって馬鹿じゃない? 私が四つに斬られたからって、わざわざ斬られたぶんを分けろっていうんだもん。で、分けたらこの姿を維持するためには質量がギリギリ足りなくて、髪の毛も短くするしかなかったの」

「ちょっと待って……莉愛って……人間じゃないの?」


 うんわかってた普通の人間じゃないかもって。あんなに斬られたのに血が出ないって時点でおかしいし。だけどほら、異世界からの転生者とか人間そっくりのアンドロイドとか秘められし闇の魔力で云々とか、他の解釈もあったよねぇ??? それが、スライム!?!?


「えっそこから? 貴史なら私は異世界の住人だろうくらいの受け入れ方はしてくれると思ってたけど」

「異世界の住人なのかよぉ!? て言うかなんで俺の頭の中がわかるんだ!?」


 パニックになりかけの俺とは真反対の冷静さで莉愛はサラッと言った。


「異世界っていうか、異星人? 宇宙人ってやつかな」

「…………う?」

「あ、ハーフだけど」

「…………は?」

「うちのパパは、普通の地球人。地球を侵略するつもりだったママとラブラブになって結婚したの」

「やっぱ無理ーーーーッ!!」


 その地球人おじさんは泣き叫びながらテーブルに突っ伏してスライムを奪い取っていった。


「可愛い可愛いうちの莉愛を、たとえ1/4でもあげるなんて出来ないよぅ……ううっ……無理だぁ!!」

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