色見えで 移ろふものは世の中の 人の心の花にぞありける
そして葉月の
毎年
毎年この俄を見ようと、吉原の外から男女問わず大勢が押し寄せる。女も通行手形さえ見せれば入る事を許された。
誘ったのは女将だ。どこから手に入れたのか、通行手形を二人分手に入れて、はるに一緒に来て欲しい、と言ってきた。
「俄には女郎達が白無垢で歩くんだろ? ならあの子も出てきているかもしれない。あたしはどうしても見たいんだ」
はるは何故自分を誘ってきたか、女将に問おうとしたがやめておいた。
きっと、一人で行くのは心細いのだろう。二人で号泣したあの夜から、女将ははるに心を少しだけ開いてきた。傷つき檻の中に籠もっていた不如帰は、段々と鳴き方を思い出してきたようだ。
三月前に出て行った吉原に再び立ったはるは、ちょっぴり甘塩っぱいような独特の匂いに女郎時代を思い出す。はるも八朔には白無垢を着たが、いまいち着こなせなく、朋輩や妹女郎から、着物に負けているとまで言われたっけ。
吉原の大通りである仲の町は人で溢れていた。男装した芸者が即興芝居を始め、
あまりの人混みに、はると女将ははぐれないよう自然と手を繋いでいた。ふっくらとした温かい女将の手がはるの小さな手を包み込む。なぜかはるは心の臓の鼓動が早くなり、顔を赤らめてしまう。だけど、不思議と嫌ではなかった。
しゃん、しゃん、と鈴の音が鳴り、女郎達の道中が始まった。
最初は、まず吉原一の大見世の
女将は、この俄の中から自分の娘を探すと言っていたが、吉原全ての見世の女郎が道中するわけじゃない。大体道中できるのは大見世、中見世の売れっ妓であり、小見世以下は今日も張り見世で
それなのに女将はこの俄で娘が必ず出てくると信じている。世間知らずというか、純粋というか。まあそんな
(え? 今、私好きって思った?)
自分で自分の思考に面食らっていたところ、女将がはるの手を強く握ってきた。痛みさえ感じるその行為になにごとかと顔をあげると、女将が道中のある女郎を凝視していた。
あれは確か
まさか……と思い女将の横顔とその女郎を比べる。やはり、凄く似ている。鼻筋や目つきまで、まるで女将を若くしたようにそっくりだ。
女将は、泣いていた。決まりだ。あの扇屋の女郎は女将の一人娘なのだ。あの晩のような激しい泣き方ではなく、女将は嗚咽一つこぼさず静かに涙の筋を頬に一つ、二つとつけていく。それは悲しみの涙ではなかった。
はるは、女将の手を握り返した。指を絡め、あたしがいるよ、と存在を誇示するかのように。
女将の手の温もりとはるの温もりが溶け合い、二つの欠片がゆっくりと合わさったのを、心の奥で感じた。
俄の賑やかな喧噪の中、二人の女が手を繋いだまま、静かにそこに佇んでいた。
※
※
※
俄から帰ってきた後の日々は、特に大きな変化はなかった。
変わったことといえば、女将がきちんと化粧をするようになったことと、扇屋にいる自分の娘と文を交わすようになったことだけ。
相変わらず女将による手習いは続いていたし、はる達は稽古に必死だった。
化粧を覚えた女将は、今度は三味線を教えてくれとはるに言ってきた。
が、あまり三味線が上手くないはるは辞退し、代わりに自分より上手い朋輩の女を紹介した。
女は最初ぎこちなく女将に接していたが、二人は次第に打ち解けていった。はるの時と同じように。
女将は、もう心の檻に籠もっている傷ついた
他の女達も、女将に生け花や琴等、女郎時代に身につけた技術を教えるようになっていき、こうして「手習い茶屋・かなぎ屋」は、女将と元・女郎達が互いに教え、教わる場所へと徐々に変化していった。
※
※
※
その日、女将は一人の年季明けの元女郎と内所で会っていた。この女も行く当てがなく、馴染みの引き手茶屋から紹介されてかなぎ屋に来たらしい。
「それで、あんたは何が得意?」
「え、えっと……私は、琴が得意です」
「ああ、それはいいね。琴が不得手な者も多くいるから、あんたが教えてあげればいいよ」
「……? 女将さんが私に色々教えてくれるのではないのですか?」
「それは先代まで。今のここはあたし以外にも手習いの師がいて、でも皆何か欠けている。欠けている部分を皆で補いあう。そういう場所なんだよここは」
「は、はあ……」
女はいまいちよく分からない、という風に首をかしげた。まあいい。皆最初はそういう反応をする。
実際にみんなと会わせてみればわかることだ。女将は女についてこいといい、内所を出た。
「ああ、それから一つ」
くるりと後ろを振り返ると、女はとても不安そうに眉を下げていた。あの日のあたしもこんな顔をしていたのだろうか。
「ここでは皆対等だから、あたしのことも女将さんじゃなくて、はるさん、て呼んでくれるかい?」
※
※
※
はること二代目かなぎ屋の女将の部屋に、春一番の風が流れ込んできて、
その中に、先代の女将が、長屋で娘と手習い所を開いたという報告の文が、春の風に吹かれて、桜の花のようにふわり、ふわりと空中を揺れていた。
(了)
春風や かなぎおちるる 強さかな 八十科ホズミ @hozunomiya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます