色見えで 移ろふものは世の中の 人の心の花にぞありける

 そして葉月の朔日一日、はると女将は、吉原へ来ていた。


 毎年八朔はっさくは、吉原にある稲荷神社、九郎助稲荷くろすけいなりの祭礼が行われる。そこで女郎達は毎年白無垢で仲の町を道中し、芸者や妓楼の者が即興で芝居をしながら鳴り物付きで吉原を練り歩く。これを「にわか」といい、吉原の有名行事の一つとなっていた。


 毎年この俄を見ようと、吉原の外から男女問わず大勢が押し寄せる。女も通行手形さえ見せれば入る事を許された。

 誘ったのは女将だ。どこから手に入れたのか、通行手形を二人分手に入れて、はるに一緒に来て欲しい、と言ってきた。


 「俄には女郎達が白無垢で歩くんだろ? ならあの子も出てきているかもしれない。あたしはどうしても見たいんだ」


 はるは何故自分を誘ってきたか、女将に問おうとしたがやめておいた。

 きっと、一人で行くのは心細いのだろう。二人で号泣したあの夜から、女将ははるに心を少しだけ開いてきた。傷つき檻の中に籠もっていた不如帰は、段々と鳴き方を思い出してきたようだ。


 三月前に出て行った吉原に再び立ったはるは、ちょっぴり甘塩っぱいような独特の匂いに女郎時代を思い出す。はるも八朔には白無垢を着たが、いまいち着こなせなく、朋輩や妹女郎から、着物に負けているとまで言われたっけ。


 吉原の大通りである仲の町は人で溢れていた。男装した芸者が即興芝居を始め、幇間ほうかんが笛を吹いたり鼓を鳴らしたりとても賑やかだ。


 あまりの人混みに、はると女将ははぐれないよう自然と手を繋いでいた。ふっくらとした温かい女将の手がはるの小さな手を包み込む。なぜかはるは心の臓の鼓動が早くなり、顔を赤らめてしまう。だけど、不思議と嫌ではなかった。


 しゃん、しゃん、と鈴の音が鳴り、女郎達の道中が始まった。


 最初は、まず吉原一の大見世の玉屋たまやから。先頭は見世の中で一番の売れっ妓の女郎が歩く。外八文字を優雅に踏むその姿は、まさに天女のごとし。


 女将は、この俄の中から自分の娘を探すと言っていたが、吉原全ての見世の女郎が道中するわけじゃない。大体道中できるのは大見世、中見世の売れっ妓であり、小見世以下は今日も張り見世で煙管キセルを飲んでいるだろう。はるが大和屋にいたころだって、俄で道中なんて大和屋の者は誰もしなかった。

 それなのに女将はこの俄で娘が必ず出てくると信じている。世間知らずというか、純粋というか。まあそんな処女おとめのような考えで突っ走る女将が好きなんだけど。


 (え? 今、私って思った?)


 自分で自分の思考に面食らっていたところ、女将がはるの手を強く握ってきた。痛みさえ感じるその行為になにごとかと顔をあげると、女将が道中のある女郎を凝視していた。

 あれは確か扇屋おおぎやの部屋持ちの女郎ではなかったか? しかし真っ直ぐに前を見据え外八文字を踏むその丸い顔は、化粧した女将とそっくりだった。


 まさか……と思い女将の横顔とその女郎を比べる。やはり、。鼻筋や目つきまで、まるで女将を若くしたようにそっくりだ。


 女将は、泣いていた。だ。あの扇屋の女郎は女将の一人娘なのだ。あの晩のような激しい泣き方ではなく、女将は嗚咽一つこぼさず静かに涙の筋を頬に一つ、二つとつけていく。それは悲しみの涙ではなかった。


 はるは、女将の手を握り返した。指を絡め、あたしがいるよ、と存在を誇示するかのように。

 女将の手の温もりとはるの温もりが溶け合い、二つの欠片がゆっくりと合わさったのを、心の奥で感じた。


 俄の賑やかな喧噪の中、二人の女が手を繋いだまま、静かにそこに佇んでいた。


 ※

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 俄から帰ってきた後の日々は、特に大きな変化はなかった。


 変わったことといえば、女将がきちんと化粧をするようになったことと、扇屋にいる自分の娘と文を交わすようになったことだけ。


 相変わらず女将による手習いは続いていたし、はる達は稽古に必死だった。


 化粧を覚えた女将は、今度は三味線を教えてくれとはるに言ってきた。

 が、あまり三味線が上手くないはるは辞退し、代わりに自分より上手い朋輩の女を紹介した。

 女は最初ぎこちなく女将に接していたが、二人は次第に打ち解けていった。はるの時と同じように。

 女将は、もう心の檻に籠もっている傷ついた不如帰ほととぎすではないのだ。鳴き方を思いだし、共に鳴ける相手を探せる、不器用な、けど温かい大柄な四十路女がそこにはいた。


 他の女達も、女将に生け花や琴等、女郎時代に身につけた技術を教えるようになっていき、こうして「手習い茶屋・かなぎ屋」は、女将と元・女郎達が互いに教え、教わる場所へと徐々に変化していった。


 ※

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 その日、女将は一人の年季明けの元女郎と内所で会っていた。この女も行く当てがなく、馴染みの引き手茶屋から紹介されてかなぎ屋に来たらしい。


 「それで、あんたは何が得意?」

 「え、えっと……私は、琴が得意です」

 「ああ、それはいいね。琴が不得手な者も多くいるから、あんたが教えてあげればいいよ」

 「……? 女将さんが私に色々教えてくれるのではないのですか?」

 「それは先代まで。今のここはあたし以外にも手習いの師がいて、でも皆何か欠けている。欠けている部分を皆で補いあう。そういう場所なんだよここは」

 「は、はあ……」


 女はいまいちよく分からない、という風に首をかしげた。まあいい。皆最初はそういう反応をする。

 実際にみんなと会わせてみればわかることだ。女将は女についてこいといい、内所を出た。


 「ああ、それから一つ」


 くるりと後ろを振り返ると、女はとても不安そうに眉を下げていた。もこんな顔をしていたのだろうか。


 「ここでは皆対等だから、あたしのことも女将さんじゃなくて、はるさん、て呼んでくれるかい?」


 ※

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 はること二代目かなぎ屋の女将の部屋に、春一番の風が流れ込んできて、文机ふづくえの上の沢山の書物が畳に落ちる。


 その中に、先代の女将が、長屋で娘と手習い所を開いたという報告の文が、春の風に吹かれて、桜の花のようにふわり、ふわりと空中を揺れていた。


(了)

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春風や かなぎおちるる 強さかな 八十科ホズミ @hozunomiya

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