第9話「〈約束の地〉」

 ノアハはその声に気づくとすぐに周囲を見回した。


【僕は君の近くにはいない。僕の加護の力を使って、そこから最も近い港町から君に話しかけている。それと、君の加護の力が強すぎて僕の知覚の共有もあまり長くもたないから、手短に】


「ノアハ?」


 急にあたりをうかがいはじめたノアハを見て、シエラが首をかしげる。


。――シエラ、あとで説明する」


 ノアハはシエラに手で大丈夫と合図をしつつ、頭の中の声に――意味があるのかはわからないが――うなずきを返した。


【僕はこの港町からほかの勇者の動向を見てきた。ここは〈約束の地〉に最も近い港町で、〈約束の地〉へ向かおうとする勇者はおおむねこの街から船に乗る。君みたいなイレギュラーがたまにいるけど、それでも旅立ち後にここまでやってきた勇者の動向はそこそこ把握しているつもりだ。――なにが知りたい?】


 ――今、俺たち以外にこの地や周辺の海域にいる勇者は?


【いない。だけど、あと三日もすれば船の準備が整ってそこへ出立する勇者はいる。僕は――そう、僕は彼女を止められなかった】


 ――三日。


【君なら止められるかい。……まあ、そこからこちらへ戻ってくるのに同じくらいの時間がかかるんだけど――】


「十分だ」


【え?】


 ――頼みがある。


「俺たちはこれから敵の船を使って海へ出る。その後、明日の正午までにここに残っている別の船が動いたかどうかと、街にいる勇者が海へ出たかどうかをわかるようにしておいてほしい。可能か?」


【それなら……可能だよ】


「じゃあ、頼んだ。くわしいことはそっちに着いたら話す」


 そこでノアハは思い出したように付け加えた。


「言い忘れたが、俺の名前は〈ノアハ〉だ」


 そう口にすると、隣できょとんとしていたシエラが嬉しげに笑った。


【わかった、ノアハ。君の帰還を待っている】


 そこで少年――アルベールの気配は途切れた。


◆◆◆


 次の日。

 ノアハとシエラは船を使って海上を進んでいた。

 天気は快晴。

 ノアハは甲板に立ち、空を見上げていた。


「なにをするつもりですか?」


 船の中からシエラがやってきてノアハの背中に訊ねる。


「勇者召喚陣は壊したい。でも、そうして俺たちが〈約束の地〉を離れている間に、俺たちと同じような惨劇が起きないとも言い切れない」

「そうですね……」


 ノアハが空を見上げたまま淡々と告げた言葉に、シエラはうつむく。


「だから、まずは〈約束の地〉を壊すことにした」

「え?」


 ノアハがシエラの方を振り返り、子どものように無邪気な笑みを浮かべた。

 それはわざとだったのかもしれない。

 もしくは自分を〈魔王〉と揶揄したがゆえの自嘲も含んでいたのかもしれない。

 けれど、それでも、その表情はどこか前向きに見えた。


【ノアハ、聞こえるかい】


「ああ、聞こえるよ、アルベール」


 そう告げると同時、シエラは口をつぐむ。

 これからノアハがなそうとしていることを、彼女は黙って見ていることにした。


【昨日の君の言葉どおり、〈約束の地〉のほかの船と、港町の勇者の動向はくまなく探っておいた。結論から言うと、船は一隻、君たちとは違う方向へと漕ぎ出したよ。そしてこちらの街から〈約束の地〉へ向けて出立した船はなく、できるかぎりの海域を見たかぎりでは、君のように別の場所から〈約束の地〉へ向かう船も見当たらない】


「わかった。恩に着る」


【……君は僕の言葉を疑わないの?】


 ノアハの礼を受け取ったアルベールがそう言った。


「疑う意味がないからな」


 ノアハはそう答える。


「お前は俺を勇者だと知っていた。なによりお前は昨日、別の勇者を止められなかったと言った。それだけでお前はこの勇者召喚の真実を知っていて、それに抗おうとしていることがわかった。――俺も同じだ。俺には、それだけで十分だ」


【……】


 アルベールが沈黙する。


【――すまない、僕には僕一人で今の勇者の現状を変えるほどの力がない。だから、君を利用しようとしている】


「それのなにが悪い。お前はそれでも抗おうとしたから、こうして俺に接触を図った。それに、お前のこの接触がなかったら、俺はこの方法を取れなかった」


【君は……】


「あとで話をしよう。まずは、ほかの勇者が〈約束の地〉へたどり着く前に、事を為そう」


 そう告げたあと、ノアハは両手を空に掲げた。


「今の俺に収まりきらない力なら、この先もくれてやる。――〈六天発極りくてんはっきょく〉」


 その瞬間、ノアハの後ろにいたシエラは、天地がたしかに揺れたのを感じた。


「――」


 ノアハの体から、なにか得体のしれない力が発散する。

 そこからあふれる通常の魔力だけでも大気を震わすほどなのに、それ以上に、もっと根幹の、人の体から漏れ出てはいけないたぐいの力がノアハの体から天へ立ち昇るのを見て、シエラはとっさにノアハを止めようとした。


「ノア――」

「大丈夫。俺は大丈夫だよ、シエラ」


 しかし、伸ばした手はノアハの体からあふれる力の奔流にはじき出される。

 そして――


「――〈終極しゅうきょく〉」


 ノアハが開いた両手を胸の前で合わせる。

 瞬間――ばきり、と。

 世界の果てにひびが入る音がした。


◆◆◆


「……これはもはや……〈魔王〉なんかじゃない」


 ノアハがなにをしたのか、それを唯一目視できたのは加護の力で〈知覚〉を〈約束の地〉へ飛ばしていたアルベールだった。


「――〈魔神〉」


 最初に起こったのは〈約束の地〉の前後左右、さらにその上下を、白い球体が囲むことだった。

 その白い球体は実体があるというより、魔力やらの触れることができない力の集合体のようだった。


 ――そこを支点に〈約束の地〉の方角へ力が放たれた。


 あれはおそらく押し出す力、『斥力せきりょく』のようなものだった。

 ただ常人が考える斥力とは、その出力が違いすぎた。

 その力は、一つの島をその大地ごと圧潰させながら中心へと向かい――


「潰れて、なくなった」


 島が。

 けっして小さくはない、世界の果てに厳然と存在した〈約束の地〉が、地図から、この世から、球になり、点になり、そして――消え去った。


「っ――」


 アルベールは自分の体が震えていることに気づく。


「可能なのか」


 いかに強力な世界の祝福――〈加護〉の力をもってしても、なんの対価もなくあんな世界を塗り替えるような力を使えるものなのか。


「――無理だ」


 アルベールも勇者である。

 自分の加護の力は、最初から自然と使い方を理解していた。

 そしてだからこそ、加護の力が無際限ではないことも理解していた。

 魔術と異なり、そこに魔力という燃料を必要としない点では優等だが、どうやら加護の力は出力を高めれば高めるほど、魔力とは違う別のなにかを必要とするようだった。


 ――僕の場合は、通常の知覚を一定時間失う。


 代価、と呼ぶべきだろう。

 世界のルールから外れた力を使った代価。


 では、ノアハは。


「君はそれを行うのになにを支払った……!」


 その瞬間、アルベールは意図せず自分の頬を涙が流れたのに気付いた。

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勇者叛逆 ~使い捨て勇者たちの異世界反逆譚~ 葵大和 @Aoi_Yamato

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