第3話 シーソーのような二人

 りえは次第に竜馬のことが気になってきた。しかし、客とスタッフという関係では、なかなか告白することもできない。しかも、その竜馬が自分に対して少し距離を置いているように見えるのだ。次第に自分でも今までに感じたことのない苛立ちのようなものが感じられてきた。

 竜馬の方はりえを避けているというつもりはなかったのに、どうしてりえがそんな感覚になったのかというと、竜馬がりえの後ろに直子を見ていたからではないだろうか。

 竜馬にはそんなつもりはなかったが、見られているりえとすれば、

「私の後ろに何かが憑いているのかしら?」

 と感じてしまった。

 何がついているのかなど、想像もつかなかった。りえはそれを何かの妖気を感じさせるものに思えて、竜馬を気持ち悪いとも思った。自分の気持ちを隠すことのできない性格であるりえは、竜馬に対して、訝しい顔を見せたのだろう。

 竜馬としては、りえからそんな顔で見られる覚えもなかったので、ふと我に返った。その時自分が初めてりえの後ろに直子を見ていたことに気付いて、

――りえに悪いことをした――

 と思うようになり、その遠慮からか、りえに対して少し距離を保つようになったのだ。

 もっともそれを分かっている人は他に誰もおらず、本人のりえが感じただけだが、それも勘違いだったことから、竜馬の本当の気持ちを分かる人は誰もいなかった。

 竜馬としては、りえが何か誤解していることは分かったのだが、だからといって、言い訳がましいことを口にしてしまうと、却って関係がギクシャクしてくるのではないかと思い、なるべく、りえに自分の心を悟られないようにしようと思ったのだ。

 その思いが却って、りえに対して自分を隠しているということがバレバレになり、他の女の子であれば、その様子を、

「失礼な」

 と思うのだろうが、りえの場合はそうは思わず、自分を気に掛けているということが嬉しいくらいだったのだ。

 りえは今まで竜馬が出会った人の中で一番自己主張の激しい人だった。それは男女区別なく今まで知り合った人の中でという意味である。

 ある意味、竜馬も自己主張に関しては激しい方だと思っていた。遠慮深く見えるのは、その反動なのではないかと思うほどで、りえを好きになると、彼女の中の自己主張と、竜馬の中の自己主張とのどこが違っているのかを探ってみたくなった。

 竜馬はりえのように思ったことが口から自然と出てくる方ではない。いつも何かを考えてから発言しているつもりであったが、人から見れば、

「お前は思ったことをすぐに口にするところがあるからな。もっと考えて発言した方がいい」

 といわれるほどであった。

 これは自分が自己主張の激しさはあるが、思っていることを口にする前に考えて口にしていると思っていた矢先だっただけに、自分としてはショックだった。

 そう思ったことから、一時期口数が少なくなったことがあった。

 だが、大学三年生の頃に付き合った女の子のことを思い出すと、その思いを否定する自分もいた。

 あの頃に付き合った女の子は、以前に旅行に行った時に知り合った、当時高校生の女の子だった。竜馬から声を掛けたのだが、旅行に出かけると急に気持ちが大きくなる竜馬は、電車の中などで一人でいる女の子に声を掛けることは珍しくなかった。

 大人しそうな女の子で、どこか横顔が直子に似ていたような気がする。しかし話してみると結構気さくな雰囲気が心地よく、それからしばらく連絡を取り合ったりしていたが、彼女が就職してからは、疎遠になっていた。

 それが大学二年生の頃のことだったが、三年生になって、彼女から、

「私、会社を辞めちゃった」

 といって連絡が入った。

 会社に入って半年だったが、きっと耐えられなくなったのだろう。彼女の話によれば、苛めを受けていたようなことだったが、彼女からの一方的な話なので、どこまで本当かどうか分からなかったが、竜馬は全面的に信じていた。

 実は彼女も思っていることをすぐに口にするタイプだった。そのことに気付いたのは、その後のことだったが、その性格が社会人一年目に完全に裏目に出たようだった。

 仕事に疲れて、人間関係に疲れた彼女には、実は彼氏がいたという。竜馬は彼氏の存在を知らなかったので、ビックリさせられたが、裏切られたという気持ちはなかった。

 仕事をしている間は、彼もいろいろ助言してくれたようだったが、彼女が耐えられなくなって仕事を辞めると、彼は彼女から去っていったらしい。

「どうしてなのかしらね?」

 と自虐的に言い放つ彼女だったが、竜馬には何となく分かった気がした。

 自分がせっかくいろいろ助言しているのに、彼女がそれでも耐えられなくて仕事を辞めてしまったことが許せなかったのだ。

 彼女は一人になり、相当いろいろ考えたようだったが、竜馬のことを思い出し、

「会いたい」

 と連絡してきたのだった。

 竜馬も断る理由などあろうはずもないし、実際に彼女に会いたかったというのも本音だった。二人は、近くの観光地でデートして、

「このまま帰りたくない」

 という彼女を連れて、二人で外泊したのだった。

 近くの温泉旅館だったが、季節外れだったからなのか、お客は他に誰もいなかった。ほぼ貸し切り状態だったこともあってか、二人は大いに羽根を伸ばすことができたが、食事も終わり、温泉に浸かった痕は、一つの布団で一緒に横になった。

 竜馬はその頃まだ童貞だった。彼女がいたことのないわけではなかった竜馬だったが、ほとんどはここ迄来ることもなく別れを迎えていた。この時も、ほとんどいきなりの展開だったのだが、しーんと静まり返った部屋の布団の中で、そっと彼女を抱きしめると、彼女の方も熱くなった身体を、竜馬の方にしな垂れていた。

 お互いの熱さが重なり合って、燃えるようなと言ってもいいくらいに熱くなっていたにも関わらず、汗は一滴も出ることはなかった。

――緊張しているからだろうか――

 と思ったが、彼女の胸の鼓動の大きさだけはハッキリと感じることができた。

「僕、初めてなんだ」

 と正直に答えると、彼女はビクッと小躍りしたかのように感じたが、それを感動してくれたものだと思ったのは、都合のいい考えであろうか。

「大丈夫。私に任せて」

 と、想像した返事そのままに彼女は答えてくれたが、想像通りなのはセリフだけで、声のトーンなど、実際にこの耳で聞いたのかと思うほど、違和感に包まれていた。

 大学三年生にもなってまだ童貞だったことが恥ずかしかったが、それよりも彼女が避暑所だったことにビックリさせられた。

「前に付き合っていた彼とね」

 といって、その時初めて彼女に最近まで彼氏がいたことを知らされたわけだった。

 彼女の話を聞く限り、

「なんてひどい彼氏なんだ」

 と口に出して怒りをあらわにしてみたが、それを見て彼女は寂しそうな顔をしたが、ほぼ無表情だったと言ってもいい。

 基本的に彼女の無表情さは、悲しい表情を模倣しているかのようだったからだ。

「確かにひどい彼氏だったかも知れないけど、最後まで優しかった気がする」

 といっている。

――彼女の感じる「優しさ」とは何なのだろう?

 と自分の考えだけで理解していいものなのだろうかと思った。

――優しさとは人に対してのものと、自分に対してのものとがある。人に優しい人は自分にも優しい、自分に優しい人が他人に優しいかといえば、ハッキリとはいえない――

 と感じていた。

――なぜ僕はりえを気にしているんだろう?

 好きな人へのイメージが忘れられないというのは間違いのないことだった。だが直子のイメージがそのままというわけではない。そして、直子と同じイメージの人を好きになるということはないように思えた。直子という女性はすでに過去の人だという思いが強いし、あれから何年経っているのか、考えると忘れてしまっていない方がすごく感じるくらいであった。

 りえと個人的に知り合うことができたのは、それから少ししてのことだった。竜馬はまだ小説執筆を趣味として続けていた。プロになろうなどという大それたことはすでになくなっていて、一日に一時間ほどでも書く時間を持つことができれば、それでいいと思っていた。

 この頃になると、昔のように書くことを億劫に感じる自分がどこかに行ってしまったようで、ただひたすら書いているというのが、実情であった。

 ずっと我流で書いてきて、今までは我流でもいいと思っていたが、急に基本を知りたくなってきた。以前に読んだハウツー本と変わりのない内容なのかも知れないが、添削もしてくれるのであれば、実践としてはありがたいと思っていた。そう思っていろいろ探してみると、何とか今のお金で通ってみてもいいかなと思うような講座を見つけた。

 定員とすれば、十数人くらいなので、小規模と言ってもいいだろう。数回ほどの講義なので、無理なく行けると思った。申し込んでから一回目の講座を受けに行った時、座席の一番前に鎮座している女性がいたので気にしてみたら、どうやらそれがりえだったのだ。

 さすがにお店とは雰囲気が違っていたので、イメージも違った。思わず名前を呼ぼうかと思ったが、お店では本名ではないだろうから、何と声を掛けていいのか分からず、少し声を掛けるタイミングを逸した。

 そのうちに、

「あれ? 竜馬さんじゃないですか?」

 とりえが声を掛けてくれた。

 あの店で本名を使っていたのが、却って功を奏自他のかも知れない。

「君もこの講座に?」

 と聞くと、

「ええ、私、短大をこの間卒業したんだけど、一度小説を書いてみたいとは思っていたので、ここに通っていることにしたんです」

 二十歳は過ぎているのではないかと思っていたので。それほど驚きはしなかったが、短大を卒業してでもまだ勉強したいと思うのは頭が下がるような気がした。

「短大ではどんなことをしていたんだい?」

「専攻は国文学だったんですが、講義を受けているうちに小説を書いてみたくなって、大学時代から書いてみようと何度か試みたんですが、ずっと書けないまま卒業して、やっと今になって、講義を受けて、もう少し踏み込んで勉強してみようかって思ったんですよ」

「それはいいことだよ」

 と言ったが、それは自分にも言えることだった。

「竜馬さんはどうしてですか?」

 と聞かれ、

「僕は、結構昔から小説を書いてみたいと思っていたんだ何度も挑戦したんけどなかなか書けるようにならなくてね」

 というと、

「お店で書いていませんでした?」

「うん、我流でずっと書いてはきたんだけどね。でも、もう一度基礎を習ってみたくなったというところかな?」

「じゃあ、完成した作品がいくつもあるんですね?」

「そうだね。そんなにたくさんはないと思うんだけど、とりあえず、自分の中ではひと段落するくらいという感じかな?」

 何がひと段落なのかよく分からないが、りえにもきっと分かっていないだろう。

「りえちゃんは、今までに完成させた作品はあるのかい?」

「短い作品を数本くらい書いたことはあります。でも自分で自信が持てる作品というわけではないんですよ」

「本当は自分が納得する作品が一番いいんだろうけどね。でもプロの作品であっても、世間が認めてくれたものを作者自身が認めないということもあるようなので、作品をどう感じるかというのは、難しいところがあるんじゃないかな?」

「私はどちらかというと、自分の思っていることや書きたいことを表現できればいいと思っているんです。人に求めてもらおうとかいう考えは二の次ですね」

「じゃあ、プロを目指すような気持ちはないということかな?」

「ええ、そうですね。それにプロになってしまうと、自分の書きたいものを書くという大前提が覆されてしまうような気がするんですよ。だから、私はプロを目指しているわけではないんです」

 その日の講義が終わって、竜馬はりえをまだ食べていないという夕食にりえを誘ったが、彼女は別に断ることなくついてきてくれた。

 りえは話をしていると、どうやら彼女は今、コスプレ喫茶と別にもう一つ仕事をしていて、それで生計を立てているということだが、それで小説を書いてみたいと思うところはさすがだと思った。

「竜馬さんは今までの自分を題材にしたりされますか?」

 と、りえが聞いてきた。

「そうだね、僕は結構自分の経験からが多いような気がする。ただ経験と言っても、薄いし、大したものではないので、どこまで経験と言えるかどうか」

 というと、

「そこから先が想像というわけですね。私もそんな作品を書けたらいいと思っているんですよ。私もそんなに経験が豊かなわけではない。だから一つの経験から、いくつも発想できるようになれるというのが、今の最大の目標なんです。その意識を持って、今度の講座を受講していると言っても過言ではありません」

 というりえからの返事だった。

「僕の場合は、高校生か、大学生を主人公にすることが多いんだよ。やっぱりその頃の思いが何か引っかかっているのかも知れないな」

 というと、

「その思い出というのが、何か成就するものだったのか、それとも何かを望んで成就しないことで、小説の中で成就させたいと思うものなのかですね」

 とりえに言われたgは、竜馬としては少し違う考えを持っていた。

「確かに成就しなかったことを、その先の想像で生かそうと思っているのも事実だけど、もう一つあるのは、目標に対して出た結果に対して、自分で納得がいくことあのか行かないことなのか、あるいは、それが正しかったのか、ということについて、正直ハッキリ分からない。その時代のことをもう一度自分の中で検証してみようというのも、一つの考えなのかも知れないな」

 というと、

「なるほどですね。私はきっと竜馬さんのいうところの真っ只中にいるということだから、経験からの想像というのは難しいかも知れないわ」

 とりえがいう。

「じゃあ、もっと以前の、中学高校生の頃を思い出してみれば? その頃のことを思い出して、今の僕のように発想すればいいんじゃないかな?」

 というと、

「そうなんでしょうけどね。私にはその経験も乏しいかも知れないわ」

「でも、何かあるでしょう?」

 というと、

「しいて言えば、小学生の頃のことなんだけど、あったような気がするわ」

「そんなことだい?」

「あれは、三年生の頃くらいかしら? その頃私、一時期だけ思春期があったのではないかと思った時期があったんです」

「というのは?」

「あの頃に私のことを気にしている男子がいて、どうもその人の視線を感じながら、怖いと思う自分がいるだけではなく、もっと見てほしいと思う自分がいたんです」

 一瞬、直子のことを思い出したが、りえはどうだったのだろう?」

「その子からは、声を掛けられなかったのかい?」

「ええ、どうもそこまでの度胸はなかったようで、私が意識して彼を見たことで、向こうが委縮したんじゃないかな」

 といっていたが、竜馬は少し違った考えを持っていた。

――そんなことはない。声を掛けてやれば、きっとその男はりえのいいところを引き出してくれたんじゃないだろうか?

 と感じた。

 今りえが言ったように、ひょっとすると彼女は本当にその時だけ、思春期を迎えていたのかも知れない。それは異性の目によって目覚めたもので、本来ではない時期の思春期だっただけに、相手が話しかけてくれなければ、思春期の効力は失われるのではないかと思ったのだ。

 相手の男の子も、急に彼女が大人びてしまったことで声を掛けることを躊躇したに違いない。

 彼がりえを気にしたのは、竜馬が直子を気にしたのと同じような気持ちだったからではないだろうか。もしりえが直子のような感じであれば、きっと声を掛けていたに違いない。それを思うと、りえは決して彼に対して声を掛けてくれなかったことで、いくじなしだとは思っていないだろう。彼女の中で声を掛けられなかったのは、自分に原因があるからだということが分かっているようだった。

 彼女がハッキリとそう言ったわけではないが、見ていれば分かった。

 今のりえのその様子は、高校生の頃に再会した直子の雰囲気のようだった。

――そうか、あの時直子に声を掛けられなかったのは、直子が思春期を過ぎた女性であったのに対し。思春期を通りすぎていたはずの自分が、高校生の直子の後ろに小学生の頃の直子を見てしまったことで、声を掛けることが怖かったんだ――

 と思った。

 高校生になった直子の後ろに、小学生時代の直子を見たわけではないはずだ。高校生の頃の竜馬が見たのは、

「小学生の頃とまったく変わっていない高校生になった直子」

 だったのだ。

 竜馬は小学生の頃のりえを想像していた。

――全然思い浮かばない――

 というのが本音であった。

 竜馬は、大人になった女性の幼かったことだったり、中学高校生時代の姿を想像することが苦手だった。他の人にはできるかも知れないが、自分にはできないことだと思っていたのだ。

 その理由として、直子の存在が大きい。それは高校生になって直子と再会してしまったことが原因だと思っている。つまりは、高校生になってまったく小学生の頃と変わっていない直子を見て、それ以降の自分が過去の直子を思い出す時、小学生時代の直子なのか、高校生になってからの直子なのか、どのどちらを思い出しているのかが分からなかったからだ。

 だが、今では何となくだが分かってきたような気がしている。

――今思い出すのは、きっと小学生時代の直子と、高校時代の直子の両方を思い出すからだ――

 と言えるからだった。

 どちらも一緒に思い出してしまうことで、どちらをも否定してしまっているような感覚に陥ったからで、そもそも、両方を一瞬にして思い出すことなど不可能だという考えが頭の中にあるからだった。

 竜馬がそのことに気付いたのは、りえとかおりを見たからだった。

 二人は一見どこも似ていないような気がしていたが、共通点は結構あるような気がした。その証拠として、二人と一緒にいない時、どちらかを思い浮かべようとした時、かならず他方を思い出してしまうことで、記憶が錯綜してしまうからだった。まるでどちらかがどちらかの影武者であるかのように思うのだ。そして、どちらかが本物で、どちららかが影であることも最初から決まっているように思えた。

 それを竜馬は知っていて、それを認めたくないという意識があるから、自分で考えを否定しようと考えるのだろうか。その考えはあったとしても、それは無意識のことであって、本当の意識というわけではない気がしている。

「ところで、りえちゃんは、かおりちゃんと仲がいいの?」

 と聞くと、

「ええ、結構仲がいいわよ。このお店では、双子って言っている人もいたことがあるって聞いたことがあるのよ」

「そんなに似ているわけではないと思うんだけどね」

 というと、

「ええ、私もそう思うんだけど、その人だけは、ソックリだっていうのよ。おかしいと思っていろいろ聞いていたら、これがビックリでね。実は私の小学校時代の同級生だったというのよ」

 といった。

 それを聞いて竜馬はハッとした。無謀な発想かも知れないが、双子発言をした人は、りえのことを見ていたその少年ではないだろうか。そう思うと、何か話の辻褄が合ってくるような気がしてきたが、それは気のせいであろうか。

 もちろんここからは、竜馬が勝手に彼が小学生時代りえを意識していた少年だと仮定しての話になるのだが、彼が目の前にいるりえが、小学校時代自分が気にしていた相手だということをきっと知らないのだろう。どれだけ小学生時代のりえと変わっているのかは分からないが、その彼にはりえが小学生時代のりえにしか見えていないのだろう。もしそうだとして、

「りえと、かおりが双子のようだ」

 といっているのであれば、それはかおりがりえの小学生時代の面影をそのまま持っているということなのかも知れない。

 それでも、どうしてりえを小学生時代に気にしていた相手だと気付いていないのか?

――いや、気付いてはいるが、あまりにも変わっていないというイメージに、自分から自分の目を否定してしまったのかも知れない――

 とも感じた。

 りえは、どんな服を着ても雰囲気が変わることがない。それはひょっとすると、子供の頃から、その雰囲気が変わっていないということの裏付けのようなものではないかと思えた。

「りえちゃんは、どんな洋服を着ても、僕にはずっとイメージは変わらない気がするんだ。もちろん、いい意味でね」

 と思い切って聞いてみた。

 こんな聞き方をすると、相手に失礼に当たるかも知れないという思いもあるが、

「いい意味で」

 と付け加えることで、どうしてそんなことをいうのかという疑問に対しても、少しは緩和された気持ちになるかも知れない。

「それはよく言われることなんだけど、実は私、そのことを意識しているところがあるの」

「どうして?」

「普通、女の子はイメージを変えるために、お洋服を変えたりするでしょう? でも私は服装だけでイメージが変わってしまうと、何かコウモリにでもなったかのような気がしてくるのよ」

「それは、鳥に遭っては自分を獣だといい、獣に遭っては自分を鳥だということの意味の?」

「ええ、風見鶏のように見られているようで、小学生の頃から、それが嫌だったの」

「小学生でよくそんな発想があったね」

「小学生の頃に見たテレビアニメで、似たような話が出てきたのがあったのよ。それを見て、少し怖い気がしたのよ」

――なるほど、りえがまわりを気にしているくせに、まわりがりえの考えていることに気付かないというのは、こういう発想から来ているのかも知れないな――

 と感じた。

 コウモリという発想は、初めて聞いたような気がしなかった。直子と見ていた時の記憶が後から思い返した時、コウモリという形でよみがえってきたのかも知れない。

 これをデジャブと呼ぶには少し違うかも知れないと感じるが、コウモリの発想は自分がしたのには違いないので、デジャブに変わりはないだろう。

 りえを見ていると、どこまでかおりに似ているのか考えていた。

――双子と言われるほど似ているとはどうしても思えない――

 今でこそ体系で雰囲気が違って見えるが、昔は似ていたのかも知れないということを考慮に入れても、それほど似ていないように思えた。

「世の中には三人ほどよく似た人がいる」

 と言われているので、似ている人がいたとしてもそれは不思議なことではないが、双子とまで言われるほど似ているというのは、顔だけが似ているというだけではなく、性格であったり、性質、あるいは性癖すら似ているのではないかと思えるかも知れない。

 ドッペルゲンガーという言葉があるが、それは似ている人というわけではなく、本人そのものである。

「見ると死ぬ」

 といわれるようだが、この二人に関してはそんなことはまったくないだろう。

 コウモリを怖がるというのは、もう一つあった。

「コウモリは目が見えない」

 と言われている。

 そのため、超音波を発生させて、その音の反射で、まわりに何があるのかを確認する。それだけ神経をすり減らすものであり、疑心暗鬼に陥っても仕方がないと言えるのではないだろうか。

 そういえば、竜馬は大学に入って読んだミステリーにコウモリをテーマにしたものがあった。

 相手をそれぞれ欺く発想は、ミステリーには恰好の題材と言えるだろう。またテレビアニメにしても、目が見えないという特徴と、さらに日和見的な発想が、名わき役の特徴を描いていると言えるのではないだろうか。

「ジキル博士とハイド氏」

 のような二重人格という発想にも繋がってもいる。

 コウモリというと、吸血鬼というイメージもあり、いわゆるドラキュラの発想もある。ドラキュラというと人の血を吸うだけではなく、血を吸った相手をドラキュラにしてしまうという効果もあるのだ。

 自分が生き残るために多種多様な能力を持つコウモリ、目が見えないという弱みをいかに克服するか、それがコウモリにとって一番重要なことだ。

 人間というのはどうだろう。人は本能という意味で他の動物に絶対的に劣っていると言われている。だからその劣勢を克服するために、知恵というものがついた。だが、その知恵にはいいものもあれば悪いものもある。

 確かに世の中は弱肉強食の、

「強いものが弱いものを食する」

 という意味で、むごい世界であるが、それこそ自然の循環によるもので、いわゆる、

「往復循環」

 という発想が生まれてくる。

 人間も動物の中では弱い部類に入るので、よくコウモリになぞらえられることもある。特に、日和見的なところであったり、人を食うことで相手にも自分の仲間に引き入れるというドラキュラ的な発想である。

 そもそもドラキュラという話だって、何か伝説のようなものがあったのかも知れないが、実際にはイギリスの作家が書いた恐怖小説である。いわゆる架空の話などである。

 さらに、ミステリー作家にも、

「吸血鬼」

 というタイトルの小説を書き、タイトルの由来を、

「犯人が吸血鬼のような人間だから」

 という発想である。

 つまり、人間の奥深い深層心理の中に、ドラキュラ的なものがあると言ってもいい。人の血を吸うことで、自分の仲間を増やすという発想、それはドラキュラに限らず、他にもあるかも知れない。

 だが、りえの場合は、ドラキュラの発想と当て嵌まらないところがある。彼女は何を着ても、イメージを変えることはない。カメレオンのように、

「朱に交われば赤くなる」

 というようなものではない。

 カメレオンというのは、自分を襲わせないように、身体の色を巧みに変えて、外敵に自分を索敵されないという、

「生きるための防衛手段」

 なのである。

 これはコウモリに似たものであり、弱いという自覚がある証拠である。

 きっと、他の動物は本能とともに、

「自分たちは弱いんだ」

 という意識を持つことで、まわりの敵が何であるか的確に理解しているのだろう。

 それが当てはまらないのは、人間だけではないだろうか。

 だが、この発想も本当はおかしいのではないかと思う。なぜならこの発想こそ、

「人間至上主義」

 であり、

「人間こそ他のいかなる動物よりも進化していて、まるで選ばれた種族なのだ」

 と言えるのではないだろうか。

 他の動物たちは死に直面していても、自然の摂理に逆らうことをしない。そこまでの知能がないのかも知れないが、それも人間が勝手に思っていることだ。人間に欠けているもの、それは謙虚さではないだろうか。

 よく言われることとして、

「利己的な理由で殺戮を行うのは人間だけである」

 というのも正解ではないだろうか。

 他の動物が行う殺戮は、

「生きるため」

 であり、生命の危機に直面したことで、やむ負えず殺戮を行う。

 それは食べるためであり、自分が殺されないようにするためである。

 人間には知恵があるため、直接的な生死にかかわることでなくても、死の危険を絶えず考えているのかも知れない。それこそ人間は不安だらけであり、その不安が時として知恵という形になって身を守ることに繋がっていくもので、逆に疑心暗鬼に陥ると、まわりがすべて敵に見えてくるという症状にもなる。そういう意味で、精神的な病に罹るというのは人間だけなのではないだろうか。(そもそもこの発想こそが、人間中心になってしまうのだが)

 竜馬は直子のことを思い出していた。

 直子はほとんど自分の本音を言わない人だった。それ以上に言葉にすることが苦手なのかとまで思っていた。そんな直子を、

「守ってあげたい」

 という思いでいた。

 今から思えば、押し付けであり、この性格は傲慢と言ってもいいだろう。傲慢と思うようになったのは、二度目に直子を見かけた時、つまり郵便局のあのアルバイトの時だった。

 だから話しかけることが結局できなかったのだろうし、いまさら話しかけても、何をどう話していいのか分かるはずもなく、直子という人間の性格を殺してしまうような気がした。

――僕が人に対して、いくら性格とはいえ、殺すなどという発想をするなんて――

 急に自分が恐ろしくなった。

 本当は、そんなに人に対して気を遣う方でもないので、性格を殺すということくらいは何でもないと思っていたはずなのに、どうしたことだろう。

 もしそんな風に思ったとすれば、小学生の頃だったと思う。小学生の頃は、自分に自信がなく、まわりが皆自分とりも優れていると思っていた。

 いや、この思いは今も持っている。さらに中学になってから、思春期の間に、少しずつ成長していく自分に何かの自信を感じた。それが何なのか具体的に言葉にするのは無理だったが、それがあったからこそ、思春期を乗り越えられたと思っている。

 思春期というのは、成長期で誰にでもあるものだが、それを乗り越えるには、それなりに困難を要するものだと思っている。確かに見に就くものが多いのは確かだが、竜馬には思春期に失うもおのたくさんあるように思うのだった。

「それまであまり意識したことのないことであるが、物覚えが悪い竜馬だったからこそ、その感覚が残っているような気がした」

 竜馬が今、りえとかおりを見ていて、直子の成長を考えていた。

「直子は成長したわけではなく、元に戻っていったのではないだろうか?」

 と感じた。

 直子の思い出が頭の中から消えないのは、りえたちを見たからだと思ったが、元々あったものをさらに引き出すだけの効果、さらに今になって思い返すことで生まれてきたコウモリの発想。

 りえのこともかおりのこともそばから見ているだけでよかった。関わってしまうとロクなことがないと思うのは、相手に対して感じることではなく、あくまでも自分の中にある確執であった。

 その確執はもちろんのこと、直子に感じているものであって、高校時代のあの時、声を掛けることができなかったことがすべてではないかと思っている。

 きっとその時、自分が吸血鬼であることを自覚したくなかったというのが大きな理由ではないだろうか。

――ひょっとすると、りえやかおりという女の子は元々存在していなかったのかも知れない。直子を思い出すことで自分が作り出した妄想ではないか?

 などという果てしない妄想が浮かんでくるのだが、直子が自分の頭の中にある間は、それを妄想として片づけられない気がした。

 ドラキュラが血を吸うことで相手が吸血鬼になるという発想は、決して伝染という言葉で片づけられるものではない。

「どうして血を吸うだけで相手と同じ吸血鬼になるんだろう? 相手に何か伝染するための何かを注入しないといけないのではないか?」

 とかつて竜馬は考えたことがあった。

 そうなのだ。ドラキュラという発想の疑問点はそこにあった。血を吸うだけで確かにどうして相手も吸血鬼になるというのか、この疑問が、

「この話が妄想なのだ」

 ということを思わせる効果を持っている。

 もちろん、すべてが妄想だとは言えないが、逆に妄想が一つの大スペクタクルを作るということもあるだろう。

 ドラキュラの話を発表した作家にしてもそうだ。彼がこの発想に至った時の瞬間を味わってみたいと思った。相当大きな衝撃に見舞われたのではないかと思う。そう思うと竜馬は、

「自分も今似たような衝撃を抱いているのかも知れない」

 と感じた。

 構想としてはまだまだ部分的でしかないが、この発想は今後の自分の考えを大きく変えるものになると思えた。

 いや、変えるのではなく、今まで抱いていたものだが、意識の中で封印を解かれたような気がした。

「封印というのは、記憶だけではなく、意識にも存在するものだ」

 そう思うと自分の中にあった

「物忘れの激しさ」

 あるいは、

「物覚えの悪さ」

 は、決して悪いものだというわけではない気がした。

 頭の中に夕凪の光景が戻ってきたのは、ただの偶然ではないような気がした。

 この発想は、小説を書いてきた今までの自分の中で、目からウロコを落としたように思えた。

 今、こうやって書いている話が、徐々に形づけられていき、一つの小説が生まれる。それが恋愛小説なのか、SF小説なのか、それともホラーなのか自分でも分からない。ひょっとすると、そのどれにも属していて、ジャンル分けという発想を超越したものなのかも知れない。

 竜馬は、

「やっぱり伝染だったのではないか」

 と思うことで、ラストを締めくくるつもりであった……・


                  (  完  )

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意識の封印 森本 晃次 @kakku

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