第7話

 そうして暫く飛んだり跳ねたりしながら、はしゃぎ回っていてふと気がついた、どうして私こんなに元気なんだろう?

 リハビリとして定期的に病院でもある程度運動はしてた、だけど人生の殆どをベットの上で過ごす私に、人並みの体力なんてあるわけがない。

 それなのに今はこんなに動き回っていても息一つ切れない、それどころか普段から身体につきまとっていた倦怠感やダルささえ綺麗さっぱり感じない。

 まるで身体の重さが全てなくなったような気分。

 それはやっぱりソラのビームでインターネットの中に入ってきた影響なのかな?

「ねぇ刹那」

 呼ばれてそっちを見るとソラはその場で手を叩いた。パンッと乾いた音が辺りに響く。

 すると不思議なことが起きた。

 一瞬辺りの景色がぶれたかと思うと次の瞬間には、ウユニ塩湖の景色がロンドンの街名みに変わっていた。

「うわぁ~」

 思わず感嘆の声が漏れる。

 ビックベンにテムズ川にロンドンアイ観覧車。

 その町並みは趣と歴史を感じさせる風格に満ちていた。よくよく建物の裏とかを見ると、作りが甘いのか出来の悪いポリゴンみたいになっている所もあったけど、そこは目をつぶってあげることにする。

「他にも色々作ってあるんだ。いっぱい見てよ」

 そうして私はソラの作った仮想空間の中を存分に堪能した。

 生まれてから一番沢山驚いて。

 一番沢山走り回って。

 一番沢山笑って。

 一番沢山遊んで。

 生まれてから一番幸せな時間だった。

 だけど幸せな時間は何時までも続かない。 突然身体に違和感を覚えて私は自分の身体を見下ろした。

 私の身体がまるで電波の悪いテレビの映像みたいにブレ始めていた。

 ジジ、ジジって音まで聞こえてくる。

 時間切れ、私の身体が元あった場所に戻ろうとしている。そういうことなんだと何となく分かった。

 考えてみれば今まで生き物にあのビームを使ったことはなかった。

 どうやら生き物にビームを使うと効き目に制限時間があるらしい。

「ごめん。もう時間みたい」

 そう言うと、ソラは途端に不安そうな顔になった。

「どうして……」

 それはソラと出会ってから今まで聞いたことのないような弱々しい声だった。

「ダメだよ。まだ他にも沢山作ってある物があるんだ。まだ出来てないけど他にも沢山見せたい物もあるんだ。他にも沢山……沢山」

 ソラの声が発する度に弱くなっていく。

 ここに来る前、自分がどういう状態だったのか私が一番分かってる。

 多分、今戻れば私は――

「ごめんね。海を見に行く約束まもれそうにないね」

「ダメだって言ってるだろッ!」

 驚きで肩が跳ねる。ソラが怒鳴るなんて今までなかったことだった。

「約束したじゃないか、元気になったら海を見に行こうってッ! 言ってたじゃないかボクに色々なことを教えてくれるってッ! なのにッ!」

 だだをこねるように叫ぶソラの姿は凄く痛々しくて、辛くて、悲しくて。こんなにソラが感情露わにするようなことも今までなかった。

 その時ソラの目尻から何か光る物頬を伝って落ちていった。

 ソラが涙を流す所なんて、これも初めて見る物だった。

 だけどそんな姿を見て、私はあることを悟ってしまった。

 ずっと疑問だった。

 あのメールにはソラに色々なことを教えて欲しいって書いてあった。それなのにどうして私の所にこの子が来たのか。

 何かを教えることが目的なら、病室からまともに出られないような私よりも、健康でもっと頭のいい誰かのところに言った方が絶対いいはずなのに。

 たまたまそうなっただけなのかと思ったけど、それは多分違う。

 子供は死という物を知らない。

 死という言葉を知っていても、その意味を本当の意味で理解はしていない。

 身近な人がいなくなった時、初めて子供は死という物を理解する。なんて私が偉そうに言えたことじゃないんだけど。

 でも、つまりそういうことだったんだ。

 私はソラに何かを教えるために選ばれた訳じゃない。

 ソラに人が死ぬってどういうことなのか教えるための、いなくなる身近な人として私は選ばれたんだ。

 残りの命が短い私が。

 だとした、それはなんて――なんて誇らしい事だろう。

 私はソラをそっと抱きしめた。あの時お母さんがそうしてくれたように。

「ありがとうね、ソラ。私の為に泣いてくれて」

 私の腕の中でソラは泣き続ける。

「辛いよね、苦しいよね。だけどお願い。その気持ちをどうか忘れないで。きっとそれはとても大事な物だから」

 言葉を紡げなくなっているのかソラは嗚咽を漏らすばかりでなにも喋ろうとしない、その代わりに私を抱き返してくれた。

 何かを惜しむように強く、強く。

「ありがとう、私と沢山お喋りしてくれて。お陰であなたと出会ってから私はさみしくなかったよ。ありがとう、あなたのお陰で私はお母さんと仲直りできたよ。ありがとう、あなたのお陰で私は最後にとっても楽しい時間を過ごせたよ」

 私がなにか言う度にソラは腕の中で頷いてくれていた。

 私も涙が出てきてしまって最後の方は鼻声になっちゃったけど、きっとわかってくれているよね。

 抱きしめているソラの温もりが、感触がだんだんと薄れていく。

 身体と意識が、あるべき場所に戻ろうとしている。

 私は最後に力一杯ソラを抱きしめる。

 ソラに死を教えるために私は選ばれた。ベットの上で生きているだけだった私が誰かの為にこの命を使うことが出来たんだ。

 これ以上幸せなことはないよね?

「ありがとう、私の命に意味を与えてくれて。私の分もいっぱい生きて、いっぱい幸せになってね」


 ありがとう。

 さようなら。

 最初で最後の。

 私の大切な友達。


 *


 二○××年 二月 十九日

 雨宮刹那は自身の病室で、母親に見守られながらこの世を去った。

 実はその身体はあるとき何処かに消え去っていたのだが。

 その時間が三十分という短い時間だったため、その事は誰にも気付かれることはなかったという。


 *


 あれからどれくらいが経っただろうか?

 ボクがいくら窓の前で待っていてもそこに彼女が現れることはなかった。

 泣こうが喚こうが、もう彼女は帰ってこない。人が死ぬっていうのはつまりそういうことなんだ。

『ありがとう、私の命に意味を与えてくれて』

 そう言って彼女消えていった。

 抱きしめていた彼女の温もりが、感触が、命が。消えた瞬間の感覚をボクの腕はまだはっきりと覚えている。

 彼女は自分の命に意味があったとそう言っていった。

 じゃあボクの命は何のために? ふとそんなことを考えた。

 彼女が生きていたことに意味があったというならば、ボクが生きていることにも意味があるんだろうか?

 考えてみたけれどそれは分からなかった。

 もしここに彼女がいれば、その答えを教えてくれたのかな?

 座り込んでいたボクは立ち上がり、壁にまで歩み寄って扉を開いた。

『私の分もいっぱい生きて、いっぱい幸せになってね』

 彼女はそうも言っていた。だったらいつまでもここにいるわけにはいかない。

 ボクは最後に今まで過ごしてきたその場所を後にした。


 それからボクはインターネットの中を当てもなく彷徨っている。海の中を漂うクラゲみたいに。

 気まぐれでいろんな人の所にお邪魔しながら、ボクは今も生きている。

 ボクは何のために生きているんだろう?

 今も時々、そんなことを考える。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

窓の外の君 川平 直 @kawahiranao

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ