4 雨の里

雷雨の隣を歩きながら、小雨はふと自分が自身の陰口を聞いてももう昔のように深く傷つくことがないことに気づいた。胸に広がるのが諦めと虚無感だけであることも。 


まだ周囲も自分も雨を降らせられるのではないかと希望を持っていた頃は心の中で小雨が降っていた。


人々の言葉にいちいち敏感に反応し、それでもまだ大丈夫だと自分に言い聞かせていた。だけどいよいよ本格的に自分も周囲も悩み始めた頃、特に家族仲が悪化した頃は、心の中は大雨であった。


ただただ、どうしようもなく悲しくて、ただただ泣いた。泣いて、泣いて、そして次は大嵐。どうして自分だけがこんな苦しい思いをしなくてはならないのかと、誰も分かってくれない痛みに腹を立てた。


嫉妬や妬み、ありとあらゆる醜い感情が思考を支配し、自分でも抑えが効かなかった。この世界の全てを呪い、いっそのこと終わりを迎えてしまえばいいと思った。しかし怒りも長くは続かない。


その後は、漸く心の中は静かに凪いだ。だが、それは晴天の中にあるのではなく、もうほとんど周囲が見渡せないほどの暗闇の中にあった。今の小雨はもう努力するのが嫌だった。いつまでも報われない物にしがみ付くのに疲れ果てていた。


最近では最早、いつ、どうやってこの命を捨てるか、そんなことを考えるようになってしまっていた。


 人は痛みに慣れると痛みに鈍感になってしまうのだな、とどこか他人事のように思いながら歩いていると、雷雨がその心中を察したかのように労わるような優しい眼差しを向ける。

「じゃ、いつもの庭園にでも行くとしますか」

仕方ないという風にため息交じりでそう言われた。


「えっ?」


「えっ?」

「―行かないんですか?」


「いや行くけど、どうして分かったの?」

二人は顔を見合わせ同じ表情をする。


「だって小雨様なにか嫌なことがあると絶対あそこに行くじゃないですか」

「知ってたんだ…」

「そりゃあ一応あなた様の護衛ですから」

「ふふ」

小雨は思わず笑みが零れた。意外にも自分を気にしてくれる事実が嬉しかった。


「それに、もうすぐ祈雨の練習のお時間ですから天泣様が迎えに来てしまいます。あの人ただでさえ時間にうるさいんだし―さっさと行きましょう」


「うん!」

そう言うと小雨と雷雨は一旦お社の中に入る。雨は変わらず降っていた。

庭園はお社の中を通って行くと遠回りで人に会う確率も上がってしまうが、今は雷雨がいてくれるから怖くないと思った。


そしてまた途方もなく広いお社を歩き、やっと庭園が広がる縁側にたどり着く。


庭園の植物たちは薄暗い天気の中でもよく映えるように色鮮やかなものばかりである。雨の里は一年を通して雨が降る。だから、そこにある草木はどれも異常に雨に強いものばかりだ。そして強いだけでなく、雨の中においてより一層美しさを増すようになっている。


お社の庭園も例に漏れず、丁寧に手入れされ一瞬の命を謳歌する花の姿は見る者の心を慰めてくれた。小雨はいつも縁側から見える植物達に癒され励まされていた。そしていつか自分が降らせる雨に打たれて、美しく生きる彼らを見るのが夢だった。


「―今はもう、そんな風には思えないけどね」


まだ希望に満ちていた頃見ていた夢は、今は鋭い刃となって心を抉る。


けれど、不思議と何があるたびここに来てしまう。この雨は自分が降らせたわけではないけど、やっぱりその姿は美しいと思った。



そのまま顔を埋めるようにして座り込む小雨に雷雨は何も言わなかった。

彼はいつもそうして必要な時はそっとしてくれて、そんな小さな優しさも小雨は好きだった。


空は相変わらず曇りで朝とも昼とも言えない、一つ例えるならば青と緑と灰色を混ぜたような青褐色に包まれていた。

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雨フラシを担う一族の中で、唯一雨フラシができない女のコが、雨を降らせるまでの話💧 雨宮水希 @ninomizuki

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