百合の消失点
志村麦穂
序論 女同士の友情は成立するか
両親が全盛期のティーンだった頃、人間関係においてある有名な命題があった。
曰く、『男女の友情は成立するか』。
十数年前に国家という後ろ盾を得て、法的根拠が与えられた同性愛が市民権を獲得した。それまで使われていたゲイやレズといった言葉が撃ち殺され、ただ当たり前に恋人と呼ばれるようになった。夫婦という単語も触りがあると忌避され、家族や配偶者、パートナー、相方、伴侶といった性差がない単語に置き換えられた。
私たちが恋愛に興味を持ち始めた頃、差別言語抹消令――通称、言葉狩り令――によって、不適切と判断された言葉が次々に削除されていった時期があった。日常会話はもちろん、知識からも差別的単語を消し去ることで、人々のもつ差別的な思考をなくそうという施策だった。公共放送の禁止用語に入れられ、教科書から消え、ついで民放、広告、SNSへと広まって行った。陰謀論好きの間では、言語統制による思考制限実験だとやたら燃え上がり騒がれたが、差別をなくそうという正義が厚塗りされたお題目に日本人は弱かった。
この国の言葉の上では、恋愛におけるマイノリティはほとんど消滅した。これからも滅んでいく。私たちはそれを形容する言葉を持たない。そのうち、マイノリティという単語も抹消リスト入りすると噂されている。
いまや、同性愛がアリエナイと口にすることは悪になってしまった。全国民が恋人や伴侶を選ぶときの択に、同性のカードが並んでいるのは当然とされた。
では、ここで今一度命題を設定し直そう。
問い、『女同士の友情は成立するか』。
「よっしゃ、今朝もいっちょ豚狩りとしゃれこみますか」
マンションの入り口で合流した阿賀川が、嫌に野暮ったい眼鏡を押し上げて冗談を吹かす。黒くてデカいプラスチックフレーム。指の油、指紋の形が透けてみえる。睫毛がレンズについている。わざとらしいまでの日陰女アピールには隙が無い。
おじいさんは山へ柴狩りに。おばあさんは川へ洗濯に。そして、女子高生は街へ豚狩りに。
私たちを決めつけてくる輩ども。檻に囚われて偏った見方しかできない家畜。そんな思考奴隷を私たちは豚と呼ぶ。
「ごめん、遅れた! 昨日彼氏と通話してたら寝落ちしちゃってさ。アラームかけんの忘れてたんだわ」
そういって後ろから自転車で合流したエイミ。8時45分、いつも通り時間ぴったりだ。『彼氏』という非推奨単語に、通学通勤中の人々が過敏に反応して振り返る。人称代名詞以外の、いわゆる恋人としての『彼氏・彼女』という言い方は差別を助長するとして、条件付き制限単語に指定されている。
ティーンの最前線を、肩で風を切って歩いている女の設定には、『彼氏』の存在は欠かせないとエイミは熱弁していた。昔の学園ドラマが好きな彼女は、男女時代の恋愛に造詣が深い。エイミは当時の『イケてる女子高生像』を精緻に再現しているのだとか。
そうして、通学路に私たち三人が横並びになる。一見すると、平和な女子高生の通学風景だ。一皮めくると、緩やかな緊張感の張り巡らされた静かなる戦場の最前線でもあった。
女子高生は武装する。
街にはびこる百合豚どもを駆逐するために。
同性愛が公認され、それまで創作のジャンルで版図を広げていただけの『とあるジャンル』が、一気に現実を浸食していった。百合だ。恋愛差別が駆除されていった余白のスペースを埋めるように、百合が急速に世間へと浸透していったのだ。
それまで現実の同性愛と創作の百合は、共通点こそあったものの接続していなかった。現実の問題を扱っていても、あくまで作り物。遠い外国の戦争を語るようにリアリティが伴っていなかった。女の子しか登場しないアニメの影響が色濃くあり、百合というジャンルのイメージが現実と乖離していたのだ。しかし、同性愛公認と差別撤廃が、ふたつの距離を縮めて接着した。
女三人寄れば百合らしい。
女同士で遊びに行けばカップルだと思われる。三人寄れば三角関係を想像される。同性愛の一般化は、友達という概念を脆くした。好意は恋へ、いとも容易く置き換えられてしまう。
「サッカー部のショウ君……最近、幼馴染のケイ君と疎遠だなぁ。二組の岡部、あいつ邪魔なんだよなぁ。登下校も一緒にしてさぁ。ひ弱なケイ君がショウ君を攻めるのがいいのに。岡部、男くさいくせに度胸ねぇから受け性なんだよな。ポッと出のくせして、そうじゃねぇだろがよォ。恋愛にもストーリーの正当性がなきゃいけねぇっつの」
イライラするぅ、とベタつき、絡まった髪をぞんざいに掻き回す阿賀川。
「相変わらず、腐ってんねぇ」
男子生徒が連れ立って歩いているところを目撃しては歯噛みする彼女を、ふたりして生暖かく笑う。阿賀川は男同士の同性愛、いわゆるBLを嗜む設定があり、厄介なことには現実の男同士をみつけてはカップリングやら、攻守やら、物語だ正当性だと口煩い(フリをしている)。
百合が現実で大流行した裏で、BLは現実世界にはやってこなかった。理由は単純で、創作世界のBL男子はあまりにも現実の男性とかけ離れていたから。創作で楽しんでいた人間も、BLを知らなかった一般人も、双方が拒絶反応を起こして却って乖離していったようだ。百合のように『エス』という下地がなかったこともあり、BLはさらなるアングラの淀みへと沈んでいった。
阿賀川曰く、現実男性があまり作劇的恋愛情緒を持ち合わせていないこと。創作勢がハゲで腹の突き出たキモい中年男性が目につく世の中で、あれらも男の範疇に入っている事実が許せなかったこと。基本的に男性的な概念が創作系イケメンよりハゲデブ中年男の側に寄り添っていることが原因らしい。化粧もしない、整形もしない、ダイエットにも美容にも努力がない。男性の大多数がそのような状況で、男同士の恋愛を想像することは、絵面が汚くて我慢に耐えないのだとか。今も昔も、BL愛好者の腐女子の扱いは変らない。
「うーん、風間ショウって、いうほどイケメンじゃないよね? ルイ君のSNSみてみ? 顎ほっそ、鼻高っか、ダンスもうまいし、歌もできて、おまけに早稲田やん? 無敵やん? 学校の男子なんて、もう畑に転がっとるクズ芋よ」
「アイドルと比べてどうすんの。あのひとらはアイドル星人。一般人とは違う人種なの」
「月森はほんと、顔ばっかだな。ルッキズムに憑りつかれてるよ」
「いやいや、ダンスのキレとか頭の良さとかも見てますやん! スペックの良さに憧れてなにが悪いのん? 顔も形もいいに越したことないって。その点で言えばさぁ、エイミの彼氏はめっちゃイケメンなんでしょうな。なんせ、エイミィ・ジルコヴィッチに釣り合うぐらいなんだから」
「そっちで呼ぶなって。別にフツウだけどなぁ。顔で選んだわけじゃないし」
私たちは女子高生特有の、まき散らすような音量の会話で周囲を牽制していく。
三者三様の武装で百合豚どもの脳みそを、有害な妄想をぶち抜いて殺していく。
阿賀川椎子は腐女子を身にまとい、BL談義の火力構成で打ちまくる。エイミィ・ジルコヴィッチこと吉田詠美は『彼氏』の匂わせにより、豚どもをハイスペックリア充の現実感で蜂の巣にする。そして私、月森
私たちは抵抗する。百合豚どもの圧力に。安易に百合だと括り、関係を規定しようとする偏見に。私たちに百合を感染させようとする、百合の思考汚染に。
毎日毎日、百合豚どもを撃ち殺す。
私たちが私たちであるために。
勝手に私たちを妄想するな。
決めつけられたくない私たちの反抗声明だ。
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