第4話 「たかがゲーム」、「されどゲーム」

 ゲームを始めてからどれくらい経ったであろうか、いよいよ克幸はあすなと同じくらいの年齢になり、ゲームが第二段階に達したようだった。しかし、その感覚を与えないのがこのゲームの特徴なのか、気持ちに違和感を感じながらも、恋愛関係に陥るような出来事はなかった。

 学校で綾香に会って聞いてみたが、

「私も実際にそのゲームをしたわけではないので詳しいことは分からないんだけど、そういうものなのかも知れないわね」

 と言われただけだった。

 そしてそのうえで、

「このゲームの開発メーカーが公開しているホームページを教えるから、アクセスしてみればいい」

 と言われ、アドレスを教えてもらった。あすなは一抹の不安を覚えながら、メーカーのホームページをアクセスした。

――それにしても、綾香も自分でやったこともないゲームを、よく人に勧めたものだわ――

 とあすなは思ったが、それなりに楽しんでいるだけに、その時は彩香に対して恨み言もなかった。

 綾香に教えられたホームページを見てみると、そのゲームメーカーは、それほど有名なメーカーではないらしく、ゲームの数もさほどのものではなかった。

 しかも、ゲームのほとんどは、他の有名メーカーから出されているようなゲームと類似したものが多く、変だと思って見てみると、どうやらこの会社は有名メーカー出身のエンジニアたちが独立会社を立ち上げたという経緯を持った会社であり、類似しているのは、その開発者の性格によるものだという。

 ゲームメーカーとしての歴史もそれほどなく、要するに最近できたマイナーな会社のようだった。

 ホームページを見ていると、その中のコンテンツに、

「お知らせ」

 というページがあり、それをクリックして見ると、時系列でメンテナンス日の情報や、ソフトのアップデートの情報などが書かれていて、その最後部に、現在あすながやっているゲームについての注意書きが書かれていた。内容を見てみると、

「平素は、我々〇〇社をご利用いただきありがとうございます。現在ご利用いただいております育成ソフトである『ジャポニカ』は、製品向上を目指している最中であります。若干仕様と異なった誤作動を起こすことがございますが、ゲーム進行に関して、大きな障害となることはございませんことをご理解いただいたうえで、今後の改良にご期待いただきますことを切に望んでおります。製品がアップロードが完成いたしましたら、このホームページで公開いたしますので、しばらくお待ちいただきますよう、皆様にはお願いいたします」

 と書かれていた。

――このゲームは育成ソフト「ジャポニカ」というのか――

 と、あすなはいまさらながらに知った自分を恥ずかしく思った。

 それにしても、些細な誤作動というのはどういうことなのだろうか? あすなはさほど気にすることもなくゲームを続けようと思っていた時、今度は別の有名メーカーで、誤作動を起こすゲームがあるという話を聞いた。

 実にタイミングのいい話であったが、そのメーカーは、あすながやっているゲームメーカーとは比較にならないほど大きなところで、日本全国はおとか、世界でも有数のゲームメーカーで、そのニュースは瞬く間に、全世界を駆け巡ったようである。

「たかがゲーム」

 ではあるが、そのメーカーの経済至上での立ち位置は結構なもので、そのメーカーの製品が不具合を起こしたというだけで、株価は暴落し、世界経済に影響を与えることは免れないという話だった。

 まだ中学生のあすなにはそこまで詳しい話が分かるわけではなかったが、親が話しているのを聞くと、結構大変なことのようだった。

 学校でも、ゲームに明け暮れている連中がウワサをしていた。

 だが、本当にゲームに明け暮れている連中は引きこもりが多く、彼らがどのように感じているのか聞くことができないので、その心境は計り知れない。それが実際の利用者と開発者の間に距離を作ってしまったことで、こんな重大なことであるにも関わらず、その改善には結構な時間が掛かるようだった。

 あすなは、そんな有名な会社のゲームをやっているわけではないので、自分のゲームに集中した。自分がメーカーのホームページを覗いてほどなくして、ゲームは恋愛展開へと発展していった。

 それまで子供として振る舞っていた克幸が、いつの間にか立派な青年になっていて、主導権も克幸に奪われていたのだ。

 克幸はあすなをゲームの中で意識している。それまでの育成ソフトでは、子供としてのプログラムに忠実に従っていたというのが分かっていたが、成長した克幸のパターンは分からなくなった。明らかにゲームの中で意志を持っているのを感じる。

 行動パターンが読めないのは、あすなにとってのドキドキを加速させるものだった。

 今までに恋愛シミュレーションなど考えたこともなかったので、克幸はあすなを巧みに誘導してくれた。

 そんな克幸を頼もしく思い、そしてその様子を冷静に考えてみると、

――私の性格を知るために、育成ゲームが前兆としてついていたということなのかしら――

 と感じた。

 そう考えると、いろいろ辻褄が合ってくる。ただあすなが思うに、

――こんなことなら、もっと克幸を立てるような育て方をしておけばよかった――

 とも感じた。

 だが、母親として子供を育てるという感情に、そんなにたくさんのパターンがあるはずがない。子育てにパターンがあるというのは、人それぞれ違った子育てをするから、

「親の数だけ、子育てのパターンがある」

 というだけで、一人の親の中に、たくさんの子育てパターンがあるというのは、釈然としない考えである。

 一種のナンセンスな考えと言ってもいいかも知れない。

 あすなにとっての子育ては、

――まだ自分も子供だ――

 という考えの元に初めてはいたが、そのうちにその思いを忘れてしまうかのように、克幸に対して思い入れを深くしていった。

 それは親でしか味わえないものだという自覚はあった。もちろん、子供の自分が育てているという自覚を持ったうえでのことなので、心境としては複雑なものだった。

 克幸を育てている間、

――私は引きこもっていたのではないか?

 という思いがあった。

 学校が終われば、すぐに家に帰って部屋に入り込み、静かな部屋の中で克幸だけを見つめていた。

 夕方ともなると、近所の公園やマンションの駐車場などから子供が叫ぶ声が聞こえる。数年前まで、自分も同じ年齢だったはずなのに、中学に入ると急に冷めた目となり、

――本当に近所迷惑だわ――

 と思うようになっていた。

 だが、ゲームを始めてから、そんな騒音を気にすることはなくなった。部屋に引きこもって静かな部屋にいるのだから、普通であれば、表の騒音がやかましく感じられるだろう。しかし、ゲームをしていると、そんな騒音を意識することはなくなった。じっとゲームの画面を見ながら、実写となった克幸に誘導される自分に酔っていたのだ。

 もちろん、ゲームだという意識はあるが、逆にゲームだからこそ、実際の人間のように裏切らないという意識があった。

 今まで恋愛経験がないあすなが、男性と付き合うことも、男性を意識することもなかったので、

「男に裏切られる」

 というのがどういうものなのかというのも分かるはずもない。

 しかし、そんなあすなだからこそ、

「男は裏切るものだ」

 という言葉を聞くと、それを信じてしまう。

 裏切られ方がどんなものなのか分からないから勝手に想像する。その想像が、実際の裏切りの程度としてどれほどの深刻なものなのかも分からない。ただ漠然と「裏切り」とおう行為を想像するだけだった。

 だから、一律に、

――裏切りは悪いことで、裏切られた人間は溜まらない思いをするものだ――

 と感じていた。

 そのせいもあってか、

「人は裏切るものだ」

 というのはあすなの中で当然のこととして受け入れられている。

 それだけに裏切ることのないゲームにのめりこむのだった。それを思うと、同じくらいの年齢やもう少し上の人が引きこもっているというのも分かる気がする。それまで裏切られたことのない人が急に裏切られてみたり。逆に過去から今まで裏切りや理不尽の中にいた人間が一縷の望みを引きこもりに求めたとしても、それは仕方のないことだと思うようになっていた。

 あすなは、克幸からは、

「決して私を裏切ることはない」

 と思っている。

 だからもし克幸が少しでもおかしな行動をしたり、自分の想像しているのと違う行動をすると、すぐに察するだろうと思っている。

 もっとも、機械なので、精密に計算されていることなので、そんなことはないと思っていたが、一抹の不安としては、この間見たゲームメーカーが提示していた、

「些細な問題」

 が気になるところではあった。

 だが、あくまでも些細な問題なのである。いちいちそんなことを気にしていては、せっかくのゲームを台無しにしてしまうと思ったあすなは、なるべくゲームをしている時は、そんな思いを忘れるよう試みていた。

 だが、ゲームの中の克幸は、あすなのそんな気持ちを分かっているかのようだった。たまに落ち込んだような表情になる克幸をあすなは分かっていて、分かってはいるが触れることができなかった。

 あすなは自分で自分の躁鬱を意識しているので、克幸の様子から落ち込んでいる時の雰囲気は誰よりも読み取ることができると自負していた。それは克幸に対してだけではなく、他の人にも言えることなのだが、今は克幸しか見ていない自分なので、見えるとすれば、克幸だけだとあすなは思っている。

 克幸があすなの気持ちが分かるのだということをあすなが意識したのは、しばらくしてからのことだった。

 それまでは、

――ゲーム中でのことだから――

 という意識があってのことだったが、それだけの機能が含まれていることは、育成ソフトの頃を見ていると容易に想像がついた。

 だが、克幸があすなの気持ちを分かるようになったというのを感じるようになると、あすなは急に違和感を感じるようになっていた。その違和感がどこから来ているものなのかすぐには分からなかったが、克幸の実写画面を見ているうちに分かってくる気がした。

――確か、このゲームは、育成ソフトの間は人間に比べて相当早いスピードで成長するけど、設定した年齢に至ると、そこからは恋愛シミュレーションとなり、その人、いわゆる人間と同じ速度で成長していくことになるって言っていたわよね――

 ということを思い出した。

 だが、今あすなは一つの疑問を持っていた。

――どうして最初にこの疑問を感じなかったのかしら?

 と思うほどだが、思い返してみると、そのことを感じたのかも知れないが、そのことを考えないようにしようと思ってからか、その後は、考えていなかったことにするという思いに至ったと感じたのだ。

 その疑問というのは、

「このゲームの週末はどこにあるのだろう?」

 というものである。

 同じ年齢で進むのであれば、プレイヤーが二十歳になれば、ゲームの人も二十歳になることになる。

――ゲームに寿命ってあるのかしら?

 と思い、綾香に聞いてみたが、綾香は知らないという。

 あすなはもう一度メーカーのサイトを見てみたが、ゲームの仕様にはそこまでは書かれていなかった。要するに誰にも分からないということなのか、それとも、これが一種の「ネタバレ」のようなものとなり、プレイヤーにゲームへの意欲を失わせるものとなると考えたのか、結果として、ゲームのラストは「謎」なのである。

 ただ、ラストはあるもので、基本的に、

「恋愛シミュレーションとしての機能が失われたら、ゲームはそこで終わり」

 ということになるのであろう。

 あすなが現実の男性を好きになって克幸を忘れてしまうというのが、一番考えられるシナリオに思えた。

 でもあすなとしては、

「そんなの嫌だわ」

 と思っている。

 せっかくゲームをしているのに、余計なことを考えて興味が半減するのを恐れた。やはり、結末を知るのは。このゲームとしては危機的状況になるのだろう。

 あすながゲームを始めてから、いつの間にか克幸が「お兄さん」的な存在になっているのに気付いた。

 最初は、

「彼氏になるのだから、自分よりもしっかりしていて、お兄ちゃん的存在になってくれるのが一番いい」

 と思っていたが、それよりもさらにお兄ちゃんとしてのイメージを感じるのは、実はあすなにはお兄ちゃんがいたのだが、あすなが生まれる前に死んでしまったという事実があるからだった。

 あすなは、その事実を忘れていたわけではなかったはずなのに、育成ソフトをするようになってからは、完全に意識していなかった。

――このゲームには、何かを忘れさせるという特殊な能力が備わっているのかしら?

 とまるで都市伝説の類のような発想を感じていた。

 あすながお兄ちゃんがいたという事実を知らされたのは、小学三年生の頃だっただろうか。母親がお兄ちゃんの月命日にはいつも哺乳瓶でミルクを供えていたからだった。小学三年生になって、それがどこか不自然だったこともあって母親に初めて訊ねた時、

「実は、お前にはお兄ちゃんがいたんだよ」

 と教えてくれたのだった。

 どうやら、母親はあすなにいつその話を伝えればいいのかを考えていたようだ。小学三年生ではまだ早いと思っていたが、小学生の間には話すべきだと思っていたようだ。あすなの方から聞いてくれたことで母親としても気が楽になったのか、それまでためていた思いをぶつけてきたようだったが、あすなに母親の気持ちが分かるはずもないので、その話を聞いた時、母親の少しむせぶような話し方に圧倒された気分にはなったが、話を聞いていくうちに、気持ちが伝わってきたのか、母親が話したかったということだけは分かった気がした。

 お兄ちゃんがいたという事実をこのゲームを始めた時、きっと忘れてしまっていたのだろう。記憶から消されたことを後で思い出すというのは、不思議な感覚である。

――もし、このまま思い出さなかったら、どうなるんだろう?

 と不思議な気持ちになっていた、

 思い出すことがないのであれば、何も感じるはずもないだろう。それなのに思い出さなかった場合のことを思慮するというのは、まるで手応えのないものを蹂躙するような気分である。

 あすなにとってそんな気分にさせられたこのゲームは、自分がこのゲームにおいてどのような役割を果たしているのか、あるいは逆にこのゲームが自分にとってどのような影響を与えているのかを考える指針ではないかと思えた。

「たかがゲーム」

 であるが、

「されど、ゲーム」

 でもあるのだ。

 しかし、あすなはゲームが恋愛シミュレーションに入ったとたん、それまで忘れていたお兄ちゃんのことを思い出した。

 お兄ちゃんのことを忘れたという事実、そして恋愛シミュレーションに入ってから思い出したという事実、その両方を鑑みると、あすなはこのゲームが自分に与える影響の方が大きいと思うのだった。

 あすなは克幸を見ていると、

「まだ見たことがない」

 そして、

「永遠に見ることのできないお兄ちゃん」

 を意識せざるおえなかった。

――お兄ちゃんが生きていれば、こんな感じだったんだろうな――

 と感じて、克幸を見た。

 すると、微笑んでいる表情なのだが、その奥に悲しみを感じさせるような表情が潜んでいると感じると、あすなは自分の母親がどうして自分に兄がいたということをすぐに話してくれなかったのか何となくだが分かった気がした。意識をすることもなく事実だけを知るというのは、兄に対して申し訳ないような気がしたのだ。

 あすながお兄ちゃんのことを思い出していると、その様子を克幸は黙って見守ってくれているような感じだった。あすなにとってお兄ちゃんのイメージはまったくない。兄がいたということを聞いても、

――だから何なの?

 という実に冷めたような印象を受けたのが最初だったように思う。

 そのうちにもあすなは、ゲームの開発会社のホームページをチェックしていた。そんなある日、

「育成ソフトの不具合を解消するプログラムを開発いたしました」

 という文句が書かれていることに気付き、ホッと安心したのだが、それをインストールする方法については言及されていなかった。

 後ろの方に、申し訳程度であるが、

「インストール方法については、後日このサイトでご案内いたします」

 と書かれていた。

 プログラムが完成したということだけを利用者に伝え、安心させたかったのかも知れない。だが、実際にどんな不具合があって、どのように対処し、どんな効果があるのかなど記されているわけでもない。あくまでも解決したという旨だけを説明し、その場を収めていたのだ。

――こんなのでいいのかしら?

 と単純に思ったが、それ以上のことを示す何かがあるわけではなかった。

 メーカーに対して不信感というところまではなかったが、何か嫌な予感が残ったのもまた事実であった。あすなはサイトを時々見ていたが、

――このサイトを他に見ている人がどれほどいるんだろう?

 と考えるようになっていた。

 思ったよりも見ていないような気がしていた。サイトとしては立派なものができているが、メーカーとしての知名度はそれほどのものではない。どうしても世界的に有名なメーカーがいくつかある関係で、それ以外のメーカーはほとんど目立つことはないだろう。それはゲームメーカーに限ったことではなく、他のメーカーにも言えることだと思う。あすなはそう思うことでゲームを楽しめなくなるのを心配していた。だから、サイトを見る時も、必要以上に余計なことは考えないようにしていた。

 ゲームのサイトに変化が現れている間、あすなはゲームの中の克幸を次第に愛することができないと思うようになっていた。

 それは兄を意識してしまったからで、そのことを知らない克幸は戸惑っているようだった。ゲームの中のキャラクターは、決められたように行動し、それに伴った一定の感情をインプットされているのだろう。あすなのように自分を兄として見ている人がいるなど、まったくの想定外であろう。

 克幸がそんな風に思っているとは知らないあすなの方は、自分が兄を意識しているくせに、戸惑っている克幸を見て、

「どうしたのかしら?」

 と思っていた。

 もし、人間同士であれば、そこから亀裂が走り、別れる別れないという問題に発展するのだろうが、元々付き合っているという感覚のない二人は、別れるという概念がなかったのだ。

 あすなは次第に画面の中の克幸に対して不信感を持つようになった。それはあくまでもゲームの主人公として自分を好きになってくれるという設定に逆らっていることへの不満のようなものがあったからだろう。

 克幸とすれば、あすなの様子を挙動不審のように感じたことで、信じなければいけないとプログラムされている自分が、相手を信じられないというプログラムに逆らうような感情を持ってしまったことに戸惑いを感じているのだろう。

 あすなはそれを自分に対しての戸惑いだと勘違いしたからで、きっとあすなの思い込みがそうさせるのだろう。

 傲慢と言ってもいいかも知れないそんな感情が、あすなをさらに孤立させる気分にさせていた。ゲームを始めてからずっと一人で部屋にいても、まったく違和感がないと思っていたのに、気が付けば一人で引きこもりになっていることを自覚したその時、何を思ったのか、ゲームを閉じてしまった。

 ゲームを閉じれば、急にシャットダウンしたかのようになることで、その前後の記憶が克幸には消えているようだ。あすなは今回急に閉じてしまったのは、わざと克幸に記憶を消させるような意識が働いたのかも知れない。

 克幸は平然としているが、本当は記憶のないことをどう思っているのだろう?

 あすなは克幸がそれ以降、あまり感情を表に出さないようになったことを気にしながら、開発メーカーがサイトをどのように更新するか、興味深いところであった。

 メーカーの発表によると、不具合の原因というのが、アプリに登場する人間が、本来であればプレイヤーが設定した年齢に達すると、主人公は年齢の進行がゆっくりとなり、そこからは、主人公と同じスピードで成長していくものだという設定だった。

 そして、ラストはどうなるかということは、非公開になっていた。実際には二人の間に恋愛シミュレーションが生まれることで、お互いに惹かれあうというのが売りだったはずなのだが、中には思い入れの激しいプレイヤーがいて、そのプレイヤーの無茶ぶりによって、ゲームを強制終了させるようになっていたという。

 しかし、実際に強制終了が利かずに、プレイヤーの中で深刻な引きこもりや躁鬱症にかかってしまったりして、保護者からいくつかのクレームが来たという。

 この機種には、いくつかのバージョンが存在し、深刻な状況を生み出した一部のバージョンは自主回収し、他の機種に関しては、さらに制御を強化したアプリをインストールすることでこの状態を解消させようとしたという。

 そこでメーカーから、プレイヤーに求める情報提供として、

「このゲームにおいて、恋愛シミュレーションに入ってから、主人公は本来であればプレイヤーと同じ成長となるが、年齢の進行が微妙に狂ってしまう弊害が起こる可能性があります。その時は、即刻メーカーに問い合わせてください。調査させていただきます。ご協力のほど、よろしくお願いいたします」

 という内容だった。

――どういうことなのかしら?

 と思っていたが、実際に克幸の年齢進行は、あすなの考えているのと、さほど違いを感じなかった。

 だが、あすなが自分の兄を思い出したことで、状況は少し変わってしまったようだ。

 あすなと兄の年齢差は四歳だったと母親から聞かされた。お兄ちゃんが二歳になってすぐくらいに病気に罹り、少しして死んでしまったと母は言っていた。

 さすがに一年は子供を作ろうという意識はなかったらしいが、父親の方が子供を望んだことで、すぐにあすなを身ごもったという。さすがに怖かったという気持ちには変わりないだろう。それでもあすなは順調に成長し、何事もなかったかのように、両親もあすなの親をやってこれた。

 あすなは、両親の気持ちを量り知ることはできないが、ゲームでの仮想彼氏とはいえ、克幸を見ていると、自分が育ててきたという自負もあることから、母性本能の片鱗が芽生えたことで、親の気持ちを量り知ることができないまでも、自分が親になった時のことを、何となくだが、想像することができたような気がした。

 あすなは、克幸に対してどのような気持ちだったのか、本人にもよく分からなかったようだ。

 親のように育ててきたという感情、そして年齢が同じになった時に感じる恋愛感情。そして思い出してしまった兄への感情。

 このゲームには、二つの要素があることから、そのシステムも複雑に作られているに違いない。それなのに、二つだけの感情以外にも兄に対しての思い入れまで生まれてきたのだから、あすなの感情はさらに複雑になってきた。

 例えば感情が一つだとすれば、それを一とするなら、もう一つの感情は二となる。ここまではゲームの想定内のことなのだろうが、兄というもう一つの感情が生まれたことで、ゲームとしては未知の感情となる。そのため、本当であれば三の感情となるべきものが、四かも知れないし、さらにもっと大きなものになっているかも知れない。それだけ未知数の感情に歯止めが利かなくなってしまっていることをあすなは分かっていたのだろうか。

 もし、分かっていたのだとすればそれは、ゲームの主人公である克幸だったのではないだろうか。

 克幸は確かにメーカーが推奨している仕様とは少し違っていたが、それは、

「人間らしい感情」

 というものを持っているアプリの中の人間だったのだ。

 ひょっとすると、

「人間以上に人間臭いタイプ」

 だったのかも知れない。

 あすなは、そんな克幸を見ていると、

「おや?」

 と感じた。

 それまで自分と一緒に年齢を重ねているつもりでいた克幸が、次第に自分よりも年齢をさらに重ねて行っているように感じたのだ。

――どうしたのかしら? これが開発メーカーの言っていた「不具合」というものなのかしら?

 と感じるようになった。

 だが、克幸の態度はそれだけのものではなかった。

「あすなさん」

 克幸は文字で語り掛ける。

 あすなはマイクを使って、ゲームに語り掛けるが、その要旨は他の人から見ると、本当に画面の人間と普通に会話をしているかのように感じられるのだった。

「どうしたの? 克幸さん」

 あすなは、思わず、

「お兄ちゃん」

 と言いかけた自分にハッとして、口を拭ってしまった。

 克幸は何もかも分かっていると言わんばかりの様子で、あすなを見つめて微笑みかけたが、

「大丈夫。あすなの気持ちは分かっているよ」

 と言って、それ以上あすなに何も言わせないくらいの気持ちが感じられた。

「僕は、もうすぐこの機械から消えてしまうんだ」

「どういうこと? せっかく仲良くなれたのに、どうしてそういうことをいうの?」

「あすなさんは、僕をここまで育ててくれて、やっとあすなさんが理想とする男性になれたと思うんだ」

「ええ、そうよ」

「でも、それはあすなさんの理想の男性というよりも、お兄さんのイメージがあったからでしょう?」

「そんなことはないわ。私のお兄ちゃんは私が生まれる前に死んでいるのよ。だからお兄ちゃんの記憶なんかないのよ」

「そうなのかな? 僕にはあすなさんの中でお兄さんが生き続けているような気がするんだ。あすなさんは知らないだろうけど、僕はゲーム中に、あすなさんが意識を失っている時を知っている。その時に中からお兄さんが出てきて、僕に妹を頼むっていうんだよ。あすなさんは今まで躁鬱症を気にしていたかも知れないけど、それも成長するためにお兄ちゃんがわざと作っていたもので、もう心配ないから、きっと躁鬱症は治っていると思うよ」

 そういえば、躁鬱症で悩むことは減ってきたような気がしていた。

「それと、私たちのことのどういう関係があるというの?」

 とあすながいうと、

「このゲームは永久に続くわけではない。あくまでもゲームなんだ」

「それじゃまるで、『たかがゲーム』って言われているみたいじゃないの」

「そうだよ。でも、『されどゲーム』でもあるんだ。僕があすなさんに与えた影響はかなりのものがあると思うんだ。それをいい部分だけあすなさんに吸収してもらって、後は……」

「後は?」

「忘れていくしかないんだよ」

「忘れてしまうということ?」

「うん、僕はそのことをお兄さんとも話をした。お兄さんは最初、あすなが可哀そうだって言っていたけど、すぐに分かってくれたよ」

「ちょっと待って。だったら、何も言わずに記憶を消してほしかったわ。そんなことを聞いてしまうと私は……」

 あすなはむせてしまった。

「それはできないんだ。もしあすなに何も言わずに記憶を消してしまうと、あすなの中でお兄ちゃんは永遠に表に出てくることができなくなる」

「そんな……。悲しすぎる運命だわ」

 克幸はしばらく何も言えなかった。

 あすなは、涙に塗れている。しゃくれていると言ってもいいだろう。

「じゃあ、あなたが私の記憶を消すことで、お兄ちゃんは私の中で生き続けてくれるのね?」

「ああ、そういうことだよ。僕はあすなと出会えて本当によかったと思っている。そしてあすなのお兄ちゃんとお話ができたのも、本当によかった。お兄ちゃんが僕をその時だけだったけど、本当の人間にしてくれたんだ。本当の人間はそのままではお兄ちゃんのような存在とは会話ができないけど、僕のようなバーチャルな人間もそのままでは会話ができない。僕は人間になることで、お兄ちゃんと会話ができるんだ。そのおかげで、それまで分からなかった部分があったあすなの気持ちも分かることができた。そしてお兄ちゃんの気持ちもよく分かった。だから、もう思い残すことはない。あすなの記憶を消して、僕も消滅することで、あすなの中でお兄ちゃんと一緒に僕も生き続けることができるんだ。それはお兄ちゃんがそう言ってくれたからなんだけどね。ウソなのか本当なのかは分からないけど、それが最善だって僕も思ったんだ。あと少しだけど、僕はあすなと一緒にいることで、同じゲームの他の連中と違って、このまま生き続けることができる気がするんだ」

 と言いながら、克幸も涙を流していた。

「ゲームの不具合というのは?」

「あれは、僕がわざと起こしたものなんだ。そうしなければ、あすなやあすなのお兄さんに会うことはできなかった。他の連中やゲームのプレイヤーには迷惑を掛けたかも知れないけど、でも、最終的には問題がないようにしてあるから、僕は後悔はしていないんだよ」

 あすなは、ここまで言われると、克幸の気持ちを尊重するしかなかった。

 これからどうなるかハッキリとは分からないが、考えてみればまだ自分は中学生。これから他の男子をたくさん好きになって結婚し、子供が生まれて……。

 そんな人生を想像してみたが、あまりにも先の出来事のようで、どうせ妄想するなら、楽しく妄想するのが一番だと思うようになった。

 これも克幸のおかげである。

 克幸はあすなの記憶を消し去ると言った。あすなも記憶はすべて消え去るものだと思っていたが、二十歳になった今でもあすなの記憶は消えることはなかった。

 あすなは、大学生になり、彼氏もでき、大人のオンナになっていた。

「どこにでもいる普通の女子大生」

 それがあすなだった。

 あすなは彼氏とデートを楽しんでいるその時、人ごみの中で腕を組んだ歩いていたが、そのすぐ近くを一人のサラリーマンが通り過ぎた。一瞬「ハッ」として後ろを振り向いたが、そこにいるのは、中学生の男の子だった。

――どこかで会ったことがあるような――

 とは思ったが、それが誰なのか分からない。

 自分にとってかなり大きな影響を与えた人であることに違いないが、どうしても思い出せないのだ。

 訝しさがこみあげてきたが、

「どうしたんだい? あすな」

 と彼に声を掛けられると、その思いはすぐに消えていた。

「いいえ、何でもないの」

 というと彼氏は笑っている。

 彼氏はあすなの本来のタイプの男性というわけではなかったが、彼にはどうしても惹かれてしまった。

――お兄ちゃんのような存在が私には一番いいの――

 と自分に言い聞かせていた。

 だが、そのことを決して彼にいうつもりはなかったし、心の中にいる克幸にも内緒にしていることだった……。


                  (  完  )

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記憶 森本 晃次 @kakku

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