第3話 克幸の成長
新たな登場人物に、名前を付けなければいけないらしく、ポップアップされた内容としては、
「名前を付けてください。もし自分で決められない場合は、ゲーム内で勝手に命名します」
と書かれていた。
あすなは、自分で名前を付けることを控えた・思いつかないというのもあったが、彼女に対してライバル視している自分を感じたことで名前を付けることができなくなってしまったのだ。
あすなは、
「任意」
と書かれた方をクリックすると、アプリ内の方で、
「では、今から命名します。しばらくお待ちください」
と言って、ポップアップで、
「考察中……」
という文字がついたり消えたりしていた。
本当にしばらくしてからやっと決まったのか、
「お名前を『春奈』とします。設定は、克幸君を思っている女の子ということになります」
と説明があった。
どうやら、春奈の方では克幸を好きなようなのだが、克幸の方ではさほどのことを感じていないようだ。あくまでも一人の女友達というだけで、それ以上でもそれ以下でもないということだ。
あすなはホッとした気分になった。そして感じたこととして、
――ひょっとして小学生時代の克之君のことを片想いしていた女の子がいたのかも知れないわ――
と感じた。
いや、それは今感じたわけではなく、最初からあすなの中にあり、その思いがゲームに伝わり、
――春奈という登場人物を作り出したのかも知れない――
と思ったのではないだろうか。
春奈はゲームの中ではただ登場してくるだけで、なかなか克幸にアプローチを試みるわけではない。克幸も大人しい男の子で、春奈も大人しいので、見ていてある意味じれったく感じられるほどであり、母親としての嫉妬もあるうえで、じれったさも感じることで、その心境は実に複雑なものになっていた。
春奈は克幸といつも一緒に学校に行くという設定だけが、恒例となっているキャラクターだった。春奈は自分の気持ちを内に秘めながら、決して思いを打ち明けることなく、ただ克幸に寄り添っている。そんな二人を見ていると、最初はじれったいと思っていたあすなも、次第に微笑ましく思えてきた。
微笑ましく感じられると、今度は不思議と春奈が気の毒に思えてきた。
――春奈ちゃんはこれでいいの?
と感じるようになったのだ。
この頃になると克幸に対しての嫉妬心は薄れてきた。母性本能の方がまたしても強くなり、春奈のことを、
「息子の初恋の相手」
という見方ができるようになっていた。
実際には克之が自分の初恋の相手だったということだけで、ゲームの中の克幸にも初恋のイメージを持ってしまっていたが、本来であれば、
「自分のお腹を痛めて生んだ子供」
という設定だったはずだ。
それを思い出すことであすなは、ゲームへの意義を思い出し、そのおかげか、ゲームの中の過去を顧みることができるようになった気がした。
ゲーム内の過去、それは意識もせずに通り過ぎてしまった内容があったことであった。それがどんな内容だったのか、あすなは覚えているわけではなかったが、確かにその感覚はあった。
――でも、主人公である克幸にはその感覚はないのよね――
とあすなは感じたが、それはきっと克幸にはあすなが感じずにスルーしてしまったことも意識としては持っているからなのかも知れない。
克幸にとってあすなというゲームプレイヤーである「母親」はどんな母親なのだろうか?
ゲームプレイヤーであるあすなだけではなく、ゲームの主人公の克幸にも意識は存在しているような気がした。もちろん、あすながその気でなければ克幸に意識は存在しないのだろうが、ゲーム内の主人公に意識が存在するなどという考えは、あすな以外にも持つことのできるものなのだろうか。
克幸は、あすなの思っている通りに行動しているように思われた。ゲームもそれにともなって進行している。春奈という女の子の登場は想定外だったが、落ち着いてみると、ここでの登場は実にタイムリーであり、
――ひょっとして私が最初から思っていたことだったのかも知れない――
と感じるほどだった。
あすなも今まで意識していなかったことがあったことを思い出したのも、このゲームを始めてからのことだった。ゲームを始めたことで、あすなにはおかしな自覚も出てきたようだ。
――ひょっとして、お乳が出るんじゃないかしら?
女性というのは、子供ができると身体が母親になってきて、お乳が出るようになるというが、たまに、
――妊娠したかも知れない――
と感じることで、お乳が出てくる人もいるという。
いわゆる、
「想像妊娠」
と呼ばれるものだが、あすなが感じているのも、一種の想像妊娠に近いものがあるのではないだろうか。そうでなければ、胸がムズムズしたりしてくることもないはずで、もちろんお乳が出てくることもなかったが、ゲームをしていると、本当に出たのではないかと思えるほど、想像妊娠よりもリアルな感覚だったような気がした。
あすなにとって自分がゲームの中でどんな役割を演じているのか、分かってきたような気がした。
ゲームをやっている自分を客観的に見ているあすながいるのも感じていた。もう一人の自分がゲームをしている自分を見ていながら、自分と一緒にアプリ画面を覗き込んでいる自分も感じる。
そんな時、何かを囁いている自分を感じるのだが、何を言っているのか、よく分かっているわけではない。声を出しているつもりでいるのに、自分の耳に響いてこないので、本当に声を出しているのか不思議だった。
だからこそ、
「もう一人の自分」
なのであろう。
さすがにお乳が出てくるわけではなかった。
――お乳が出そう――
というのも実際に子供を産んだことがあるわけではないあすなに分かるはずもなく、
「想像妊娠にすらなっていない」
という状態で、そんな思いに至ったのだ。
あすなはそれを、
――自己暗示に掛けてしまったのかも知れない――
と感じた。
今までに自分が自己暗示に掛かったという意識はないが、
「自己暗示に掛かりそうなところには近づかないようにしなければいけない」
という自覚は持っていた。
ただ、あすなの祖母というのが霊感が強いらしく、以前おばあちゃんの家に行った時、
「おばあちゃんは、幽霊を見たことがあるんだよ」
と言っていた。
「ええ? 本当に幽霊なんているの?」
と聞くと、おばあちゃんは面白がって、
「そりゃあいるさ。おばあちゃんはこの目で見たんだからね」
と言って、さらに煽ってくる。
「あまりあすなを脅かさないでよ」
と、母に言われて、おばあちゃんの方も、
「それは悪かったね。あすなちゃんは、怖がりなんだ」
と言われたのが癪に障り、
「そんなことないもん」
と言ってふてくされたが、その表情がまさに怖がりであるということを表しているようで、やればやるほど余計なことになりそうに感じたので。それ以上、余計な態度を取ることはなかった。
おばあちゃんというのは母方の祖母に当たるので、母親も言いやすかったのだろう。母に睨まれているのが分かった祖母もそれ以上煽るようなことはしなかった。
その後で母からこそっと、
「おばあちゃんは霊感が強いだけで、幽霊なんて誰の目にも見えるものじゃないんだよ」
と言われたが、考えてみれば、あすなが怖がっているのは幽霊の存在であって、見える見えないではない。
母親にはこんなトンチンカンで慌て者なところがあるのが憎めないところだ。少なくとも思春期ではそんな母親に逆らうという気持ちはなかった。
「私は、おばあちゃんのような霊感があるわけではないので、あなたにもきっとないから安心しなさい」
とも言われた。
――だから、何を安心すればいいの?
と心の中で呟いたが、そんな天然な母親に何を言っても無駄であることはそのずっと前から分かっていた。
母親に霊感が備わっていないからと言って、孫に遺伝しないとは限らない。母親がそう思っているだけで、本当は霊感が強いのかも知れないし、霊感よりも感情の方が優先するので、霊感があっても、自分にはないという感覚があることで、霊感がないと勝手に思っているだけではないだろうか。
あすなにも実は霊感はないと自分で思うふしはあった。確かに怖がりではあるが、
「怖がりほど、霊感が強ければ、霊が乗り移ってくることが多いらしいよ」
と、ホラー好きの人が言っていたのを思い出した。
「本当にそうなの?」
とそれを聞いていた人は言ったが、その様子は明らかに怖がっていて、その子があすなのようにも感じられ、
――自分の代わりに聞いてくれたのかしら?
と思うと、彼女の言葉にはそれを認めたくないという気持ちが溢れていることに気付いた。
あすなは自分の気持ちを量り知ることができない時期だったので、自分に霊感があるかないかなど分かるはずもなかった。むしろ、考えたくないと思っていたほどだった。
――おばあちゃんは何を言いたかったんだろう?
ということを思い出していると、意識もせずにおばあちゃんのことを思い出している自分に気付いた。
――もう一人の自分から見れば、自己暗示に掛かっているように見えるんだろうな――
とあすなは感じた。
「自己暗示に掛かりやすい人は、一瞬でもそうだと思うとすぐに嵌ってしまうんだと思うわよ」
一度学校で貧血を起こし、保健室に運ばれた時、保健の先生に自分のことを相談したことがあったが、その時、自己暗示に対して先生が言った言葉だった。
先生は女性で、他の生徒の中には先生に相談している人もいたようだが、
――他の人がしているのなら――
と、自分からあまり関わることをしたくないと思っていた。
だが、せっかく二人きりになったのだからと、相談するのもいいのだろうと思い、自分の気持ちを話すようになった。
「私もそうなのかしら?」
「自己暗示に掛かりやすい人って自己暗示に掛かるまでは自己暗示を意識するんだけど、掛かってしまうと、もう自己暗示に対してあまり意識しないようになるんですよ。自己暗示を意識するということは、自己暗示に掛かることを怖がっているので、意識も半端ではないのよね」
先生の特徴として、意識している言葉を何度も繰り返して口にする方なのだろうとあすなは感じた。
先生は続けた。
「でも自己暗示に掛かってしまうと、それが免疫になってしまい、感覚がマヒするのか、もう意識することはないんですよ。無意識に意識しているとでも言えばいいのか、意識しているという自覚がなくなるんですよね」
先生の話には説得力があった。
元々人に相談できることではないと思っていただけに先生に相談できたことは嬉しかった。先生はまだ二十歳代前半くらいであろうか。結婚しているんだろうか? あすなは白衣姿の先生を見ながら、
――できれば結婚していてほしくないな――
と感じた。
先生が見知らぬ男性と一緒に歩いている姿が思い浮かんできた。その姿は、人に見られたくないという意識があるのか、まわりを意識しているくせに、自分たちを意識されたくないという思いから、背中を丸めている。
その姿は、中学生のあすなにも、却って目立つように見えるのではないかと思う。分かっていないのは本人たちかも知れない。あすなにとって先生はモテる女性であってほしいとは思うが、まわりにまわりを意識している先生の姿は、どこにでもいる普通の女性に見えて、それが嫌だった。
しかも先生と一緒にいる男性は、先生とはお世辞にも似合うとは言えない、冴えない男だった。だが、よくよく考えてみると、先生のような頼りになる女性ほど、頼りない男が寄ってきて、そんな男性に母性本能を抱くとすれば、先生のような女性ではないかと思うのだった。
先生が他の男性といる姿を想像していると、
――これは想像ではなく、妄想なのかも知れない――
と思うようになった。
思春期の女の子が抱く妄想は、少女マンガを見ているせいか、淫蕩な香りを感じさせる。恋愛小説も読むが、ひょっとすると少女マンガよりも妄想力が鍛えられたかも知れない。ただそれも少女マンガの絵を見ているからできる想像であって、抱き合わせが最強になるという意味が含まれているのかも知れない。
あすなにとって先生は憧れであり、不思議な存在でもあった。いつも一人でいる光景を見ていて、
――これほど一人が似合う女性はいない――
と思えるほどで、格好のよさを感じさせる。
先生は女性としての魅力以外に、男性のような凛々しさも感じさせる。そういう意味ではさっき妄想してしまった、
「頼りない男」
と、人目を避けるようにしている姿は、どこかおかしな感覚がした。
妄想の中では、目の前に見えている先生とは正反対のイメージであり、それは先生の隠された決して表には出せない裏の部分なのかも知れない。
「あすなちゃんは、自分が自己暗示に掛かりやすいと思っているの?」
「ええ、でも、実際に自己暗示に掛かっているということを意識したことはないんです。そもそも自己暗示というのがどういうものなのかというのも分かっていないんですよ。ひょっとして自己暗示があるのではと思ったのは、小学生の頃、おばあちゃんの家に行った時、霊感のようなものを感じたからだって思うんです」
「霊感のようなもの?」
「ええ、お化けを見たとか、金縛りに遭ったというわけではないんですが、何かに見られているという意識だけは強くて、結局その正体が何かは分からなかったんですが、その時に自分は霊感が強いんじゃないかって思うようになったんです」
「それで自己暗示にもかかりやすいと?」
「ええ、今日のように貧血になりそうな時の予感がその直前にはあるんです」
というと、
「それは錯覚かも知れませんよ」
と先生に言われた。
「それはどういうことですか?」
「貧血になったという意識をその直前に感じたと言ったでしょう? でもあすなちゃんは意識がなくなるその過程を感じていましたか?」
「いいえ」
「本当に前兆を感じたのであれば、貧血に陥って意識が遠のいていく時に、それを感じるはずなんです。だから錯覚ではないかと……」
「じゃあ、私が感じたものは何だったんです?」
「あれは、貧血で倒れてから意識が戻りつつある中で、あすなちゃんは自分が意識を失った瞬間だけ覚えていて、他の瞬間に関しては忘れてしまっていると思うのよ。それを戻りつつある意識の中で思い出そうとすると、それは意識を失った瞬間から自分の中で意識を組み立てようとするのよね。その時、意識を失った時の印象を勝手に組み立てたことで、自分の中で新鮮に感じることで、想像していることを、まるで前もって感じたことのように思うことがある。一種の『デジャブ』のようなものなんじゃないかって先生は思うの」
「なるほど」
先生の言っていることは分かる気がした。
一本船が通った説得力を感じたからだ。だが、信憑性があるわけではない。それでも最後に先生がデジャブと言う言葉を口にしたことで、デジャブと一緒に考えて、
「デジャブが信憑性を作ってくれているんじゃないか」
と考えるようになった。
「あすなちゃんを見ていると、ちょっとだけナルシストなんじゃないかって思うの」
先生はいきなり何を言うのだろう?
「ナルシストって、あまりありがたい言葉ではないですね」
「そうかしら? ナルシストという言葉で一括りにしてしまうと、あまりいい意味には取られないかも知れないけど、目立ちたいと思う人がナルシストだと思えば、決して悪いことばかりではないように思うのよ」
「そうなんでしょうか?」
あすなは、先生の話に半信半疑だった。
ナルシストという言葉は今までロクな意味で使われていないとしか思っていなかっただけに、先生の話にもどこか言い訳的なニュアンスが感じられ、話を聞いていて、どうしてもこれ以上いい意味を感じることはできないと思うのだった。
「人間って思い込むと、どうしても自分の殻に閉じこもって考えてしまうでしょう? それって一種の自己暗示じゃないかって思うの。そういう意味では自己暗示の強弱はあっても、人間であれば誰でも持っているものであり、切っても切り離せないものだって感じるんだけど、これも思い込みだって言われたら笑っちゃうわね」
と言って、自嘲していた。
先生はあすなに向かって微笑みかけているが、あすなはそれにどのように対応すればいいのか戸惑っていた。まるでヘビに睨まれたカエルのような雰囲気に、身体から油が出てしまうのではないかと思ったほどだ。
先生と話をしていると、いきなり話が明後日の方向に飛躍しているように思う。その瞬間に、我に返った自分を感じるのだが、いつの間にか先生の話に引き込まれていて、唐突な話だったはずのものが、最初の話に戻ってくるというスパイラルを感じる。
これは決して、
「負のスパイラル」
ではない。
あくまでも先生の作り上げた世界にあすなが入り込んでいるのであって、それは自分が自己暗示に掛かりやすいからではないかと思うようになっていた。
ゲームをしながら、保健の先生のことを思い出すと、ゲームをしている自分が中学生ではなく、先生のような妖艶な女性であるという想像をすると、子供がいてもおかしくはない年齢であることから、お乳が出るという想像妊娠に近いことがあっても、それは不思議でも何でもないような気がしてきた。
ただ先生の中に母性本能が果たしてあるのかと感じた時、パッと見てそれはないように思える。だが、先ほど妄想した先生と頼りない男の他人の目を意識している光景を思い出すと、頼りない男に頼りにされている先生が、その男を守ろうとしているイメージを継ぎの想像として受け入れているように感じた。その思いが先生の中に母性本能を感じさせ、ひいては先生のことを思い出している自分にも、先生のような母性本能が芽生えているのを感じた。
――母性本能って、皆同じようなものなんだろうか?
とあすなは思った。
子供に対して親が持つ思いというのが直訳なのだろうが、先生のように、頼りない男に頼られて、守ってあげたいと思う心境も、広義の意味での母性本能だと考えられる。ではこの二つは同じものだと言えるのだろうか。母性本能というのはあくまでも、
「親が子供を思う気持ち」
というのであれば、先生のような母性本能は、元々の母性本能の派生型と言えるのではないだろうか。
あすなに母性本能があるとすれば、どっちであろうか?
まだ子供もいないあすなだが、ゲームの中で克幸を育てている。そこでまるで想像妊娠でもしたかのように、一瞬であったが、母乳が出たような気がしたのは、自己暗示に掛かってしまったということだけで言い表せるものなのだろうか。
あすなはこのゲームに春奈という女性が登場してきたことの意味を考えてみた。
ゲームが勝手に登場させた人物には違いないが、綾香の話では、
「このゲームでは、急に新たな登場人物が出てくることがあるの。唐突なんだけど、ゲームを進めていくうえで必要なキャラクターであることが次第に分かってくるようになるわ」
と言っていた。
春奈を見ていると、どこか保健の先生に似ているところが感じられた。春奈が大人の女性という雰囲気を醸し出しているわけではないが、どこか克幸にとって春奈の存在は、
「頼りがいのある女性」
と写るところだった。
それはあすなが想像した、頼りない男とまわりを意識しているくせに、まわりに気配を消そうとしている雰囲気からは想像できないものであったが、
――春奈はあすなが先生に感じたくない部分を、先生から取り除いたようなキャラクターなのかも知れない――
と感じた。
あすなはまだ小学五年生になったばかりの克幸には、春奈のような女性の存在を、
「まだ早い」
と思っていた。
それはきっと母親の発想なのだろう。もし自分がそのまま中学生として見ているのであれば、
「小学五年生なんだから、女の子の友達がいてもおかしくはない」
と感じるだろう。
それはまだ思春期を迎えていない男子なので、相手を異性として見ていないことで、初恋であったとしても、それは好きだという意識ではなく、憧れに近い意識ではないかと思ったからだ。
――初恋というものを、自分は本当にしたことがあったのだろうか?
とあすなは感じた。
――あれが初恋だったのでは?
というのは、思い出そうと思えばないわけではない。
だが、思春期を迎えたわけでもない自分が人を好きになったという意識があったわけではないだろう。あったとすれば、それは憧れでしかなく、憧れが恋愛だったと思うのは、思春期を迎える前のまだ異性を意識していない時期だったことを逆に証明しているように思えた。
小学五年生からは、春奈という女性が登場し、春奈と一緒にいる時期を小学五年生で味わうことで、それまであっという間に取ってしまった歳の辻褄を合わせているかのようだった。
小学五年生から六年生になると、少し二人の間にぎこちなさが生まれた。
それは春奈の方が先に思春期に入ったからだった。初潮を迎えた春奈は、その時から思春期に突入し、あすなのように初潮を迎えてから思春期に突入するまで少し間があったわけではないことに、あすなは不思議な感じを受けた。
――どっちの方が多いんだろう?
自分の方が希少なのか、それとも春奈の方が希少なのか、よく分からない。
あすなにとって思春期というものの入り口も曖昧だった。男性を異性として意識したから思春期だと思ったのだが、本当はもっと前から思春期に突入していたのかも知れない。
春奈が登場してから、どうもあすなの調子が狂ってしまっているようだ。別に嫉妬しているわけでもないのに何に調子が狂っているのか、よく分からなかった。
――母親として息子に恋人になるかも知れない人が出現したことで、戸惑っているのかしら?
と感じた。
母性本能が嵩じて、母乳が出る錯覚に陥ったくらいなので、ゲームとは言え、自分がリアルに反応しているのは事実のようだ。いや、ゲームだからこそ余計にリアルな反応を示すのかも知れない。普通であれば考えられないようなこともゲームでは容易に想像できてしまうことで、母性本能という意識と連鎖することで、あすなは最大限に母性をゲームの中で発揮しているのかも知れない。
春奈と一緒の五年生は、それまでの小学生生活のすべてを足しても余りあるほどだった。それだけに時間が経つのも遅かったのだろう。ただそれは一日一日も遅かったわけではない。その日その日はあっという間に過ぎ去った気がしていた。
だが、一年経ってから思い返すと、一年前が本当に一年が経ってしまったのではないかと思うほど長く感じられた。日々の感覚と通しての感覚のずれが大きければ大きいほど、その一年が自分に及ぼした力が大きかったということになるのだろう。
あすなはこの一年で何を学んだというのだろう。確かに克幸は成長したが、それは春奈という女の子の出現が克幸を成長させたと言ってもいい。
あすなが母親として子供に責任を持たなくてもいい年齢はまだまだ先のことなのだろうが、関わることには変わりがないので、どうせ関わるのであれば、他人が自分たちの間に入り込むことは避けたかった。
だが、子供の成長という意味では、本当にそれでいいのだろうか。あすなは自問自答を繰り返す。
「たかがゲームなのに、どうしてこんなに克幸に思い入れてしまうのかしら?」
という感覚である。
克幸は、ゲームの中であすなを母親として認識してくれているのは間違いないが、果たして、
「あすな」
という女性が母親だという認識があるおだろうか。
ツバメなどの鳥は、最初に見たものを親だと思うというが、克幸も同じような感覚にしかすぎないのだろうか。
もしそうであるとすれば、いくらゲームだとはいえ、それは悲しいことである。ただ、その感覚は自分も子供であるだけに、母親というよりも心境としては子供に近い。
そういえば、母親に対して、
――自分だって私と同じ子供時代があったはずなのに、どうしてそれを忘れてしまったかのように、自分も子供の頃にしていたようなことを、堂々と叱ることができるのかしら――
と感じたことがあった。
それは、
「誰もが通る道だ」
と言ってしまえばそれまでの気がするが、子供のあすなにも、親としてはまだまだ道半ばである母親との間ではかなりの距離になっているのではないだろうか。
やはり母親の方にジレンマがあるに違いない。
成長するにあたって、
「もうあなたは子供じゃないんだから」
という言葉を何度も聞かされることだろう。
その都度、
――まだまだ子供――
と、心の中で呟いたとしても、それは言い訳にしかならない。
あすなは克幸が五年生であったこの時期を、自分の五年生の時期に当て嵌めてみた。
「何もなかった一年間」
それがあすなの小学五年生の頃の記憶だった。
だが、思い出してみると、あの頃、自分は誰かに見られていたような気がしていた。断続的にその思いがあり、忘れた頃に、
――またあの視線だわ――
と感じるのだが、その思いがあまりにも断続的すぎて、前に感じた思いがどのようなものだったのかを忘れてしまうほどだった。
小学五年生の時のことは、その当時意識していたものではなかった。このゲームをするようになって自分のその当時を思い出すようになって感じたことだった。今までの年代では実際に覚えていたことを思い出すことばかりだったが、今回は記憶に残っていたことを思い出したわけではなく、思い出したことに必然性はなかった。
それだけに信憑性もない。しかし、今までに思い出したことよりも意識は鮮明だ。それは今までが記憶の奥に隠れていたものを引き出すことで、過去へ意識をタイムスリップさせ、整合性と信憑性を確認するのだから当たり前だろう。今回のことは思い出したというよりも、見られていたという感覚が意識になってよみがえってきたことなのだ。
だから相手が誰だったのかどころか、どんな人だったのかも分からない。女性だったのか男性だったのか、大人だったのか子供だったのか、あるいは自分に関係のある人だったのか、まったく関係のない人が、偶然見ていただけなのか、そのあたりからハッキリしていないのだ。
小学五年生の記憶は、それ以外にあったわけではない。いや、あったのかも知れないが、見られていたという意識を持ってしまったことで、打ち消されたのかも知れない。自分の中ではそれほどの意識のように思えないのだが、ゲームをやりながら過去を振り返っている自分にとっては大きなことだったのかも知れない。
小学生も残りわずかになり、そろそろ克幸が中学に入る時がやってきた。季節はもちろん春、あすなは自分が中学に入学した時のことを思い出していた。
桜舞い散る季節というのは、暑さも寒さも感じることなく、吹いてくる風に心地よさしかないこの時期、雨が降れば桜は散ってしまい、そこかしこに咲き乱れていた時と違って水に浸って重たくなった花弁が、惨めにも誰からも意識されない「石ころ」のごとく、踏みにじられている。そんな光景を見ながらあすなはたった一週間前、そこで華々しく花見が催されていたことを思い出し、悲しさなのか虚しさなのか、気持ちが次第に薄れていくのを感じた。
それは桜に対しての気持ちの薄れではない。何かを感じるということに気持ちが薄れているのではないかという思いであった。ただ桜という媒体が目の前にあって、その感覚を思い起こす役割をしているだけだった。
あすなは自分が中学校に入学した時の春、初めてそのことを感じた。小学生の頃には、そんな気持ちが薄くなる感覚を感じたことはなかったが、桜に対してもさほどの感情をもし這わせていたわけでもなかった。
――こういうのを、感傷というのかしら?
とあすなは感じたが、感傷というほど、心の中に傷ができるわけではなかった。
気持ちが薄れていくだけで、痛みを伴うものではない。むしろ痛みを伴うのであれば、痛みに耐えかねて、感覚がマヒすることで、薄れてくる感覚と感じるものではないだろうか。
あすなは中学に入学することで小学生の頃には感じたことのなかった感情がたくさん生まれてくるものだと思っていた。そのまず最初が思春期という時期に感じる思いである。思春期がどういう時期なのかというのは漠然としてしか分からないが、初潮を迎えてから、毎月のように襲ってくる生理痛に鬱状態を感じていると、それ以前から感じていた躁鬱状態が、自分の中でハッキリしてくるのではないかと思えたのだった。
小学生の頃でも躁鬱状態の入り口は分かっていたつもりで、躁鬱状態を定期的に繰り返すということも分かっていた。だが、そのメカニズムが自分にどのような影響を与えるのかまで考えることはできなかった。なぜなら、
――その感覚は思春期にならないと分からないものだ――
と自分で思っていたからだった。
小学生の頃も、躁鬱症について勉強まではしないまでも、経験からいろいろ分かっているつもりでいたが、どうしても踏み込めない領域があることにそのうちに気付くようになった。一種の、
「結界」
とでもいうべきものであろうか、結界が見えてくるまで自分でもよく分かるようになったと思っていたが、
「その結界をいつか破ることができるのか?」
あるいは、
「この結界を破ることで自分がどのような幸運や災難に見舞われるというのか?」
ということを考えてしまった。
しかし、いずれは破らなければいけない結界であれば、それが大人へのステップアップとも考えられる。一番近い感覚としては。やはり思春期だと言えるのではないか。あすなが他の人よりも思春期というものを意識している一番の理由は。この結界を意識しているからだと思う。
だが、このことは誰にも話しているわけではない。ひょっとすると、この感覚はあすなだけではなく誰もが持っているもので、人に喋ってはいけないというタブーに価するものだとすれば、あすなは自分の考えていることが突飛なことだとは思わなくなっていた。
思春期になると、まわりの反応が少し変わって見えた。本当の友達というものを選別できる目を養えている気がしたのだ。
今まで同様に友達のように話していた人が、急にその言葉に重みを感じなくなってきた。そう思って聞いていると、言葉の端々や抑揚に、忖度や愛想のようなものが感じられ、自分が人の考えの内面を読み取れるようになったことで成長したという意識を持つようになった。
だが、それは逆も言えた。つまり、自分がまわりの人の態度に、見え隠れしている相手の本心をしっかり見えてくるようになると、相手も自分の本心をしっかりと凝視できているのではないかということだ。
しかもそれは自分本人が感じているよりも鋭く見ているような気がした。鏡でも見ない限り、自分で自分の顔を見ることができないように、相手からは自分では見えない部分もバッチリと見えていると思うとゾッとしてきた。
だが、あすなも本当に相手の考えていることをすべて看破しているわけではなかった。肝心な部分は見えてこない。まるで逆光で相手の顔を見ているようで、逆光だから見えていない顔ではあるが、見えていないのをいいことに、顔が存在していると思い込んでいるだけで、本当はその顔には目も鼻も口もない「のっぺらぼう」なのかも知れないという思いも浮かんでくるのだった。
あすなは相手の顔をじっくりと見つめることをしたことがない。それは自分がされたら嫌だと思うからだ。
「自分がされて嫌なことは、相手にもしない」
というのがあすなの基本的な考え方で、この思いがあるから、相手に信用してもらえるのだと思っていた。
その感覚は間違っているわけではないだろう。だが、そう思いながらも相手のことをじっと見てしまう自分がいるのも事実で、それは無意識に見ているというよりも、もう一人の自分が出てきて、相手を凝視しているという感覚だ。だからあすなの意志ではなく、無意識のうちにやっていることで、急に我に返ってハッとすることがあるが、それは急に表に出ていたもう一人の自分が、隠れてしまうからであった。
あすなは思春期になっていろいろ変わったと思っている。しかし、その中で変わったというよりも新たに感じるようになったこととして、
「自分がしていることも相手がしていることだ。相手がしていることを自分が嫌だと思うと、相手にはしてはいけないんだ」
と思うようになったことだった。
小学生の頃、いや、思春期に入る前のあすなは、他人のことを意識することはあっても、こんな感覚になったことはない。これはいいことなのだと思うが、マイナス面がないわけではない。むしろこのマイナス面が思春期の中である意味、一番あすなを苦しめることになってしまったのではないかとも思えるのだ。
特に小学生の頃から感じている躁鬱状態を繰り返すことは、自分だけではないと思うようになると、まわりの人のその時の状態をどうしても意識してしまう。
――ひょっとして今はこの人は鬱状態なのではないだろうか?
と感じると、うかつなことは言えないと思うのだった。
自分が痛い思いをしている時、あるいは苦しい時というのは、放っておいてもらいたいと思うものであり、あすなは、たまに寝ていて足が攣ることがあるが、そんな時、なるべく声を出さないようにしている。
実際には声を出せないほどの痛みが襲ってくることもある。呼吸困難になり、息ができない状態で声など出せるものではないからだ。
こんな時、まわりには誰もいないのは分かっているが、もし誰かに触られるのはもちろん、痛がっているのを心配されて、
「大丈夫?」
などとまるで怖いものでも見るような視線を浴びせられると、痛みは究極に達するのではないかとあすなは感じていた。
今まで誰かの前で足が攣ったことがないのは幸いだったが、そのおかげか、本当の究極の痛みを感じたことはない。思っているよりも大したことはないのかも知れないが、意識を失うほどの痛みが襲ってくるのかも知れないと思うと、やはり恐ろしい。
あすなの思春期はまだ途中なので、終わってから思春期のことをどう感じるかというのを、今から想像することもあった。
だが、考えてみれば、いつを持って思春期の終わりだと言えるというのか、思春期に入った時は、何となくだが感覚があった。それは鬱状態の時、躁状態への移り変わりを予想する。
「トンネルの中の黄色いライト」
のようなものを彷彿させる何かがあったわけではない。
だが、鬱状態の時に感じた、明らかに普段とは違う見えている背景の色の違いのようなものを感じた気がしたのだ。
鬱状態と背景の色というのは、黄色掛かった空気だった。まるで黄砂が舞い降りるような黄色い膜のようなものが目の前にあり、サングラスでも掛けているような感覚である。
思春期に感じた色は、赤だった。
あすなは赤い色を感じたことで最初に想像したのは、
「血の色」
だった。
それは、初潮の時にも感じたことだったが、目の前に赤い膜のようなものが貼られたのだ。
その膜は夕焼けの赤とは違う色で、深紅の鮮やかなものだった。実際の血の色というのはもっとどす黒いもので、あまり見たくない色だという印象だが、思春期になって見えた膜になった赤い色は、深紅の鮮やかな赤だったのだ。
あすなが初潮の時に感じたのは、色だけではなかった。鼻をつくようなひどい臭いで、それはまさに血の臭い。鉄分を若干含んだような臭いで、実際に齧ったことはないが、実際に齧ったとすれば、こんな臭いなんだろうと思わせるような臭いだったのだ。
思春期に入ると、そこまでひどい臭いではないが、鉄分を含んだ嫌な臭いを感じることが時々あった。それが生理の前というわけではなく、規則性はあすなの中で感じられなかった。
ただ、その時は膜が貼った赤い色がさらに鮮明になっていて、
――どうしてこんなに鮮明に感じるのだろう――
と思ったが、その理由もすぐに分かった。
飛蚊症という言葉があるが、目の前に蚊が止まったようなイメージというか、クモの巣が張っているかのようなイメージである。
これは冷静に考えると、毛細血管が浮き出しているのを網膜が捉えているからだと分かるのだが、そんな状態になる時も何か規則性があるわけでもなかった。急に襲ってくるものであって、長い時は一時間近く、短くても十数分は、前をまともに見ることができないほどに視界が限定されてしまっている。
時間がくれば、その状態は脱するのだが、その後には頭痛が待っていた。
いつもいつもというわけではないが、四回に三回は襲ってくる。意識としては、
――ほとんどと言っていいほど頭痛に見舞われる――
と感じているのは、それだけ頭痛に見舞われた時の痛みが印象に残るからであろう。
頭痛と一緒に吐き気も襲ってくる。病院に行くと、
「目の疲れからくるものでしょうが、精神的にあまり疲れないようにしてください。精神の疲れが無意識に何かをしっかり見ようという感覚にさせられるので、それが影響してこういう症状になるんでしょうね。とりあえずはまだ若いんだから、あまり深く考えないことです」
と言われた。
あすなは、思春期ならではの感覚で、
「私くらいの他の人も同じようなことがあるんでしょうか?」
と聞いてみた。
先生は笑って、
「ええ、思春期には多いんじゃないから? 特に女性は発育が男性とは違うので、身体のいろいろな部分に負担がかかってしまうこともあるんじゃないかって、先生は思っていますよ」
と言われた。
あすなは、ホッとした気分になり、少し笑顔を見せたが、
「そうそう、その笑顔をしていれば、痛みはすぐに治まるよ。先生も君のその笑顔が好きだよ」
と言ってくれた。
病気の時に、信頼する相手にそう言われると、救われたような気がする。あすなは先生の言葉を全面的に信じ、
――これは思春期には誰もが陥ることなんだ――
と思うようになった。
思春期をどう過ごすかということはあすなにとって重要なことであるが、あまり深く考えすぎないことも大切だと思うようになった。綾香から教えてもらったこのアプリも、気分転換のつもりで始めたのだ。そのことを忘れないようにしないといけないと感じたあすなは、いよいよ中学に入学した克幸の凛々しい姿に見とれていた。
「こんな人が彼氏だったらいいわよね」
そう思ったあすなは、自分が育てた息子だという意識が少しずつ薄れてきた。
いよいよゲームも第二段階へとステップアップしてくる頃なのではないかと、ワクワクしてくる自分にあすなは、悪い気はしていなかった。
ある日あすなが帰ってきてからアプリを開くと、克幸は学生服を着ていた。どうやら、中学に入学したようだ。
ここまでくるとゲームも人間と一緒に成長するようだ。
本当であれば発展という表現をすればいいのかも知れないが、育成ゲームという性質上、発展というよりも成長と言った方がいいのかも知れない。あすなもその方がしっくりくる気がしたので、これから起こるゲームでの発展を、あすなは「成長」と表現することにした。
今まではゲームの登場人物の言葉は、ゲームの中に吹き出しが出て、声を文字で表現していた。まるでマンガを見ているような感じだったが、これは昔のゲームによくあるもので、登場人物がアニメ調だとその方がすんなりと受け入れることができた。
主人公が中学生になって成長したというよりも、プレイヤーの年齢に近づいたという、ゲームとしては第二段階に入ったと言ってもいい状況になると、いよいよこのゲームの佳境が見えてきた気がしてきた。
それまでアニメ調だった画面が今度は実写版に変わり、声も吹き出しではなく、ボイスで聞こえるようになった。今の時代のゲームと言ってもいいだろう。ただ、いきなり実写に変わってしまったことでプレイヤーの中には戸惑いを覚える人もいるだろう。思い入れを持って育ててきた相手がいきなり変わってしまうことに戸惑いを覚える。確かに実写になればリアルではあるが、プレイヤーは母性を持って臨んでいるので急に変わってしまうことをよしとしない人もいるだろう。そんな人のためにこのゲームでは、リアルバージョンでも、今までのアニメバージョンでもどちらでも楽しめるように選択方式になっていた。
それは途中でも変えることができるので、画期的なゲームと言ってもいいだろう。あすなは戸惑ってはいたが、実写で現れた克幸を見て、一種懐かしさがあった。
――初めて会ったような気がしない――
という思いがあったので、いきなり変わってしまったことでの戸惑いよりも懐かしさに酔っている感覚の方が強かった。
そもそもこのゲームの第二弾というのは、主人公がプレイヤーの年齢に達した時から、年齢の進行が遅くなり、人間と同じスピードになることで、プレイヤーとの恋愛シミュレーションを展開するというのが「売り」なのだ。それまで抱いていた母性本能がどのように変わっていくのか、あすなには大いに興味があった。
――そもそも、母性本能が恋愛に変わるなんてあるのかしら?
という思いと、
――私自身、まだ中学生で思春期の真っ只中にいるので、恋愛もしたことがない自分に、果たしてゲームを進行するだけの意識を持てるのだろうか?
という思いがあった。
母性本能にしても、子供を持ったことがないあすながどこまで母性本能があったというのか疑問でもあった。ただ、母乳が出たということも事実であり、精神的に母性本能を持っていたと解釈するしか説明のつかないことだってあったはずだ。それを思うと、あすなはここまでゲームを、いや、ゲームの本質を楽しむことができたのだと思って間違いないだろう。
克幸は笑顔であすなを迎えてくれる。
「こんにちは、あすなさん」
その声は声変わりしているはずなのに、透き通るような声はまだ少年のようで、ハスキーと言うには程遠い気がした。
そんな声で、
「あすなさん」
と言われてもドキッとはするが、どう答えていいのか分からないというのが本音だった。
何しろ、今まで親として育てていた相手である。自分の子供だという意識しかなかった相手が、今まではアニメ調だったのに、いきなり実写版に変わった。それは逆に戸惑いを薄くするという意味では問題ないようなのだが、だからと言ってすぐに受け入れられるものではない。
克幸の笑顔には癒しがあった。その顔を見ていると、
――おや?
と感じることがあった。
「あなたの方から私が見えるの?」
と聞くと、
「うん、見えるよ。あすなさんが僕を見つめてくれている視線を痛いほどに感じるんだ」
まるで大人の恋愛小説の中に出てくるようなセリフを、この間まで赤ん坊だった相手に言われるなど思ってもみなかった。しかも、自分の子供として育ててきた相手である。不思議な気持ちになった。
――恋人としての克幸を手に入れたのかも知れないが、息子としてずっと育ててきた克幸はどこに行ってしまったのだろう?
あすなはそんなことを思いながら、克幸を見つめていた。
すると、あすなの考えていることが分かっているかのように、
「大丈夫だよ。僕は今あすなさんと恋愛を対象に考えているけど、このゲームではアニメ版に切り替えることもできるんだ。その時にはあすなさんをお母さんとして意識している僕がいるから、時々僕のお母さんになってくれればいいんだ。僕もその方が嬉しいし、もう一人の僕もきっとお母さんを待っていると思うよ」
あすなはビックリして、
「あなたは私が何を考えているのか分かるの?」
「うん、分かるよ。だって、お母さんが僕をここまで育ててくれた。僕はお母さんしか知らないし、だからこそ、お母さんのことなら何でも分かるんだ」
「それはゲームとしてということ?」
「そう思ってもらってもいいとは思うけど、僕にはそう思われると少し寂しい気もしてくるんだ。これから僕たちが歩んでいく道を考えると、寂しい気持ちになりたくないという僕だっているんだよ」
完全に言っていることは「大人」であった。
「ごめんなさい。私、どうかしているのかも知れないわ。せっかく克幸さんが私とのことを真剣に考えてくれているのに、私ったらプレイヤーのくせに余計なことばかり考えてしまって……」
「それは仕方のないことだと思うよ。それが人間というものであり、僕の憧れているものでもあるんだ」
「あなたは人間ではないの?」
「肉体があるわけではないので、少なくともそこだけでも人間ではないと言えるよね。でも精神的には人間そのものだって思っているけど、思考能力は人間に遠く及ばないものなんだよ」
「どういうことなの?」
「思考能力は、いわゆる『ロボット』と同じなのかも知れないわね。人型のロボット、いわゆる『アンドロイド』というところかな?」
「アンドロイドってよく聞くけど、人間の意志を持っているの?」
「そうだね、意志は人間と同じなのかも知れない。でも思考能力に大きな差があるので、どうしても人間に追いつくことができない。突然の判断力には欠けるし、善悪の考えはあっても、それをいかに自分で利用すればいいのかっていうのは分からない」
と言って、少し寂しそうな顔をした。
「でも、人間だって善悪の考えは分かっていたとしても、悪人と呼ばれる人は後を絶えないのよ。それを思うと人間も同じようなものなんじゃないかしら?」
とあすながいうと、
「そうかも知れないね。でも僕は自分の思考をロボットだとは思っていない。なぜならあすなさんによって成長させてもらっているからね。僕はあすなさんと恋愛を続けながら、もっともっと成長して人間に近づきたいって思っているんだ」
綾香が教えてくれたこのゲーム、ここまで医師や感情が人間に近く作られているなどと思いもしなかった。それよりも思考能力に人間との差というのを聞かされた時、以前小説で読んだ、
「ロボットや人工知能における『フレーム問題』」
を思い出した。
あの時は理論的に理解しようとして、理解することへの限界のようなものを感じていたが、今こうやって克幸と話をしていると、
――限界を作っていたのは、私だけなのかも知れない――
と思うようになっていた。
あすなは。このゲームを通してまだ経験したことのない母性本能という意識を経験することができた。
さらに、人間の発想の限界ともいえる「フレーム問題」を、どうやら克幸はその解決方法の糸口を知っているような口ぶりだ。
――このゲームを完走すれば、私はフレーム問題に対して一つの結論を得ることができるのかしら?
と思うようになった。
フレーム問題というのは、きっと一つのことを解決しても、ほんの少しでも綻びがあれば、そこからさらなる問題が生じ、まるでモグラ叩きのように、キリのない状態を演出することになるのではないかと思っている。
――克幸を信用してしまっていいのだろうか?
という思いもあすなにはあった。
しょせんは、ゲームの中の登場人物、リアルとバーチャルでは、どう考えてもリアルが優先されるべきである。
――リアルあってのバーチャル――
そんなことは分かっている。
分かっているがあすなにはその言葉だけで片づけられるものではないような気がしていた。
ただ、あすなは彼が自分の中でフレーム問題を意識し、人間には絶対に適わないという自覚を持っているのを感じた。その感覚はあすなにとって彼に対しての印象を変えるものではなく、むしろ彼の中に、
「人間臭さ」
を感じた。
一見、謙虚に見えるが、フレーム問題を抱えていて、他の部分は人間と同じということは、今開発されているどのロボットよりも優秀だということだ。だが、それがリアルに開発されないのも、このフレーム問題が絡んでいるからであって、これが解決しなければ、リアルでの開発は無理なのだ。
実際に攻撃してこずに、直接的に人間に危害を加えることのないゲームだからこそ、実現するものである。
――まさか、これって科学者の実験の一環なのかも知れない――
とあすなはそんなことをふと感じた。
すぐに打ち消されたが、どうやらこの思いは、
「当たらずとも遠からじ」
で、十分に的を得ているものだった。
あすなは実験であっても、それはそれでいいと思っていた。克幸が自分のものになったのであって、自分が育てたという自負もある。ただ、自分が育てた子供をリアルな映像にしかたらと言って、急に恋愛感情が持ているかと言うと、どうにも疑問があった。
だが、ここまで気持ちが通じ合っている会話ができてしまうと、もはやそれは自分の子供ではなく、
「恋愛対象を持った相手だ」
と言ってもいいと思った。
あすなは克幸の顔を直視できないでいた。そこには二つの理由があり、一つは、
「相手にすべてを見透かされていることで目を見るのが怖い」
という思いと、
「この前まで子供だったはずのこの人、いくらリアルな映像になったからと言って、懐かしさを感じさせるというのはどういうことなのか?」
という思いがあったからである。
後者はあすなが直感で感じたことであり、前者は話をしていて徐々に感じてきたことである。
どっちの方が強いのかというと、
「印象的な強さは前者であり、余韻を残すような徐々に襲ってくる意識は後者」
と思った。
そこに矛盾があるのは十分に感じていたが、あすなは克幸を育てるために始めたこのゲームへの思い入れが、最初の頃と変わっていくことを感じながら、どのように変わっていったのかを、感じようとはしなかった。
それは感じることへの恐怖があったからで、せっかく素直な気持ちで子供を育てるというバーチャルな経験をしているのに、邪念を持ちたくなかったというのが本音だったに違いない。
「あすなさんは僕を好きになってくれているのかな?」
と克幸は言った。
「ええ、好きになっているわ。あなたには分かっているんじゃないの?」
というと、
「それは分かるんだけど、あすなさんは一方通行に感じられて、それは謙虚さから来ているような気がするんだ」
「というと?」
「どうしても母性本能が邪魔をするのかも知れないんだけど、僕に好きになってもらいたいという気概を感じないんだ。それはそれでもいいと思うんだけど、僕には少し寂しい気がするんだ」
彼はあすなが懐かしさを感じていることを分かっていないようだ。
あすなが彼に自分を好きになってほしいと思わない感覚は、この懐かしいと感じた思いを、消したくないという感情から来ているものだったのだ。
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