敗走開始

 冬は嫌いだ。底冷えするような寒さのせいで作物はろくに育たないし、火薬も湿ってしまえば使えなくなる。


 冬は何を生むでもなく、ただ奪い続ける。春山小隊所属の柴田一は鼻をこすって、それから、すんすんと匂いを嗅いだ。


 


「おう、首尾はどうだい?」


 


「小隊長殿」


 


 春山カツキががさがさと腰辺りまで生えている雑草をかき分け、柴田のそばまで近付いてきた。恐らく、大休止の終わりを告げに来たのだろう。


 


「ダメですな……獣人にこの寒さはキます。鼻は使えんでしょう」


 


「だろうな……魔導兵曰く、動体感知をした所、前方5里先に敵の騎兵だそうだ」


 


「な…!」


 


 もうそこまで、とは言えなかった。あり得る話ではあったのだ。我軍は撤退に際して、敵の歩兵銃の銃声を聞いただけで、歩兵以外の兵科の敵兵が居るかどうかの確認などしていない。なればこそ、敵は歩兵のみであるなどと、断言はできなかった。


 現状はよろしくない。我軍後方にはほぼ確実に追撃している敵軍がいるし、前方には敵の騎兵―――騎兵の規模がどうあれ、おそらく敵軍本体から切り分けられた斥候のようなもの。ならば、奴らの通った道を敵の本隊が通ってくる可能性は十二分にある。そうなれば、今度こそこの敗残兵の集まりは包囲されて終わりだった。


 


「斥候、ですか?」


 


「あぁ、そうだろう。大休止があと一時間もせんうちに終わる。連中の通過を待って、急いで走り抜けるそうだ」


 


「落伍者が増えますな」


 


「だろうな。大隊長殿は兵の疲労と行軍速度を鑑みて二個中隊相当の重臼砲も破壊されたそうだ」


 


「破壊ですか……他に、やりようはなかったのでしょうな」


 


「あぁ。後方の敵軍がどんなものかは知らんが、このままじゃどの道のたれ死んじまうからなァ」


 


「大隊長殿は……」


 


 ―――大隊長殿は、この戦争をどの様なものになると、お考えなのでしょうか。


 柴田の口から出たのはそんな言葉だった。柴田にとって、祖国が戦争に負けようが勝とうが、己とその家族が生きて、普通の生活を営めるならばそれで構わない。この戦争がどうなろうがどうでもいいが、不思議とあの大隊長がどう考えているのか気になった。


 


「あの人は―――あいつは、昔から卑屈な奴でな」


 


「はぁ」


 


「自分のことを"卑屈で卑怯で自己中心的な下郎"とか言っていたよ。獣人差別なんてしなかったし、自分が気に入らないことは気に入らないと言ってた」


 


 ―――俺には、どうして自分を下郎と蔑むのか分からんがね。


 春山はそう言うと、通信魔導兵の元へと歩いて行ってしまった。柴田には、その発言の意味が分からなかったが、大隊長がもし、この戦争が気に入らないと一言いえば、この状況もひっくり返ってしまうような気がした。


 


 


 


 ウィリアム・ウェイン・ケリー少佐は自身の愛馬に跨りながら思慮にふけっていた。故国のフューツェンラーは、何故マルフォースへ外交的な内政干渉を行ったのか。


 結果として此度の春乃宮皇国と戦争が始まった。本土の国王陛下も無用な血を流すのは望まれていないはずだろうに。


 


「国王陛下は……何をお考えなのだろうな」


 


「さぁ、小官にはとんとわかりませぬが、きっと何かお考えあっての事なのでしょう」


 


 彼の属する騎兵大隊はもうあといくつかの騎兵大隊と共に、敗走した春乃宮皇国兵を包み込む形で迂回軌道を取った。この後、彼らはそのまま春乃宮皇国との国境に沿って簡易ながらも本軍到着まで前線を構築する予定であった。


 先の会戦で敵師団は成すすべなく我軍航空戦力により無力化された。何より、その後の歩兵による効力射が敵軍が瓦解した大きな要因であった。


 敵兵におけるフューツェンラー王国の軍事力とは、前時代的思想に囚われている後進国家であった。それは全くの事実で、半年ほど前まで、フューツェンラー王国は未だに前装式のマスケット銃を主力歩兵銃として利用しているほどであった。


 だが、隣国であるハインリツ王国が何を理由にしたのか、ボルトアクションの機構が使われた後装式歩兵銃の技術と機材を提供し、たった半月でフューツェンラーの軍事力は大きな発展を遂げていた。


 


「このまま何事もなく終わればいいのだがな……」


 


「ですなぁ! このまま終われば我々は多額の賠償金を得ることもできますからな!」


 


 果たして、ウィリアムの心の霧は晴れることなく、愛馬はその足を止めることはなかった。


 


 


 


 我軍の士気は意気軒昂、とまではいかずとも、ある程度はマシになってきたと言えるだろう。


 先程の報告を伝えてもなお、士気の著しい低下がみられないのは、兵が諦めているからなのか、あるいは覚悟をしたからなのか。


 およそ二十分ほど前再びやって来た通信魔導兵は、欠片の感情もありはせぬ、といった声色で、我軍が包囲されたことを知らせた。同時に、前方一里の辺りに、敵大隊の本部があることも。


 


「さて、辺り一面には敵。眼前には敵の神経、とくればやる事は決まっているか」


 


 目の前の春山が問いかけた。「何だ?」


 


「中央突破だ。眼前の敵大隊本部を奇襲し、敵指揮系統を麻痺させる。その間に我々は本土へと逃げ帰る」


 


「なるほど、そいつは何というか、あれだなぁ、素早く力強くやらねばな」


 


「あぁ、その通りだとも。素早く、力強く。乱世の武士のようにやろうじゃないか」


 


 


 


 世界暦396年12月12日 9:40 春山率いる敗走中の大隊が奇襲作戦を立案する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

戦火の灯 @kai569

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ