第3話 ゴーストライター

 敦子は喫茶店を出てからしばらくして、いつもの国道に差し掛かった。そろそろ通勤ラッシュもピークに達する時間で、その日は喫茶店に寄ったことにより、普段よりも少し遅い時間に差し掛かることになった。

 時間にして十分ほどの違いであろうか。その十分の違いが明らかにいつもよりも交通量の多さを示していた。ほとんどの車は前に進んでいないように思えるくらいで、アイドリングのエンジンの音だけが響いているように感じた。

 風はなかったが、最初、アイドリングだけしか聞こえていないかのようい思えていた国道から、喧騒とした雰囲気が感じられ、気のせいか、なかったはずの風まで感じるようになっていた。

 敦子は歩道を急ぐように歩いていたが、まわりを見ると自分よりも足早な人が多いことに敦子は違和感を感じていた。

――どうして?

 という思いが敦子の関心を歩道の人たちに一気に向けることになった。

 どうしてもくそもない、皆コートやマフラーで顔を覆うようにしながら足早に歩いていた。敦子が感じているよりも風の勢いは結構あるようで、足早に通り過ぎないと、たまらないと思っている人が多いに違いない。

 自分は別に波に乗る必要がないと思ったので、他の歩行者を意識する必要などサラサラないはずなのに、どうしても気になってしまう。その理由は車道の喧騒とした雰囲気と、歩道をせわしなく歩いているくせに喧騒とした雰囲気を感じることのできない左右の矛盾した光景に戸惑いを感じたからだろう。

――歩行者のほとんどが無表情で、感情の欠片も感じられずに歩いているのも、私と同じような感覚を持っているからなんじゃないかしら?

 と敦子は思った。

 この道は毎日歩いている道で、いつもよりも若干遅いだけではないか。確かに毎日ここを差し掛かる時間に、誤差があったとしても、前後数分でしかない。だから十分と言えどもかなり遅い時間に感じられてしまうのを思うと、やはり無意識ではあるが、まったくここが自分の知っている場所とは違っているという錯覚に陥ったとしても、それは仕方のないことなのかも知れない。

 前を向くと、自分の後ろから左側を予測もせずに通り越す姿が現れる。

――相手は私のことなんか気にしていないんだわ――

 敦子だって、人よりも歩くスピードは速いと思っている。

 だから、人を追い越すことは日常茶飯事だ。そんな状態で追い越した人をいちいち気にするなどということはあるはずもなく、後ろを振り返ることもあるはずがなかった。

 だが、まったく意識をしていないというわけではない。

――追い越した人がムッとして、自分に襲い掛かってくるかも知れない――

 と感じたこともあった。

 被害妄想にしか過ぎないのだが、そんな錯覚に陥るということは、それだけ自分が精神的に弱っている時なのかも知れないとも思ったが、逆に順風満帆の時にも似たようなことを感じることがあった。

 あまりにもやることなすことがうまくいってくると、歯車がカチッと嵌っていて、少しのずれもないことを感じさせる。だが、永遠に歯車が噛み合っているわけではなく、いつかは歯車が狂う時がくるだろう。

 それがかなり経ってからなのか、それとも、これを考えている次の瞬間なのか分からない。将来が分からないという不安に駆られる。

「百里の道は九十九里を半ばとす」

 という言葉もあるではないか。

 少し的外れな発想なのかも知れないが、自分がどこにいるか分かっているつもりの時でも錯覚があるのだから、分かっていない時というのは、ずっと不安が付きまとう。不安が解消される時があるとすれば、図らずも歯車が狂ってしまった時であろう。そう思うと人の不安というのは、皮肉な考えから成り立っているのかも知れない。

 その日はいつもと違い、自分が追い越される番だった。追い越している時は、追い越される人がムッとするだろうと思っていたが、追い越される立場になってみると、それほどのことはなかった。

 初めての感覚だというのもあるかも知れないが、それだけではないだろう。いつもと違う感覚は、却ってそれを意識させる。だから過去に相手に感じた思いが余計に自分の中で強くなり、

――あの時に感じた思いになってみよう――

 という思いに駆られたとしても無理もないことだ。

 むしろ、そんな感覚に陥る方が自然なのかも知れない。人が何かを感じる時というのは、初めてのことであっても、過去にあった似たような感覚を類似して想像するものである。だから自分の過去を探そうとする作業が入る。過去を振り返るというのは、ある意味無意識の本能に近い行動なのかも知れない。

 敦子の横を通り過ぎていった人の背中を凝視してみた。その人がビクッとしたのを感じたが、

――私の視線に気づいたのかしら?

 と感じたが、一瞬だけだったので、その意識が錯覚によるものなのか、自分でもよく分からなかった。

 だが、ビクッとしたのは敦子のせいではないということに次の瞬間に分かった。どうやらその人には連れがいるようで、後ろから追いかけてきた連れから背中を軽く叩かれていた。

「そんなに急いでどうするんだよ。どうせ一時限目に間に合うわけはないだろう」

 敦子を最初に追い越して行ったのは女の子のようだった。

 後ろから追いかけてきた連れは男の子で、会話の様子からすれば、二人は大学生のようだった。

――この時間から一時間目にもう間に合わないということは、電車で通学しているに違いない――

 と敦子は思った。

 後ろから追いかけてきた男子学生は陽気な表情を彼女に見せていたが、声を掛けられた当人である彼女の方は、まったくの無表情である。

「間に合わないと思うわよ。私も一時限目に出る気はないのよ」

 と無表情でそう言った。

――この子、感情が死滅しているんじゃないかしら?

 と感じ、その顔を見たが、確かにまったくの無表情で、声のトーンも抑揚も感じることができなかった。

 そんな彼女に彼は一生懸命に話しかけているようだったが、敦子にはその気持ちは分からなかった。

――私なら、お友達になろうという気はしないわ――

 と思ったが、もし二人が幼馴染だとすればどうだろう?

 幼馴染であれば、お互いの性格は熟知しているはずだ。もし彼が彼女の性格を病んでいると思っていれば、その積極性から、今までに何とかしようと思ったことだろう。それでも生まれ持った性格であればそう簡単に変わるわけもなく、この期に及んで離れることもできずに一緒にいる。

 それを腐れ縁と思うか、それとも幼馴染というのが親友とはまた違った強い絆で結ばれている関係だということを納得したうえで付き合っていると思うのかのどちらかなのではないかと敦子は感じた。

 敦子には幼馴染がいるわけではなかった。高校生の頃までは幼馴染と言えるような人もいたが、大学に入った時には、その人ともなかなか連絡が取れなくなり、大学というこれまでに味わったことのない環境にドップリと嵌ってしまった敦子には、もう高校時代以前の自分を顧みることは愚であるとしか思えなかった。

 そんな思いもあり、大学に入学した時から、高校以前の記憶を、

「遠い過去」

 として封印してしまった。

 そのせいか、大学に入ってからも無意識にであるが、高校時代以前のことを思い出すことがあったが、その時にいつも時系列が崩壊しているのを感じていた。

 あまりにも遠い過去として封印してしまったことで自分の過去が忘却の彼方に放たれてしまったという意識の表れなのかも知れない。

 そんなことを思っていると、またしても無意識のうちに過去の自分が現れてきた。

 さっきの喫茶店では中学時代の意識があったが、今度はいつの頃のことだろう。

 感情が死滅している女の子を見た時、

――私の過去の友人にも似たような子がいたわ――

 ということを思い出した。

 それがどんな子だったのか詳しいことは覚えていなかった。やはり過去というのは、忘却の彼方に放たれてしまったに違いないと思うと、逆に意地でも思い出したくなってしまうのは皮肉なことではないだろうか。

 その子のことを思い出そうとすると、そんな彼女にもまわりにいつも人がいたような気がしてきて、思わず自分の記憶を疑いたくなってきた。

――あんなに感情が死滅しているのに、そんな人に他人が寄ってくるなんて、考えにくいはずなんだけどな――

 と思った。

 しかも、次第に思い出してきた彼女のまわりにいた人は、結構賑やかな人が多かった。個性が強いと言った方がいいかも知れない。

 いつも三人でつるんでいたが、そのうちの一人は、いつもバカなことばかりを言っている人で、どうでもいいようなことをさも重要な話のように切り出す。他の二人もよく分かっていて、もう一人の女の子は、鋭い突っ込みを入れて、その突っ込みがあまりにも的を得ているので、誰も三人のことを知らない人が聞いても、思わず吹き出してしまうほどだった。

 彼女の突っ込みは言葉だけでなく、タイミングも言葉の抑揚も、さらにはその表情も実にタイムリーで、最初にバカなことを口にした彼女のことよりも突っ込みを入れた彼女のことの方が、人によっては印象に残ったかも知れない。

――このバカなことをいう女の子は、一見輪の中心にいるようだけど、本当のリーダーは突っ込みを入れている彼女なのかも知れない――

 とも感じるほどだった。

 感情が死滅している彼女も、その突っ込みに対して一言いう。しかもそれが最初に入れたもう一人の女の子の突っ込みにとどめを刺すようなもので、それが彼女の役割なのではないかと思えるほどだった。

 だが、彼女はあくまでも脇役であり、他の二人ほど目立つことはないのだが、その一言があったため、彼女の存在感は、三人の中では一番に感じられた。

 三人が三人のそれぞれの役割があって、それをしっかりこなしている。もちろん意識しているわけではないのだろうが、逆に意識してできることではないと敦子は感じるのだった。

 隣を通り過ぎていった女の子は、その時の感情が死滅した女の子のように思ったが、その子はまだ高校生のようだった。敦子が意識した頃の彼女が、まるでデジャブのようにすぐそばにいる。思わず自分が高校時代に戻ってしまった感覚に襲われたとしても無理もないことであろう。

 先ほど、道路を見て、車がまったく進んでいないのを見て、

――まるで時間が止まってしまったような気がする――

 と感じたが、それと同じ感覚を、感情が死滅した彼女に感じた。

 デジャブは、高校時代からのデジャブでもあり、今この瞬間のデジャブでもあった。

――ひょっとしてデジャブを感じる時というのは、二つのデジャブが融合しないと、意識できないものなんじゃないかしら?

 と感じた。

 今までにデジャブを感じたことは何度かあったが、その都度、

――あっ、デジャブだ――

 とは感じるが、次の瞬間に、感じたデジャブが何に対してなのか、曖昧な気持ちになる。

 そして、そのまま忘れてしまうのだった。

――これって?

 そう、意識はするがすぐに忘れてしまうというのは、

「夢を見たはずなんだけど、目が覚めるにしたがって忘れてしまう」

 という、普段から感じているどうしようもない感覚に似ているのではないだろうか。

 デジャブというものは、どういうことなのか、科学的には証明されていないと聞いたことがあるが、本当のところはどうなのだろう?

 敦子が感じているデジャブというのは、

「辻褄合わせではないか」

 と感じるおのだった。

「デジャブというのは、初めて見たり聞いたりしたはずのことなのに、過去にも同じような経験があったということをいきなり思い出すことだ」

 と敦子は感じていた。

 絵で見たり、人から聞いたりした話がまるで自分が経験したことがあることでもあるかのような錯覚をするということは、きっとその場面では自分が経験したことでなければ説明のつかないことを思いついたからではないかと思う。それを正当化するため、自分では経験していないにも関わらず、経験をしたかのような錯覚という辻褄合わせで、自分の正当性を証明しようとしていると思うと、デジャブが一瞬だけのことであるということも説明がつくような気がした。

 彼女たち三人のグループも、それぞれまったく性格が違うのに、それが歯車となってうまく噛み合っていくというおかしな現象を生むことが、敦子の中で何とかつじつまを合わせようと、デジャブを呼び起こしたのかも知れない。そう思って前を見ると、さっきの過剰が死滅した女の子も、後ろから声を掛けてきた人の姿も消えていた。

「本当にデジャブが見せた幻影だったのかしら?」

 と感じたのだ。

 ふと敦子は視線を道路に向けた。道は相変わらず混んでいて、向こうの歩道を確認するのも難しいくらいだった。歩道をせわしなく歩いている人は見かけるが、こちら側と比べると、さすがに人の数は少なかった。

 駅への方向とは逆だし、あちらにあるのは、学校かあるいはどこかの工場くらいだった。よく見てみると制服を着た女の子が何人か集団で歩いているのが見えるくらいだった。

 向こうの歩道を気にしているのがどれくらいの時間だったのか、さほど長かったようには思えなかった。敦子は視線を元に戻すと、さっきまで目の前を歩いていたはずの彼女たちが視界川消えてしまっているのを感じ、

――あれ? どこに行ってしまったのかな?

 と感じた。

 この歩道から横道に逸れる場所は、自分が目を離している間にはないはずだった。幻を見たという意識もないし、何か不可思議な感覚になったが、不思議と恐怖がこみあげてこない自分を感じた。

 だが、その思いは言葉にすると、

「不思議と」

 という前提で話をしたが、実際にはそれほど不思議な感覚に陥っているわけではない。

 どちらかというと、

「受け入れることのできる不思議さ」

 であって、言葉では不思議という言葉をつけることができても、心の中ではさほどではないと思うのは、

――自分も感情が死滅しかかっているからなのではないか?

 と思うようになった。

 最近の敦子は、自分に欲がなくなってきているような気がしていた。

 まだまだ二十歳代もこれからだというのに、どうしたことなのだろうか?

 これまでが欲望の塊りだったのかも知れないとも思ったが、振り返ってみるとそこまでのことはない。

 一時期、欲のために溜まらない気分になることもあったが、それは敦子だけのものではなく、誰にでも経験のあることだと思っていた。

 欲というと、食欲、性欲、征服欲、出世欲など、目に見えているものもあれば、本能で感じるものもある。そして、目標とするような今は目に見えないが、目指していくうちにハッキリとしてくる欲もある。唐突な欲、長い目で見る欲、敦子には欲について考えることが、今までにも結構あった。

 特に減退してきたと思う欲は、食欲だった。二十代というと、それこそ一番食べる時期で、ダイエットを気にすることとのジレンマで、食欲を抑えることを課題にしているくらいなのに、最初から食欲が失せてしまうというのも、どうしたものか?

 確かにお腹は減っていた。テレビでおいしそうなグルメ番組などをやっていると、食べたくて仕方がなくなる。しかし、それが長く続くということはなく、わりとあっという間に食べようという気がなくなってしまっていた。

――見ただけで食べた気になるからなのかしら?

 自分でも理屈が分からない。

 確かに最初に溜まらないほど食べたいと思った感覚が、

「食べたいんだけど、食べたからと言って、満足できる感覚がない」

 と思った。

 では食欲というのは、空腹感を満たすだけでなく、満腹になった時に、

「幸せだ」

 という満足感に浸ることができなければ、欲求を満たしたということにはならないのではないかと思った。

 実際にしばらくしてからおいしいものを食べたあとのことを想像してみたが、どうにも満足感に至るまでには程遠い感覚しかこみあげてこないのだった。

 敦子は焼き肉や鍋などが好きだった。未成年の頃は焼き魚や寿司、刺身のようなものも好きだったが、二十歳を過ぎると、魚料理よりも肉料理の方が好きになり、よく会社の同僚と焼き肉屋に出かけたものだ。

 敦子は、いわゆる

「一人焼肉」

 も平気だった。

 むしろ、食事には一人で行く方が多くなってきた。別に仲間とわいわいするのが嫌いだというわけではないが、純粋に食事を楽しむという感覚はやはり一人で出かける方がいいと思ったからだ。自分のペースで味わうことができ、気を遣うこともなく過ごせる時間が一番欲と向き合うにはいいような気がしているのだ。

 最近食欲が湧かなくなってきた理由も、何となくであるが分かっているような気がする。いわゆる、

「飽和状態」

 になっているのだ。

 お腹が減ってからすぐに食べるのであれば、身体が一番欲している時間なので、食欲を最大限に感じることができ、歓喜を満足を一緒に味わうことができるだろう。しかし、少しでも時間が経ってしまうと、錯覚として食べてもいないのに、食べているような気になってくる。そうでもしないと欲求が満たされないと思うからなのかも知れない。だから、よく言われることで、

「お腹が減りすぎて、それを通り越してしまうと、今度は食べたくなくなってくるんだよね」

 という言葉に結び付いてくるのだ。

 しかも、その間に身体が空腹に慣れてくる。空腹のためにお腹が鳴ったり、胃が痛くなってくるのは、欲求を満たしたいという思いからなのだろうが、慣れてくるということはその欲求を無意識の中で満たそうとしているからだろう。だからお腹が減っているのに、すでに空腹感がなくなってくるような思いになるのではないだろうか。

 満たされなくても、満たされたような気分になると、欲求への不満から逃れることができるのである。

 以前笑い話で、

「サンマを焼いているところに茶碗一杯のご飯と、箸を持っていき、匂いを嗅いでご飯を食べるだけで、サンマを食したような気分になり、空腹が満たされる」

 というのを聞いたことがあったが、これがまさにそんな感覚だと言っても過言ではないだろう。

 それがさっき言葉にした、

「飽和状態」

 というものである。

 欲求を満たそうとするのも一種の欲求であり、それが交互に補っていくことで、満たされる欲求もあるのではないだろうか。

 しかし、そうなってくると。せっかくの欲というものが欲ではなくなってくる気がする。人間は欲望があるから頑張れるのだろうし、欲望を簡単に達成できてしまうと、

「では、その後どうすればいい?」

 という発想になる。

 欲であっても、目標であっても、達成してしまうと、すぐに次の目標を立てることが簡単にできるであろうか? 特に欲というものは、そう簡単なものではない。それを考える上での欲というと、性欲になるのではないだろうか。

 人間には性欲というものがある。特に成長期から始まって、中年、初老になるまでその勢いは衰えることなどないのではないだろうか。中には七十歳をはるかに超えても性欲に満ち溢れている人もいる。今の時代では還暦を過ぎても性欲に満ち溢れている人はかなりいるのではないだろうか。

 そもそも性欲というのは何であろうか?

 男が女を欲し、女が男を欲する。それは物理的な要因であり、理屈としては、種の保存のため、つまりは子供を作るということが根本の理由として性が存在するという考え方である。

 そのために、彼氏や彼女がほしいと思い、仲良くなると、相手を征服したいと思う。ここには征服欲のようなものも含まれていて、それが達成され、形となって現れるのが、結婚というものではないだろうか。

 しかし、結婚するカップルよりも、実際には離婚する夫婦の方が多いというアンケートも聞いたことがある。結婚してしまえば相手はいつも自分のそばにいて、自分のものだという錯覚に陥ったとしても仕方がないだろう。

 結婚したからと言って、相手のすべてが自分のものになるわけではないことは、誰もが頭では分かっているだろう。しかし、征服欲が満たされてしまったことで、相手に求めるものは、当たり前という感覚になるのだろう。

 実際に結婚してからしばらくすると、

「妻をオンナとして見ることができなくなった」

 あるいは、女性の方も、

「旦那をオトコとして感じることができなくなった」

 という人もいるだろう。

 どちらも同時にそう感じるわけではない。どちらかが最初に感じ、疑問に思うことで悩むに違いない。貞操観念がある人ほどそうだろう。

「不倫は悪いことだ」

 と頭では思っても、どうしても女として見ることができなくなった相手に性欲が湧いてくるはずもない。

 そのはけ口は他の女性に向けられるのだ。

 女性の方からすればどうだろう。結婚して家庭を持った男性が、何かを悩んでいる。独身女性であれば、そんな男性の弱い部分を見て、母性本能をくすぐられる人もいるだろう。そうなると、お互いに性に溺れる可能性も大きくなってくる。

 逆に既婚者の女性で、夫をオトコとして見ることができなくなった人は、弱って見える「他人の旦那」

 が、いとおしく感じられるかも知れない。

 それは、結婚する時に感じた夫に対してのものであったり、初めて感じることであれば、自分の悩みを解消してくれる新鮮なものであったりもするだろう。

 そういう意味で、不倫が横行するのも無理のないことに思う。決して不倫を奨励しているわけでも賛成しているわけでもないが、これも性欲があるからだと思えば、しかたのないことなのかも知れないとも思う。

 だが、考えてみれば、これも元々、征服欲が満たされたことで性欲が減退したことから始まったことだ。征服欲というものの正体が、食欲でいうところの、

「飽和状態」

 と考えることができないだろうか。

 敦子は、今までに何人かの男性と付き合ったことがあった。そのほとんどの男性と男女の関係になったのだが、中には男女の関係になってしまったことで別れに繋がったこともあった。

 別れを切り出したのは相手の方からだった。

「俺たち、別れよう」

 というあまりにも唐突の話に、

「えっ、何を言ってるの?」

 と露骨に慌てる素振りを見せた敦子だったが、それはわざとではなく、あまりにも唐突すぎて頭の中がパニックになり、恐怖が襲ってきたからだった。

――この人一体何を考えているんだろう?

 それまでは、順調にそして確実に仲良くなってきたはずだった。どこにも落ち度はなく、付き合い始めたことも自然だったし、身体を重ねたのも、自然な行動だったはずだ。

 あまりにも順風満帆で、怖いくらいだと思っていたが、まさかこんなにすぐにその悪い予感が的中するなど思ってもみなかった。

「怖いくらい」

 の、

「くらい」

 という言葉は、本当に額面通りのもので、ただお言葉のアヤにしか過ぎなかった。

 それなのに、ほぼないはずの可能性の間隙を縫うような発言に恐怖以外の何物も感じることはできないはずだ。

 だが、実際に離婚という言葉を言われると、最初はそれほどでもなかったのだが、次第に現実味を帯びてくる。相手に対して気持ちが冷めてきたのもあるだろう。

――私はどうしてこんな人と結婚なんかしようと思ったのだろう

 と考えてしまった。

 結婚は別にセックスだけが目的ではない。一緒にいて楽しいという思いであったり、頼りになるという思いから、

――この人となら、一生一緒にいてもいい――

 と感じることで、結婚に踏み切るはずだからだ。

 それなのに、セックス事情だけで離婚を考えるなんて、あまりにも自分のことを舐めていると感じてしまい、

――それならこっちにだって考えがある――

 とばかりに、もう二度と気持ちhが戻らない覚悟さえすればいいだけのことだった。

 敦子は結婚したことはないが、こういう気持ちはなぜか容易に想像がついたのである。

――離婚なんて、どうってことないわ――

 実際に、結婚するカップルよりも離婚する夫婦の方が多いという話もある。別に恥ずかしいことではない。そう思うと、結婚ということ自体が人生の最大のイベントだなどと思った自分が情けなくなる。

「離婚は結婚の数倍エネルギーを使う」

 と言われるが、覚悟さえしてしまえば、どうってことはない。

 相手を徹底的に憎めばいいだけだからだ。

 敦子は今、結婚を考えている相手がいるというわけではない。お付き合いという形で他人に紹介できる人がいるわけでもない。毎日を単純に終わらせようと思わないようにはしているは、どうしても毎日同じことの繰り返しになってしまう。

「それは仕方のないことだもんね」

 と自分に言い聞かせていたが、確かにその通りで、昨日と違う今日にしたとしても、また明日は違う日にしなければいけない。

「毎日同じことの繰り返しだと成長がない」

 とよく言われるが、果たしてそうだろうか。

 同じことの繰り返しであっても、何か継続していることがあれば、それはそれでいいことなのではないだろうか。要するに言葉の使いようであり、どんなに同じことを繰り返していたとしても、それはその日その日で違うことなのは当たり前のおkとではないだろうか。

 敦子は読書を続けているが、毎日少しずつ進んでいる。ほぼ毎日のように読んでいるので、趣味としては充実していると言えるだろう。その間にいろいろなジャンルを読んでみた。ミステリーからホラー、SFもあれば恋愛小説もあった。ジャンルで分けることのできないような作家もいる。さらには同じ作家はいろいろなジャンルを書いている人もいる。敦子は読書をしながら、いろいろな作家を研究するのが好きだった。

 研究といっても、そんなに堅苦しいものではない。

「この作家は、どんなジャンルが得意で、小説にどんな特徴があるか」

 などということであり、作風から、登場人物の命名まで、いろいろな特徴を思い浮かべてみると楽しかった。

――読書には、こんな楽しみ方もあるんだ――

 と感じた。

 漠然と読んでいるだけでは感じることのない思いを自分独自に感じるというのも、趣味の醍醐味なのだろう。

 国道を歩きながらいろいろと考えていると、気が付けばだいぶ駅に近づいていた。普段から一人で歩いている時はいろいろなことを考えることが多いので、

「気が付けば」

 というのも珍しいことではない。

 だが、その日は何か不思議な感覚があった。

 歩きながら考えていることが、突飛もなくいろいろ考えているにも関わらず、思ったよりも筋道立てて考えられていることに、改めて気付かされたのだ。前を歩いている人の背中を追いかけるように歩くのもいつものことなのだが、いつもであれば、もっと目の前の人のことが鬱陶しく感じられるものであり、歩きながらでも、追い越したくなる衝動に駆られることが多かった。

 だがその日は人の流れに逆らうという感覚はなかった。いつもに比べて人の数が多いくらいなので、本当ならイライラしてもいいくらいだった。それが朝の通勤時間の喧騒であり、敦子は自分でその喧騒を煽ることが多かった。

 自分の中でだけ煽る喧騒なので、まわりを巻き込むことはないが、中には勘のいい人から見れば、

「この女、何か億劫だな」

 と思われているのではないかと思うのだった。

 そもそも被害妄想というほどではないが、急に相手の身になって自分を振り返るということがあった。いつそんな気分になるかは定かではないし、決まったシチュエーションが存在しているわけではない。

 我に返ったという気分でもない。ただ自分の中で、

――今、誰かの目になって自分を見ているんだ――

 と感じるのだ。

 そう思った時、最初は自分のまわりを見わたしてみることが多かったが、どこからの視線なのか想像もつかなかった。そもそも他人の目と言っても、どの角度から見ているものなのか分からない。ただ漠然と、

「他人の目」

 を感じるだけだった。

 他人の目も、自分が目を瞑っていて感じるものではない。自分はキチンと前を見ているのだ。だから、最初の頃はまわりを見渡してみていた自分も、今ではまわりを気にしないようにしている。その方が、視線の先が見えるような気がしたからだ。

 だが、結局まわりを意識しなくても、自分を見ている、

「もう一つの自分の目」

 を感じることはできない。

 きっと見えないものなのであろう。

 自分を見ている他人の目を感じているわけではない。もしそうであれば、その人が感じていることも一緒に分かるのでないかと思ったからだ。

 敦子にとって自分の目が表から見ているというのは、慣れてしまうと、別に戒めのようなものではなく、不定期でありながら、

――定期的なものなのかも知れない――

 と思うようになった。

 定期的と言っても時間の定期性ではない。いわゆる、

「バイオリズムの周期」

 であり、自分の中にある周期が見せるものなのであろう。

 バイオリズムもいくつかの種類があり、肉体的、精神的、いろいろある。それが接する時にどのような変化をもたらすのかは詳しくないが、自分の中に周期があるということだけは漠然と感じることができるのだった。

 まわりから見られている自分を感じることは、小学生の頃からあった。一番強かったのは中学生の頃だったような気がする。

 思春期で、見られているという意識も働いて、女の子として見られていることに恥じらいを感じるようになったからではないだろうか。

「恥じらいというものがあるから、他人を意識するのだし、他人の意識があるから、自分磨きに余念がない人が多いんだ」

 と思った。

 それに間違いはないだろう。実際に敦子にも恥じらいがあった。だが、それは他の女の子とは少し違っていたように思う。自分を綺麗に見せようとか、男の子にモテようとかいう意識ではなかった。一番強かったのは、

「自分が他の人とは違うんだ」

 という目で見られていることを意識したいという自分の思いだったに違いない。

 中学時代に好きになった男の子がいた。それまで男子を男の子として意識したことがなかったので、自分でもこの思いが何であるのか分からなかった。いわゆる初恋だったのだろう。

 その男の子は比較的モテる子だった。女の子から人気があったのは、別にイケメンというわけではなかったが、端正な顔立ちが印象的だったからだろう。

 清潔感に溢れていて、誰にでも分け隔てのない優しさが醸し出されていた。

 だが、敦子は比較的早めに彼を見限ったような気がする。

「自分は他の人とは違う」

 という意識があった敦子は、誰にでも優しい彼を見ていて、次第に気持ちが冷めてきたのを感じた。

 誰にでも優しいということは、自分に優しい分、他の人にも優しいということだ。普通なら、意地でも自分だけを見るように自分をアピールしようと思い、他の女性を敵に回すくらいの気持ちを持つものなのだろうが、敦子はそれを好まなかった。

「自分だけを好きになってくれる人」

 を地道に探す方がいいと考えたのだ。

 だが、そんなに都合のいい人が現れるわけでもない。どちらかというと他人の目には鈍感な敦子なので、本当は陰で思ってくれている人がいたとしても、それに気づかずにやり過ごしてしまったという可能性もあるだろう。そうこうしているうちに相手は違う女性を付き合い始める。それが敦子の運命なのかも知れない。

 それでもよかった。少なくとも敦子の知らないところで行われていることだからである。

「知らぬが仏」

 というが、まさにその通りである。

 敦子がそのことに気付くようになったのは大学に入ってからで、その頃から、

「過ぎてしまったことをくよくよ後悔するのはやめよう」

 と思うようになった。

 知らぬが仏ということもあるのだから、過ぎてしまったことの中には、やりようによってはうまくいったこともあったかも知れない。だが、それをいちいち気にしていては先に進むことができないと思うようになった。

 敦子は過ぎてしまった日々を後悔した時期があった。

 あれは高校生の頃だっただろうか。ちょうど思春期が終わるか終わらないかという頃だったのだが、他の人のことは分からないが、敦子には、

「思春期が終わる瞬間」

 というものが、漠然としてではあるが分かっていたのだ。

 その時になって。一つの自分の中での時代が終わりを告げると思ったことで、急に後悔の念が襲ってきたのだ。

 自分の中の節目に関しては形のあるものではないので、普通は意識しないだろう。意識するというのは、学校の入学や卒業、進学の時期などは、気分も新たに望むことがある。クラスメイトも別れてしまって、寂しいという気持ちとともに、心機一転を望んでいるのだ。

 だが、それは自分が決めたことではない。全員漏れることなく味わうことである。年上の人は通り過ぎてきた道であり、年下はこれから通り過ぎる道になるのだ。

 いわゆる他力本願には、自分の気持ちが伴うことはない。しかし、同じような道を皆が歩んでいるのだが、人それぞれで違う道というのは、あくまでも漠然としてでしか感じることはできない。それを意識して歩んでいる人がいれば、話を聞いてみたいくらいのものだった。

 思春期の終わりが何を持って終わりというのか、なかなか意識としてはあっても、言葉にできるものではない。しかし敦子はある感情があった。それが、

「自分を客観的に見ることができるようになった」

 ということであった。

 それも漠然としていた。どのように見えるのか分かったわけではない。だが、他の人の目線から見れる自分がいることに気付いてしまうと、それが思春期の終わりだという自覚があったのだ。

 見えるようになった時期と、ちょうど思春期が終わる時期が一致しただけのことなのかも知れない。しかも、

「見えるようになったから思春期が終わった」

 と思ったのか、

「思春期が終わったと思ったから、見えるようになったのか」

 と言われると、どちらなのかもよく分からなかった。

 ただ、それから不定期に人の視線で自分を見るということができるようになった。どんな時にできるのかということもハッキリとはしないし、きっかけもいつも一緒というわけではない。共通していることは、

――あっ、もうすぐ他人の目線で自分が見れるようになる――

 という前兆が訪れるということだった。

 だから自分の中で驚きのようなものがあるわけではない。

 驚いたことを封印しているつもりもないので、それが前兆となって現れるという少し時系列的に矛盾した考えが頭をよぎるのだった。

 相手の視線から自分を見るという感覚から、他人の身になって考えるというのに変化してきたと思うのだが、厳密にいうと、その二つは別にどちらかからの発展形と考えるとおかしな気もする。だから、相手の視線から自分を見るという感覚がなくなり、他人の身になって考えるというのが、その後になって出てきたと考える方が自然なのかも知れない。

 だがその日は、最初、

「他人の身になって」

 と思ったのだが、次第に、

「他人の目線で自分を見ているような気がする」

 という思いに変わっていた。

 久しぶりに感じた感覚だったが。それよりも、

――この感覚、なくなったと思っていたけど、まだあったのね。私の勘違いだったのかしら?

 と感じるようになった。

 いつもであれば、まわりを気にしないはずの敦子だったが、次第にまわりが気になり、まわりを見渡してみた。

 これまでにまわりを見なかったのは、おとぎ話や神話のように、

「見てはいけない

 と言われているものを見てしまったことで、その後主人公がどうなってしまったのかということを思い浮かべると恐ろしく感じたからだ。

 この件は、

「見てはいけない」

 というわけではないが、見てはいけないと思っているのが自分だというだけで、いわれていることに比べると、ごく小規模なものだ。

 それでも意識しないわけにはいかない。まわりを意識しないようにしようと思ったが、やはり好奇心には勝てなかった。

「見ないことで後悔するより、見てしまってから後悔する方がよほどいい」

 という考えに基づくものだが、考えてみれば、おとぎ話や神話の世界での、禁を破った理由というのは、おおよそそのあたりが要因だったのかも知れないと思うのも、無理のないことだと思った。

 そんなことを考えていると、どこからか、

「キー」

 という音がしたかと思うと、

「ガシャン」

 という何かが壊れる音がした。

 その音は金属音とガラスが割れる音を合わせたような合成音で、すぐにどこかで交通事故が起こったのだと分かった。だが、音が高音と、金属音が混ざったような音だったため、その出所がどこなのか、すぐには分からなかった。甲高い金属音であったり、デジタル音はその特性から、どこで鳴っているか分からないと言われるが、その時もそうだった。

 音があまりにも衝撃的だったことで、自分がパニックになったのかも知れない。すぐそばで聞こえたような気が一瞬だがしたことで、身体が硬直してしまって、まわりに気を配る勇気がなかったのだ。

 思わず身体を屈めてしまいそうな音が全身を包んだかと思うと、その後に起こった、

「シュー」

 という音で、煙が湧きたっているような状況が思い浮かんだ、

 恐る恐るまわりを見てみると、喧騒とした雰囲気があたりを包んでいて、皆顔色を変えて、真剣な表情で、ある一点を見つめていた。

 敦子もその視線の先に見えるものを見ていたが、そこには二台の車が出合い頭に正面衝突して、全部がまるでアコーディオンのように拉げている様子が見て取れた。そこからは煙が上がっていて、シューっという音はまさしくそこから起こったのだということを示していた。

 誰も近づこうとはしない。身体が硬直して動けない人も多いだろう。朝の通勤時間だったので、ある程度人がいるのは分かっていたが、立ち止まって振り返っている人の数は、敦子が感じていたよりもさらに多かったのにはビックリさせられた。

「あ、もしもし」

 と、一人が携帯でどこかに連絡を取っているのを見ると、急に皆我に返っていたようだが、すぐにそこから立ち去る人は誰もいなかった。

 連絡を取っているのは、どうやら消防署のようで、救急車と念のために消防車も要請したのだろう。あれだけの激突音で、その後もシューっという音が煙を噴き出しながらまわりに喧騒とした雰囲気を与えているのだから、それも当然のことである。

 救急車が来るまで、一般人が何かできるわけでもない。音がしていて煙が出ている以上、いつ爆発するか分からない状況なので、近づくわけにもいかない。ただ、車の惨状から中にいる人はとても普通ではいられないことくらいは想像がつく。それがどれほどのものなのか、想像を絶するもので、怖いもの見たさの人間でもない限り、想像することも嫌であろう。

 寒いはずの冬の朝に、背筋も凍るような戦慄的な光景が目の前で繰り広げられているのだから、さらに寒いはずなのに、身体が火照っているのを感じる冷たい風が吹き抜けているはずなのに、それも感じるわけではない。異様な感覚だった。

 そのうちに、折り重なっている惨状の中から一台の車のドアがグラグラしていた。今にも外れてしまいそうな雰囲気に、誰か気付いた人はいるだろうか。

 そのうちに、グラグラしていた扉が下に、

「ガチャン」

 という音を立てて崩れ落ちた。

 その音は、文字にできないような鈍長な音で、重厚な雰囲気だった。下手に甲高い音よりも身体に響き、ドキッとした人も少なくないに違いない。

 開いた扉の向こうで、運転手と思える人が、ハンドルと座席の間に挟まれて、窮屈な姿を見せていた。歪に歪んだ身体は、

――これじゃあ、生きているわけはないか――

 と思うほど、普通の人間であれば、痛くて耐えられないような歪な姿を見せていた。

 顔は向こうを向いているので、その形相は分からないが、きっと断末魔に歪んでいるに違いない。

――想像したくない――

 という気持ちを裏腹に、見てみたいという不謹慎な気持ちがあるのも事実で、恐る恐る近づきかけたが、

「危ない、近づかない方がいい」

 という男性の声で我に返った敦子は、その場で立ちすくんだ。

「ありがとうございます」

 と、その人に声を掛けたが、彼は頷くだけで、それ以上何も言わなかった。

 表情は誰もが同じ、真剣で何かにとりつかれたような表情だった。

 敦子は、危険だと思っていたのに、どうして吸い寄せられるように前に進んだのかその時の心情を思い起こすことはできないが、何か見なければいけないという気持ちがあったのも事実だろう。異様な雰囲気の中で運転席の惨状がまるで別世界の出来事のように感じたのであろう。

 そうこうしているうちに救急車と消防車が到着した。まず消防隊員が車に恐る恐る近づき、油が漏れているわけではないことと、とりあえず爆発の危険がないことを救急隊員に命じると、消防隊員は、救助しやすいように、車の扉をこじ開けたりしながら、無線で本部に連絡を取っているようだった。

 消防隊員がこじ開けてくれたところに身体を入れるようにして、今度は消防隊員が車の中の人を救助する。

「大丈夫ですか?」

 比較的大きな声を出して語り掛けている。

 一人はその声に反応しているようで、腕を上げようとしているが、

「分かったら、腕を上げてみてください」

 とでも救急隊員に言われたのであろう。

 消防隊員は手際よく担架にけが人を乗せ、点滴を施しながら、救急車に乗せていった。

 二台の車には、それぞれ運転手しか乗っていなかったらしく、一人は虫の息だが、もう一人はどうやら助からなかったようだ。ドアが外れて運転手の姿が見えたその運転手である。

 一人のけが人を載せて救急車は甲高いサイレンの音をけたたましく鳴らしながら、朝の喧騒とした道を走り去っていた。

――いつ聞いても嫌な音だわ――

 と救急車のサイレンの音に嫌悪を感じながら、さっきの事故が起こった瞬間を思い出していた。

 ハッキリと見たわけでもなく、気が付けな惨状が目の前に広がっていたので、思い返したとしても、思い出すことというと、限定的なものになるはずなのだが、思い出されたことはある程度完璧な状況だった。

――記憶とドラマなどで見た光景が交錯しているのかしら?

 と感じさせたが、これがこのままその時の記憶として格納されてしまうのは、どうにも嫌な気がしていた。

 救急隊員が救助を続けている間に警察の到着したようで、パトカーから降りてきた二人の制服警官から、近くにいた人に状況を聞いているようだった。

「ガチャンという音がして、そっちを振り返ると、車が折り重なるようにぶつかっていて、シューっという音がしていたので、爆発するんじゃないかという思いもあったので、怖くて足が竦んで、その場から動くことができなかったんです」

 と、一人のサラリーマンが話していた。

 すぐそばにいる一人のOLと思しき人も、しきりに、

「うんうん」

 と無言で頷いていて、自分が聞かれる前に態度を示すことで、

――どうせ同じことしか言わないんだ――

 と警官に思い込ませることで自分が聞かれることはないと思ったのだろう。

 だが、警察官は容赦はなかった。

「少しいいですか?」

 と言って、彼女にも同じ質問をしていた。

 彼女も、

「今の人とほとんど一緒なんですけど」

 と前置きをした上で、やはり似たような話を繰り返しているだけだった。

 ただこれで一つ言えることは、

「一番近くで見ていた人が、事故の現場をしっかりと直視できていたわけではない」

 ということである。

 ひょっとすると適度な距離があった方がよく見えていたかも知れない。遠いということはそれだけ視野が大きいわけで、実際の現場は目の前のごく一部に過ぎない。だからこそ、遠くではあるが、視界に収めるという観点からは、よく見えていたのかも知れない。

 警官はそのことに気付かないのか、近くにいた人数人に話を聞いたが、誰もが同じ答えしかしない。さすがに埒が明かないと思ったのか、警官もそれ以上、現場の状況を聞くのをやめたようだ。

 その間にけが人は車から出され、担架に乗せられ、救急車に運ばれた。けたたましいサイレンと音とともに走りすぎる救急車を見ていると、その姿は見えなくなるまで目で追ってしまっている自分に気が付いた。

――こんな光景をいきなり朝から見るなんて――

 と思いながら、その日がろくでもない日になるかも知れないと思うと、憂鬱な気分になっていくのを感じた。

 だが敦子はもう一つのモヤモヤした感覚が頭の中にあったことに気付いていた。

――これって、本当に初めて見る光景なのかしら?

 以前にもどこかで見たことがあったような気がしていたが、それがデジャブではないかと思った。

 しかし、デジャブであれば、デジャブを見させる何か元になるものがあってしかるべきなのだが、記憶の中にそんなものがあるという意識がまったくない。

 デジャブを感じれば、少し時間をかけて思い出すことで、少しでもその片鱗を思い出せるはずなのに、今回はまったく思い出せないことで、余計に気持ち悪かった。

 あまりにも光景がすさまじいまでの惨状だったことで、記憶がパニックになっているに違いなかった。

「どうして、こんなにひどい惨状を、過去に感じたなどと思ったのだろう?」

 もしそう思うのであれば、三条に気付いた時に分かりそうなものだ。

「待てよ」

 確か、すぐに何かが起こったことに気付きはしたが、それがどこで起こったことなのか、すぐに限定することはできなかった。音が錯覚を覚えさせたのかも知れない、

 しかし、起こった場所を確定するよりも先に、その惨状が交通事故であると自分の中で確定させた気がした。確かに国道という場所での鈍い金属音がしたのだから、当然事故を最初に想像するのも無理のないことだ。

 だが、事故だと断定するだけのことはできないはずだ。交通事故以外に、近くの建物で、崩落事故のようなものが起こったとは考えられないだろうか。

 考えられないことはないはずだ。それなのに交通事故と信じて疑わなかった自分に、違和感はなかったことが今となって考えれば、それが「違和感」だったのかも知れない。

 救急車と消防車が走り去り、残ったのは警官による事情聴取だった。敦子も一応簡単ではあるが聞かれた。もちろん答えられることは他の人が示したこと以上でも以下でもない。聴取はすぐに終わった。

――このまま会社に行っても、仕事にならないかも知れないわ――

 と感じたので、会社に連絡を入れ、

「出勤途中に交通事故を目撃したので、その聴取もあって、少し遅れます」

 と伝えた。

 電話に出た会社の事務員は、

「そう、それは大変ね。あなたにけがはないの?」

 と聞かれ、

「ええ、私は大丈夫です。少し遅れますが、申し訳ありません。よろしくお願いします」

 と言って電話を切った。

 相手にも敦子の声の震えは伝わっていることだろう。なるべく震えを抑えるようにして声を発したつもりだったが、それでも声は震えていた。事故を目撃したことのショックも当然のことだが、本当はこのまま会社に遅刻せずに行っても別に問題があるわけではないのに、遅刻する旨を伝えてしまったことへの後悔の念が、敦子に震えを起こさせたのかも知れない。

 敦子は、まだ自分の足が震えているのを感じていた。まわりを見るとそれまで止まっていた時間が動き出したように、通行人が何事もなかったかのように足早に歩いている。敦子のようにその場に立ちすくんでいる人はもうおわず、まわりを見渡すと、さっきまでいた人のほとんどはその場から立ち去っているようだった。

「大丈夫ですか?」

 と、ふいに後ろから声を掛けられた。

 そこに立っていたのは一人の男性で、その人がさっきの事故現場にいなかったことはチャック済みだった。

「ええ、大丈夫です」

 と言ってその顔を覗き込んだが、その顔には見覚えがあったような気がする。

「あれ?」

 最初に気付いたのは相手だった。

「敦子さんじゃないですか?」

 その声にも姿にも見覚えがあった。

「新田さん?」

「ええ、そうです。お久しぶりです」

 と言って、新田和弘は笑顔になって、再会を喜んでくれているようだった。

「今から出勤ですか?」

「ええ、まあ」

 と敦子は曖昧な返事しかすることができなかった。

「どうやら、すごいことになっているようですね」

 目の前の惨状を見て、新田はそう言った。

「ええ、でも、もうだいぶ落ち着いたみたいですね」

 と敦子がいうと、

「そのようですね」

「新田さんは、この状況をいつからご覧になっていたんですか?」

「車が衝突するところを見ましたよ」

 という意外な返事が返ってきた。

 敦子も最初からいたが、衝突する瞬間は見ていなかった。それを彼は見ていたというのだ。

「すごい衝撃だったので、ものすごい勢いで衝突したと思ったんです。実際に衝突後の様子もすさまじかったですしね」

「ええ、あの瞬間を見た人でなければ、その様子は分かりませんからね。音は聞こえたんですが、思い出しただけでもゾッとします」

「そうでしょう。見なくて正解だったかも知れませんね。トラウマになってしまうかも知れません」

「そんなにすごかったんですか?」

「ええ、僕もできれば見なければよかったと思うくらいですよ。実際に車が接触した瞬間は、まるでドラマを見ているようにスローモーションに見えた気がしたんです。それはきっとスローモーションにしないと、当たった瞬間なんて本当に何が起こったのか分からない状態ですからね。ショックだけが残ってしまう場合、そのショックがどこから来ているのか自分で納得しなければいけないでしょう。だから自分で自分を納得させるために、わざとスローモーションを演出したんだって僕は思っています:

「なるほど、その意見は分かる気がします。一瞬の出来事を整理しようと思うと、コマ送りだったりスローモーションにしないと理解できないでしょうからね」

「ええ、その通りです。前を見ているつもりで正面を見切れなかったり、見たくないものを見てしまって、目を逸らしたいのに、目を逸らすのが怖いということもありますからね。自分で納得させなければいけないことというのは、確かにあることなんでしょうね」

 そこまでいうと、二人はまた事故現場の残骸に目を移した。

「僕は今までにも何度か交通事故の場面に出くわしたことがあるんです。今回のように車同士の衝突事故だけではなく、車が人を轢くというのも見たことがあります。でも本当にすごいですよね、人間が跳ねられた瞬間に、宙に浮くんですよ。そのままボンネットで跳ね返って地面に落ちる。後は惨状が広がるというわけです」

 思い出しているのか、肩を窄めて若干震えているようにも見えた。

 だが、この震えが回想している恐怖によるものだと思っていたが、どうもそうではないようだ。何かワクワクしているようにも思えた。その証拠は彼の目がギラギラして感じられたからだ。

――この人は一体何なんだろう?

 敦子は、この新田という男に興味を持った。

――そういえば、この間この人と何かの話をしたような気がしたんだけど、ハッキリと覚えていないわ――

 またしても記憶が曖昧になっていた。初めて会ったわけではなく、会って話をしたことは覚えているのだ。

――そうだ、山田大輔の「消えていく時間」について話したような気がする――

 というところまでは思い出したが、詳しい話を思い出せるかどうか疑問だった。

「僕は、こういう情景を見ると文章に起こしてみたくなるんですよ」

 と唐突に彼は言った。

「どういうことなんですか?」

「僕は結構忘れっぽいので、覚えていたいことは文章にして残さないと記憶に残らないんです」

「それは私も同じです。すぐに忘れてしまうんですよ。でもわざわざ文章にして残そうという思いまではないんですけどね」

「そうなんですか。僕は文章にして残すことが大切だって思うんです。後で見返してみるみないは別にしてですね」

「過去に何かあったんですか?」

 と敦子が聞くと、新田は一瞬ビクッとしたようだが、すぐに平常に戻り、

「そうですね。忘れたくないと思っていることを忘れてしまったことがあったのかも知れませんね」

 と言って、少し考え込んでしまった。

 会話が途切れたが、自分の方からさらに会話を続けていこうという思いは敦子にはないようだった。新田が話したくなるのを待つしかないようだ。

「あれは、確か小学生の頃だったと思うんですが、一度公園で遊んでいる時、一人の女の子と仲良くなったんです」

「小学生の低学年くらいですか?」

「ええ」

 敦子がそう思ったのは、自分もよく小学生の頃、公園で遊んだ記憶があったからだ。それも誰かと一緒だったという記憶はほとんどない。群れをなすことが好きではなかったというのが本音であるが、そのせいからか、中学高校に進学すると、友達に対して目立ちたいという思いを抱くようになったのは前述の通りであった。

 そんな敦子だったが、小学生時代にはすでに、

「人と同じでは嫌だ」

 という思いがあり、心のどこかで他人を卑下していたような気がする。

 そのくせ、まわりを冷静な目で見ると、皆自分よりもしっかりしているように見えるという思いがあった。つまり頭の中だけで考えている時は、自分はまわりを卑下していて、実際の目で見ながら冷静に考えた時は、まわりが皆自分よりも優秀に見えるというおかしな感覚になっていた。

 だが、決して矛盾しているわけではない。見え方がその時の感情を左右するというべきであろうか、敦子はそれを二重人格の一種だとは思っていない。

「じゃあ、どっちが本当の自分だというんだろう?」

 と考えてみたが、敦子としては、まわりを卑下している方が本当の自分なのだと思っている。

 捻くれているように見えるが素直な気持ちである。だからこそ、素直な気持ちを正当化させたいという思いがあり、捻くれていないという証明として、まわりを見た時、自分よりも皆が優秀に見えるという

「プラスマイナスでゼロになる」

 という感覚で辻褄を合わせているように思えた。

 敦子は、だから自分がいつも忘れっぽいのだと思っていた。その時の自分が分からない時、過去の自分を振り返っても、曖昧な自分しか思い出すことができない。

「辻褄を合わせることのできない記憶はよみがえらせてはいけない」

 という思いがあるのかも知れない。

 新田も過去のことをすぐに忘れてしまうと言った。それが敦子と同じ理由だというのは敦子の中で、

「おこがましいことだ」

 と感じたが、希望としてはそうであってほしいとも思っている。

 自分と同じような考えの人が他にいれば、それはそれで気が楽になる。

「人と同じでは嫌だ」

 という基本的な考えとはこの場合は完全に矛盾していた。

 なぜなら、この二つの間に、辻褄合わせは存在しないからだ。

 新田は続けた。

「その時に仲良くなった女の子とは、その日だけだったんだけど、僕はすぐにその子と遊んだことをすぐに忘れてしまったんだ。でも、少しして思い出すと、その子のことを忘れてしまった自分が情けなく感じられたんだ。どうしようもなく自分を責めてしまってね。どうして忘れるなんてことになったんだろうってね」

 敦子もすぐに忘れてしまうが、忘れてしまったことを後になって思い出して後悔することはなかった。

 忘れてしまったということは、

「仕方のないこと」

 として諦めるのが関の山で、悔やんでも仕方がないという意味からであった。

 割り切りが早いわけではない。忘れてしまうということ自体、普通だとは思わないし、どうしてこんな風になってしまうのか、考えてみたことは何度もあった。

 だが、それをいちいち後悔したり悩んだりすることはなかった。ゆっくりち考えることを今まであまりしたことのない敦子は、

「後悔や悩みは、ゆっくりと考えないと解決できないことだ」

 と思っていたのだ。

 だが、悩むことも後悔することも結構あった。その都度、時間をかけて考えている自分がいる。そのくせ、そんな自分が本当は嫌いだとは思わない。普段から一人で考えることはあっても、ゆっくりと考えることはない。一人で考えていると、勝手に頭の中にいろいろな発想が浮かんできて、それを整理することもなく、先に進んでいる。

――これも忘れっぽくなる原因なのかな?

 と考えてしまっていた。

 忘却に対して考えていたことがいつも当てはまってしまう。いや、忘却に向かって考えるように無意識ではあるが自分の頭の構造がそうなっているのかも知れないとも思うほどだった。

 敦子はまた考え込んでしまっていたが、すぐに我に返った。人と話をしていると、自分の世界に入ることが多いようだ。

「その子とは結局会うことができなかったんですか?」

「ええ、今のところ出会えていないですね。もし出会っていたとしても、面影が残っているかどうか分からないので、本当にその子だったのかなど、分からないんでしょうけどね」

「確かにその通りかも知れませんね。そう思うと何となく切ないお話のような気がしてきますね」

「僕は、実は趣味で小説を書いているんですが、そのことも自分なりに思い出しながら書いたりしていますよ」

「へえ、すごいですね。この間お話した時もどう感じたんですが、今日も何となく書き手の言葉っぽい感じがしたのは気のせいではなかったんですね」

「ええ、でも本当に趣味ですので、大したことはないです」

「そうですか? 私も以前は小説を書いてみたいと思って挑戦してみたことがあったんですが、すぐに挫折しました」

「それは皆が通る道だと思いますよ。最初から文章が続く人なんてなかなかいないですよ。しかも完結するお話を書くというのは本当に難しいことだと思います」

 そ言いながら、彼は額の汗を拭った。

「誰もができることでないことをできるというのは、私にとっては尊敬の念に値します」

 と敦子は言ったが、それは相手を見て冷静に考えている自分を意識してのことだった。

 彼を見ていると、確かに悦に入っているように見えるが、そこに嫌味は感じられなかった。

――俺は他の人とは違うんだ――

 という上から目線を感じない。

 それが彼の素直さなのだとは思ったが、なぜか敦子には少し物足りなさが感じられた。

――この人には自分というものを他の人と違うという感覚で持っていてほしい――

 と感じたのだ。

 ただそれも敦子が、

「冷静な目で相手を見ている」

 という感覚でいるからなのかも知れない。

 彼の本当の姿はそこにはなく、隠しているのであれば、それを見切るには敦子も自分の世界に入る必要があるだろう。今目の前で正対している彼に対して、ここで自分だけが自分だけの世界に入るということは許されないと感じたからだ。

「どんな小説をお書きになるんですか?」

「僕は奇妙なお話が書けレアいいと思っているんですよ。最後の数行で、『こんな話だったのか』と読者が思ってくれればそれでいいって話ですね」

「いいですね」

「でも、これはあくまでも趣味ですので、人に読んでもらうというのが本当の主旨ではないんです。とにかく自分が考えていることを書くというのが僕のポリシーのようなものなんです」

「そうですよね。趣味なんですから、それでいいと思います。でも、作家の中には読者を意識せずに書いておられる方もいるのではないでしょうか?」

「いるかも知れませんね。でもプロは本を売ってなんぼですので、出版社の意向には逆らえません。出版社は読者第一ですから、結果的には作家も読者を意識しないわけにはいかないんですよ」

 彼の話はよく分かった。

「あなたの作品を読んでみたいですね」

 と敦子がいうと、一瞬彼はテレたような顔をしたが、今度は困ったような表情になり、

「それは難しいことではありますが、読んでもらえればいいと思います」

 と意味深な回答だった。

 だが、その言葉にはどこか他人事のようなところがあり、

――この人にしては珍しい――

 と感じさせるものでもあった。

「大丈夫ですか?」

 敦子は思わずそう言ってしまって、一瞬ハッとしたが、その時の彼の様子には明らかな矛盾があったからだ。その矛盾がどこから来ているのか分からなかったが、敦子は思わず聞いてしまっていた。

「私も実は小説を書いたことがあったんです」

 と敦子は話した。

「そうなんですか?」

「ええ、文学新人賞に何度か応募したりもしましたけど、一次審査すら通過することがなかったほどなんですけどね」

 と言って、テレながら笑った。

「一度読んでみたいです」

 敦子は今まで自分の小説を人に読んでもらったことはなかった。

 自分で小説を書いていたということは本当に過去のことで、どうかすれば、書いていたという事実も忘れてしまっていた。そういえばすぐに忘れるようになったのは、小説を書くようになってからのことで、忘却を感じた時、自分には小説は向いていないと思い、やめたのだった。

 それをいまさら人に読んでもらいたいと思ったのは、よほどの心境の変化があったからに違いない。目の前にいる新田によほど読んでもらいたいと思ったのだろう。新田も自分で小説を書くという。その思いに共鳴したのかも知れない。

 敦子の書く小説は、どうしても山田大輔の影響を受けているせいか、奇妙な話が多い。ラストの数行でどんでん返しのようなものを描きたいと思って書くのだが、途中が中だるみしてしまうからなのか、どうしてもラストが中途半端で、強引に大団円を迎えるという作風に嫌気がさしていた。

 しかも、自分は経験という意味であまり発想が豊かではないと思っている。そのため、似たようなシチュエーションになってしまい、そのことで途中筆が進まなくなることも少なくなかった。小説というのは思い立ったら一気に書いてしまわないと、自分が書きたいことを見失ってしまい、支離滅裂なラストになってしまうことも必至であろう。

 そのうちに、

「別にプロになろうなんて思っていないから」

 と思って、開き直ることで何とか書けるようになったが、継続までは至らなかった。

「もう、今は書いていないですけどね」

 というと、

「そうなんですか。もったいない」

 という彼の言葉を聞いた時、敦子はビクッとした。

――もったいないって、どういうことなの?

 頑張ればモノになるということが言いたいのか、それとも敦子が考えていることを看破したからなのか、敦子はもう一度考えていた。

「きっともう少し頑張れば継続くらいはできたのかも知れませんね」

 と敦子がいうと、今度は新田の方が少し訝しい表情になった。

「頑張るってどういうことなんでしょうね。何かの目標に向かって努力することは確かに頑張るということなんでしょうが、嫌なことを我慢しながら続けるというのは、頑張るということなんでしょうか? もしそうであれば、僕は頑張るという言葉、本当は使いたくないんですよ」

 と新田は珍しく熱く語った。

「ごめんなさい。そんなつもりで言ったわけではないんですよ」

 と敦子は新田の凄みにビックリしながらそう言った。

「あ、いや、僕も興奮してしまってすみません。自分もよくまわりから頑張れって言われることがあって、それも自分が続けることに疑問を持っていることに対して頑張れという言葉をよく使うんです。だから、頑張れという言葉、僕の中では半分トラウマのようになってしまっているんですよ」

「そう考えている人、多いかも知れませんね」

 と敦子は言ったが、実は敦子の方でもさっき使った、

「頑張れば」

 という言葉、あまりいい意味で使った覚えはなかった。

 頑張ることができずに継続できなかったというよりも、頑張るくらいなら、継続できなくてもよかったんだという思いもその奥にはあった。

「今日僕は目の前で交通事故を見て、過去にもそれを見たような気がするというデジャブを感じたんですが、そのおかげというか、小説を書きたいという思いが今頭の中に浮かんできました」

「それはよかった」

 敦子は新田の横顔を見た時、離れて行った父親を思い出した。

 父親は敦子が中学生の頃に、母親と離婚して今は敦子は母親と暮らしている。別に両親を恨んでいるわけでもない。寂しさがないと言えばウソになるが、案外と頭の中はアッサリとしていた。

――そういえば、小説を書けるような気がしたのは、お父さんがいなくなってからだった気がするわ――

 元々文章を書くのが得意だった父親から、小学生の頃、作文の書き方について教えてもらったことがあった。あの時の父親には尊敬の念があり、たったそれだけのことしか尊敬に値することはなく、後はそんなにいい思い出はないのに、思い出としての父親には嫌な思いはなかった。だから、父親がいなくても若干の寂しさだけで、あまり必要以上の感情が湧かないのかも知れない。

 その日、敦子は結局会社を休んだ。新田とは昼前まで一緒にいたが、次第に会話がなくなっていき、自然とその日は別れることになった。

 連絡先を交換し、連絡を待っていると、

「今週の土曜日、いかがですか?」

 という連絡が入った。

 予定はない敦子も新田に会ってみたいという思いもあって、

「大丈夫ですよ」

 というと、待ち合わせを最初に出会ったアーケードの喫茶店にすることにして、その時、お互いに自分の作品を持ってくるということで約束が成立した。

 敦子は週末に思いを馳せて、その週の仕事をこなしてきたが、気持ちは複雑だった。

「早く週末が来ないかな?」

 という会えることへの期待と、

「何を話せばいいんだろう?」

 という躊躇に近い気持ちが交差したからだ。

 今までの出会いは約束の元ではなく、偶然出会ったという出会いだった。しかし今回は改まっての出会いであり、最初から会うことを目的にしているため、ある程度会話のシミュレーションくらいはしておかないといけないと思ったのだ。

 敦子は今までに十作品くらいを書き上げたことがあった。途中でやめた作品もかなりあるが、今から思えばその時間がもったいないものだったのかどうか疑問である。小説を書いている時は、書き上げることができなかった作品に対して悔しさと寂しさが同居し、憤りしか残らなかった。だが今思い出してみると、悔しさも寂しさも存在しない。書ききれなかった作品には、最初から思い入れなどなかったのだとしか思えないからだ。

――私ってこんなに冷めた考えだったのかしら?

 と思った。

 小説を書くことを継続していれば、ここまで冷淡になれなかったかも知れない。やめてしまった時点できっと何かのスイッチが入ったとしか思えなかった。

――やめるということにもエネルギーを使うんだわ――

 と、今思うから感じることだった。

 やめてしまった時は、エネルギーを使うというより、

「せいせいした」

 という感覚の方が強かった。

 敦子は新田との待ち合わせ場所に原稿をプリントアウトして持ってきたが、別にこの作品がいいと感じたものを持ってきたわけではない。自分の中で、

「これが代表作だ」

 などというものは存在しない。

 それも思い返してみれば、同じような感覚で書いていた。そういう意味ではどれも冷静に書いていたのだともいえると、それも一生懸命に熱くなって書いていたともいえる。果たしてどちらなのか、今となってはそれを感じるすべを、敦子は知ることはないに違いない。

 喫茶店に到着すると、すでに新田は来ていた。

「こんにちは、お待たせしてしまってすみません」

 敦子はそう言って近寄ったが、考えてみれば約束の時間にはまだ少しはあるくらいだった。

「いえいえ、僕が早く聞過ぎたんです」

 テーブルを見ると、すでに彼は自分の原稿を広げて見ているようだった。

「それ、新田さんの作品なんですね」

「ええ、ここ数日で書き上げたものなんですが、これが読んでもらうには一番いいと思いましてね」

 敦子は席に座り、そしてコーヒーを注文すると、さっそく自分の持ってきた作品を新田に渡した。

「では、拝見いたします」

 と言って、原稿を入れる大きめの茶封筒から原稿を取り出し、読み始めた。

 敦子の方もすでに新田から目の前に広げられた作品をページ順に彼がまとめてくれたものを手渡されていた。

 お互いにそれぞれの作品を読むという会話のない独特の時間が流れていく。これは今まで一人で執筆した時間や、読書に使った時間とはまったく違う空間で繰り広げられているものであった。

 自分が小説を書いている時というのは、本当に時間の感覚はマヒしてしまっていた。集中していると、二時間くらい書いていたにも関わらず、数十分しか経過していないような錯覚に陥ることも往々にしてあった。

 読書をしている時は、ここまでの集中力はないが、興味のある作品で、自分が作品に入り込んで読んでいるという自覚のない時は、本当の時間と感覚上の時間とではかなりの差があった。集中しているという自覚を持ってしまうと、その感覚は半減し、さほど本当の時間と感覚的な時間との差は、さほどではないように感じられるのだった。

 敦子は新田の小説を読んでいて、何か違和感があった。

「あれ?」

 と思わず声が出たような気がして、ビックリして新田を見たが、新田は気にせず敦子の小説に目を落としていた。

――よかった――

 と胸を撫でおろしたが、その時に感じた思いというのが、

――この小説の作風、私には違和感がない――

 というものだ。

 誰かの小説に酷似しているからだ。その小説家とは他でもない山田大輔だったのだ。

 しかし、作風が酷似しているからと言って、新田がオマージュしているというわけでもない。似せて書いているにしては酷似しすぎているのだ。まさに、

「これは山田大輔の新作」

 と言われても遜色ないくらいのものに感じた。

 だが、そこまで思うと、今度は、

――やはり、どこかが山田大輔とは違う――

 と感じた。

 それは逆に山田大輔の作品からの脱却にも感じられる。山田大輔本人が、

「自分の作風を今までとは違うものにしようとして書くとすれば、きっとこんな作品になるに違いない」

 という思いである。

――この新田という人は、どういう人なんだろう?

 と感じ、自分の作品を読み耽っている新田の顔を凝視した。

 まさに穴が開くほどという表現がピッタリだと思うくらいだ。

 それまではまったくまわりに何が起ころうとも意識していなかった新田が、今の敦子の視線にはさすがに気付いたのか、顔を上げた。だが、何かを言うわけではなく、落ち着いて敦子に微笑みかけた。そこには余裕が感じられ、敦子にはその余裕が憎らしくもあるほどであった。

 だが、今度は敦子を気にしてか、すぐに目を原稿に落とすようなことはなかった。

「敦子さんの小説を見ていると、自分が小説を書き始めた頃を思い出します」

 と新田は言って、どこか涙目になっているのを見て、敦子はビックリした。

――この人、こんな表情にもなれるんだ――

 いつも冷静さだけが表に出ていて、下手をすれば、冷淡な人間だと思われがちな雰囲気だったのに、この人間らしい一面に意外性を感じた自分に、敦子はホッとした気持ちになっていた。

「新田さんの小説も、初めて読んだような気がしないんです。よく読む小説家の書き方に酷似しているような気がするんですが、でもどこかが違う。敢えて違いを表に出そうという意識が感じられるんです。あけど、そこにはその人になり切るという感覚は皆無な気がするんです。どう表現していいのか困るところなんですが、このお話を読んでいると、不思議な感覚に陥ってしまうんですよ」

 と敦子は言った。

「そうですか、きっと敦子さんならそういう感想を持ってくれると思っていました。だから敦子さんに僕の作品を読んでもらいたいと思ったんだし、僕も敦子さんの作品を読みたいと思っていました」

「二人の出会いは偶然ではなく、何か出会うべくして出会ったというような感覚ですね。私もそんな気がしてきています」

 言葉だけを聞けば、何か恋愛の告白のように感じるが、敦子にはそんなつもりはなかった。実はその思いは新田にも同じだったようで、この敦子の言葉に対しての新田の返事はなかった。黙々と読んでいる中での小休止のような時間が若干あったかと思ったが、新田の方は、ある程度読んだ小説に対して、もう自分の考えがその時に確定していたようだった。

 敦子は新田の小説を読み込んでいくうちに、何かデジャブを感じた。

――どこかで読んだことがあったような雰囲気だ――

 と感じた。

 最近はいろいろな小説を読んできたことで、自分の方向性が分からなくなっていたような気がしたが、彼の小説を読んでいると、懐かしさを感じるのだった。まるで原点に戻ったかのような感覚に、敦子はどこからその感覚がくるのか、次第に分かってきたような気がした。

 やはり最初に感じた山田大輔の作品に返ってくる。頭の中が堂々巡りを始めた。堂々巡りを始めたということは、もう自分の考えが間違っていないということの証明であった。ただそれが堂々巡りを繰り返してしまう原因は、

「信じて疑わない」

 という思いがある反面、

「理屈としては信じられない」

 という思いがあるからだろう。

 新田は山田大輔の小説をよく読んでいるようだったが、ここまで作風を似せるというのは、山田大輔の作風からして、なかなかに難しいことに思えていた。

――そんな簡単にマネのできるものではない――

 と思って、小説を読みながら新田の顔を覗き込んでいると、新田も敦子の視線に気づいたのか、見られているという意識を表に出しているようだった。

 敦子の方をチラチラ見ては、また原稿に目を落とす。その繰り返しは違和感でしかなかった。

「新田さんの小説って、山田大輔の作風に酷似していますよね」

 と敦子は思い切って聞いてみた。

「ええ、分かりましたか?」

 悪びれることもなく新田は言った。

「似ているというだけなので、盗作ではないと思いますが、こんなに似るというのは、どこか不気味な気がします。まるで山田大輔という作家が、新田さんではないかと思うくらいです」

 というと、

「山田大輔という作家は確かに存在します。でも実際に書いているのは……」

 と言って、彼は口をつぐんだ。

「ゴーストライターがいるということですか? それが新田さん?」

「ええ、そういうことです。本来であれば、公表してはいけないんですが、実は私もそろそろ限界を感じているところなんです」

 暴露してしまったことに後悔はなかったが、新田の口から、

「限界を感じている」

 という話を聞くと、まるで自分が言わせてしまったように思えて心苦しかった。

「敦子さんは知らないかも知れないんですが、この間の交通事故ですね、あれは起こるであろうことを僕は予期していたんです。だからあの場所にもいたんだし、敦子さんがあの場所に居合わせるということも分かっていたんですよ」

「予知能力のようなものがあるんですか?」

「そうですね。これはゴーストライターを始めてから感じるようになったんですが、これは元々山田先生が持っていた能力を、僕が引きついたんだって思いました。今まで何年もやってきて、そろそろ誰かに交代してほしいと思った時、敦子さんを見かけたんです。今あなたには完全ではないですが、予知能力が備わっています。もちろん、その兆候があなたには昔からあったと思うんですが、僕と知り合ったことで、あなたは自然に僕から予知能力の素質を受け継いでくれていたようなんです。だからあなたの小説を読んでみたい気もしましたし、十分に山田先生の作品も理解していることが分かりました」

「まさか、私にあなたの後を受け継いで、ゴーストライターになってほしいとでもいうんですか?」

「ええ、その通りです。今から山田先生のお宅にお邪魔しますので、そこで正式にお願いすることになると思います。きっと引き受けていただけると思いますよ」

 敦子にとってみれば、降って湧いたような話であったが、新田の話を聞いているうちに自分に逆らうすべがなくなっているのに気付いた。小説を書くことが嫌いではなく、山田大輔の名前で自分の書いたものが売れるというのも嫌ではない。

 敦子は新田に連れられて、山田邸に赴いた。大きな家ではあるが、誰も他に住んでいないのか、閑散としていた。

「山田先生」

 と言って、新田が部屋に入ると、そこには安楽椅子が置いてあり、誰かが座っていて、向こうを向いているのが分かった。

 新田の声を聞いてもその男は振り返ろうとはしなかった。新田が椅子をクルリと回してこちらに向けると、そこには断末魔の表情をした白髪の老人が息絶えていた。

 敦子は驚きで声も出ない。しかし、新田はそれを見て驚くこともなく、ただ山田大輔の亡骸を見つめていた。

「先生は昨夜お亡くなりになりました。これは伏せておこうと思っています。そもそも山田大輔という作家は、ペンネームで、今までに何人もの人に受け継がれてきた名前だったんです。この先生も、先代の山田大輔氏のゴーストライターでした。作家が書けなくなったり、失踪してしまったりすると、その時のゴーストライターが山田大輔を名乗り、そしてまた別のゴーストライターを連れてくる。これが山田大輔という作家の正体なんです」

 にわかには信じられない話だった。

 だが、新田の真剣な表情を見ていると、なまじ無碍にもできないような気がしていたのだ。

「引き受けていただけますか?」

 さすがにいきなりの申し込みに敦子は閉口していた。

 その時敦子は山田大輔の小説の一つを思い出していた。

 あれは、昔話になぞらえた話で、少しかいつまんだ話となるが、遊んでいた童が、

「苦しいよ」

 という言葉に連れられて、引き込まれるように森の奥に入ってみると、そこには一匹の妖怪が一本足で立ちすくんでいた。

 この妖怪も少年で、手に持った球を彼に見せると、二人は入れ替わってしまった。

「君が来るのを、僕はここで何百年と待っていたんだ」

 と言われ、足が自由になった妖怪は、少年となってどこかに走り去った。

 そこには妖怪と入れ替わり、妖怪となってしまった少年が立ち竦むことになる。そんなお話だったと思うが、その話を思い出した。

――私が入れ替わった少年なんだわ――

 と思うと、足が根になってしまったことで、もう逃れられないことを覚悟するしかなかった。

「こんな運命なんて」

 と敦子がいうと、

「大丈夫、運命は輪廻するものだから、今までの自分の環境が変わるだけだよ。決して受け入れられないことではないはずだ」

 という新田の言葉が敦子をその気にさせてしまった。

 今まで下を向いていた顔を上にあげると、そこには安楽椅子にいた亡骸はなくなっていて、そこには新田が座っていた。

――これからこの人が山田大輔なんだ――

 と思うと、不思議な感覚だったが、初めて感じたことではないと思えてきた。

「私の小説が世に出るわけですね」

 というと、

「その通りだよ」

 と言われ、敦子は自分がゴーストライターではあるが、いずれ自分の名前、いや山田大輔としてデビューできることを夢見るようになった。

 しかし、それもさほど時間が掛からないような気がした。妖怪が言った何百年というのが自分の意識の中で短縮されるような気がした。

「さあ、明日から心機一転、よろしくね」

 と新田に言われて、それに従うように黙って頭を下げた敦子だった……。


                  (  完  )

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作家の堂々巡り 森本 晃次 @kakku

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