第4話 夢遊病

 つかさが小説を書くことが趣味であることを知った新垣は、それから少しして、歴史小説を読むのも趣味であるということを知った。

 新垣はつかさの思惑通りに、

「交わることのない平行線」

 として感じるようになった。

 それを感じることで、自分の催眠術の実験材料としてつかさを選んだのだが、選んだことで今度はつかさの中に結界が存在していることに気が付いた。

 しかし、その結界がどういうものなのか、新垣には分からなかった。交わることのない平行線とは別のものであるという意識を持っていたからである。

 交わることのない平行線に結界という発想が絡んでいるなど、まったく思ってもいなかった。前者は何となく分かったが、後者の結界に対しては、どこから来ているものなのか、まったくの謎であった。

――この人を実験材料にしてもいいのだろうか?

 結界の存在を感じたことで、新垣は少し怖くなった。

 自分の催眠術は効きやすい効きにくいの差はあるのだろうが、人畜無害のものだと思っていた。すぐに解けるものだし、催眠術と言っても、一種の暗示にしかすぎないと思ったからだ。

 だが、その暗示という発想が思っていたよりも怖いものであるということを、つかさの存在に思い知らされた気がした。

 新垣にとってつかさとはただの実験材料ではなかったはずなのに、彼女を見ていると、どうしても催眠を掛けてみたいという衝動に駆られてしまう。

――どうしてそんな気持ちになったのだろうか?

 ただの実験材料ではないということは、

「実験してみたいが、後ろ髪を引かれる」

 というもので、罪悪感というよりも、情にほだされた感覚だったと言ってもいいだろう。

――女性として意識してしまったのだろうか?

 新垣はつかさを決して抱こうとはしなかった。

 もちろん、実験材料にしようと思った段階で、情にほだされるようなことにはなりたくなかったからだ。それは罪悪感とは違った意味でのもので、罪悪感のように自分で納得しなければいいだけのものよりも厄介であることを分かっていた。

――罪悪感なんて、しょせん綺麗ごと――

 という考えがあった。

 ただ、罪悪感が消えた時、別のものがこみあげてくるかも知れないという思いは漠然としてではあるが持っていた。普通に考えれば、

「それが情というものだ」

 ということくらいすぐに分かりそうなものだが、罪悪感を拭い去った時から、感覚がマヒしてしまって、正常な判断ができなくなってしまったのかも知れない。

 正常な判断はまわりから見なければ分からない。しかし、異常な判断はまわりから見ていては分からないものだ。どこに境界線が存在するのか、新垣はいつも考えていたような気がする。

 矛盾を孕んだ考え方だが、判断というのは、その場の一瞬でなされなければいけないことが多い。矛盾を孕んでいても不思議ではない。

「どちらも正解ならば、どちらも不正解と言える」

 という話を聞いたことがあるが、一見矛盾のように思えるが、至極当然の話であった。

 世の中には、矛盾を孕んでいることを当然のごとくに受け入れて、疑問をまったく与えないものもある。そのことに気付くと、

「まるで重箱の隅をつつくようだ」

 と皮肉めいたことを言われることもあるだろう。

 例えば、鏡に写しだした自分を見た時、

「左右対称だけど、どうして上下は逆さまにならないんだ?」

 という疑問を誰も持たない。

 実際にはそれを疑問として研究している人もいるが、一般的には知られていない発想である。

 もしそれを誰かに話すと、

「そんなの当たり前じゃないか。鏡だから」

 と言われるだろう。

 それでもさらに、

「どうしてそうなるのか、理屈で説明してほしい」

 と聞いても、相手は何も言えなくなるだけで、下手をすると、

「そんなのどうでもいいじゃないか」

 と言って、逆ギレされてしまうこともあるだろう。

 新垣はつかさのことを本当に好きなのか試行錯誤した時期があった。いくら新垣でもいきなりつかさを実験材料として考えたわけではない。催眠術に関して結構深いところまで研究し、催眠術の先生にもご教授いただいた。本当はそれが正当なことなのかどうか分からなかったが、とにかく新垣は催眠術を普通に掛ける分には、何ら問題のないところまで来ていたのだ。

 ただ、研究員というだけで別に医者でもない。心理学を志す中で催眠術を会得したということであり、必要に駆られていなければ、実施することはいけないことではないのだろうか。

 それも分かっているつもりだった。

 だが、どうしても催眠術を掛けてみたいという衝動に駆られたのも事実で、ひょっとするとつかさと出会ったりしなければ、そこまで催眠術に深入りすることもなかったのかも知れない。

 新垣は、一度研究室につかさを呼んだことがあった。

 つかさは、黙って新垣についてきたのだが、その時、どのようなことをされるのか、つかさにはそれなりの覚悟のようなものがあった。

 新垣は、自分の経験から、いや、つかさという女性を見て、つかさの中に眠っている過去の記憶を呼び起こしたくて仕方がなくなっていた。自分がつかさのことを好きになりかけていることは分かっている。しかし、どこかつかさに入り込めないところがあるということを新垣は悟っていた。

――何を踏み込めないと思っているのだろう?

 新垣の気持ちは、中途半端だった。

 それは勇気がないという問題ではなく、

「踏み込んではならない何かがある」

 ということであり、その思いは今までにも感じたことがあったような気がした。

 それがいつのことで、何に対してのことだったのか覚えていない。いわゆる、

「デジャブ―現象のようなもの」

 と言ってもいいだろう。

 漠然と感じていることであり、その思いは一瞬だけのようだが、それ以降、定期的に思い出すような気もしていた。

 いわゆるそれは、

「逆デジャブ現象」

 という言葉で表してもいいのかも知れない。

 ということであれば、起点は新垣がデジャブを感じたその時から、過去に遡っても、未来に思いを馳せても、結局は起点から下ってくる思いになるのではないだろうか。

 その起点の頂点にいるのはつかさだった。つかさがこれからも新垣の人生に深く関わってくるのではないかと思うと、必要以上のことを考えないようにしようと思った。

 必要以上のことを考えないようにするというのは、迷いを捨てるという意味だと新垣は解釈した。迷いがあるから、起点がハッキリとしているのに、前にも後ろにも進むことができず、そのせいでそれが起点であるということまで分からなくなってくる。

 そうなると、堂々巡りを繰り返し、迷路に迷い込んでしまったかのように、永遠にさまよってしまうのではないだろうか。

 さすがに同じような場所を繰り返し進んでいれば、そこで堂々巡りを繰り返していることに気付くだろう。少しでも違いを探して抜けようと試みる。しかし、堂々巡りを繰り返していると感じた瞬間から、

「心理の堂々巡り」

 というものに入り込んでしまっているのだ。

 まったく同時に感じる心理の堂々巡りと、打開策への希望。その二つは相反するものであり、交わることのない平行線だ。矛盾の中で同居できるはずもなく、結局は何もできなくなってしまう。堂々巡りを繰り返していると感じながら、それを自分のすべての世界だと思ってしまい、いつの間にか当たり前のように感じてしまう。

 ひょっとすると、それが一番恐ろしいことなのではないだろうか。

「何かおかしい」

 と思いながらも、それを当たり前のこととして流してしまおうとする。

 いい悪いの問題ではないが、恐ろしい予感を秘めていることも事実である。その恐ろしさに気付いた時、さらなる堂々巡りが襲ってくるが、それが最初の堂々巡りと同じものなのか、誰にも分からない。当の本人が分からないのだから、他の人に分かるはずもなく、結局は逃れられない迷路に迷い込んでしまうことになる。

 新垣はそんな心理の中で、つかさを研究室に呼んだ。

 催眠術を掛けようとは思っていたが、その催眠術は、新垣がのちに掛けようとしている催眠術とは違っていた。

 それは催眠療法に似たもので、精神を病んでいる人や、記憶の欠落した人に行う、

「自分の過去を引き出す催眠」

 だったのだ。

 自分の過去を引き出すことで、眠っている潜在意識を呼び起こそうとするもので、本人は夢の中にいる感覚になるのだろうか。つまりは眠っている時ほど、その人にとって平穏な時はなく、素直になれる時だと言ってもいいだろう。

 すやすやと眠っているつかさ。催眠の最初はまず眠りに就かせることだった。

 睡眠に陥らせる催眠は、新垣にとって、さほど難しいものではなかった。ただ、

「気を付けないと、掛けた催眠によって陥った睡眠から抜けられなくなることが稀ではあるがあるかも知れない」

 という話を聞いたことがあった。

 ただ、その話には信憑性はなく、人伝えに聞いたもので、実際の専門家から聞けた話でもなく、今まで読んできた文献の中にもそのような言葉を見受けることはできなかったので、都市伝説的なものなのかも知れない。

 ただ、心の片隅に残ってしまっていたが、そんな意識を持ったまま催眠を掛けると、本来なら陥らないと思われることも、掛ける本人の思い入れの激しさで、余計な力が入ってしまい、掛かってしまうかも知れないという危険もあった。

 だからなるべく、余計なことを考えないようにしたが、新垣はそのために、自己催眠を掛けた。

 ちなみに新垣はその時から催眠術を掛ける前に自己催眠を掛けることが癖になってしまっていた。

 その自己催眠とは、

「催眠術を掛けている時の俺は、余計なことを考えないようにするんだ」

 というものだった。

 それは、潜在意識を否定するもので、本来であればあまりよろしくないことだという思いは重々にあった。しかし、そうでもしなければ、相手を睡眠に陥らせる催眠は怖かったと言えるのだ。

 新垣は自分が掛ける催眠にそれほど自信を持っているわけではないが、なぜそんなに催眠にこだわるのか自分でもよく分かっていなかった。

 催眠術を掛けることが危険を孕んでいることは分かり切っている。それでも掛けなければいけないのは、自分の中にある何かを開かなければいけないという意識が強すぎると言えるのではないだろうか。

 そのためには、まずつかさの過去を知る必要があると思った。別につかさの過去が自分が開かなければいけないものにかかわりがあるなどという根拠も信憑性も何もないはずなのにそう思ったということは、そう感じさせる何かをつかさが醸し出していたと言えるのではないか。

 もちろん、つかさにそんな思いがあったとは思えない。しかしつかさを見ていると、新垣と一緒にいる時、時々ボーっとしていることがあったのを覚えている。

 その時のつかさが遠くを見ているような感覚になっていたが、つかさにはその意識はなかったように思う。新垣が話しかけて初めて我に返るということが何度となくあったが、その状態をつかさは、

「単発的なデジャブが、間髪入れずに起こった」

 と感じているかも知れない。

 そんなつかさを見ることで新垣は、

「彼女の過去を垣間見ることが俺にとって必要なこと」

 と感じるようになった。

 それが何を意味していることなのか、ハッキリ分かっているわけではない。かといって、漠然としているというほど曖昧なものでもない。

「もう少しで分かりそうな気がする」

 というところまで来ているようで、ひょっとするとつかさにはその先の出口のようなものが見えているのかも知れない。

 新垣が催眠を掛けるために呼んだ研究室には、別に催眠に必要な機械などは置いていなかった。つかさは少なからずの何かの機械のようなものが置いてあるという覚悟を持っていたが、機械がないことで少しホッとした気分になっていた。

 研究所は明るくもなく、暗くもなかった。ただだだっ広い部屋の真ん中にテーブルと椅子が対面で置かれていて、それが却って不気味ではあったが、つかさはそこまで不気味さを感じることはなかった。

 新垣の方が却って不気味に感じていた。自分が用意した部屋のはずなのに……。

 最初に部屋を用意した時は、そこまで気持ち悪さもなかった。

 元々催眠を掛けるための部屋なので、これくらいのシチュエーションは当たり前のことであり、不気味さを感じてしまっては何も始まらない。

 だが、つかさを招き入れた時にはすでに新垣は自己催眠を掛けていて、本来であれば、気持ち悪いなどという感情を抱くことなどない状態だったはずだ。それなのにどうしてそんな感覚に陥ったのか。新垣は不思議だった。

 つかさは、その日会った瞬間から新垣の様子がおかしいことに気付いていた。一番の違いは声のトーンがいつもに比べておかしかったからだ。

「いつもよりも一オクターブは低いその声」

 そう思うと、明らかな近いが分かってきた。

 普段でもよそよそしさをたまに感じる新垣は、つかさに、

――やっぱり研究員さんって、こんな感じなのかしら?

 と思わせていたが、その日はさらによそよそしさが明らかで、それよりも他人行儀なところが気持ち悪かった。

――まるで誰かに洗脳されて操られているようだわ――

 と感じた。

 ロボットのような血の通わないイメージに、いつもの新垣とはまったく違った佇まいが感じられた。

――催眠術にでもかかっているの?

 つかさは新垣をそんな目で一瞬見た。

 その時、新垣が臆した気がした。そう、一瞬我に返ったのだ。だが、それも一瞬のことですぐに元に戻った。自己催眠が勝ったのだ。それにしても、つかさの洞察力もすごいもの。まさかこの後自分が催眠術を掛けられるはめになろうなど、思ってもみなかったからだ。

 新垣はつかさを椅子に座らせ、自分も対面の席に座った。

「落ち着いた気分になってくださいね」

 という新垣の言葉は優しかったが、つかさには、新垣の優しさが伝わってこなかった。

 普段から時々声が低くなっている新垣であるが、優しい言葉を掛けられると、それなりに暖かさを感じていたつかさだったが、この日はそんな気分にはまったくなれなかった。

――落ち着いた気分って、どうすればなれるのかしら?

 いつもならそんなことを考えたこともないのに、つかさは感じていた。

 だが、そのうちに新垣の目を見ているうちに急に睡魔が襲ってくるのを感じた。

――私、このまま眠ってしまうのね――

 つかさは眠ることに怖さを感じることはなかった。

 そのまま眠ってしまうことに恐怖を感じることはなく、新垣の誘うままに眠りに落ちて行った。催眠に掛かってしまっていたのだ。

 眠りから覚めることがない催眠があるという話であったが、それはあくまでも相手が催眠に気付いて、それに抗う気持ちになった時だけであった。それは研究途中のことで実際には間違いないと思われていたが、まだ臨床実験も証明されていない状態だったので、公共に発表するわけにはいかなかった。だからつかさは睡眠に入り込んだが、目覚めることがないなどということはなかった。

 それが、新垣の自己催眠によるものなのかどうかまではハッキリしていないが、事なきを得たとはこのことであろう。

 眠りに就いたつかさは、新垣の思っている以上に、深い眠りに就いていた。

「こんな状態で、これ以上の催眠術を掛けることなんかできるんだろうか?」

 新垣がつかさに掛けたい催眠は、彼女の過去を潜在意識より引き出し、自分からそのことを告白させるという催眠だった。

 テレビ番組などでは簡単に行われているが、実際にはそんなに簡単なものではない。そのことを新垣は今まさに思い知ったような気がした。

 それでも少しずつつかさが覚醒してくるのを感じた。一度深い眠りに入ってしまうと、別の世界で目を覚ますようになっているのか、その世界を催眠を掛けることによって、新垣は覗くことができるようになっていた。

「う~ん」

 つかさは、夢の中で何かを感じているようだった。

 それが心地よいものなのか、それとも苦しいものなのか、声を聞いていると、苦しいものに他ならない気がして仕方がなかった。

「やはり、彼女の潜在意識は、苦しいところが一番上に来ているのかも知れないな」

 と感じた。

 苦しくてもその思いを脱ぎ去らないと、潜在意識を覗くことなどできない。それは分かっていることだが、新垣がつかさに対して抱いている思いが、つかさのその表情を見ていて間違っていないという思いにさせられたのは錯覚であろうか。

 つかさは新垣から催眠術を掛けられるのではないかということを、あらかじめ予測していたのかも知れない。具体的に催眠術というものだとはハッキリしなくとも、何かを仕掛けてくるということは分かっていたような気がする。

 分かっていて、そして覚悟のうえでつかさは新垣のもとにやってきた。そして、新垣から、

「今から催眠術を掛けたいと思うんだけど」

 と言われて、ビックリした素振りはしたが、すぐに覚悟の上であることを示唆しているようだった。

 ビックリした様子だったのも、実際には条件反射のようなもので、本人としてはビックリした自分に驚いたようだった。本人は新垣から打ち明けられて、

「やはり」

 と思ったが、それは思っていたよりも冷静に受け入れられた自分のことを、なぜかいじらしいとも感じられた。ビックリしている自分よりも冷静な自分の方が、本人の中では素が出ているように思えたのだ。

 もっとも、最近術については、以前から気になっていた。

「もし自分が催眠状態に陥ったら、どうなるんだろう?」

 という思いだった。

 自分でも自覚していない状況を、催眠を掛けている相手にだけ見せることになる。催眠に掛かっているのだから、自分に分かるはずはないという感覚だ。

 つかさは催眠を掛けるという新垣の表情が想像以上に血走っていることに不安もあったが、それよりも落ち着いている自分が見ていると、滑稽に感じられるところが不思議だった。

「催眠術にかかっている間、私は意識がないんですよね?」

 とつかさは聞いた。

 それは当たり前のことのように思えたが、念のための確認だった。

 それを聞いた新垣は少し驚いたように、そして興奮していた。すでにその時は催眠術を掛けると言った時の血走った目からはかけ離れたほど落ち着いていたのだが、この言葉を聞いた時は、血走ったというよりも歓喜の表情だったと言ってもいいかも知れない。

――私が聞くことを想像していなかっただけなのかしら?

 その歓喜の表情に、逆に彼が聞いてほしいことを、つかさが指摘したのではないかという逆転の発想があった。

「いいところをついてくれたね。普通の催眠だったら、催眠状態に入っている時は、本人の意識はないんだ。あるとしても、それは夢の中のような状態で、本人はきっと夢を見ているとしか思っていないはずなんだ。だけど僕の催眠は掛かっている本人にもその自覚があるんだよ。僕は掛ける方なので掛かった状況は分からないんだけど、理論上だけど、実際には意識があるらしいんだ。実はこの催眠はそれを君に自覚してほしいという意味のものでもあるんだよ」

 なるほど、これが彼の歓喜の意味だったのだ。

 つかさは彼がどういう気持ちなのかを計り知ることはできないが、表情を見ているだけで、彼の研究者としての意識は感じることができた。自分は研究者ではないが、何かを探求し、一定の結論に達しようとした時に感じる達成感にも似た思いは、何となく分かる気がするのだ。

「じゃあ、さっそく催眠を掛けてみようか?」

「はい」

 彼はそう言って、つかさを凝視した。

「僕のやり方は、会話の中から次第に催眠に掛かるようなやり方なので、これと言った特殊なことはないんだ。もっとも催眠術という意味でいえば、僕のやり方の方がよほど特殊なものなんだろうけどね」

 と言って笑って見せた。

 その表情は普通に笑顔で、引きつっているというイメージはどこにもなかった。おかげでリラックスしたまま彼の催眠に入ることができたが、その間、彼はいろいろな質問をしてくれた。

 その内容は、今まで話をしたこともない自分のことを、ことごとく彼が言い当てているのだった。

――どうして知っているの?

 という思いを何度抱いたことか。

「緊張しないでいいよ。別に実際に僕が前もって調べたわけでもないからね。今ここで君と正対していて僕が感じたことを話しているんだ。きっと君が僕に心を開いているから分かることなんだよ。もっともこれは催眠術を志している人には皆できることであって、催眠に掛かっている人が意識がないので、その人には分からないというだけのことなんだ。催眠術などというのは、相手のことが分からないと、掛けることはできないんだ。なぜなら、その人それぞれで掛けていい催眠と、掛けてはいけない催眠とが存在しているからね」

 つかさは、何かを言おうとしたが、ただ頷くだけしかできなかった。

――意識はあるのに、言葉を発することができないのかしら?

 どうやら彼の催眠はそういうもののようだ。

 中途半端に意識があるというのも困ったものなのかも知れない。彼はそれをいいことだと思っているのだとすれば、催眠に掛かっている人の本当の気持ちを分かっていないのではないかと思えた。

 中途半端な状態というのは、手術をするのに、局部麻酔を施して、意識があるうちに手術が行われているようなものだ。つかさには手術経験がなかったので、想像しただけで気持ち悪くなってしまう。今はそんな心境に陥っているのかも知れない。

 催眠に掛かっているという意識は確かにある。だが、中途半端な意識の中で彼が話しかけてくる内容は、そのすべてを受け入れてしまいそうになる感覚はどこから来るのだろう?

 話の内容が、すべてを受け入れてしかるべき内容なのか、それとも催眠によってそんな心境にさせられるのか、すぐには分からなかった。だが、話をしているうちに、前者であることは明らかな気がしてきた。

 新垣の催眠はどれくらいの時間が掛かったのだろう。話はいくつかあり、その内容はつかさの過去を掘り起こすものから、いつの間にか新垣の過去に移行されていくような気がした。

 そして、つかさはそのうちに感じた。

――この人の記憶、私の記憶とシンクロしているわ――

 新垣の話に移行した中でも、つかさは自分の過去と切り離された気がしなかった。

――ひょっとすると、遠い過去にこの人と会ったことがあったのかも知れない――

 と思うようになった。

 その過去がいつのことなのか、想像もつかない。だが、二人の過去が酷似した内容であることはこの催眠で覚醒された部分で感じることができた気がした。

「どうだい? 僕の催眠はそんなに苦ではなかっただろう?」

 と新垣が語り掛けてきた。

 いつの間にか催眠が覚めていたようだったが、催眠から覚めたという感覚がつかさにはなかった。

 夢であれば、その内容を覚えていないまでも、夢から覚めたという感覚はあるはずだ。もっとも夢を見たという感覚がなければ、その多いも存在しないが、今回は明らかに催眠の内容も覚えている。それなのに、まだ意識が朦朧とした感覚になっていて、本当に催眠から覚めたのか、自覚することはできなかった。

「もう覚めたんですね?」

「ああ、もう今の君は現実世界に戻ってきたんだよ。今日は僕の催眠に付き合ってくれて嬉しかったよ。ありがとう」

 彼はホッとした表情を浮かべていたが、その奥には、元々彼が持っていた自信めいたものが覗いていたような気がした。

「いいえこちらこそ、貴重な経験ができたような気がします」

「それはよかった。どうだい? 何か気になったことがあったかい?」

「ええ、あなたの催眠って、本当に意識しなくてもいいんですね。催眠に掛かっているという意識があってもなくても、同じような感覚だったんじゃないかって思ったわ」

「君は意識していたのかい?」

「ええ、意識はしていたけど、でもあなたの催眠というよりも私の意識の中で、あなたの催眠が存在したという感覚かしら? だから催眠に支配されたという意識はまったくなかったわ」

 というと、

「そうだろうね。僕も見ていてそう思ったよ。だから君を選んだと言ってもいい。催眠を受けていたという意識が薄ければ薄いほど、催眠術を掛ける方とすれば、冥利に尽きるというものだからね」

「そうなんですか?」

「ああ、しいていえば、『夢を見ていたという夢を見ている』という感覚になるのかな? 少し難しい発想ではあるんだけどね」

「それはどういうことですか? 私には理解できない気がするんですが」

「理解できなくてもいいんだ。これはあくまでも僕の見解だからね。つまりは催眠を掛ける方の見解であって、掛かっている方が感じることではない。そのことは君にもすぐに分かることではないかと思うんだ」

 と、彼は言った。

 普段は開いていないはずの夜の遊園地、観覧車やメリーゴーランドなど、照明がついて動いている。つかさは以前にも夜の遊園地に来た記憶があったが、それがいつのことだったのか覚えていない。

 遊園地は人っ子一人いないと思っていたが、メリーゴーランドに二人だけ乗っていた。よく見るとそれはまだ小学生くらいの男の子と女の子で、その様子を見ていると、どこか微笑ましく感じられた。

「つかさちゃん、こっちだよ」

 という少年の声が聞こえ、思わずそっちを振り返ると、少年が少女に声を掛けていたようで、少女はニッコリと微笑み返す。

――つかさちゃんって――

 自分が呼ばれたように思ったつかさは、記憶が急に回り出したのを感じた。

 目の前にいる二人は、子供の頃の自分と、そして新垣だった。

「新垣さんとは知り合いだったんだ」

 新垣が自分を選んだわけが分かったような気がした。

 そして、今見ているのは、新垣の催眠の中での夢に違いない。つかさはそう思うと、自分が夢に委ねられていることを感じ、しばらくそのまま夢を味わっていようと思った。

 その時夢を見ているつかさはどうしていたかというと、新垣が見つめる中、腕を前に差し出すようにして前に進んでいた。

 そう、それは夢遊病であった。この最近の副作用は「夢遊病」。

 新垣が催眠によって、そしてつかさが潜在意識によって作り上げた「夢遊病」の世界だったのだ……。


                  (  完  )

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「催眠」と「夢遊病」 森本 晃次 @kakku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ