第3話 小説を書く
新垣はつかさと知り合ってから、すぐに彼女を催眠術の実験に使おうなどという気持ちがあったわけではない。知り合った時はつかさを彼女候補だと思ったことに違いはない。彼女とうまくいくのであれば、そっちの方がよかったからだ。
かといって、彼女と仲たがいや喧嘩をしたというわけではない。性格的に合わないとは途中から思い始めた。
そして何よりもつかさを催眠術に使おうと考えた最大の理由は、
「お互いに何かが違うと思った瞬間が、同じタイミングだったのではないか」
と思ったからだ。
新垣がそう思っていた時、つかさも同じことを思っていた。そのせいもあってか、お互いにぎこちなくなっていた。
合コンで知り合った時、気の利いた話をお互いにできなかったことで、逆に相手のことが気になってしまったこともあって、二人の距離は縮まったはずだった。その思いは二人にあり、少しでもずれていれば、もっと早い段階で別れるなどしていたに違いない。
別れなかったことが不幸中の幸いだったのか、新垣はつかさを催眠術の実験台に選んだのだ。
催眠術と言っても、そんなに大げさなものではない。段階があるというのは、第一段階で、催眠に掛かりやすいように誘導というイメージのものである。
これは先導と言っていいかも知れない。催眠に掛かりやすいように誘導するというイメージであろうか。薬が効きやすいようにするため、別の薬を飲むことがあるが、それと似ているのだ。
少数派ではあるが、催眠術に携わる人の中には、催眠を段階的に考えている人がいるという。新垣は心理学の観点から催眠術に興味を持ったので、段階的な催眠術というものが気になっていた。催眠術に段階があるなど、普通の人は意識しない。奥が深いものだという印象を催眠術に感じたのだ。
新垣は決してつかさが嫌いになったわけではない。むしろ好きなタイプの人であることには変わりはない。しかし、
――決して交わることのない平行線を見た気がする――
と感じたのも事実で、同じことをつかさも感じているということを、かなりの信憑性を持って感じていた。
つかさはというと、彼女は新垣のことを最初はまったく信じていなかった。
――合コンに来るような男性なんて――
というイメージを持っていたからだ。
合コンに来る男性のイメージとしては、
「すべてにおいて、平均的な男性」
というイメージが強かった。
それは逆に、何かに特化したところが一切ないというイメージでもあり、
「面白くない人」
という思いがあったのだ。
もちろん、皆が皆そんなわけはなく、むしろ自分の勝手なイメージだということが分かっていたので。それだけに、
――自分のイメージと少しでも違うところのある人がいればいいな――
という願望にも似た思いが強かったのも事実である。
初めて参加した合コンで最初に感じたのは、
――明らかに初めての人間と、経験者では違う――
ということであった。
それは当たり前のことであり、最初から分かっていたことでもあったが、あらためてそのことに気付いたのは、
「気付かされた」
というイメージが後からじわじわと湧いてきたからであった。
変わり者が少ないというイメージで参加していると、参加しながら、自分がその場で明らかに浮いていることに気付いた。
「こんな自分に話しかけてくれる男性なんているはずがない」
と思いながら、ずっとまわりを見ていた。
普通、まわりをキョロキョロしている女性は目立ちそうなのだが、やはり誰も話しかけてくれることはなかった。次第に寂しさを通り越して、心細さを感じるようになっていた。
――いや、寂しさなんてなかった気がする――
一人でいることに慣れているつかさにとって、場違いだという意識はあるが、自分だけが浮いていると思った段階で、寂しいなどという思いはなかったはずだ。
寂しいと思うのは、自分と同類の人がいて、その人たちと仲良くなりたいと思っているが、気にされない時に思うものだ。最初から自分とは違う人種だと思っていた自分に、寂しいなどという感情があったとは思えない。だから、寂しさを経由しない心細さがつかさにはあったのだ。
同類の人がいない場所に一人ポツンといることは今までにもなかったわけではない。すぐに、
「場違いだ」
とは思うのだが、なぜか嫌な気がしなかった。
そんな時、つかさは人間観察をするのが好きになっていた。
誰にも言っていなかったが、つかさは中学時代から小説を書くのが趣味であった。場違いな中での人間観察は、つかさに小説を書く楽しみを与えてくれたのだ。
それまで退屈で仕方のなかった一人でいる時間。寂しさは感じなかったはずなのに、孤独感があった。
人間観察をしていると、描写を文章にすることにも抵抗がなくなっていた。本当は小学生の頃など、作文が大の苦手で、
――どうしてこんなもの書かなければいけないのか――
と思っていた。
実際に小学校の頃、作文を自ら発表する時間もあり、自分で朗読させられていたが、それがとにかく嫌だった。まわりの人の作文を聞くのも嫌で、自分が嫌なことは他の人も嫌なのだという思いを、その頃から持っていた。
だが、本当は皆の作文がそんなに下手だとは思えなかった。聞いているとなるほどと思っていたが、作文の内容はともかく、文章力に長けた人もいた。
内容はさすがに小学生であったが、内容を凌駕するほどの文章力があるのだということをその時に知った気がした。面白くもない内容であっても、人によって聞くに堪えないものもあれば、聞いていてさほど苦にならないものもあった。きっとそれがその人の持って生まれた文章力の賜物に違いないと思った。
それでも中学生になるまでは、文章というものに対してのハードルは高かった。文章が書けるというのは、
「特定の能力を必要とするもの」
という思いがあった。
実際に文章が書ける人を、まわりの人が、
「文章が書けるなんて、すごい才能だわ」
と言っているのを聞いたことがあり、つかさ一人が思っていることではないということが分かった。
作文というだけでこれほどの思いになるのだから、小説というものは、本当に才能がある人でなければ書くことができないものだと思った。
だから、自分にはできないと思ったが、今までのつかさであれば、そう思った瞬間、諦めていたに違いない。
それなのに、どうして小説を書いてみたいと思ったのか、それは人間観察という観点からという思いが、自分の才能に火をつけたような気がしたからだった。
実際に書いてみようと思い、実際に書いてみると、自分が思っていたような文章とは程遠いものであった。
自分なりに試行錯誤をしていた。
文章を書くということは最初から難しいと分かっていたので、却って書けないことを悪いことだとは思わず、
「いずれ書けるようになる」
という信憑性も根拠もない気持ちがあった。
いずれという言葉が入っているので、そこに自信があるわけではないということは明白だが、これから書けるようになる可能性があるということを素直に喜んでいる自分がいたのだ。
こんな思いは、中学生になるまで感じたことはなかった。すぐに答えを求めているわけではなかったが、いずれなどという曖昧な言葉の中に余裕という観念が含まれているということに、その時のつかさは気付いていたのだろうか?
中学生の頃の小説というと、メルヘンチックな話を書こうと思っていた。実際には人間観察から小説を書こうと思っていたので、メルヘンチックな話とは少し趣きが違っていた。
メルヘンチックな話を書こうと思ったのは、中学時代に読んだ本がきっかけだった。
元々小説を読むということもそれまではなかったのだが、どうして読んでみたいという気になったのかというと、風邪をひいて病院に行った時、待合室に置いてあった本がそれだったのだ。
マンガもあったが、マンガを読む習慣もなかったので、いまさら続き物のマンガを読んでもしょうがないという思いがあったからで、他にこれと言って理由があったわけではない。
風邪をひいての病院だったので、頭はボーっとしていた。そんな状態でメルヘンチックな小説を読むと、自分もメルヘンの世界に入り込んでしまったような錯覚を覚えた。さらに室内には、クラシックの優しい音楽が流れていて、癒しに感じられる雰囲気がさらに入り込んだ世界を頭の中でリアルにイメージさせたのかも知れない。
だが、熱のあった状態で、リアルというのもおかしなもの。本当は文字を読んでいるだけで頭が痛くなってきていたはずなのにやめようとしなかったのは、いつの間にか小説の世界の中に、自分を誘っていたからなのかも知れない。
その時、ほとんど読めなかった。待合室にいる時間は結構長く、一時間近く待たされたはずだった。普段であれば一時間も待たなければいけなければ、待ちくたびれて、本当に痺れを切らせるくらいだったに違いないが、実際に本を読んでいると、時間的には十五分程度のちょうどいいくらいの時間だったような気がした。
ただ、十五分というと、本を読むにはあまりにも短すぎる。そう思うと中途半端な時間だったという思いも拭い去れない。確かにそれほど進んでいたわけではないが、最初の方を読んだだけで、引き込まれていく自分を感じていた。
その日は最初の三十ページほどしか読めなかったので、続きが気になってしまい、風邪が治ってから本屋にその小説を探しに行った。幸い有名な小説家の作品だったので、本屋に陳列されていて購入することができた。
二五〇ページほどの小説だったので、少し薄めの文庫本というくらいであろうか。さすがにその日には全部読むことはできなかったが、翌日には完読できた。読んだ感想としては、
「あんなラストだったんだ」
という思いであった。
小説というのは、ある程度まで読み進んでいくと、ラストの情景が頭に浮かんでくるものだ。実際に四分の三くらいまで読んだところで、ラストのイメージが頭に浮かんできた。そのイメージとはまったく違ったラストだったことで、自分が素人だということが原因なのか、それとも作家からまんまと嵌められたと思うべきなのか、考えてみた。
嵌められたと思う方が、心地よく感じられた。
「これが小説を読む醍醐味だ」
と思えるからだ。
確かに最後まで読むと、嵌められたという思いとは別に、すがすがしい気持ちになった。
自分は小説を読むのに時間が掛かると思っていたが、実際には結構早かったのではないだろうか。その理由の一つとして、小説を読み進むうちに、いつの間にかセリフの部分だけを主に拾い読みしているようだ。そのことに気付いたのは、だいぶ後になってからだったが、
――どうしてこんなことに気付かなかったのだろう?
と思うと、
――それだけ小説に嵌って読んでいるからではないか――
と、答える自分もいた。
その思いは半分当たっていて、半分外れている。
拾い読みがすぐに結論を求めたくなる自分の性格から来るものだということに、拾い読みに気付いたのと同時くらいに分かった気がする。つまりは、一つのことが分かると、芋づる式にそれに付随することも分かってくるということなのだ。
つかさが小説を読んでいた時期は、最初に読み始めてから一年間くらいだっただろうか?
中学受験が佳境に入ってくると、小説を読むどころではなくなっていた。最初は気分転換になるから読むのもいいだろうと思っていたが、実際にはそういうわけにもいかなかった。
つかさには、集中すると他のことが目に入らないというところがあり、逆に集中するためには、まわりから自分を遮断させるという必要があった。
ただ、小説を読んでいる時には、気が付けば嵌っているので、集中しているという意識を感じることはない。それがつかさを小説を読むことに嵌らせた直接的な原因なのではないかと思うのだった。
小説を読みたくなる時期というのがあるようだ。
ずっと読みたいと思うことはなく、半年ほど読みたいという時期を通り過ぎると、それまでの読みたいという意識がウソのように、本を開くのが嫌になる時期に突入した。
飽きたというわけではないのだろう。しいて言えば、
「想像力が欠落しているようだ」
と感じるからだろう。
想像力というのは、言わずと知れば、ラストのイメージである。
想像力の欠落というのは、
「想像できない」
というわけではなく、
「想像していた通りにラストを思い描くことができてしまう」
というものだった。
そういう意味では想像力に興味が持てなくなったという意味で、想像できてしまうことが小説への興味を削ぐことになるというのも皮肉なものである。
それは、
「想像力の飽和状態」
であって、飽きたという意識と同じなのかも知れない。
だが、つかさはそれを「飽きた」と言いたくない気持ちになるのは、飽和状態という言葉と、飽きたという認識とは切り離して考えたいと思っているからではないだろうか。
しばらくは小説を読みたくないという気持ちにはなるが、またすぐに読むようになる。読んでいない時期を、
「いつも数か月くらいかかった」
と思っているが、実際には一か月ほどだった。
それだけ読んでいない時期が、
「自分の中でポッカリと開いた時間」
だと思っているからなのかも知れない。
周期的に読んだり読まなかったりするようになるというのは、結構早い段階で気付いていたような気がする。ただ、それは予感があったというわけではなく、
「ふと気づいたら、そう思っていた」
と感じたからだった。
本を読み漁っている頃には、自分が小説を書きたくなるなど、考えていなかったような気がする。
意識の中で、
「小説を読みたいと思う時期が周期的になっている」
と思うようになってからだったが、最初の頃はそう感じていても、実際には自分で納得のいくものではなかった。
本を読み始めたのは、中学に入ってすぐくらいのものだったのだが、書こうと思うようになったのは、中学二年生の夏休み明けくらいだった。
その年の夏は異常気象のため、特に暑かった。十月になっても、三十度を超える毎日だったほど、その年の夏はうだるような暑さが続いていた。
体力的にはもちろんのこと、精神的にも参っていた。暑さも佳境に入ってくると、耳鳴りが聞こえてくるようで、やかましいはずのセミの声が、かなり遠くから聞こえてくるかのような錯覚に陥るほどだった。
そんな毎日、喉が渇くのも日常茶飯事、表に出るのもたまらない状態だった。
家でクーラーに当たって、テレビを見ているのは却って辛かった。どちらかというと貧乏性のつかさは、何の予定がなくても、休みの日であっても、必ずどこかに出かけていた。そんな彼女が表にも出たくない状態なので、それはそれでストレスがたまることになったのだ。
小説を読めばいいのだろうが、ちょうど飽和状態だった。そんな時、
「書いてみようかな?」
と思い立ち、心の中で、
「私に書けるはずなんかないのに」
という思いを感じながら、恐る恐る書いてみた。
やはり、そう簡単にいくものではなく、実際に書いてみると、少し書いただけで、すぐに詰まってしまう。要するに何を書いていいのか、分からないからだった。
メルヘンばかりを読んでいたので、メルヘンを書いてみたいという思いはあった。また書けるとすれば、メルヘンしかないという思いもあったが、その両方を満たす結論は見つかるわけもなかった。
書けるようになるというのは、気持ちの矛盾となるということを分かっているだけに、簡単ではないという思いも手伝って、頭の中で小説執筆を否定している自分がいたのだ。
小説を書く時、最初は原稿用紙に書こうと思い、かしこまっていたが、思ったよりも頭に何も浮かんでこなかったので、書き方を変えてみることにした。今ではパソコンを使って書くようになったが、最初に書けるようになった時は、レポート用紙に書いていた。
横書きで書いていると、普段から鳴れているせいか、スムーズに書けた。頭も回転していき、書きながら次の文章も浮かんでくるようになると、一気に書けるようになっていた。
小説を書いている時間というのは、完全に自分のペースに嵌っている。というよりも隔絶した世界を形成できているようで、時間の感覚がマヒしていた。
書いているとまだ十五分くらいしか経っていないように思っていても、気が付けば一時間も経っていた。これは小説を読む時、自分の時間に入り込んでしまうのと似ている。そう感じたことで、小説をこれからも書き続けることができるのだと思ったのだ。
高校受験の際は、小説から離れていた。離れていた期間は半年くらいだったと思う。だが、高校に無事に合格することができて、精神的に余裕が出てくると、また小説を書いてみたいと思うようになった。そう思うまでは、小説を書いていない時期が半年くらいという妥当な感覚であったが、また書きたいと思うようになって、前に書いていた時期を思い出すと、一年以上離れているような気がして仕方がなかった。
書き方の要領も忘れてしまった。
元々、確固たる信念のある書き方だったわけではないので、忘れてしまったのも無理もないこと。少しでも自覚できるような書き方を持っていれば、きっと書いているうちに徐々に思い出してくるはずだった。だが、その思いは思ったよりもなく、いつまで経っても昔の勘が戻ってくることはなかった。
だが、それはそれでいい気もする。下手に過去の書き方を覚えていると、ブランクがあっただけに、曖昧になった書き方が今の感情に合っていたのかどうかも分かったものでもない。
それを思うと、新たに新鮮な気持ちで向かうというのも悪くはない。新たな気持ちで向かっている中で、過去の感覚がよみがえってきたとしても、それはプラスでしかないと思うからだ。
新たな気持ちではあるが、最初からパソコンに向かって書くことができた。身体は覚えているものだということであろうか。
ただ、書くジャンルはメルヘンチックなものではなくなっていた。高校生になると今度は、サスペンスやミステリー系に興味を抱いた。
――どうしてメルヘンチックなものなんか書こうなんて思ったのかしら?
と感じたほどで、自分でもその時の気持ちを顧みることはできなかった。
サスペンス、ミステリー系の小説を書いてみると、さすがにサスペンス的なものは難しいと思えた。どちらかというと社会派と呼ばれるようなサスペンスは、高校生の女の子では、想像だけで描くことのできないものだった。
広義な意味でのミステリーであれば、書けそうな気がした。確かに好きな小説はサスペンス系よりもミステリーだった。学生を主題にしたミステリー作家もいて、親近感を沸かせながら読んだものだった。
つかさは、高校時代にミステリーを何本か書いてみたが、実際に書いてみると、納得のいく作品は一つもなかった。人に見せると、
「面白いじゃない」
と言ってくれる人もいたが、自分で納得がいかないだけに、その言葉に信憑性を感じることができなかった。
――試行錯誤を繰り返して書いているつもりなんだけどな――
と思っていたが、試行錯誤はマイナス感覚のネガティブなものでしかなかった。
本当は堂々巡りを繰り返しているだけなのかも知れないのに、それを試行錯誤と勘違いしていたのだろう。
そのことに気付いたのは、高校二年生になってからだった。
ミステリーばかりを好んで読んでいたが、そのうちにミステリーに飽きてきたわけではないが、ふと別ジャンルを開拓するつもりで読んだ作家の本に大いなる興味をそそられた。
――今まで、こんな小説読んだことないわ――
と思えるもので、内容は奇妙な物語というべきお話であった。
ジャンルとしては、
「奇妙な味」
というらしいが、専門的にはポピュラーなのだろうが、普通の読者にはあまり馴染みのないものだった。
以前、テレビドラマにあった奇妙な物語のような話を、再放送で見たことがあった。放送されていた時代はそのほとんどは昭和の頃であり、そのあとスペシャルなので、それぞれの季節に製作されていた。
スペシャルもいいのだが、昭和の時代に帯番組として放送された内容が、つかさには参考になった。時代背景は今と違って昭和という四半世紀以上も前の時代なので、ピンとくるものではないが、なぜか画面を見ていると、今に繋がるものを感じることができた。
それでいて、昭和の時代がよき時代であったかのような演出を感じさせる。もちろん、未来になってそんな思いで見る人がいるなど、想像もつかずに製作されたものに違いないが、未来から過去を見るのと、過去から未来を見るのとの違いも感じさせられた。
いくら過去にあった話だと言っても、自分が生まれていたわけでもない。そういう意味では過去も未来も知らないという意味では同じなのだ。
つかさが読んだ奇妙な味をジャンルとした作家の作品も、時代背景は昭和のものだった。読み込む中には、
「見たことがあるようなお話だわ」
と思うようなものがあり、それは再放送で見た昭和の時代の奇妙な物語のドラマだった。
一度見たという記憶はあったが、ほとんど忘れていた内容であり、しかも、思い出したのは最後のクライマックスを迎えたあたりでのことだったので、途中はほとんど想像も適当なものだった。
だが、この適当な想像がよかったりもする。そのことを思い起こさせたのが、この時に感じた、
「一度見たことがある」
という思いだった。
前に見たという記憶は一気によみがえってきた。その時に出ていた俳優がどんな人だったのか、その人がどのようにラストシーンを演じたのかを思い起こすうちに、作品の全貌を映像としてイメージするようになっていた。
だが、途中までの想像は、適当であったあったということもあって、思い出した内容とはかなりの違いがあった。その違いをここまで読み込んできて、再度記憶の中にあった映像で塗り替えようとは思わない。せっかく適当だとはいえ、想像したからだ。想像することで生まれた小説へのイメージを打ち消すことは、つかさにはできなかった。
しかし、思い出してしまった以上、ラストシーンを読み込むうえで、過去に見た映像を無視することはできなかった。
適当なイメージで作り上げた印象と、元から潜在していた映像との融合は、なかなか難しいものであったが、最後まで読んでしまうと、意識に残っているのは、過去に見た映像だった。
映像が悪いというわけではない。つかさの中に、
「映像を見てから原作を読むと、どうしても原作の素晴らしさがかすんでしまう」
というイメージがよみがえってきた。
だからつかさは、決して原作を見てからしか、映画やドラマを見ようとはしない。だが、映像を見てしまうと、原作の面白さが相殺されたような気がして、映像を面白くないように感じるのだ。
それでもつかさは、原作を読んでからしか、映像を見ないということを徹底している。映像のつまらなさには目を瞑るという意識であった。
つかさの意識としては、その後の執筆活動について、次第に本を読まないような傾向に走った。
最初は、
「本を読むことが文章上達の一番の近道だ」
と思っていたが、小説を映像化した時の、原作と映像の関係を考えた時、
「下手に他の人の作品を読まない方が、自分のオリジナルが書けるんじゃないかしら?」
と思うようになった。
将来はどうなるか分からないが、現時点で自分が小説家を目指しているわけではないという自覚があった。
変に現実的なところのあるつかさは、あれだけ書くことのできないと思っていた小説を、曲がりなりにも最後まで書くことができるようになったのだから、
「せっかくここまでできたので、小説家への道を目指してもいいのではないか」
と、思うようになった。
だが、小説家を目指すということは、
「自分の好きなように書けなくなることだ」
という意識に辿り着いた。
それは、小説家を目指したいと思った時点で、いろいろネットや本で研究した結果、得た結論だった。
――締め切りに追われてばかりの毎日で、編集者との二人三脚とはいえ、いくら書きたいと思っているものであっても、売れないものは世に出すわけではいかないということなんでしょうね――
ネガティブな部分ばかりを拾ってみたが、実際に作家デビューできたとしても、生き残れるのは、ごく一部の人だけ、
「作家になるよりも、続けていくことの方がどんなに難しいか」
ということである。
確かに、何もないところから新しいものを作り出すということに、子供の頃から以上なほど興味があったつかさなので、小説家という職業は、
「やりたいこと」
と言ってもいいだろう。
しかし、やりたいことの中で、本当に描きたいことを描くことができるのかというと、それは難しいような気がしていた。制約が多すぎて、思った通りにできないストレスと、締め切りに追われるストレスのジレンマを耐えることが本当にできるのかどうか、考えれば考えるほど、先に進むことはできなかった。
高校生のつかさが、ここまで考えていたわけではないだろうが、大人になって、
「いつ頃小説家を諦めたのか。そして諦めた理由についてどういうことだったのか?」
ということを思い出そうとすると、一連の記憶として浮かんでくるのが、この思いだった。
――時系列や期間は別にして、積もり積もって感じた思いが一つになったに違いないわ――
と感じた。
そんなつかさだったが、他の人の本をいつ頃から読まなくなったのかということを聞かれた時、この時だけはハッキリということができる。
「あれは、小説が映像化された時、映像と小説のどっちを先に見るかということを考えていた時、自分の中でできた結論の通りに動いているうちに、他の人の小説を読むこということが自分にとってマイナスになるような気がしたんですよ」
という曖昧な表現しかできないが、他にどんな言い方をしたとしても、曖昧にしかならないような気がしたので、そういう意味ではこの言い方も、自分を納得させることのできるもので、妥当なものだと言えるのではないだろうか。
つかさは小説家になりたいから小説を書き始めたわけではない。小説家になった人が、小説を書き始めた時から、小説家になるという意識をずっと持ち続けていたのかどうかも分からない。しかし、ネガティブにはなっても、諦めなかったことが小説家になるための最低限の意識なのではないかと思うのだった。
そういう意味では最初からつかさには小説家になどなれるわけもなかった。だから、早い段階で小説家を諦めたというのは、よかったのかも知れない、人の小説を読まないという思いも、つかさの中で正当化されたものであり、オリジナリティが暴走するかも知れないと思ったが、どうせ素人の書くものだからと思えば、何ともなかった。
小説を書くということがつかさにとって趣味というだけのものなのか、それとも生活の一部にまで昇格するものなのか、その時にはまだよく分かっていなかった。
だが、また小説を書けなくなる時期がやってきた。今度は大学受験という関門である。
「どうしていつも、ちょうどいい時期に、そういうハードルがあるのかしら?」
と、日本国の教育制度を恨んだりもしたが、恨んだところでどうしようもない。
ハードルというものは、乗り越えるためにあるのだから、乗り越えられるだけの高さに設定されているはずだ。しかも受験する学校は一校ではなく、複数存在する。何になりたいのかによって、進む進路も違えば、進む先にも、ランクがあり、自分が無理をしなくてもいいような学校も必ずあるはずだ。
そう思えば気が楽にもなるのだろうが、実際の当事者としてはそうもいかない。
何が難しいかというと、一発勝負というところであった。いくらそれまでに準備万端であっても、試験当日に体調を崩したりしたのでは、何もならない。体調管理の難しさや、それに付随する精神面での辛さも伴うだろう。それを思うと、受験というのを前にすると、どうしても竦んでしまう自分がいるのを、つかさは感じていた。
「気分転換も大切だ」
ともいわれるが、小説はただの気分転換で書きたいものではないという意識があったので、小説を受験勉強の合間に書くということは控えていた。
確かに、不安定な状態で小説を書いてもいいものは書けないだろうし、何よりも大学に合格して、晴れて小説を書けるようになった時、せっかくのびのびと書けるようになったにも関わらず、精神的には、
「受験勉強の合間の気分転換」
というイメージを持ったまま書かなければいけなくなるということを思うと、嫌な気がしてくると思ったからだ。
すでに合格した後のことまで考えるなど、普通であればつかさにはありえないことだ。
しかし、本当に好きなことは、先まで想像してしまうのだろうということに、つかさは分かっていたのだ。
大学では文学部に進んだ。しかし、文章を書くための勉強をする学科ではなく、歴史学科に進んだ。
文章を書くことが好きではあるが、それ以外では歴史が好きだった。今でこそ「歴女」などと言われる人たちが増えて、歴史を勉強する女子が多くなったが、つかさはそんな歴女とは自分は違うと思っていた。
つかさが書く小説にはこだわりがあった。
「自分が書くのは必ずフィクション。オリジナルにこだわる。しかし、本を読むなら歴史もので、ノンフィクションがいい」
と考えていたのだ。
他の人の小説を読まなくなって、しばらくの間、本を読むこともなくなっていた。たまに何かの本を読みたいと思うことがあったが、以前のように小説を読むことは嫌だった。
――じゃあ、何ならいいのかしら?
と考えた時、好きな学問である歴史の本がいいと思った。
歴史の本で、しかも時代小説ではなく、小説の中でもノンフィクションである歴史小説を読むことが多かった。知っている歴史上の人物の伝記的な話であったり、時代を焦点にした話であったり。
最近では、歴史ものの本でも面白いものもある。一人の人の人生を通じてだったり、一つの戦を中心に、武将たちの考え方だったりを見るわけではない。歴史上の一つの出来事を、掘り起こすのではなく、そこから広げていく発想である。広げていくことが、掘り起こすことにもつながることを、つかさは感じた。つまりは、点から線にして、結び付いた線から逆に点を見るという考え方だ。
そこには、関わった人々の考え方や決断のようなものも見えてくる。その人たちの一つ一つの考え方や決断が、歴史を作っているのだ。
「そんなことは分かっている」
と言われるかも知れないが、それをリアルに感じるには、こういう考え方でなければ難しいということを、つかさは知った気がした。
つかさは最初、そんな歴史で学んだ考え方を、自分の小説に生かせるかも知れないと思ったが、実際にやってみると、なかなか難しい。やはり歴史上の人物の考え方は、つかさにとってはノンフィクションであり、架空の考え方ではない。つまりはオリジナルではないということだ。
つかさは、あくまでも自分が作ることに対してはオリジナルにこだわる。そういう意味で、例外も存在した。
「ノンフィクションであっても、オリジナルは存在する」
という考え方である。
それはどういう場合をいうのかというと、
「自分で経験したことは、自分で培ったことであって、あくまでもオリジナルである」
という考え方だ。
確かに過去の事実なので、フィクションではない。しかし経験したのは自分であって、自分が経験したことはオリジナルだと思えた。つかさは自分が書く小説の根源として、今までに書いたものを思い起こしてみると、ストーリーの根幹には、必ず自分が経験したことが影響しているように思えてならない。
「小説といえども、自分が納得のいくことでなければ書けないもの」
とも思っていた。
だから、ノンフィクションは納得がいかないので、書く気にはならない。
もちろん、自分が書けないジャンルを否定するわけではない。ただそれを書いてしまうと自分ではなくなってしまうと思っているだけであった。
歴史小説を読むようになったのは、
「考え方や決断が、自分の今までの経験を呼び起こしてくれるかも知れない」
と感じたからだ。
だが、思っていたよりも接点は少なかった。少ないというよりも薄いと言った方がいいかも知れない。そもそも時代背景も違えば、社会構成がまったく違うので、参考程度にもならないのかも知れない。
それでもつかさは歴史小説が好きだった。それは能と能の間に狂言が挟まっているような一拍置いた感覚が、次のオリジナリティに新鮮さを与えるものに思えたのだった。
つかさは小説を書いているのも、歴史小説を読むのも同じ趣味のレベルに置いている。人から、
「趣味は何ですか?」
と聞かれると、
「小説を書くことです」
とまずは小説を書いていることを先に言う
しかし、最初に小説を書いていることを言ってしまうと、歴史小説を読んだり、歴史に造詣が深いということを趣味として一緒に口に出したくなくなっている。
それはなぜなのかというと、
「頭の中では両方とも趣味としてのレベルとしては同じだと思っているが、最初に口に出してしまった後で、もう一つの趣味を口にしたくないのは、どこか同じレベルだと他人には思われたくないからだ」
ということであった。
自分で認めていることと、人からどう見られるかということで違うというのは、それだけつかさにとってすべてにおいて自分が優先するということを示しているのではないだろうか。
「自分ファースト」
とでもいえばいいのか、いや、そんな単純な言葉で表せるものではない。
人との間に結界を作って、まわりから見れば、
「交わることのない平行線がそこにはある」
と思わせたいのだ。
平行線であれば、結界が目の前にあってもそれに気付くことはない。つかさは人と関わりたくないというよりも、
「他人と同じでは嫌だ」
と基本的に思っている。
その思いの正体は、自分で作った結界を知られたくないため、まわりに交わることのない平行線に見せることだった。
つかさはそれが他人を欺いているとは思っていない。
「自分が考えられる程度のことなので、きっと他の人もとっくにそんなことを感じているはずだ」
と感じていた。
つかさには、まわりの人間に対して卑下した部分があった。自分が考えられることくらいは誰もが考えられることだというものであるが、そのくせ、他人との差別化を自分の中で測っている。
実は、どうして自分を卑下するのかというと、他人との差別化を他の人に気付かれたくないという気持ちへのカモフラージュだったのだ。
それは言い訳ではないとつかさは思っている。伏線を敷いているというイメージの方が強いかも知れない。
考え方の中に、つかさは二重構造を持っていると思っている。伏線というのも二重構造の間にあるもので、それをつかさは結界のように感じているのではないだろうか。
ただ、つかさの中での結界という考え方は、決して破ることのできないものという考えではなく、
「目の前にあっても見えない。誰にも気づかれないもの」
という発想であった。
それは、「石ころ」の発想と似ているかも知れない。
「石ころというのは、そこにあって何ら不思議のないもの。超自然にそこに存在しているので、あって当たり前、誰にも意識されずに気配を消すことができるもの。それが結界である。
石ころの発想は、子供の頃からあった。むしろ子供の頃は絶えず頭の中にあったと言ってもいいかも知れない。
その場に存在しているのに、誰にも意識されないのは、自らで気配を消しているのではないか。そしてそれは石ころが意志を持っていて、自らで行っていることではないか。そんな発想をつかさは持っていたのだ。
つかさが歴史小説を読んでいる時、そして、小説を書いている時、それぞれに結界を自らで作っている。
その結界は内から外に向けた思いと、外から内に向けた思いとを遮断しているわけではないので、つかさの中では両方を理解することができる。
もちろん、理解できるのは自分以外にはありえないことだが、同じような感覚を誰も感じていないということがつかさには重要だった。
これこそが自らのオリジナリティ、小説を書きたい、あるいは書けるかも知れないと感じたのは、こんな思いから派生した気持ちだったのではないかと、つかさは今になって考えていた。
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