第2話 占い師
占い師を前にしたわけではなく、本を読んで占いについて勉強してみたりした。興味深いことはあまりなかったが、心理学的な面から違う形で見てみると、気になることは出てきた。
夢占いというのを見たことがあった。見た夢が占いの対象になるわけだが、それはあくまでも潜在意識を引き出すというだけで、
「夢とは潜在意識が見せるもの」
という話を聞いてから、新垣はずっと信じてきた。
新垣がつかさと知り合ったのは、夢について気になるようになってからだった。
後から思えば、
「知り合うべくして知り合った」
というタイミングだったと思うのだが、その時は、そんなことは夢にも思っていなかった。
つかさは、新垣のような男性は元々苦手だった。特に「イヌ派」、「ネコ派」などという発想が嫌いだった。だが、話をしてみると、それは誤解だったように思えてきたのが不思議だった。
話をする機会があったのは、合コンだった。つかさも新垣も合コンなどそれまであまりしたことがなく、この時も、「人数合わせ」でしかなかったのだ。
「頼むよ。今度埋め合わせはするからさ。でも結構楽しいよ。楽しまないと損だよ」
と新垣は言われ、楽しいとまでは思わなかったが、せっかくの誘いなので、心理学の題材としての参加と思えば、それはそれでありなのかも知れないと自分に言い聞かせていた。
つかさはというと、
「あなたは普段から目立たないんだから、こういうところにくれば、まわりから話しかけてくれるので、ゆっくりお話しすればいいよ」
と言われた。
つかさも話しかけられることは嫌ではなかったが、話が合わなければ、退席してもいいという条件で参加することにした。
本当は途中で退席など失礼に当たるので、いけないことなのだろうが、その友達はつかさが途中で退席することはないと思っていた。最低限のマナーくらいは身に着けているのがつかさであるということを分かっていたのだ。
実際に始まってみると、
――結構マニアックな話が多いな――
とつかさは感じたが、
――思ったよりも普通だな――
と正反対のことを感じたのは新垣の方だった。
それは最初から合コンに参加する人というのは、まともな神経の持ち主ではないという偏見を新垣の方が強く持っていたからだ。
だが、新垣は、
――自分のことを棚に上げて――
という思いも持っていた。
それくらいの自覚は新垣にもあったのだ。
新垣は自分が異常性格であるということを心の底で感じながらも、他の異常性格の人たちとは決して交わることはないと思っていた。
合コンでのメンバーには、少なからずの偏見を持っていた。別に異常性格でもないのに、新垣には異常性格にしか見えなかった。普通に話をしている人でも、少し笑っただけで、その表情が陰湿に感じられたのだ。
――俺とは違う人種だ――
としてしか思えなかった。
ただ唯一、そんな連中と交わることがなく会話に参加もしていないつかさの存在を、新垣は次第に気にするようになっていた。
一度気にしてしまうと、まったく目立たない人であっても、これ以上気になる存在はないと思うようになる。それも心理学として研究材料になりそうなことであり、思わずメモを取りたくなるほどであった。
つかさはというと、まわりの人たちを見ていて、誰もが率先して目立とうとしているのを見て、
――私にはできない――
と思いながらも、目立ちたいと思う気持ちを自分が持てないことに対して、彼らの優位性を感じていた。
つまりは、自分が劣等感の塊りであるということに、改めて感じさせられた。
つかさは、日ごろから目立たない性格なのは、まわりに劣等感を抱いているからだった。どんな相手であれ、自分よりも優れていると思うのが、彼女にとっての前提であった。特にこういう合コンのような会場では、少しでも目立とうとする人を見ると、眩しく見えてくるくらいだった。
なるべく関わりたくないと思えば思うほど、次第にまわりの視線が気になってくる。幸いなことに最初の頃は、自分に対して誰も視線を向ける人はいなかった。
――よかった。このまま時間が過ぎてくれれば私は石ころのような存在のまま今日を終わることができる――
と思っていた。
しかし、途中から視線を感じたわけではないが、自分の中で気になる相手を見つけてしまったことで、それまでの心境とは少し変わってきたのを感じた。その相手というのが新垣で、新垣は決してつかさの方を見ようとしないのだが、見られているような意識があり、その意識がどこから来るのか、考えるようになっていた。
新垣もつかさのことが気になっていたが、熱い視線を送っていたわけではない。新垣は熱い視線を送らなくても、相手が意識するほどの感覚を与えることができるという特技を持っていた。
それがいいことなのか悪いことなのか分からなかったが、それを決めるのは新垣ではない。相手であるということが分かっているので、敢えてそのことは考えないようにしていた。
つかさはそんな新垣の気持ちを知ってか知らずか、彼の視線を気にしていたが、意外と悪い気がしないことを不思議に感じていた。
――どうして、こんな気持ちになったのかしら?
と思ったが、つかさは女の子として今まで男性に意識されなかった自分を、事なきを得ているように思っていたが、男性の視線を感じてみると、悪い気がしないというのは、相手が新垣だからなのか、それとも、元々男性の視線を意識してみたいという願望があったからなのか分からなかった。
つかさの劣等感は、対人関係にのみあるものだった。小学生の頃は目立ちたいと思っていたなどということは、すっかり忘れてしまっていた。小学生の頃は成績もあまりよくなく、その状態は中学に入るまで続いた。しかし、何がきっかけだったのか分からないが、中学三年生のあたりから、成績が急に伸びた。
その頃から、劣等感をまわりに感じるようになった。劣等感があるから余計に自分に負けたくないという気持ちが働いたのか、一人での自習は嫌ではなかった。その気持ちが大きかったのか、成績はうなぎ上りで上昇し、それが自信となって植え付けられたのだ。
その自信は、生まれて初めて持った自覚だった。特に劣等感をまわりに感じていただけに、余計に自信はまわりとの確執という意味でも強固なものになったのだろう。
確執といっても、まわりを受け付けないというわけではない。自分に自信を持ったことで、今までとは違った感覚がまわりに対して生まれた。勉強に関しては優越感が生まれたのだ。
だが、元々あった劣等感がなくなったわけではない。違った意味での劣等感が生まれたわけではないのだが、
――自分はまわりの人とは違うんだ――
という意味の優越感の裏返しが劣等感なのだということが分かったのだった。
新垣は、つかさがそこまで考えているなど夢にも思っていなかったが、まわりの人と違った雰囲気を醸し出している女性であることは分かった。そんな彼女の視線を感じたのだから、嫌な思いをするのは、お門違いなのだろう。
新垣は劣等感という意識を自分の中に抱いたことはなかった。
いや、正確にいうと、劣等感を抱いたかどうかは別にして、
「感じたことのある感情の中に、劣等感と呼ばれるものはなかった」
ということが分かっているだけだった。
つまりは心理学を研究する上で、今までに感じたことのない劣等感がどういうものなのかというのを研究するというのも、一つの課題だったのだ。
つかさの視線の中に劣等感があるということはすぐには分からなかったが、自分の分からない感覚を彼女の中に感じたことで、
――これが劣等感というものなのかも知れない――
という思いがあったのも事実で、彼女に少なからずの好感を持てるような気がした。
劣等感を感じているつかさに新垣はどうしていいのか分からなかったが、とりあえず声を掛けた、どのように話をしていいのかもわかるわけはない。相手の反応を想像することなどできなかったからだ。
声を掛けられたつかさは、別に驚いている様子はなかったが、怯えは感じることができた。なぜなら驚きがない分、深く入り込んで見ることができるように思えたからで、最初に感じたのが、怯えだったのだ。
だが、会話を続けていると、ある時を境に、その怯えを感じなくなった。
――あれ?
と感じた時には、もう彼女の中に怯えはなかったように思う。
つかさと話をしている時、新垣は自分が彼女と付き合うことになるなどとは思っていなかった。だが、つかさの方では、いずれ自分と新垣は付き合うことになるだろうという思いを、結構な確率で感じていたのだ。
確証があったわけではないが、
――付き合うとすれば、この人なんだろうな――
という漠然としたもので、一種の消去法による計算から、付き合うことになると思ったようだ。
新垣はつかさがまさかそんな風に思っているなど想像もつかない。知り合ってまだ少ししか経っておらず、会話もまだ少しぎこちない相手なので、今まで女性と付き合ったこともない新垣に、それ以上の想像などできっこなかった。
つかさの方は、目立たない性格ではあったが、彼氏がほしいという願望は持っていた。ただ、相手は誰でもいいというわけではない。内に籠る性格であればあるほど、ハードルは高いものなのかも知れない。
少なくとも軽薄で、軽薄なうえに何を考えているのか分からない相手は、最初から相手にしなかった。逆に言えば、何を考えているのか分からない相手であっても、軽薄でなければ、一応見極めようという思いはあった。新垣に対しては、
「何を考えているのか分からないけど、軽薄ではない」
と思っていたこともあって、怯えはあったが、彼から声を掛けられた時、驚くようなことはなかったのだ。
会話が行き詰まることはなかったが、途中でどちらからともなく休憩に入るタイミングがあった。特につかさの場合は、明らかに疲れを感じさせた。それを敏感に感じ取った新垣は、決して会話に無理をすることはなかったのだ。
つかさは新垣の中に、自分に似ているところがあるような気がしたので、新垣に自分が惹かれているということに気付いた。今まで彼氏がほしいと思ったことはあったが、具体的にどんな人がいいのか、自分にも分からなかった。
自分が好きになった相手が自分に合う人だという保証はない。むしろ、自分に合うとは思えない人ほど、まわりから見ると似合っているように見えるのではないかと思っているのだ。
今まで好きになった人もいるにはいた。つかさは性格的に決定的なほど、まわりに合わせてしまう。好きになった人に他に付き合っている人がいたり、好きな人がいるということが分かっただけで、すぐに冷めてしまう。嫌いになることもあるくらいで、どうしてそんな風に思うのか自分でも分からなかった。
ただそれは、
「自分の思った通りにならなければ気が済まない」
という性格だということを分かっていない。
自分が謙虚な性格で、人と争ってまで、その人を手に入れたとしても、すぐに気まずくなるに決まっていると思っていた。それを謙虚だと思うのは、それこそ傲慢な性格を表しているようなものではないだろうか。
そんなつかさの性格を理解している友達が一人いた。彼女はつかさと小学生の頃からの幼馴染とでもいうべきで、二人でいる時、他の人から、
「仲がいいね」
と言われて、
「これは腐れ縁ですよ」
と饒舌に振る舞ってはいるが、つかさには彼女のそんな態度が頼もしく見えたのだ。
普段から目立つことのないつかさの性格も彼女には分かっていて、彼女の方でも、
「あなたは、目立つ方ではないんだから、無理して目立とうなんてしない方がいいのよ。下手に普段しないようなことをすると、浮足立ってしまって、足が浮くだけではなくて、まわりから存在が浮いてしまうことになって、笑うに笑えなくなってしまうわよ」
と言われていた。
そんな時彼女は、いつも苦笑いしていて、それを見てつかさは、
――きっと私への毒舌を、敢えて口にしなければならないという苦悩を、苦笑いという形で示してくれているだわ――
と、彼女に対してはあくまでも、擁護する姿勢をしめしていた。
だが、彼女はつかさのそんな気持ちを分かっていた。分かっていて、何も言おうとはしない。彼女はつかさに対して自分の気持ちを言わないことがベストだと思っていたのだが、その本当の理由をつかさは知らなかった。
つかさは、相変わらず、まわりの人間が自分よりも優れていると思い込んでいるようだ。そのことを彼女はすぐに看破した。彼女がつかさと仲良くなったのも、その感情が彼女に大きな影響を与えたのだ。
――この人はどうしてこんなに自分を隠そうとするんだろう?
と、子供心にそう感じていた。
子供と言っても、小学生の六年生の頃だった。まだ思春期にまでは至っていなかったが、つかさの方は、そろそろ思春期に差し掛かろうとしている時期だった。
友達の方は、晩生なのだろうが、思春期に差し掛かったのは、中学に入ってからのことだった。
だから、思春期に差し掛かったつかさが、それまでと少し変わってきたことを彼女は微妙に感じ取っていた。
だが、つかさには彼女が、
「お姉さん」
のように感じられた。
思春期に入ったのはつかさの方が早くて、その分、身体の発達もつかさの方が早かった。胸が膨らんできたことを気にしていたつかさに対して、
――どうしてそんなに気になるんだろう?
と、まだ幼児体系だった友達は純粋に疑問に感じていた。
その分、気持ち的なことはつかさ本人よりも彼女の方が敏感だったようだ。肉体的なことが分からない分、つかさへの気持ちに敏感になっていたのだ。
つかさが、大学生になるまで、彼氏を作ろうとしなかったのは、
「彼女がいるから、彼氏はいらない」
とつかさが感じていたからだ。
彼女の方とすれば、結構嫉妬深いために、つかさに対して、
「彼氏なんか作ったら、あなたとは絶交よ」
と口ではここまで厳しいことまでは言わなかったが、態度や視線での圧力が結構激しかった。
まわりには彼女のイメージがそこまで圧力を感じないが、まわりに気ばかりを遣っているつかさにとっては、少々の圧力でも、かなり辛いものになっていたようだ。
それは彼女を増長させた。つかさを友達として独り占めすることで、彼女にとっては、実に都合のいいことだった。少なくとも友達になってから、大学二年生になる今くらいまで、まわりに迷惑っを掛けることもなく、つかさに対していい影響力を与えていたのだから、お互いのためにもよかったというべきであろう。
今回、合コンでつかさが新垣と知り合ったのを、今までの彼女であれば、嫉妬深さからか、その仲を引き裂くような態度に出ることもありえたであろう。
しかし、今回、新垣と知り合ったことを、彼女は悪いことだとは思わないようになっていた。
一番の理由は、つかさに対しての見え方が変わってきたからであろうか。今まで利用してきたことで、自分がつかさと離れられないということを、自分にとって悪いことではないとずっと思っていた。
しかし、最近になって、今まで自分がつかさしか見ていなかったことにいまさらながらに気が付いた。
つかさにとって彼女の存在以外に何か見えているように見えたからであろうか。彼女もつかさが何を見ているのか、その先を見ようとしたのだが、見ることができなかったのだ。
つまり、
「つかさが見えるもの、感じるもの、そのすべては自分には分かっていることなのだ」
という意識がありすぎるくらいに持っていた。
だから、つかさの態度が少し変化したことに気付いたのも、そんな自分だからだと思ったのだし、まわりが見えているのであれば、見えていることも自分にも見えているはずだと思っていたことが、実際には見えないということに気が付いて、愕然としたのだ。
まるで今までの自分を否定したように思った。
これまでの人生の半分は彼女の人生を自分が操っていたような気がして、その人生に満足していたのだが、よく考えてみると、彼女を見すぎたことで、自分を顧みることがまったくなかったことを思い知らされて愕然としてしまったのだ。
彼女が愕然としているのに、つかさの方は、彼女ほど深刻な気持ちになっていないことを考えると、二人だけの貴重だと思った時間を彼女は、
「かけがえのない自分」
と思い、充実した時間だと思い込んでいたが、その思いが今では、
「ただ駆け抜けていった時間」
と感じてしまい、
「無駄だったのではないか?」
とまで思うようになってしまっていた。
つかさがそこまで感じていないことに、彼女はかなり今までの自分を思い返して、その時間を後悔してしまっていた。今まで自分の人生を後悔したことなかっただけに、どのように今の状況を理解すればいいのかよく分からなかったのだ。
つかさ以外の女性を見ればいいのだろうが、ここまでつかさしか見ていなかったことで、他に目を移すのが怖くなっていた。それはつかさに対しての絶対的な優越感が自分の中の自信のすべてになっていたので、いまさら他に自分の自信を移すことが怖いと思うのだった。
実際に自信というものを取り戻すことができるのか?
いや、そもそも今まで自信だと思っていたことを本当に自信と言えるだろうか。
自信を持つということに絶対的なものを感じていたことが、自分にとっての自信だった。だから、その根本になる自信だと思っていたことが瓦解するということは、どういうことなのか、彼女は自分が堂々巡りを繰り返しているのを感じた。
彼女は、自信ということに対して、堂々巡りを繰り返しているということに気付くと、堂々巡りが自分の中で切っても切り離せないことだと気が付いた。
このことに気付いたのは、何を隠そうつかさが合コンで、新垣と知り合ったことだというのも実に皮肉なことではないだろうか。
つかさの態度を見ていると、新垣の背中を見つめているつかさの背中を、自分が見ているのを感じたからだ。
今までつかさの背中など意識したことはなかった。つかさが自分の背中を見ているだけで、決して自分がつかさに背中を見せるということなどないと思っていたからだ。
相手がつかさだからというわけではないが、ある意味、自分が自立することができるタイミングがあるとすれば、つかさが新垣と知り合ったということは絶妙のタイミングだったのかも知れない。
彼女がつかさから離れるということは、一種の独り立ちになるのだが、彼女はその自覚はなかった。どちらかというと、今まで利用していたつもりのつかさっから自分お方が離れるという感覚なのだが、つかさにとっても自分にとってもそれがいいことであると、彼女は思っていなかった。
だが、今まで感じたことがなかった男性への思い、それを感じていると、今まで感じたことのなかった恥じらいやいじらしさを自分に感じるようになった。
恥じらいは別であるが、自分の中にいじらしさなど存在しているかど思ってもいなかったのだ。
彼女はどちらかというと自分が童話などに出てくる、
「意地悪なおばさん」
のような存在ではないかと思っていた。
主人公を困らせる存在であり、そんな存在感を自分なりに納得していたのだ。
つかさを利用しようと考えた時、自分の中に罪悪感のようなものを一瞬感じた気がした。しかし、すぐにその思いは消えていて、罪悪感など自分にはないと思った時、つかさは自分が悪役のような存在であったとしても、それでいいと思うようになっていた。
最初はつかさに対してだけ自分が悪役でもいいと思っていたが、その思いは少し違っていた。
そもそも自分はまわりの人間から認知されていたわけではない。つかさほどではないが、存在感は薄いものであり、まわりからはあまり意識されていなかった。
そのことを彼女は自分でもウスウス分かっていた。だから、自分よりもさらに存在感の薄いつかさに近づき、一緒にいることで自分の優越感を保とうとしたのだ。
そのうちに、つかさが自分を信頼してくれていて、自分を頼ってくれているのを見て、
「利用しよう」
という方に気持ちが動いたのだ。
最初から利用するつもりはなかったのかも知れない。自分が優越感を感じることさえできればそれでよかったのだ。それなのに、つかさはそんな自分を信頼してくれている。普通であれば、自分がそんなつかさに対して利用しようなどと考えることは、裏切り行為であることに違いなかった。
明らかに悪いことであることは分かっていた。当然罪悪感が浮かんでくるはずだと自分でも思っていたのに、一瞬だけ罪悪感を感じ、すぐにそれが消えてしまった。最初から罪悪感などなければ、利用しようなどとは考えなかっただろう。罪悪感が浮かんできて、すぐに消えたという現象の一致が、彼女の中で利用しようなどという感覚を思い起こさせたに違いない。
つかさの方とすれば、彼女が自分から離れていこうとしているのを、直感で感じることができたようだ。理由はどういうことなのか分からなかったが、それならそれでいいと思った。
つかさが新垣と知り合う前、彼女の方が他の男性に心を奪われているなどと思いもしなかったhずだ。つかさも彼女も、同じ年ごろの女の子に彼氏ができると、どのような態度に変化が訪れるかなどということはまったく分かっていなかった。
つかさも彼女の心の変化に少しくらい気付いていてもよかったのだろうが、少し様子がおかしいとは思っていたが、まさか好きな男性ができたなど、想像もしていなかった。
彼女が好きになった男性というのは、大学生ではなく、社会人だった。ある日、電車に乗っていて、少し気分が悪くなった彼女を、まわりの人は見て見ぬふりをしていたが、その時助けてくれたのが、その男性だった。
彼女は、たまに電車の中で気分が悪くなることがあった。貧血気味であり、結構鼻が利くこともあって、満員電車の中などでは、体臭の入り混じった車内で、急に気分が悪くなることがあるのはむしろ普通のことであり、そんな彼女も最近は慣れてきたのか、まわりの人が見て見ぬふりをしてくれる方が却って気が楽な気がしていたのだ。
元々まわりからあまり意識されないタイプだったこともあって、そんな自分を気にされないことの方が正常な状態だと理解していたのだ。
だが、たまに誰にも気にされないことが無性に寂しく感じることがある。それは定期的に感じることなのだが、彼が声を掛けてくれたのは、そんな心の隙間をピタリと埋めるには十分すぎるタイミングだった。
偶然であることは彼女も十分に分かっていた。
しかも、彼を最初に見た時、
――イケメンだわ――
と感じた。
男性を顔で判断することをしなかった彼女だったが、彼を見た時、自分がどうして男性を顔で判断していなかったのかを考えてみたが、すぐに納得できる答えに辿り着いた。
――私は。男性の顔というよりも表情を見ていたんだわ。その人の表情を見て、どんなタイプの男性なのかということを判断する。だけど、その人がどんなタイプの男性であっても、私が男性というだけで相手にしなかっただけのことだったんだわ――
と思ったのだ。
今でも男性というだけで、助けてくれた彼を男性として意識しないようにしていた。
電車の中で呼吸困難に陥った彼女を、
「大丈夫ですか?」
と言って、助け起こして、座席まで肩を貸してあげる形で連れていった。その時、電車の中は満席で、誰も席を譲ろうとしなかったが、彼が目の前の座席を凝視した時、そこに座っていた男性が、臆したようにすごすごと席を空けたのだ。
それを見て、
――彼の視線ってどんなものなのかしら?
と彼女は感じた。
その視線の正体を知りたいと思ったことが、彼女がその男性に興味を持った最大の理由だった。
確かに、電車の中で気分が悪くなった女の子を助ける同年代の男性というと、出会いとしてはベタであり、少ししらじらしさを感じないわけもなかったが、その時の彼女は、まるで童話の中の主人公になった気分でいたのだ。
それまでの、
「意地悪なおばさん」
に甘んじていたはずの彼女が、主人公に昇格した瞬間だった。
一度主人公としての視線からまわりを見てみると、それまでの自分の視線とはまったく違ってしまったことを感じる。それを思うと、
「つかさと離れることも、今までの自分とは違う自分を発見するためには必要なことなんだわ」
と感じた。
つかさは、彼女が自分から離れて、男性に目移りしてしまったことを悪いことだとは思っていなかった。
自分も合コンに出ることで、同じような思いができるかも知れないと思うと、ワクワクした気分にもなっていた。
ただ、つかさには彼女に対して、他の人には感じることのない、劣等感を感じていた。
もちろん、他の人にも言い知れぬ劣等感を感じてはいるが、つかさは彼女に対しての劣等感はまったく別のものだと思っていた。劣等感でありながら、慕う気持ちがあるからで、決して悪い感覚ではなかったのだ。
慕う気持ちは、男性を好きになる気持ちとは違っていた。だが、彼女の方では、つかさから慕われる気持ちと同じ気持ちを自分が知り合った男性に感じていると思っていたのだ。このあたりの微妙な感覚の違いが、ふたりの離別をスムーズにしたのかも知れない。
彼女が好きになった男性は、本当はプレイボーイだった。
彼女の他にも何人も彼女候補を抱えていて、、ただ彼は決して特定の彼女を持とうとはしなかった。女性の方から告白してきても、
「ごめん、友達としてしか見ることができないんだ」
と言って、殊勝にその思いを断っている。
もちろん、彼女たちとは身体の関係を持っていた。彼のようなタイプは、男女の関係にならなければ、女性の方としても、付き合うという気持ちにならないという一種異様な雰囲気を醸し出している男性だった。
そこが彼のプレイボーイたるゆえんだともいえるのだろうが、女性の方も、彼に対してどこか怪しげな雰囲気を感じていたからなのかも知れない。
それでも男女の関係になってしまうと、彼のような男性に対して女性は、
「もう離れられない」
という感覚にさせるのだろう。
それはまるで蜘蛛の巣を張り巡らせている中で、相手には見えない罠を仕掛けているかのようで、見事に嵌ってしまうと、相手はもう食べられるしかないところまで追い込まれてしまうのだろう。
一番引っかかってはいけない相手なのかも知れない。
彼が目をつける女性は、そのほとんどが自分の計画に嵌ってしまって。最終的には身体の関係を結ばされて、利用されるところであった。
ヤバいことに気付いて何とか逃れようとする相手を彼も引き留めようとはしない。
「どうせ、他にもたくさんいるんだ」
と思っているからで、
「去る者は追わず」
という割り切った性格であった。
そんな男に彼女は、もう少しで入り浸ってしまうところだった。それを助けてくれたのが、実は新垣だった。
新垣は、何とその男の知り合いだったのだ。
その男は占いに凝っていて、こんな性格になったのも、自己暗示を掛けたことで、自分がイケメンなのを利用して、女性を思うがままに操れるとまで考えた。罪悪感など占いによって否定し、その感覚は、彼の本当の姿を知らない男性からは、意外と頼もしく見えるものだった。
確かに性格的には変人と言ってもいいような男だったが。大学生が友達の一人として付き合うには、実に頼もしく感じさせるやつだった。
彼は社会人だと彼女に話をしたが、本当は大学生である。しかも、その大学は新垣と同じ大学で、学部も学年も同じだった。
その二人は面識も当然あり、新垣が占いに興味を示したのも、実はこの男の存在が大きく影響していたのだ。
彼は新垣の前では実に従順だった。どちらに優位性があるというわけではなく、考えが似ているわけでもないのに友達になったのは、それぞれに興味を持てる性格的な面を見出すことができたからだ。それをお互いに自分にとって役立つことだという意識があったのも事実だった。
彼がそんな風になったのは、無理もないことだと新垣は思っていた。ということは、新垣は彼の正体を分かっていて、敢えて見て見ぬふりをしていたのだ。
ここまで書いてきた内容を見ると、彼がどれほど血も涙もない残忍な人間のように思えるが、実際にはそれほど他人を傷つけるほどのひどいものではなかったのだ。
確かに女の子の中には、彼の正体を知って、愕然としてしまう人もいたが、実は彼が目をつける女性のほとんどは、性格的には高慢ちきなところが多く、少なからず誰かを従えるような女性だったのだ。
そういう意味では彼女と同じ性格の女性ばかりだったと言ってもいい。彼の正体を知った女の子は、まず自分のことを顧みるようだった。つまりは、
――私には彼のことを非難する資格はない――
と感じるようだった。
それまで高慢ちきな性格だったのに、彼に欺かれたと知った時、どうしてそんなしおらしくなるのかということを、新垣も彼も理由までは分からなかったが、その状況に納得はできていた。
どちらかというと新垣の方が、強くそのことを感じていて、実際の本人である彼にはそれほど自覚がないというのもおかしなことであった。
だが、彼から離れて行った女性たちは、離れられないという思いを確かに抱いていた。だが、麻薬のように、どうしても離れられないというほどではなく、何かのきっかけがあれば、容易に彼から離れることができるのであって、しかもそのきっかけというのは、必ず彼と付き合った女の子は一度は訪れるものであった。
それをほとんどの女の子はそのきっかけをうまく使って、彼から離れることに成功した。そして離れた女の子のほとんどは、
「どうしてあんな人を好きになったんだろう?」
と一律で思うもののようだ。
離れることができないと思っていたという意識はあるのだが、どうしてあんなに離れられないと思ったのかを思い出すことはできない。
「喉元過ぎれば痛さも忘れる」
ということわざもあるが、まさにその通りなのかも知れない。
そんな状態の中、彼は自分が悪いことをしているという意識がないので、新垣も敢えて彼に注意を促すようなことはしなかったが、一抹の不安を抱いてはいた。
それは、
「もし、本当に好きな相手が現れたら、彼はどんな態度を取るんだろう?」
今のようなやり方しか彼には女性としか付き合える機会を持っていないとするならば、
「この人は、本当に不器用な人なんだろうな」
と感じ、哀れみを感じてしまうのだった。
新垣も、本当は彼のことを非難できるような性格ではない。絶えず、自分の中で優先順位を持ち、
「人は利用するために存在している」
とまで感じていたほどだった。
ただ、お互いに利用し、利用されるのだから、貸し借りなしの関係でいられることが、公平な関係を保てることになると思っていたのだ。
利用する相手が自分を利用している人がいれば、彼には分かったのだが、自分を利用している人は自分が利用している人の一部だった。全員というわけではなかったようだ。それだけに、自分の知らないところで、自分のことだけを利用しようとしている人もいるのだろうが、その意識はまったくなかった。
「欺く方は欺かれることに関しては、無関心なものだ」
と言えるのではないだろうか。
新垣がつかさに興味を持ったのは、彼女の傲慢に見える性格を、自分では謙虚だと思っているところだった。普通であればわがままに見えるそんな性格なのだが、本当にそうなのだろうか?
新垣はつかさを見ていると、その顔が急に落ち着いて見える時があった。それは冷淡という意味ではなく、冷静に物事を見ているようにしか見えないということであった。新垣が同じような表情に今まで見えていた人がいたことを思い出したことで、つかさから目が離せなくなっていた。
新垣が高校生の頃だった。彼の親が時々家に連れてきていた人がいたのだが、その人が来た時、普段からあまり話をしない父親が饒舌になっていることだった。
それは母親にも言えることで、母親もあまり人と話をすることはなかったのだが、その客が来た時だけ、楽しそうに話をするのだ。
母親が近所の奥さん連中から浮いた存在になっていることは知っていた。新垣には妹がいるのだが、まだ小学生で、妹が赤ん坊の時、母親が近所の公園に散歩に連れて行ったりしていたのだが、どうにも近所の奥さん連中に馴染めていないことは分かっていた。
それを見かねたわけではないが、新垣がたまに、
「今日は俺が散歩に連れていくよ」
というと、母親が嬉しそういしているのを見ることができた。
かといって、嬉々としているわけではない。その表情はホッとしているだけで、
「よかった」
と感じているだけだったのだろう。
近所の奥さんたちに入り込んでいけない気持ちは新垣にも分かった。自分が主婦であっても、あの雰囲気には入り切れないのは分かったからだ。後から入り込めるような状況ではない。もし入り込めたとしても、あくまでも下っ端として、輪に入ることはできないのだ。
それは新垣が中学時代に嫌というほど感じたものだ。
小学生の頃から、オーラを持った人間はどこにでもいるもので、その人に人が集まってくるのは当たり前のことで、輪の中心が決まってしまうと、そのまわりには取り巻きが出来上がり、取り巻きにさえ入り込めない人は、その他大勢として、集団の中で中心に食い込むことはできなかった。
それでもいいと思っている人はいいのだろうが、新垣にはそれができる性格ではなかった。
「輪の中心に入れないのであれば、そんな輪の中にいる必要もない。そもそも、輪の中心に行く必要が自分の中のどこにあるというのか」
と新垣は考えていた。
一人でいることを孤独というのであれば、孤独であっても、それは悪いことではないと思うようになっていた。
それが新垣の性格をつかさどっているのだろうが、それは子供の頃から両親を見て育ったことに大きな影響がありそうだ。
小学生の頃から両親を見ていていたたまれない気分になることは結構あった。特に母親の姿は、見たくないと思っても目に入ってくるものであり、近所の輪の中に入れない母親を見ると、最初の頃こそ、
「情けない」
と思っていたが、奥さん連中の姿を見ていると、
「あんな連中の中に入る必要なんかないんだ」
と思うようになるまでに、それほど時間が掛からなかった。
あれはいつだっただろうか? 奥さん連中の間でちょっとした事件があったことがあった。
それは、新垣の母親をも巻き込んだことであったのだが、新垣はあまり大きな事件のように感じなかったのはなぜだったのだろう?
事件というのは、一人の子供が夜になっても家に帰ってこないことだった。
その子は小学校三年生。元気な子供で、いつも公園で遊んでいたので、行動パターンはいつも同じこともあって、親としても、そこまで心配をしているわけではなかった。
親も放任主義だったようだ。だからこそ、子供がのびのびと遊んでいて、それが一種の街の平和を表しているかのようであった。
実際に街で何か事件が起きたことなどほとんどなかった。公園から子供がいなくなるなどということは皆無であり、文字通り、
「平和な街」
だったのだ。
今は珍しきなった駅前の商店街も、当時はまだ賑やかで、その頃から郊外に住宅街ができあがっていて、近くの丘がちょうど、分譲住宅の建設に向いていた。
住宅街が区画整理されるのと並行して、学校やショッピングセンターの建設も活発になっていき、住民が増えるよりも早く学校やショッピングセンターの建設ができあがってしまったことで、まだまだ街としては閑散とした時期が続いていた。
新垣が引っ越してきたのは、ちょうどそんな頃だった。
分譲住宅の建設も、まだまだ歯抜け状態で、学校も一学年に三クラス程度の小規模なものだった。
公園も閑散としていて、子供が遊んでいる姿もまばらだった。そういう意味では新垣もまだまだ友達を作ることもできず、学校でも静かだった。
だが、学校で静かだったのは新垣だけではない。クラス全体が静かで、先生も授業をやりやすかったと思っていたが、実際にはどうだったのだろう? 反応のない相手に対して教えるというのも、やる気が出るはずもなかっただろう。
近所の奥さん連中などというのは、その頃には存在しなかった。そもそも近所などというのは存在しなかったからだ。結構早い時期の入居だったので、数軒行かなければお隣さんに辿り着けなかったのだ。
普通に考えれば、先住民の力が強いというものだろうと思うのだが、後から入ってきた人たちが活発であれば、その人たちがパイオニアになってしまって、元々の先住民に意識がなかったのであれば、支配されても仕方のない状況だったのかも知れない。
実際に新垣一家には、まわりをまとめるという力もなければ、力がないのだから、意識があるはずもない。後から入ってきた人たちが、
「これなら、私たちで支配できるかも知れない」
と思われたとしても、それは仕方のないことだ。
後から来た人に横入りされてしまったようなものだが、元々ルールがあったわけではない。最初から入ることができたわけなのに、入ろうとしなかった方が悪いのだ。
そのことを中学時代の新垣には理解できなかった。
――どうして、横入りしてきた連中に支配されなければいけないんだ――
という理不尽な思いに抱かれた。
だが、これは当たり前のことであり、
「結果というのは、行動した人にしか現れないものだ」
と、今では実感するが、中学時代の自分には、そんな意識はなかった。
近所の奥さん連中が輪を作って、自分たちがその中心に入ったことを、他の奥さん連中は渋々と認めていたのだろうが、新垣の母親は認めることができなかった。
他の奥さん連中は、
「長い物には巻かれろ」
という意識からか、輪を構成しる端の方を形成するようになっていた。
「取り巻きのさらに取り巻き」
新垣の母親は、そんな屈辱に耐えられなかったのだろう。
他の奥さんたちが、
「新垣さんも大人しくしていた方がいいわよ」
と、長いものに巻かれるよう促されたが、
「私には、できないわ」
と言って、輪に入ることを拒んだ。
それ以来、母親は近所の奥さん連中からは完全に孤立してしまったが、母親が毅然とした態度を取ったのはその時が最初で最後だった。
「あの奥さん、何を考えているか分からないわ」
というウワサを立てられやこともあったが、そのウワサの根源が、母親に長いものに巻かれるように促した奥さん連中だったのだ。
きっと、裏切られたとでも思ったのだろう。それとも、輪の中心にいる奥さん連中あたりから、
「あの奥さんを村八分にしないと、あなたたちも同じ運命よ」
というようなことを言われたのかも知れない。
だからと言って、母親を村八分状態にしてもいいのだろうか?
母親もこれと言って何も言わない。それはそうだろう。最初に啖呵を切るかのように絶交場を叩きつけたのだから、自分に発言権がないことは分かっていたに違いない。
もっとも、その時の母親は、すでに覚悟をしていたような気もする。すでに自分から無視されていることを自覚し、孤立をどのように感じながら過ごしていくかを考えていたのだとすれば、それはそれで潔いと思えた。
新垣は母親を見ていて、母親がそこまで潔い性格だとは思っていなかった。父親もそんな母親を見て見ぬふりをしているようだし、両親ともに、お互いを詮索しないようにしていたのかも知れない。
事件が起こったあの日、一人の奥さんがおかしなことを言い始めた。
「新垣さんの奥さんが、確かいなくなった子供に話しかけていたようだったわよ」
ということだった。
警察に聞かれてそう答えたのだが、母親も寝耳に水で、事情聴取のために警察に連れていかれたが、まったく身に覚えのないことだったので、何も答えようがなかった。
警察としても、一人の奥さんの証言だけなので、拘留というわけにもいかずその日のうちに帰されたが、母親は少しの間、それがトラウマになっていたようだ。
当の子供は、どうやら知り合いの家に行っていたらしく、相手の家の方では子供があらかじめ遊びに来ていることを親に告げていると思っていたが、逆に子供は知り合いが家に連絡してくれると思って、どっちの連絡を入れていなかったという、情けない話だった。
だから次の日には、
「事件が事件ではなかった」
ということになり、人騒がせな親子は警察に注意されただけで済んだのだが、いわれのない疑いを掛けられた母親としては、たまったものではない。
警察にチクった奥さんが、母親に詫びを入れることもなかった。
そもそも、村八分になっていた相手に対して詫びを入れる必要はないと思ったのだろうが、完全なマナー違反であり、モラルに反するものだった。
そのことについて、疑念を抱いた人も少なくはなかっただろうが、どうしても、
「長いものに巻かれる」
という集団なので、しょうがないということだろうか。
昇らされた梯子を下ろされ、立ち往生してしまった母親は、完全な置き去りだった。そんな状態で新垣の家は、どこかぎこちない空気に包まれることになった。
そんな雰囲気を解消してくれるのが、家に父親が会社の人を連れてきた時であった。新垣はそんな日を嬉しく思い、それまでのぎこちない家庭環境がこのまま解消されるのではないかと思えるほどだったが、もちろん、それだけのことで解消されるはずもないのだが、新垣も母親もそれまで感じていたトラウマは、次第に抜けていくのではないかと思えてくるのであった。
会社の人が来た時の家族は、それまでの家族とは少し違い、皆が浮かれているかのようになっていた。唯一、普段と変わらなかったのは、妹だけだっただろう。
妹は普段からポーカーフェイスだった。
他の家族も皆ポーカーフェイスだと言えるかも知れないが、妹の場合は他の家族とは少し違っていた。
他の家族が表情を変えないのは、孤独を感じているからではないかと新垣は思っている。それは他の家族と限定することなく、自分にも言えることであって、だから、皆が孤独を感じていることも分かっていた。
孤独だからこそ無表情になっていて、自分の中で、
「何も考えていない」
ということを納得させたいという理由で感じていることだった。
だが妹は違っていた。
妹は表情は変えないが、絶えず何かを考えていて、何かを感じているように思えてならなかった。普段から妹だけには孤独を感じることはなかった。だからと言って友達がいるわけではなかったようなのだが、一体どうして孤独を感じずに一人でいられるのか、新垣には分からなかった。
ただ、新垣は孤独をそのまま寂しいことだという認識でいた。
孤独だからと言って、寂しいという気持ちがこみあげてくるというのは、納得のいく答えではなかった。
妹の場合は、絶えず何かを考えていることで、孤独ではないと自分に言い聞かせていたと思っていたが、どうもそうではないようだ。実際に何かを考えることが、次第に面白くなり、孤独を寂しさと切り離して考えているのかも知れない。
そういう意味では、孤独というのが決して悪い意味ではないと思っているのではないだろうか。だから、家族が普段孤独による寂しさを、いかに自分で納得いかせようかと考えているのを、冷めた目で見ていたとすれば、やっと寂しさから解放されたかのようにはしゃぐ自分たちを、またしても冷めた目で見ていたとして、今まで妹に感じたことがなかった劣等感を、その時に急に感じたのは、妹に対して冷静な姿勢が、どこか冷徹に感じられるようになり、怖さがこみあげてきたような気がした。
――妹は、本当に俺の妹なんだろうか?
とまで感じるほどに、いつの間にか自分も妹を冷めた目で見ていることに気付いた新垣だった。
新垣は、その時の事件がきっかけとなり、家に誰かを連れてくることがトラウマになってしまった。別に家に誰かを連れてくることと疑われたという不運に因果関係などありえるはずもないのだが、一般的な幸福と、絵に描いたような不幸とを見比べた時、切っても切り離せない関係にあるような気がしたのだっや。
そんな新垣が心理学を勉強しようと思ったのは皮肉なことだったが、心理学を勉強していると、人の幸福も不幸も、それぞれに紙一重であり、そのどちらも普段の自分に関係のないことのように思えてならないのだった。
ということは、どんなに不幸であろうが幸運であろうが、他人事であり、ただの研究材料として見れば、結構楽しいものに思えてきた。幸運を手に入れられないのはもどかしく思うが、それ以上に不幸な状況が他人事として自分に関係ないところで見ることができるというのは魅力だった。
それでも最初はそんな気分にはなれなかった。さすがにトラウマがあっただけに、どんなに他人事だと思ってみても、勝手に身体が震えだしたりしていた。そんな状態で心理学などという学問は、傷口に塩を塗るようなものであり、受け入れることのできないものだと思っていた。
それがどうして心理学を受け入れるようになったのかというと、まず最初のきっかけになったのが、占いによる結果だった。
占いなど信じていない新垣だったが、普段なら見向きもしないはずの露店での占い師の存在を、急に意識したことがあった。
その場所にはほぼ毎日のように座っているその占い師。きっとその場所を毎日のように歩いている自分のような人が他にもたくさんいるはずだ。
占いを見てもらっている人を見たことがない。それでもその人は人の流れを絶えず見ていた。退屈そうな素振りを見せることもなく、まっすぐに前を見ているその姿に、今まで意識しなかったというのは、それだけ無意識にだとは思うが、
「無視しよう」
という意識が働いていたに違いない。
何も考えていなければ、毎日のようにその場所に鎮座しているのだから、いやでも意識しないわけにはいかないだろう。意識しないということに対しておかしな気分にならなければいけないはずなのにならないということは、意識していないつもりで意識しているということの裏返しなのだろうと、新垣は思った。
一度意識はしたが、すぐにはその人に見てもらおうという気にはならなかった。あくまでも意識したというだけのことで、それよりも自分が意識したことで、相手がどのように変わっていくかを見てみたいという意識に駆られた。
占い師は新垣が自分を意識しているのを知ってか知らずか、決して新垣を見ようとはしない。その他大勢の中の一人としてチラッと垣間見る程度のことはあるが、しばらくその場所に立ちすくんでいても、占い師は新垣を凝視することはおろか、注意を払おうという素振りはなかった。
――この人は一体、どういうつもりなのだろう?
新垣は占い師の素振りを見ていると、一つのことに気が付いた。
それは、ある一定の時間を起点にして、同じ時間をずっと繰り返しているかのように見えたのだ。
それが十分なのか、十五分なのかすぐには分からなかったが、よくよく見てみると、彼は一つのクールをずっと繰り返していたのだ。
――ひょっとすると、あの男は、別の次元に存在しているのかも知れない――
と、ありえないことを想像してみたりしたが、それだけではなかった。
同じ時間を繰り返すという発想は、新垣が中学時代に読んだ本の中にあったものだったが、その内容は自分にとってセンセーショナルな記憶だったので、ずっと覚えていたはずだった。
しかし、今その本の内容を改めて思い出そうとした時、その内容が浮かんでこないのだった。
――どんな内容だったんだっけ?
何となく、ボヤけた状況で意識の中にあるのは分かっているのだが、最初と最後がハッキリとしない。途中もあやふやなのだが、最初か最後がハッキリとしていれば、きっと思い出せるのだと新垣は思った。
その思いがもどかしい。
もどかしいという感覚も実に久しぶりに感じた気がした。いつも、
「何事も他人事のように感じていよう」
と思っていたそんな自分が、他人事のように思えるのは、
「時間が少しでも経てば、考えていることは同じではない」
という当たり前のことをいまさらながらに感じたような気がした。
本の内容を思い出そうとしている自分もすぐに他人事のように思えた。しかし、目の前にいる占い師を見ている自分を他人事のように思えなくなったのは事実であって、男の顔がハッキリとしないことも、気になる要因の一つであった。
サングラスをしていて、口ひげを蓄えている。帽子も目深にかぶり、まるで顔を見られないようにしているかのような素振りに、新垣は少し可笑しくなった。
――誰からも意識されていないくせに、何をそんなに自分の顔を隠す必要があるんだろう――
という思いだった。
本人は、まわりから意識されていないということに気付いていないのだろうか?
そんなことはないだろう。あれだけまわりに視線を送っているのだから、少しは彼の方を見る人がいてもおかしくない。
――いや、本当は彼を意識していても、誰も彼の顔を見ているように見えないのではないか――
と思えた。
つまりは新垣も占い師を見ているつもりでいるが、他の人や当の占い師から見れば、見つめていないようにしか見えていないのではないかということである。
それも少しおかしな気がしたが、ここまで誰も彼を意識していないというおかしな状況を説明するには、どうやっても矛盾が出てくるのは必至だった。
それを思うと、少し奇抜ではあっても、今の発想もありではないだろうか。新垣は自分の考えがどこまで信用できるのか、分からなくなってきた。
そう考えると、さっきまで少しだけではあるが、
「占ってもらおうか」
と思った気持ちが揺らいでくる。
この感覚が占い師を意識はしているが、すぐに占ってもらおうとは思わなかった一番の理由だと思っている。
新垣はすぐに占ってもらおうとしなかった理由が一つではないと思っている。今の発想が一番辻褄が合っているし、自分を納得させることができる内容だと思っているのだが、真相はもっと深いところにあるような気がして、いろいろと考えてみたが、すぐには辿り着ける結論ではないような気がした。
占いに興味を持ったことはあっても、占い師を意識したことは今までにあっただろうか?
占いと占い師という二つを別次元のように考えていたような気がする。それは新垣だけではなく他の人にも言えることではないだろうか。その思いが新垣の頭の中にあって、毎日その場所にいるその男が本当に自分の思っているような占い師なのかという疑念すら浮かんでくるのだった。
占いなどというのは、まやかしだと思っていた時期もあった。
「ひょっとすると、まやかしだと思っていた時期を、一時期だと思っているが、本当は自分の意識の中の大部分だったのかも知れない」
という思いがあった。
それは、夢の世界に似ている。
「夢というのは、どんなに長い夢であっても、目が覚める数秒間だけ見るものなのだ」
という話を聞いたことがあったが、まさしくその通り。
話の内容について人と意見を交わしたことはなかったが。自問自答を繰り返したことはあった。
「確かに目が覚めるいくまでには、段階があるような気がする」
と思うと、もう一人の自分が、
「長いと思っていた夢でも、目が覚めるにしたがって忘れていくものなのだから、それも当然のこと。忘れていく間に、時間の感覚がなくなってくるというものだよ」
「それは、時系列がバラバラになるということかな?」
「そういうことだね。夢を記憶として繋ぎとめておくには、その時系列が一番大切なんじゃないかな? 時系列がなくなるものだから、忘れてしまったという気持ちになるのかも知れないな」
「覚えていないということと、忘れてしまうということは別なんだよね?」
「忘れてしまうということは、決して思い出すことがないということで、覚えていないということは、記憶の奥に封印しているのかも知れないけど、今は思い出すことができないというだけのことではないのかな?」
「忘れてしまうと、思い出せない。覚えていないことであれば、思い出すことができるかも知れないということになるんだね」
「そういうことだ」
新垣は、自分の中でそういう発想を繰り返しているのだ。
それが、
「自分を納得させる」
ということであり、自分を納得させない限り、その理論は決して前に進むことはないのだ。
新垣は目の前の占い師を凝視しているつもりで、夢を見ているのではないかと思うようになっていた。
占ってもらいたいという意識があるにも関わらず、彼の前に足を踏み出す勇気がないと思っていたが、これは勇気というものと少し違っているのではないかと思っていた。
「慎重になっている」
という感覚とも少し違っている。
慎重になっているのであれば、そこに恐怖が裏付けられる何かがあるはずなのだが、恐怖を感じることはなかった。ただ、他人事のように思えている自分に不自然な感覚を持っていたのだ。
「いつになったら、占い師の前に躍り出ることができるのか?」
と自分に問うてみたが、考えてみれば、この発想こそ他人事になるのではないだろうか。
歩み寄るのはあくまでも自分であり、この発想は、
「時間が解決してくれる」
という思いそのものに見えてしまう。
時間に解決を委ねた時点で、自分が逃げ道を用意しているということに気付かされた気がした。逃げ道がどこに続いているのか分からずに、逃げ道だけをひたすら求めるのであれば、それは占い以前の問題であるという、少し矛盾した思いを抱いていることに気が付いた。
――大体、解決というが、何に対しての解決なんだろう?
そもそもの根本的なことを考えると、まずこの思いが頭をよぎる。
何かを悩んでいるという思いはあるが、それが何なのか分からない。それが悩みだと言ってしまうとそれまでなのだが、悩みが階層的なものだという発想は、今になって感じたもので、新垣は占い師を見てから、今まで感じたことのない感覚を、たくさん感じるようになったような気がして、不思議な感覚に陥っていた。
――ということは、他人事のように思っていない自分もいるということ――
もう一人の自分がいるような感覚は前から持っていた。
しかし、その違いが分からない。どうして表に出てこようとしないのか、
――自分が夢を見ている時にだけ表に出てくるものであるから、夢を見るという現象があるのではないか――
と思うようになった。
新垣はそんな自分を、舞台のどんでん返しのようなものだと思うようになった。畳が一瞬にして裏返しになって、洋装のリビングが現れる。そんな現象である。
裏返しになった状況を想像してみるが、新垣は占いというものをどこか誤解していたのではないかと思うようになった。
夢と占い師という、まったく相容れないもののどこに接点があるというのか、その思いはすでに過去のものだった。
夢も占いも、自分の意識の中で避けていたところがあった。そのどちらも意識してしまうと、逃れられないものを感じ、逃れられないものというのが、恐怖に直結するという発想を、新垣は感じていた。
夢を見ていると、もう一人の自分の存在を、いやでも感じるようになる。そして、そのもう一人の自分の存在が、夢を怖いものにしていたのだ。
夢ともう一人の自分の存在は切っても切り離せないものだという感覚があるため、夢というのが怖いものだと思うのは、一種の三段論法のようなものだろう。
だが、夢が決して怖いものではないと思うとしても、もう一人の自分を夢の中から抹殺することはできない。
どちらの優先順位が高いのか、新垣は想像もしていないが、もし夢の中に出てきたもう一人の自分が占い師の格好をしていればどうだろう?
「もう一人の自分が、今の自分を占おうとしている」
そう思うと新垣は別の発想が生まれた。
「もう一人の自分が今の自分を占ってしまうと、それはもう一人の自分を夢の中から抹殺してしまうことになるのではないか?」
という思いだった。
それはまるで自殺行為であり、考えられないことだが、本当にもう一人の自分が自殺を考えているのだとすれば、それは今の自分に乗り移るという発想に基づいているのかも知れない。
新垣は占ってもらうことにした。自分にとって悪いことであれば忘れてしまえば済むことである。いいことだけを頭の片隅に置いて、それを何かの時に思い出す程度でいいと思っていた。
新垣は占い師から占ってもらった内容は、それほど悪いものではなかった。むしろ、今の自分の気持ちを代弁でもしてくれているかのように感じたからだ。
「どうして、そこまで分かるんですか?」
「あなたを見ていれば分かります。あなたは占いを信じているわけではないのに、なぜか気になってしまう。それはきっと心理的なところに何か引っかかりがあると思ったんですよ。だから、あなたの目の奥を見るようにしていると、私には何となくですが分かってきた気がするんです」
「占いというのは、そういうものなのですか? 他の人には見えないその人の人生を、身体の部分や運勢で占うものではないんですか?」
「占いにもいろいろありますからね。同じような占いでも、人それぞれで占い方も違う。だから、占い師の数だけ占い方も違うと言えるのではないでしょうか?」
「じゃあ、あなたはどういう占いなんですか?」
「私は、その人の目や顔色からその人をまず見ます。そして話を聞いてみて、直感で感じたその人のイメージに照らし合わせます。ピッタリと合えば、きっとその人のことはある程度まで看破できると思うのですが、占いという意味では本当の占いをすることはできないと思っています。何しろ、ピッタリと嵌ってしまっているんですからね。私ごときの占いがその人の人生を大きく変えると思うと、恐ろしくなります」
「じゃあ、ピッタリと合わない場合は?」
「その時からが私の仕事になりますね。相手の表情や目から見たその人の性格と、話の辻褄を合わせていこうと考えます。そこでやっとその人の性格が見えてくるんですよ。裏の部分も含めてですね。ピッタリ合った場合に占うことができないと言ったのは、、ピッタリと最初に合ってしまうと、その人の裏に潜む本当の性格が見えてこないから、占うことはできないと思うんです」
「じゃあ、占いというのは、その人の奥に潜む本当の性格を把握しないとできないということですか?」
「少なくとも私はそうです。でも、これは私だけではなく、占いの基本だと思っているので、大半の占い師が皆感じていることなんじゃないでしょうか?」
「そうなんですね。私なりに納得した気がします」
「ところで、あなたの場合は心理学に造詣が深いとお見受けしました。しかもその心理学から私どもの占いに興味を持たれたということは、催眠術にも興味を持っているのではないかと思っています。私は先ほど占いについての考え方を言いましたが、催眠術というのも占いに酷似したところがあると思っています。本当の裏の性格、さらにその奥にある潜在意識を呼び起こそうとするのが催眠術だと思っています」
「こう言っては失礼ですが、どうしても占いだったり、催眠術というものには、どこか胡散臭いところを感じさせられるんですよ」
「それは偏見というものですね。占いや最近術が胡散臭いのであれば、心理学というのはどうなんでしょう? 言葉として『学』とついているから認知されているだけのことであって、占いや催眠術の類とどう違うというのでしょうかね?」
と占い師は、半ば皮肉を込めて言っていた。
まさしく彼の言う通りである。確かに心理学に関しては胡散臭いという人はいないが、占いや催眠術に対しては偏見を持たれがちである。
「占いも催眠術も、広い意味での心理学には含まれるのではないかと思うんですよ。実際に占いや催眠術を研究している心理学の先生もいるくらいですからね。でも、どうしてもそういう人たちは他の心理学者からは、邪道のように思われているのも事実です」
「私があなたをすぐに占おうとしなかったのは、あなたを見ていて、目や顔色からまずあなたの性格が見えてこなかった。あなたの話を聞いているうちに分かってきたというのが正直なところなんですが、すべてを知ったうえで、あなたと話をしていると、あなたが本当に正直者だということが分かってきた気がします」
「そう言っていただけると嬉しいです。でも、最初は正直者だとは思えなかったということですよね?」
「ええ、あなたの目と顔色から、あなたが醸し出す雰囲気が合っているようには思えなかったんです。それは心のどこかに偽りがあるからに相違ないと思ったんですよ。それが何なのかを探っていました」
「見つかりましたか?」
「漠然としてですが、分かった気がします。でも、それをあなたに言うつもりはありません」
「どうしてですか?」
「あなた自身が一番お分かりだと思ったからです。いまさら私が言ってもそれは後追いの発想で、あなたが一番嫌うものではありませんか?」
占い師はそう言って、にんまりと微笑んだような気がした。まさしく彼のいう通り、新垣が嫌っているのは、当たり前のことを当たり前に、しかも得意満面の表情をされると、いたたまれない気持ちになるからであった。
「なかなかのご指摘ですね。まさにその通りです」
と言って、新垣も笑みを浮かべると、
「私にも似たところがありますよ。ひょっとすると、心理を研究する人間は、大なり小なり、そういうところがあるんでしょうね。自分を普通の人間だという意識を持ちながら、他の人と同じでは嫌だというところが結構強く持っている。そんな自分たちを世間は認めてくれるものではないですよ」
「その通りかも知れません」
もし、このセリフを占い師ではない人が言うと、うそ臭く感じられるだろう。しかし、占い師がいうと、胡散臭さはあるが、少なくともうそ臭く感じることはない。
「ところであなたは心理学を研究しながら、催眠術の研究もしている。そんなあなたが、なぜ占ってもらおうなんて思ったんですか?」
「どうしてなんでしょうね?」
新垣としては、この質問は想定外だった。
なぜなら、占い師がこんな質問をするのは、タブーだと思っていたからである。先ほどの話の中にあったように、催眠術と占いとは酷似していると言ったばかりではないか。それなのにこんな質問をするというのは、矛盾していると思ってしかるべきだからである。
「でも、これもあなたは分かっているはずですよね。占ってもらいながら、私から占いの話を引き出そうとした。私も分かっているから、あなたの話に乗ったわけです。ただこれは分かっているということの自慢ではなく、分かっているということをまず大前提にしないと、話が先に進まないと思ったからです」
「ひょっとして、あなたは占いだけではなく、催眠術の方にも造詣が深いのではありませんか?」
新垣は、
――この質問には勇気がいる――
と思ったが、敢えてしてみることにした。
しかし、相手は臆することもなく答えた。
「ええ、催眠術も勉強したことがありますよ。私も元々は大学で心理学の勉強をしていましたからね。そういう意味では私はあなたの先輩なのかも知れません」
「そうですか、先輩でしたか。じゃあ、私の話も分かって聴いていたというのも理解できます」
と新垣がいうと、
「同じ道を志した先輩だから、あなたのことがよく分かるというわけではないんですよ。どちらかというと、さっきも言ったように、あなたの性格を分かっていませんでした。でも、あなたを見ていると、分かるまでに少し時間が掛かるかも知れないけど、見誤ることはないと思っていましたよ」
「人の性格というのは難しいですからね。やはり見誤ることってあるんですか?」
「ええ、実際にはありますよ。でも、見誤ったまま占っても、意外とそれが当たっていたりするから不思議だけど面白いんですよ。私が占いの道を志したのは、実のところ、そういう心理からなんですよ」
「なるほど、そういうことだったんですね」
「占いも最近術も実際には胡散臭いものです。しょせんは大衆には受け入れられるものではなく、カルト的なものだからですね。でも、それを宗教の類と一緒にされてしまうというのは、あまり気持ちのいいものではないですね」
「宗教をすべて否定するつもりはないですが、少なくともそれが商売と結びつくと、ロクなことはありませんからね。人権問題などとも結びついて悲惨なことになりかねませんからね」
「確かにそうですね。宗教団体に入ってしまうと、家族から離れて、一人で入信するというのがパターンになっていますからね。もし、家族全員が入信したとしても、さらにそのまわりの親戚縁者がいるわけですから、さらに厄介なことになりかねないですよね」
と占い師がいうと、
「でも、人間というのは、最後は一人なので、その人が信じたのであれば、それを妨害することはできませんよね。胡散臭いものだとして家族は心配するんでしょうが、どう考えればいいんでしょうね」
という新垣を見ながら、占い師は少し哀れみを持った表情になった。
「家族の和が大切なのか、それとも個人の気持ちを尊重すべきなのかという問題ですよね。これは難しい問題ですよ。なぜなら、これこそ人それぞれであり、それぞれの事情を考慮しないですべてを一絡げにして対処しようとすると、大変なことになりかねないですよ。、特に絡んでくる宗教団体がどういう団体なのかにもよりますからね」
「ええ、入信した人を隔離して、決して俗世間と途絶してしまうようであれば、家族の心配も分からなくもない。だけど入信した本人も。そのことを最初から分かってのことでしょうからね」
「でも、入信した人の心境が途中で変化しないとも限りません。もし入信した団体から洗脳を受けているとすれば、ひょっとして何らかの拍子にその洗脳が解けてしまうと、我に返って、自分がとんでもないところに来てしまったことに気付くでしょう。宗教団体がもしそのことに気付いて、もう一度洗脳を試みようとしても、一度解けてしまって我に返った人に、再度の洗脳が効くかどうかですね。もし、それが効かなかったとすれば、それはもう拉致監禁の類に」なりますよね」
と占い師がいうと、
「再度の洗脳が効いたとしても、それは虚偽の心理なので、許されることなのか、私は疑念を感じます」
「まさにその通りですね。でも、あなたは洗脳されたわけではなく、自分の意志で入信し、自分の意志で家族から離れて一人でいる人間を擁護したいという気持ちを持っているでしょう? それがあなたの心理学的な考え方だとは言えないでしょうか?」
また占い師に看破された気がした。
「ええ、私は他の人と同じでは嫌だという発想を強く持っています。もし宗教団体が、外から見ているものと、中に入って見るものとで違っているとすれば、それはそれでありではないかとも思うんです。つまり、教祖を中心に一つのことに向かって、まるで洗脳された兵隊のようにただひたすら団体のために生活をしているわけではなく、実際には自給自足を基本としているので、共同作業が目立つだけで、実際には個人の発想が一番だという団体であれば、私は認めてもいいのではないかと思っています。もちろん、その団体が信者にも分からないところで、何かの悪巧みを企てていなければの話になりますがね」
新垣も次第に饒舌になっていく自分に気付いていた。
占いというものも、催眠術に対しても、さらに宗教団体というもの、それぞれを単独で見るのと、一絡げのように見るのとでは、まったく違った見え方がしてくるのではないかと思えてきた。
新垣はすっかり占い師と意気投合した気がしていた。確かに話の内容は基本的には似通った発想であるが、ところどころで違っている。似通ったところは、二人の間でなくとも大抵の人たちにとって共通の意見なのかも知れないと思うと、二人の間に埋めることのできない結界のようなものが存在しているのを感じた。その結界は向こうが見えないというだけで、深いものではないという意識があるが、見えてこないことが恐怖に繋がると思うと、結界という言葉が嵌っているように思えた。
占い師が新垣に言ったことは、
「あなたは、これから催眠術を勉強しようと思っていますね?」
ということだった。
「ええ」
「あなたは、催眠術を研究することで、きっと新たな発見をすることになると思いますが、それがあなたにとっていいことなのか悪いことなのか私には判断がつきません」
と言われ、かくいうこういう会話になったという次第だった。
どうして彼が催眠術の発想になったのか不思議だった。別に何かを話したわけではなかったのに、表情だけで分かるとは、やはり彼も以前に催眠術について考えたことがあると言っていたことで納得した。
それにしても判断できないとはどういうことだろう?
新垣は別にこの占い師に、今後の自分の行動まで判断してほしいと思っているわけではない。もちろん、占い師の方も、そこまで相手に責任を持つ必要などないし、それこそよく言われるように、
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」
ということである。
要するに、
「当たっても外れても、しょせんは占いだ」
ということだと、少し乱暴ではあるが、新垣はそう思っていた。
新垣は占い師の判断に疑問を持ったが、実は占ってもらう前から、もう気持ちは決まっていた。実際に研究はほとんど終わっていて、後は誰かを実験材料にしてそれを実践するだけだった。
新垣は昔からそういう性格だった。それは、
「誰かに相談したり、気持ちを明らかにした時には、すでに自分の腹は決まっている時である」
ということだった。
新垣は知り合った女性であるつかさを自分の催眠術の実験材料にしようと思った。相手は男性女性のどちらがいいかと考えた時、女性を最初に思い浮かべたのは、女性というものの性格を思い出したからだ。
「女性というのは、何かを表に出す時には、すでに腹が決まっていることが多い時だ」
という話を聞いたことがあった。
新垣にも同じようなところがあるが、それを占い師に的中されたことで、対象を女性にしたのは、催眠術の本質が女性に合うという個人的な感覚によるものだった。
もちろん、根拠があるわけではないが、
「男性と女性のどちらを?」
と考えた時、思い立ったのが女性だったということであったのだ。
占い師と話をしていて、まず言われたのが、
「あなたには女性らしいところがあるのが分かりました」
と言われたところがきっかけだった。
それまでの話と急に変わった話になったので、最初は占い師が急に気付いたことだったのかと思ったが、よく聞いてみると、最初から分かっていたことだが、いきなり話を持っていくと、せっかくの話が中途半端で終わってしまうと思ったからに相違なかった。
「女性らしいというと?」
「それは、あなたが何かを思いついた時、すぐにそれを公表するわけではなく、確信が得られるまで誰にも言わずにいることです」
「それは、僕に限らず、皆そうなんじゃないですか?」
「基本的にはそうなのかも知れませんが、あなたの場合は重要なことであればあるほど、その傾向にあります。他の人はそこまでハッキリと見えるわけではないんですが、それはなるべく隠そうという思いがあるからなのかも知れませんね。だからまわりにそんな思いを抱いているとは思わせない。だから、せっかくそんな気持ちがあるのに打ち消してしまって、つまり黙っていることに我慢ができないという思いが先に立ってしまって、ついつい口にしてしまう。その思いはあなたも感じていると思いますが、他の人は矛盾を感じながら、隠そうとする方に動いて、結局我慢できずに話してしまうということを自分で無意識に認めているんですよ。でもあなたは素直なんでしょうね。隠そうとはせずに正面を見る。だから我慢しているという意識もなく、自分の本心を隠し通して、最後には確固たる信念を持つことができる」
占い師の話は分かるようで分かりにくい。
ただ考えてみれば、当たり前のことを言っているようにも思えるので、納得できないわけではない。それを占い師は、
「素直だ」
と言ってくれているのだとすれば、それはそれで嬉しいことだった。
「でも、それが女性っぽいというのは分かりにくいんですが、それだけ女性が素直だということでしょうか?」
「そうですね。ある意味で素直です。それは自分に対して素直だということであって、まずは自分なんです。ここが女性らしいと言えるのではないかと思うのですが、男性からは理解しにくいところかも知れません」
「理解しにくいとは?」
「男性の中には、男性と女性を比べると、男性の方が潔くて、女性の方が執念深いと思っている人も結構いると思うんですよ。あなたはどうですか?」
「確かにそういう印象はありますね」
「でも、それって、私としての意見なんですが、テレビドラマや小説の中の世界であって、実際にはいろいろな人がいるわけです。私が女性っぽいと言ったのも、女性すべてを刺して言っているわけではなく、一般論に逆らう形での話だと思ってくださいね」
と、占い師は急に自己弁護のような言い方になった。
占い師と言っても万能ではない。余計な先入観を与えてしまっては、話が偏ってしまうとでも思ったのだろうか。
「ええ、分かりました」
新垣は、このくだりの話は、世間話のような気分で聞くことにした。
意外とここまでの話も、占い師からすれば、世間話に近い気持ちだったのかも知れない。新垣も素直に聞いてはいたが、すべてを真剣に受け取っていたわけではない。
だが自分の表情から、すべてを真剣に受け取っていると相手が思っていれば、こんな言い訳の一つも言いたくなってしかるべきであろう。
「あなたは今までにおつきあいした女性がいましたか?」
「はい」
「その人とは深い仲には?」
「自分でもよく分かりません」
「では、今おつきあいしている人は?」
「いると言えばいるんですが、まだこれからだと思っています」
「新垣さん。あなたは好きになったから相手と付き合ったわけではなく、好きになられたからおつきあいをしたという経験をお持ちですね?」
「どうしてそれを?」
「私には、そういう人は分かるんです」
と、断言されてしまっては質問ができないような回答をされて、困ってしまった新垣だった。
それでも新垣は、
「どうして分かるんですか?」
相手の出方を見たいという思いもあって、敢えて聞いてみた。
「実は私にも同じようなところがあるんです。あなたを見ていると、分かってくることが多いんですよ」
と言われて、それは喜んでいいことなのか分からずに、複雑な気持ちになる新垣であった。
心理学を勉強している新垣は、バーナム効果という言葉を思い出した。それは選択肢のある質問を、当たり前の回答に導くようなもので、ただ、それを相手が自分で選んだという発想にさせることで、自分の話に信憑性を持たせるという一種のテクニックである。この占い師は、それとは少し違った言い回しだが、結局は回答を誘導しているように思えた。
――こんな手に引っかかるものか――
とも思ったが、話しているうちに、自分の中で何かウロコが落ちたような気になってしまい、爽快に思えてくる自分を感じているので、バーナム効果を狙ったものであるとしても、その気分に入り込むのは悪いことではないかのように思えた。
「でも、好きになったから付き合ってほしいと思うことと、好かれたから好きになって、付き合うようになるのと、どのように違うんでしょうね? 結局好きになったら、好きになってもらいたいと思うわけだし、心理的な面で違うというのは分かるんですが、そんなに大きな問題なのかどうか、僕には分かりません」
と新垣がいうと、
「確かにそうですよね。私も実はそう思っています。そして私の考えなんですが、好きだから好かれたいという思いと、好かれたから好きになるという思いでは、違いなんかないような気がするんですよ」
「それは、好きだという気持ちには変わりはないという意味ですか?」
「究極でいえば、そういうことですね。確かに順序が違えば、好きになるというプロセスでは大いに違っているかも知れませんが、結局行き着く先は同じなんですよ。着いてしまえば、そこから過去を振り向くことはしないものでしょう?」
「確かにそうですね。でも、占い師の言葉とは思えないような発言ですね」
と新垣がいうと、
「それは、先ほども申しましたように、私としての意見であり、一般論のように聞いていただけるといいと思います」
「あなたの意見としては分かりますが、一般論というのは、ちょっと抵抗がありますね」
「あくまでもあなたの目から見た意見として話をさせていただいています」
「ということは、僕の考え方というのは、結構偏りがあるということですか?」
「私はそう思っています。だけど、悪いことではない。人それぞれに考えがあるわけですからね。どれが正解というわけではない。でも、多数派を一般だと考えるなら、新垣さんの考え方は、少数派ということが言えるのではないかと思います」
「そうなんですね。実は私もそう思っていました。しかもそれをいいことのように思っていたんですよ」
「それは、他の人と同じでは嫌だという発想ですね」
「ええ、そうです。これが私の根本にあるから、どうしても少数派の意見に耳を傾けたり、それを自分の意見だと思うようになったんですよ」
「新垣さんは、バーナム効果の発想も持っているということは、バーナム効果を意識もしていますよね。だから相手の話を鵜呑みにしないという思いもあるが、それでも素直な性格を隠すことはできない。そういう意味では考え方としては統制が撮れていると言えるような気がします」
「そう思ってもらえると嬉しいですね」
「ところで催眠術の研究は進んでいるんですか?」
「ええ、今のところ、理論くらいは出来上がっていると思っています」
「どんな催眠術をお考えですか?」
「相手の深層心理を垣間見ることができるような催眠術を目指しています。それには段階的に研究して、その時々で臨床試験を行う必要もあると思っています」
「第一段階はどうでしたか?」
「第一段階は、本当に誰でもやっているような催眠なので、それほど苦もなくできました。問題はそこから課題を見つけ、いかに次のステップに進むかということなんですが、第一段階を進んだ挙句、なかなか課題を見つけることができません。いわゆる頓挫しているという感じなんでしょうか?」
「検証というのは、結果に基づいて分かったことをまとめることですよね。でも、そこから課題を浮かび上がらせて次のステップに進めるということは、思った以上に難しいことです。研究というのは絶えず研究であり、一つの結論が生まれれば、そこからの葉性を増やしていかなければ、置いて行かれるという世界でもあると思うんですよ」
占い師はそう言って、少し考え込んでいるようだった。
このセリフは占い師というよりも、研究者の言葉である。やはりこの占い師只者ではない。新垣が会話を続ければ続けるほど、どんどん発想が豊かになってくるのではないかと思えた。
「占い師さんは、占いだけではなく、心理学にも造詣が深いんですか? お話を伺っていると、目からウロコが落ちるような気分になってきます」
と新垣がいうと、
「そんなことはありませんよ。ただ新垣さんとお話していると、自分の中で考えていたことが言葉になって素直に出てくるような気がしているだけです。いつもは相手の表情や手から、相手の悩みを読み取って、それを中心に当たり前のことを話しているだけです。それこそ、先ほど言われたバーナム効果に則った会話になっていたのかも知れませんね」
と、占い師は答えた。
「占い師さんは、女性についても詳しいんですか?」
「というと?」
「私は女性の考え方には疎いので、お教えいただきたいと思います」
「私は、女性の考え方にはそれほど詳しいわけではありません。私も女性とお付き合いしたことはありませんから、彼女としての気持ちは分かりかねます。ただ、占い師として目の前に鎮座した女性は分かる気がします。それは相手が自分のことを知りたいというオーラを出しているからであって。そんな女性の気持ちを読み取ることは、さほど難しいわけではありません。しかも、それだけオープンなのだから、相手の性格を見抜くこともそれほど難しいことではないと思うんですよ」
と、占い師は言った。
「でも、女性が潔くて、男性の方が女性に比べて、女々しい面を持っているともお考えないんでしょう?」
「確かにそれはありますね。その発想はあくまでも女性が何かをする時にはすでに自分の気持ちが固まっているという前提に則った形で考えているからです」
「でも、人それぞれだって言ってましたよね? ということは、これは個人的な意見なのか、それとも一般論なのかということになりますが、いかがでしょう?」
「私はこれを、一般論だと思っています。少数意見かも知れませんが、それはこういう発想を持つ人が少ないというだけで、人に話せば、結構『なるほど』と言って納得される方も多いと思います。それは自分の中で無意識に意識されているからではないでしょうか? 確かに人に言われて感じるのであれば、そこに信憑性の有無は考慮すべきなのでしょうか、私にはそれ以前に無意識であっても意識しているということが大切なのではないかと思うんです」
「なるほど、一般論というのは、人に言われて納得することであっても、最初からその人の意見だということになるわけですね。それは私も同じだと思いますが、そこに誘導が含まれていなければいいと思うんですよ」
「そこを誘導するとなると、洗脳などの話になって、少し話の主旨が変わってくるのではないかと思いますがどうでしょう?」
「その通りだと思います。カルト宗教などの洗脳などがその一つの例ではないかと思いますね」
と新垣がいうと、
「占いをカルト宗教などと一緒にされても困る気がしますが」
「もちろん、一緒になどはしていませんが、占いというのも、どこか気持ちを誘導するところがあるのかも知れないと思ってですね」
新垣は、失礼だとは思いながら言った。
すると占い師は、そんなことは分かっているとばかりに、やたらと冷静である。そんな横顔を見ながら、新垣はホッとした気分になっている自分を感じていた。
占い師に自分の行く末を聞いてみようという気は、新垣にはサラサラなかった。だから催眠術に関しても話をするつもりはなかったのだが、なぜ自分から口にしたのか分からなかった。段階があることまで話をしたのだから、きっと新垣に中に話をしたいという何かがあったのだろう。
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