日常階段

西順

日常階段

 30代になると一気に痩せ難い体質になるもので、10代20代ではあれ程スラッとしていた私の身体も、いつの間にやらお腹周りについた贅肉が落ちなくなってきていた。元々モテないと言うのに、加齢に加えてこのおじさん体型では、結婚相手どころか彼女になってくれる人を探すのも難しい。人柄に惚れてくれる人がいるだろうって? そんなものは20代までの幻想だ。


 さて、ダイエットと言えば食事制限が一般的だ。が、そんなダイエットは20代までに散々やってきているので、それでも痩せなくなってきているのだから、これは運動をせよ。との神からの啓示なのだろう。


 しかし本格的にジムで身体を動かすのは私には無理だ。もし20代の痩せているうちに、一度でもジム通いを始めていれば、違う考え方になっていたかも知れないが、30代のおっさん的に言わせて貰うと、このだるだるの身体をジムでトレーニングしている人たちの前で晒すのは抵抗がある。


 となると日常に運動を取り入れる事が決定事項となる。ちょっと調べれば、有酸素運動が良いとどのサイトにも書かれており、やる運動は二つ。一駅分歩くか、エレベータ、エスカレータに頼らずに階段を昇り降りするかだ。


 私が選んだのは階段だった。理由は私が郊外に住んでいるので、一駅間が都心より長い。いや長過ぎるからだ。一駅歩いて移動するなら、自転車を買うよ。流石にそこまでではないだろうと高をくくって、私は消去法で階段昇降を選んだ。


 一日目で後悔した。何せ我が社のオフィスがあるのは、ビルの最上階、それも20階建てだ。初日は朝昇りきった所で足がガクガクになったので、昼休みも帰りもエレベータを使った。


 だが人間とは慣れる生き物だ。初日で思い知った私は、靴を革靴風スニーカーに替え、翌日から本格的に階段昇降を始める事にした。すると身体中に酸素が回るからだろうか? 仕事の効率がアップして、そのせいではないだろうが会社の業績も上がっていった。


 そうするとどこからか噂が立ち、私が階段昇降を始めたから、会社の業績が上がった。なんて噂が社内にまことしやかに広まったもので、私は階段昇降をやめるにやめられなくなっていた。既に痩せていたと言うのに。


 しかし捨てる神あれば拾う神ありだ。会社の業績が上がった事で、社を別ビルに移す事になったのだ。神に感謝した。これで階段昇降から開放されると。


 されどそうはならなかった。ビルを移転した当日、上司に呼び出されて向かってみれば、社内に私の階段昇降の噂を信じているお偉いさんが何人かいるから、今後も続けてくれると嬉しい。との命令だった。あれはお願いではなく命令だった。


 溜息をこぼし肩を落とす。どうしてこうなったのやら、と考えながらも答えは出ず、私は「分かりました」と上司に答えて、35階の最上階のオフィスに階段で通う事になったのだった。


 それがいけなかったのだろうか。あそこで断っていれば良かったのだろうか。会社の業績は更に鰻登りで上がっていき、その度に会社はオフィスを移転し、何を考えてかその度に最上階にオフィスを構えるのだ。50階、80階、100階とどんどんオフィスは高層ビル化していくのに、私は階段を昇って通うのである。100階のビルなんて高さ500メートルあるのだ。最上階まで昇るのに駆け足でも30分掛かる。


 こんな生活を続けた私は、40代になる頃には、立派なバーティカルランナーとなっていた。バーティカルランニングとは、日本語にすると階段走となる。つまりはどれだけ早く高層ビルの階段を駆け昇れるかと言う競技なのだが、私は40代にして日本で五指に入るバーティカルランナーとなっており、海外から招待を受ける程となっていた。


 これに伴い私が勤めている会社の知名度も更に上がる事となり、会社の業績は更に上がっていった。


 そして会社はまたも新たな高層ビルへとオフィスを移転した。日本初の1000メートルを超える超高層ビル。オフィスがあるのは当然最上階だ。階数にして250階。


「頼むよ」


 社長直々に呼び出され、社長は何を頼むと言うでもなく、私の肩に手を置いたのだ。断れるはずがない。良いでしょう。ここまで来たらこの命、この人生、階段に捧げてやろうじゃないか! ちなみにまだ彼女募集中です!

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日常階段 西順 @nisijun624

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