聖女にストーカーされて困ってます!

稲荷竜

聖女にストーカーされて困ってます!

 私はノーマルである。

 だから異世界転移を繰り返してヤバい女から逃げている。


 あのヤバい女との最初の出会いは、私が中学帰りに異世界転移してからのことだった。

 一番初めの異世界転移で何もかもよくわからなくて、お腹が空いて道端の草とか食べてしまった私は「セルロースぅ……!」と繊維質への恨み言を吐き出しながら死にかけていた。

 繊維質ってお腹にいいはずじゃん……なんで消化できないの……

 コンビニ業界にはびこるダイエット会社の陰謀に殺されかけていた私がその時出会ったのは、『聖女』と呼ばれていたあの女だった。


 最初、なんて素敵な女の子なのかと思っていた。


 私より三つも年下だっていうのに、とてもとても大人びた態度で、スキンケアなんかまともにできない中世ヨーロッパ風世界住民のくせに肌がもちもちすべすべで、背は低いのに私より脚が長かった。


『ええ!? 現状でもびっくりするほど美少女なのに、まだ成長の余地を残しているの!?』と吹き飛びそうになったほどの美少女は、人格の方もとてもよくて、私は気付けば彼女に世話をされながら異世界チート無双をして、魔王みたいなものを倒しそうなところまで行っていた。


 そして最終決戦前夜……


 三人の仲間たちと思い出なんかを振り返りながら、明日に控えたラスボス戦への抱負を語り合っていたところ……


 眠ろうとしていた私は、聖女に夜這いされた。


 みんなで眠っているテントの中ですすすと私の方へ移動してきた聖女は、私の使っているブランケットの中に入り込んでくると、私のほっぺたに手を添えてきた。


 暗くてよく見えなかったけど、私はそれがすぐに聖女の手だっていうことがわかった。


 だって私たちはもう長い付き合いで、三つも年下の彼女を私は妹みたいにかわいがっていたし、いっしょに寝ることもよくあって、それで……


 お互いにもう三年もいっしょだったし、そのあいだ何もなかったから、私は『決戦前夜だし、怖くなっちゃったのかな』なんて『お姉ちゃん』のつもりで聖女の方を見て微笑んで……


 気付いた。


 こいつ、全裸だ。


 感触でわかる。全裸だ。


 全裸でブランケットに潜り込んできた。


 いっぱい????ってなっている私に聖女がささやいた言葉は、今でも夢に見てうなされる。


「お姉さま、神殿でひとりぼっちだった私に、たくさん話しかけてくれましたよね」


「私のこと、聖女だっていうふうに扱わなかった人、初めてです」


「いっぱい冒険もしましたよね」


「これって実質、結婚ですよね」


「お姉さま、新婚初夜、しませんか?」


 同性に向けられるガチの性欲、かなり背筋に来るよね。


 とりあえず私はにっこり笑って聖女の頭を撫でたあと、ブランケットでぐるぐる巻きにして、装備を回収してテントを出た。


 そのまま魔王を倒して『魔王を倒した特典』で、私を転移させた女神にこう願った。


「異世界転移能力をください!」


 もらった。

 逃げた。


 逃げたあとちょっと冷静になる機会があって、『いくらなんでも世界をまたいで逃げるのはやりすぎかな……』というふうにも思った。

 私は聖女のこと嫌いじゃない。妹みたいに思ってる。

 それがあんなふうに拒絶して、世界をまたいでまで逃げるのは、さすがに傷つけちゃったかなって、凹んだよね。


 でもね、聖女追いかけてくるの。


 わかるかな? 朝、目覚める。新しい世界。新しい生活。財産も知り合いもいないけど、私には鍛えた能力といくつかのチートがあって、生活にもさほど困らない。

 ちょっとの寂しさは朝の冷たい空気をいっぱいに吸い込んでごまかして、それで新しい世界で元気にやっていくぞ! って気合いを入れてほっぺたを叩いて。


 振り返ったら聖女ヤツがいるの。


 三度見したよね。


 いるの。


「お姉さま、おはようございます。いい朝ですね」


 美少女がそこで微笑んでる姿がこんなにホラーなことある?


 逃げました。


 新しい世界ではいきなり聖女が背後にいるとかいうこともなく、私はその世界で過ごして、仲間を作って、それでまた世界の命運を賭けた戦いに巻き込まれていくことになった。


 そうして数々の冒険を経て最終決戦に挑もうという前夜……


「お姉さま、明日はいよいよ最後の戦いですね」


 いるんだよね。

 ブランケットの中にさ。


 育ち切ったおっぱいをおしつけてくる聖女に私は悲鳴をあげて、またぐるぐる巻きにして、一人でラスボス倒して、異世界転移した。


 次の世界でもしばらくは聖女の姿はなかったんだけど、もういつ出るかわからないから不安だよね。

 不安すぎて『いっそ、早めに出てほしい』って思っちゃったよね。


 出たよね。


 逃げるよね。


 逃げた先でまた出るよね。


 また逃げて、また出るよね。


 そういうことを十回? だか二十回? だか繰り返して、私はいよいよ悟ったわけです。


『あのストーカー女、そろそろ勝負をつけないと精神がもたない』って。


 そもそも私たちには『寿命』がない。

 私はチートの一つで不死身にされちゃってるし(もらった時は喜んだけど、こうして逃げ回ってる生活になってみると『あれ? これって呪いでは?』って気持ちになってくる)、聖女もなぜか最初に別れたあの日から年齢を重ねてない。


 そもそもなんであいつまで異世界転移してくるのかがわからない。

 いやもうメカニズムはどうでもいい。聖女だし女神になんかしらの奉仕をして特典としてそういうチートをもらったんだと思う。私たちが最初にいた世界、『今月のお小遣い!』みたいな感覚でチートよこす神様がたくさんいたし。


 だから、私は、あいつと話をつけなきゃいけない。


 どうして私を追いかけてくるのか。


 どうして……


 そこまで私を、好きでい続けるのか。


 こんな、なんにもない、地味で、かわいくもない……

 チートがなきゃ道端で死んでるような、どうでもいい、私を。



 決闘は荒野で行うことにした。


 この世界は謎の菌糸類が人類を滅亡させようとしていて、私は菌糸に滅ぼされた街で生活を続けている。


 吸い込むだけで人をキノコに変えてしまうおそろしいものだけれど、私には通じないし、たぶん、聖女にも通じないと思う。


 真っ白い、かすかに発光する菌糸に覆われた街は、目に見える大きさの胞子が降り注いでいるのもあって、まるで雪に閉ざされた世界みたいだった。


 私はそのへんのキノコを焼いて食べている。


 そこに、『やつ』は現れた。


「お姉さま」


「来たわね」


 綺麗に輝く長い髪、子供時代からシミ一つない肌。

 もう勘違いじゃすまされない情念のうずまく瞳をこちらに向けてくる、ほっそりして手足が長くて、そのくせ胸がバーン! ウエストがギュー! お尻がバーン! というチート体型スタイル


 たぶん、彼女の中身を知らなかったら、私でも見惚れると思う。


 本当にかわいかったこの子は、本当に綺麗な女の子になってるんだ。

 それこそ、女でもくらりとくるぐらいにかわいくて……

 それに、気高くて、優しくて……


 生まれだって育ちだってよかった。

 もとの世界にいたらきっと、いい旦那さんとか見つけて……女の子が好きなら、女の子の旦那さんだって見つかったと思うのに。


「どうしてそこまで、私を追いかけてくるの?」


 なんで、私なんかにこだわるの?

 私以外なら、いくらでも、どうにでもなりそうなのに。

 どうして、私みたいに……


 なんで求められるのかもわからないような、いくら世界を救っても『全部、借り物の力のおかげだよね』としか思えない……


 永遠に自信が持てないやつなんか、こんなに追いかけてくるんだろう。


「お姉さまのことが、好きだから」

「私じゃなくてもいいじゃん」

「あの世界で、お姉さまだけが、私を特別扱いしないでくれたから」

「それは宗教のことがよくわかんなくって、聖女がどれだけ偉いのか知らなかっただけだし……」

「ふふ」

「……何よ」

「そういうところが、かわいいんですよ」


 ぞくりとしたのは、怖気なのか、それとも、他の感情なのか、わからなかった。


 聖女が近付いてくる。

 私は……逃げそうになったけど、半歩下がっちゃったけど、踏みとどまる。


「ねぇ、お姉さま、いっぱい追いかけっこしましたよね」

「……うん」

「何年経ったか数えています?」

「……どのぐらいだっけ」

「ちょうど百周年です」


 途方もない年数が経っていた。


 私たちは老いない。私たちは死なない。

 このチートを授かった時、セルロースに苦しめられていた私は、死なないことを喜んだ。老いないと聞かされても、『え、お得じゃん!』としか思わなかった。


 でも、そうじゃなかった。

 不老不死という意味を、私はよく理解できていなかったんだと思う。


「ねぇお姉さま……だからもう、よくないですか?」

「え? どういうこと?」

「私たち、もう実質夫婦じゃないですか」

「突っ走らないで」


 この子は本当にこういうところが困る。

 結論が……結論が飛びすぎ!

 説明をして!


「最初は、お姉さまだけが、私を『人』として扱ってくれたのが嬉しかったんです。お姉さまは、お姉ちゃんぶって……でも世間の常識も知らなくて……私が目を離したら不老不死なのにうっかり拾い食いとかして死んでそうで……」

「私にも羞恥心はあるんだよ?」

「……だから、ずっと見てたんです。見ているうちに、お姉さまが、一番、面白かった。だからね、からかったりもしましたよね」


 お姉さま呼びしてくるくせに、まったくお姉さまとして扱われてないことが発覚しました。

 はるか昔にお姉ちゃんぶっていた自分を殴ってやりたい。


「それでね、あの夜もからかったんですよ」

「全裸でブランケットにもぐりこんできたやつ?」

「全裸でブランケットにもぐりこんだやつです」

「でも本気の感じがしたよ」

「最初は『全裸でブランケットにもぐりこんだら面白い反応をしてくれそうだな』ぐらいの感じだったんですよ?」

「ちょっと私の『びっくり』に対して賭けるものがデカすぎない???」

「でも、お姉さまの顔を見ていたら、『アリ』だなと思って」

「……」

「本気になったのに、逃げられちゃったんです。だから……」

「……傷ついた?」

「いえ。なんとしても捕まえてやろうと思って、女神様から能力を授けていただきました」


 愉快犯と書いて聖女と読むのかな?


 もしかして、ここまでの私たちの追いかけっこって……


 ネタに全力出しちゃってあとに退けなくなっただけってこと……!?


 それはさすがに、あんまりだよ……!


「ねぇお姉さま、そうやって始まったんですよ、私たちの追いかけっこ」

「『知りたくなかった』っていう気持ちがすごい」

「ええ、本当に。くだらなくて、その場のノリしかなくって、百年を過ごすにはあんまりにも軽すぎる動機で……私も、もっと重いものを話したかったんです。……重いものも、あったんですよ」

「そうなの?」

「でも、それももうすべて、百年前のことなんです。これだけ経ったら……当時は重くて重くて仕方のなかったことも、『なんか、くだらないことで悩んでたなあ』って、そんな程度になっちゃいますよ」


 私たちはいろいろな世界を渡って、ここにいる。


 たぶん、本当に重いものもあったんだろう。聖女が私に……依存、するような。異世界出身の私だからこそ追いかけたくなるような、そういう……

 世界? 社会? 宗教? 人間関係?

 そういうものに根差した、本当に本当に重いものが。


 でも、私たちは、世界をまたぎすぎて、時間を過ごしすぎた。


 悩みは過ごした年数と反比例して、どんどんちっぽけになっていく。


 だから、きっかけにはいろいろあったけれど、今の私たちは……


「ねぇ、お姉さま、もう、私以外、いなくないですか?」

「……何が?」

「わかっているくせに。……お姉さまと思い出を語って、お姉さまとこうして見つめあって、お姉さまと……ずっといっしょにいられるのは、私しか、いないでしょう?」

「……」

「それに、私にももう、お姉さましか、いませんよ。……最初から、そうだったかもしれないですけど」


 私たちは百年間の追いかけっこの果てにここにいる。


 そして私は不老不死で世界をまたぎ続けていて、もうどこの世界にもなじむことができる気がしない。


「きっかけなんて、大事ですか? 私たちが過ごした時間の長さのほうが大事でしょう? お姉さまは自分に自信がないようですけれど、お姉さまはもう、私にとって、唯一無二の存在なんですよ。他の人なんか、いないんです」


 菌糸に滅ぼされた村の中に、冷たくも暖かくもない風が吹いた。


 他の人なんかいない。


 物理的に。

 そして何より、精神的に。


 私たちにはもう……

 私たち以外の選択肢が、ない。


「それに、お姉さまだって、私のこと、大好きでしょう?」

「……なんでよ」

「だって、私が授かった能力って、『お姉さまが望んだら、おそばに行く』という力ですもの」

「……」

「求められているから、来たんです。今も、昔も、これまでずっと、これからもずっと」


 ……異世界転移して、たった一人で迎えた朝。

 いっしょに冒険した仲間たちのことを……

 かわいいかわいい、妹分のことを、思い出さないわけがなかった。


 最終決戦に挑む前夜。

 あの夜に振り払ってしまった彼女ともう一度やり直せたらなって、思わないわけがなかった。


 私は、たびたび、彼女のことを思っていた。


 言われて初めて自覚したぐらい、無意識に……

 切実に、彼女のことを、想っていたんだ。


「……そっか」


 すごく、納得した。

 すごくすごく、納得した。


 私は、彼女を求めている。


 彼女も、私を求めている。


 だから私たちはここでいっしょになって、ハッピーエンドを迎えるんだ。


 ………………いや、でもね。


「あの、女の子はちょっと、無理です」


 私は改めて、聖女をフった。


 聖女は笑顔で固まった。


 そして、


「百年間おあずけされた性欲が、そんなことでくじけるとでも?」


 目が本気すぎる。


 私は……また、逃げた。


「お姉さま! ここは受け入れるところですよね!?」

「お友達から始めさせてくださぁぁぁぁい!」


 逃げる、逃げる、逃げる。


 だって、やっぱ、無理だもん!


 ………………でも。


 でもきっと、私はまた、彼女を求める。

 寂しい時、不安な時、夜がなんだか暗い時。

 そこに彼女の存在があったらいいなあ、なんて。無意識に思っちゃうんだろうなって。


 だからたぶん、いつか私は折れるだろう。


 それでも今の私はまだ、折れていないから。


 どうか、お友達から始めさせてほしい。


 あなたの想いは、まだ受け止めきれない。

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