探偵の初仕事

遠藤世作

探偵の初仕事

 「はぁ……」


 ため息をついたのは探偵を生業としているサトウ氏。多少埃っぽい室内で、彼は安楽椅子に座り、パイプ煙草を蒸していた。その様子はさながら名探偵。

 しかし彼には難事件を解決した実績もなければ、特段と頭のキレがよい、といったこともなかった。

 この服装も、そして彼のため息も、全ては一つのに集約する。それはつまり探偵事務所を立ち上げたはいいものの、さっぱり客が来ないということだった。

 

 「まったく、衣装まで揃えてそれらしいポスターを撮り、この町の隅々まで張り出したというのに、こんなにも客が来ないとはどういうことなのだ。もう広告代と衣装代の分、大赤字だというのに」


 サトウ氏はひとりで嘆いてみたが、それでも客は来ない。宣伝費用のためやらなにやらで、あらかたの家財は売っぱらってしまった。今日も誰も来なければ、もう探偵で食っていくのを諦めて実家の家業を継いだほうがいいのではないか。

 諦念を抱き始めたそのとき。サトウ探偵事務所に、ノックの音が響いた。

 

 「すみません、ポスターを見まして……」

 

 やっと客が来た。嬉しさで飛び上がりたい気持ちを抑え、サトウ氏はいくつもの事件を経験した探偵のように、落ち着き払った返事をした。


 「鍵は空いてますよ。お入りなさい」

 

 ノブが回され、入ってきたのは痩せた男。だがサトウ氏は男を見た途端、面白くない顔をした。それは男とサトウ氏が知り合いで、すぐに冷やかしと気づいたから、ではない。そもそも、サトウ氏と男は初対面だった。

 問題は男の服装。チェックの鹿追帽子、同じくチェックの二重マントを身につけ、胸ポケットからは虫眼鏡が顔を出している。その姿はかのホームズを想起させ、パイプ煙草と安楽椅子だけ用意したサトウ氏よりも、よっぽど探偵っぽいではないか。


 「失礼します」

 「何ですかあなたは。その格好、まるで探偵のような……」

 

 サトウ氏は疑問を抑えられず、来客用の椅子に座りかけた男へと質問を投げかけた。すると男は、澄ました顔でとんでもないことを言い放つ。


 「ええ、私は探偵です」

 「何だって!探偵が探偵事務所に仕事を依頼しに来るなんて、聞いたことがないぞ。さては同業が出てきたから、早いうちに潰そうって魂胆だな。

 しかしね、君がそんなことしなくても我が探偵事務所はもう潰れるよ。何せ客が来ないんだ。それでも待ちに待ち続けて、やっと仕事が舞い込んだと思ったら君だ!もう私は諦めた。大人しく実家へ帰るとする……」


 もはや自分には運がなかったのだと、サトウ氏は肩を落とした。が、男は同情の目でそれを見つめ、そればかりか荷造りをしようとするサトウ氏を引き止めたのである。


 「お待ちになってください。早とちりされては困る。実は、私のところも似たような状態なのです」

 「そうなのですか?というと、やはりここ1ヶ月仕事が来ない……」

 「いいや、もっとひどい。あなたは最近この町に来て、新しく事務所を始めたのだからその程度の期間だろうが、私の方はもっと前からこの町に事務所を構えていたのです。なのにこの1年間、仕事が一件もこない」

 「何ですって?そんなに!」

 「ええ。それらしい格好をしてみたり工夫を凝らしても駄目でした。そして、それもこれも、この町自体に原因があったのです」

 「それは、どういう」

 「あなたは知らないだろうが、ちょうど1年前くらい前から、この町のテレビでは過激なドラマやアニメ、報道をしなくなった。それは町長のマニュフェストに則ったものだとからしいが──とにかく、その方針によって放送内容は規制、変更され、映るのは花畑や、かわいらしい動物の映像ばかり。

 そしてその影響か、人々の心理にも変化が出始めた。皆、穏やかでのんびりとした性格になってしまったのです。するとどうだ、誰も犯罪を起こす気にならない。不倫のスリルなんてもってのほか。一緒にテレビを見ていたペットすら、すっかり脱走しない。

 おかげで探偵業は食いっぱぐれ。強盗事件の調査もなければ、浮気調査もない。ペットの捜索すらなくなった!

 さらに町の住人の中には、もう警察すらいらないのではないかとの声まで上がっているらしい……」

 「そうだったのですね。私はテレビを早いうちに売っぱらってしまったので、気づかなかったわけだ」

 「ええ、そういうことです」

 「しかしなんてひどい話だ!我々は事件あっての我々だというのに!」

 「そうでしょう。それでですね……」


 男は大きく頷き、そしてここからが本題というように前のめりになると、声をひそめてこう言った。


 「このままでは警察も探偵も廃業の危機。そこで私は警察と手を組み、この町のテレビ局を襲撃しようと思っているのです。そして計画を練っている途中で、あなたのポスターをお見かけしてコレは仲間にお誘いしたいとこちらにお尋ねした次第でして」

 「なるほど、事情を理解しました。喜んで協力いたしましょう!人の職を奪おうとする悪魔の所業を、見逃してはおけません!」


 二人はガッチリと握手を交わした。そして翌日、サトウ氏は受け取った住所を尋ねた。

 そこにはあの男に、パトロールしているのを見かけたことがある警察官、また彼がいる交番の仲間数名、それと同じ探偵仲間が何人かいた。集まった皆は知恵を出し合って、犯罪計画をより完璧なものに仕立て上げていく。

 数日後。ついに襲撃計画が決行された。狙うのは生放送のニュース番組が行われているスタジオ。いくら放送を操作できるといっても、生放送中では手出しが出来ないだろうという判断だった。

 探偵と警察の共同作戦は、想定以上にスムーズにことを進めた。それもそのはず、二者とも犯罪については並の犯罪者では相手にならないほど詳しいのだ。

 結果は大成功。目出し帽を被った数人が生放送の番組で機材を破壊し、キャスターを恐喝して去っていったという刺激的でミステリアスなこの事件は瞬く間に町民たちに伝播し、皆はスリルや過激さを求めるようになって、テレビ局もその要望に応えるために放送内容を変更せざるを得なくなった。

 町はペットの脱走や浮気、事故や強盗や殺人が時折り起こるくらいの平和な町へと元通り。おかげで探偵と警察には、また仕事が舞い込んでくるようになった。

 サトウ氏のところも、あれ以来何件もの依頼が来る。彼は買い戻したテレビで最近の事件の情報を追いつつ、今日も絶えず鳴る電話の受話器をとって、依頼を受けるのだ。

 「こちらサトウ探偵事務所。どのような事件でも調査いたしますよ……え?あのテレビ局の襲撃事件ですか?いやぁ、それだけはこの私でも手に負えませんな。あの事件はこの町のどの探偵も警察もお手上げでして。残念ながら、迷宮入りとなるでしょう……」

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